八章 狼王子は、異世界からの漂着青年と、愛の花を咲かせたい


 ピチチと小鳥の鳴く声がする。

 ぼんやりと目を開けた剛樹は、起き上がろうとしてベッドに逆戻りした。

「……?」

 体は重だるく、節々が痛い。それから腰とその奥のあらぬところまで……と考えて、昨夜の痴態を思い出した。頭を抱えて転がりたくなったが、体が動かない。羞恥心を抱えて、静かに身もだえしていると、ユーフェが顔を覗かせた。

「起きたか」

「こほっ」

 ユーフェさんと言いたかったが、剛樹の喉はカスカスで、咳しか出ない。

「ああ、無理に話さなくていい。モリオン、お前は熱が出ている。私が不慣れなか弱い身に、あのような無理を強いたせいだ」

 ユーフェの耳がぺたんと寝ている。しょげかえっている様子は、剛樹にはかわいらしく見えた。

「そもそも種族の違いもあれば、体格差もある。私も理性を保つ努力はしたが、途中から記憶がない」

(そ、そうですか……)

 剛樹は心の声で返事をした。

 昨夜のことが、剛樹の頭によみがえる。

 ユーフェは剛樹の中に一回精を出した後、すっかり興奮しきって、剛樹をむさぼるように蹂躙した。銀狼族の男性の特徴のせいで、彼の一物は抜くこともできない。

(それで結局、お腹いっぱいになるまで……ああああ)

 剛樹は心の中で叫び、顔を赤くした。自分の乱されっぷりが恥ずかしくてならない。

「……あの」

「なんだ」

 剛樹がもごもごと言うので、ユーフェはこちらに耳をぐっと近づけた。

「初めてなのに、俺、あんなに反応しちゃって。引いてないですか」

「まさか! かわいかった!」

「わあっ」

 ユーフェが間近で叫ぶものだから、剛樹は驚いた。

 すると、そこに執事が現れてユーフェに苦言を口にする。

「殿下、廊下まで大声が響いてございましたぞ。か弱いモリオン様を驚かせるとは、まったく大したお気遣いですなあ」

 皮肉たっぷりの叱りに、執事の怒りが見える。ユーフェはぎくりとたじろいだ。

「そんなに怒るな。……すまなかった、モリオン。お前に誤解をさせたくなくてだな」

「大丈夫です。びっくりしたけど、ユーフェさんの気持ちが伝わってきました」

 こうしていると、いたずらを注意されている子どもみたいだ。剛樹にはユーフェの様子がかわいらしく見えた。

 昨夜から剛樹の目もおかしい。ユーフェはどう見ても格好良い大人の獣人なのに、どうしてかわいらしい子犬のように見える時があるんだろうか。

「モリオン様はお優しいですねえ。ご災難でしたが、雨降って地固まると申しましょうか。おさまるところにおさまって、わたくしとしてはうれしゅうございます」

「おい、気が早いぞ」

「殿下、この後に及んで、のんびりなさるおつもりですか?」

「もういいから、食事を置いたら部屋から出ていけ」

 ユーフェはあからさまにうるさそうにして、執事を部屋から追い出した。

 執事が置いていった台車には、盆の上に、おいしそうな朝食がのっている。

「モリオン、起き上がれるか」

「うぐ、ちょっと無理です」

 ユーフェや執事が言う「か弱い」は否定したいが、「ひ弱」の自覚はある。あらゆるところが筋肉痛で、剛樹はしばらく自力では動けそうにない。

 陸に打ち上げられた魚は、こんな風に無力なのかも知れない。ビチビチとはねることすらできないのだから、むしろ魚のほうがましだろうか。

 くだらないことを考えながら、剛樹は体に残っている異物感から必死に目をそらしている。

(それに……なんだか後ろにまだあれが挟まっている感じがする……)

 ちらっとユーフェの下半身に目を向けてしまい、剛樹は慌てて視線をそらした。

「体力を消耗したから、食べたほうがいい。こうしよう」

 ユーフェは盆をローテーブルのほうへ運ぶ。戻ってくると、剛樹を腕に抱え上げた。いったい何事かと剛樹が目を白黒させているうちに、剛樹はソファーに座ったユーフェの膝の上に移動していた。

「へ?」

「私が食べさせてやろう。パン、野菜と鳥の挽肉で作ったオムレツ、卵スープ。どれから食べたい?」

「ユーフェさん?」

 まあ確かに、ユーフェの膝の上は温かいし、もたれやすくて楽ではあるが……。まるで子ども扱いだ。剛樹は困惑したが、ユーフェは楽しそうにしている。

「あの、支えてくれれば自分で食べられますよ?」

 剛樹の問いに、ユーフェは「駄目だ」と返す。

「私のせいで、お前は動けないのだ。苦労している番を労らせてくれないか」

「番……?」

 ユーフェの真摯な問いかけに、剛樹はぽかんとする。

「えっ、あれで番になったんですか? 番って、人間でいう夫婦みたいな関係ですよね?」

「……つまり、私を番として受け入れないと?」

 ユーフェがあからさまに元気を失うものだから、剛樹のほうが慌てる。

「いえっ、そうじゃなくて。俺には結婚式をしていないのに、夫婦って言われたみたいな違和感があって。そうですね、儀式みたいなことしないんですか?」

「銀狼族の婚姻の習わしを知りたいということか? 王侯貴族ならば、婚約をしてから、式を挙げて床入りするものだ。庶民でも正式な流れはそうなる」

「村長の息子みたいなのは?」

 剛樹の素朴な質問に、ユーフェは嫌そうに顔をしかめた。

「誤解しないように。確かに遊びで手を出す者もいるが、少数派だ。何事にも例外はつきものなのだ」

「でも、ユーフェさん、昨日、俺が断ったら、誰かを呼ぶって言ってたじゃないですか」

「それは……はあ。あれも例外だ」

 ユーフェは鼻白んだ。後ろからぎゅっとハグをされる。

「発情を引き出す誘引香は、発情期以外のシーズンで、子どもを授かりたいカップルが使う代物なのだ。相手ありきのものでな。薬で無理矢理、シーズン外に発情を引き起こすゆえ、一人で耐えようとすると精神的に参ることもある。さすがに、私もそうなるのは避けたい」

「そ、そんな危険物を、あの人はユーフェさんに使ったんですか?」

「だから牢に送ったのだ。あんなものをつけて、パーティー会場に来たのだぞ。どうかしている」

 改めて説明を聞いていると、剛樹にも犯罪だと理解できた。

「元婚約者の人、そんなにユーフェさんとよりを戻したかったんですね」

「あんな真似をしておいて、情があるとは思えぬな。立場が悪くなって、それを挽回するために、私を利用したかったのだ。はあ。あの利己的さを、貴族の女特有のわがままさがあってかわいいと思っていた、過去の自分を殴りたい」

 ユーフェはうめき声を上げた。過去の記憶からダメージをくらったようで、ハグの腕が強くなる。

「かわいい……」

 剛樹の胸にもやもやとしたものが浮かんだ。かわいいわがままさがある女性はいるものだが、剛樹はとてもそんな真似はできそうにない。そもそも自己主張が苦手なのだ。

 最近はこれでも、日本にいた時よりは改善したほうである。種族や常識の違いがあるので、はっきり要望を伝えないと、意思疎通に問題が出てくるせいだ。

「誤解するな! 私は目が覚めたから、今ではあれがかわいいとは思えぬからな。だが、モリオンのわがままなら聞きたい」

「そんな! 面倒を見てもらっている上、画材なんかも買ってくれたのに……。俺はこの生活に満足しています」

「ラズリアプラムのジュースはどうだ?」

「それは……まあ、いただけるなら欲しいです」

 剛樹は食欲に負けた。あのジュースがおいしすぎるのがいけない。

「貴重な品といえど、私も王族なのだ。あれくらいは手に入る。お前は本当にラズリアプラムが好きだな」

 ユーフェがうれしそうに、剛樹の頭をわしゃっと撫でた。

「我が国の特産品を好んでくれて、うれしい限りだ。他には?」

「川魚のフライが食べたいです」

「ははっ、食べ物ばかりだな! いいだろう、夕食に用意させておく。今は朝食をとろう。ほら、どれを食べたい?」

「オムレツで」

 ユーフェはスプーンで一口分をすくいあげ、剛樹の口元に運ぶ。剛樹はうながされるままに食べた。

 挽肉と野菜の旨味がほどよくまざりあっていて美味しい。

「次は?」

「パンがいいです」

 剛樹はユーフェに手ずから食べさせられており、断るタイミングを失ったことに気づいた。

「あの……自分で」

「ん?」

「……次はスープで」

 ユーフェに笑顔で圧をかけられ、剛樹は反論を諦めた。食べさせられるのはどうかと思うが、楽なのは確かだ。

「ユーフェさんってずるいですよね」

 思わずぼそぼそっと文句をこぼすが、ユーフェは聞こえていないふりをして、剛樹の口元にせっせと食事を運んだ。



「おめでとう、モリオン!」

 初夜から数日、体調をくずしたという名目で、剛樹は部屋に引きこもってのんびり過ごしている。そこへ訪ねてきたアレクサが、喜色満面の笑みで祝福した。

 ちょうど長椅子で焼き菓子をつまんでいた剛樹は唐突な言葉に面くらい、焼き菓子を飲みこんで、お茶で流す。それでもやっぱり意味が分からず、銀狼族への礼儀も忘れて、アレクサを見つめる。

「おめでとうというのは?」

 こちらにやって来たアレクサは、上品に首を傾げる。後ろでお付きの侍女が、申し訳なさそうに剛樹へ会釈した。剛樹は侍女に会釈を返す。

 アレクサは侍女と剛樹のやりとりに気づいているようだが、微笑みとともに流す。剛樹の質問に答えた。

「あら、違ったのかしら。ユーフェ様とあなたは番になったのでしょう?」

「……は?」

 もしかして、ユーフェと剛樹がベッドインしたことは、王宮中に広まっているのだろうか。

 剛樹は恥ずかしさで、顔を真っ赤にした。

「あら、よく熟れたラズリアプラムみたい」

「どうして知ってるんですか? まさか、ユーフェさんが……?」

「まさか、違うわよぉ~。いえ、合っているのかしら? ユーフェ様ったら、分かりやすいんですもの。恋を叶えた銀狼族特有の幸せオーラをまき散らしていらっしゃるから」

 剛樹は口をぱくぱくと開閉する。

 ユーフェが幸せならうれしいが、恋に浮かれて態度がダダ漏れになっているのは、剛樹としては恥ずかしい。

 赤くなったり青くなったりと忙しい剛樹の様子に、アレクサの可愛らしい笑い声が弾けた。

「ふふふ! あなたの気持ちはとってもよく分かるわ、モリオン。わたくしも、殿下があんな態度だったら照れていたわ。実際は、わたくしの希望を汲んで、表に出さないでくれていたけれど」

 そんなフェルネン様も見てみたかったかもしれないと、アレクサはのろけをこぼす。

「結婚の予定は決めているの?」

「いえ、急なことだったので……」

 剛樹はアレクサを立たせたままだとようやく気づき、アレクサに向かいに座るように促した。そこへ、執事がお茶と菓子を用意して現れる。執事はアレクサにちくりと注意する。

「妃殿下、異性の居室を訪問なさいますと、王太子殿下が嫉妬なさいますよ」

「あら、いずれ義弟となる方を訪ねたところで、殿下は怒りませんわよ。気になるなら、あなたが同席すればいいわ」

「では、そうさせていただきます。私がいてもよろしいですか、モリオン様」

 執事は頷いて、剛樹に確認する。

「もちろんです、ありがとう」

 剛樹はほっとした。アレクサは気さくな女性だが、モリオンにとっては緊張する存在だ。

「それで、お話の続きを聞かせてくれるかしら」

「王太子殿下以外には言わないでくださいね」

 剛樹は念のためにそう断ってから、ユーフェに起きた事件について教えた。

「あらまあ! 彼女が投獄されたのは聞いていたけれど、そんなことをしでかしたの? てっきりユーフェ殿下にしつこくして、兄君らの怒りを買ったのかと思っていましたわ」

 アレクサは詳細を知らなかったようで、目をまん丸にして驚いている。後ろの侍女は嘆かわしいと言いたげに、首を横に振った。

「それでその……」

「寝室を共にしたのね! ……一応確認しますけれど、無理矢理ではないのですよね? 合意の上で?」

「ええ」

 ユーフェの家族に誤解されて、ユーフェが困った立場になってはいけないので、剛樹ははっきりと肯定する。詳細を尋ねるアレクサに、剛樹は嫉妬したことまで打ち明けるはめになった。

 アレクサの黄色い歓声が上がる。

「きゃっ、ロマンス小説みたい! モリオン、あなたってなんて優しいのかしら。ユーフェ殿下の新しい婚約者がこんな方で良かったわ。義理の姉としても安心よ」

「……そうでしょうか。俺、漂流してきたので、身寄りもありませんし……。ユーフェさんに頼りきりなので、釣り合いはとれてない気がします」

 剛樹が不安を吐露すると、アレクサは微笑んだ。

「気持ちは理解できるわ。わたくしも、王太子殿下との釣り合いを気にすることはありますもの。でも、この場合、どちらかといえば、気にすべきはユーフェ殿下のほうですわね」

「どうしてですか?」

「身寄りのないあなたを、身分をかさにきて、無理矢理迫ったのではないかと心配してしまうわ。王族は民の模範にならなければならないから、もちろんそれは良くないことなの」

「そんなことありませんよ! むしろ俺のほうが……お世話になっている立場を利用して……と陰口を叩かれませんか? いじめられません?」

 おどおどして落ち着かない剛樹に、アレクサは微笑ましげに目を細めて言う。

「いじめられたら、わたくしに教えてちょうだい。ユーフェ王子殿下は兄君方に溺愛されていらっしゃるから、その殿下の番をいじめたとなれば、黙っていませんわ」

「へ……?」

「そういう時こそ、家族の力を結集させるべきなのです。とはいえ、ほとんどの貴族はそのことをよくご存知ですから、あなたを悪く扱うと思いませんわ。そもそも、ユーフェ殿下が守るでしょう。そうですわよね?」

 アレクサは扉の向こうへと話しかけた。剛樹がいったいどうしたのかとそちらを見ると、ユーフェが申し訳程度にノックをしてから、気まずげな顔を覗かせる。左手には紙袋を持っているようだ。

 アレクサはユーフェに皮肉を投げる。

「王子殿下ともあろうお方が盗み聞きだなんて……大層ご立派な礼儀作法ですこと」

「うっ。申し訳ない……」

 ユーフェは耳をぺたんと寝かせ、反省を示している。剛樹は驚きを隠せない。

「えっ、アレクサ様、扉の向こうにユーフェさんがいることに気づいてたんですか?」

「わたくしも、多少の武術はたしなんでおりますから。気配程度は分かりますわ」

 剛樹は面食らった。

(気配? バトルものの少年漫画みたいなことを言うなあ)

 運動音痴の剛樹には、武芸のことなど分からない。何かしら、彼らには分かるものがあるのだろうと、ひとまず理解を示す。

「そうなんですね」

「銀狼族は耳も良いし、鼻がきく。そちらで気づくことも多いぞ。ところでモリオン、部屋に入ってもよいか」

 律儀に入室の許可を求めるユーフェを、剛樹はきょとんと見つめた。

「どうしてそんなことを聞くんです? お好きにどうぞ」

「銀狼族はテリトリーを大事にするし、今は客がいるだろうに」

 確かに、アレクサがいるのだから礼儀を気にするべきだった。剛樹は苦笑した。

「そうですね。アレクサさん、ユーフェさんにも同席してもらって構いませんか」

 剛樹が客に許可を求めると、アレクサは頷いた。

「もちろんですわ」

 ようやく部屋に入ってきたユーフェは、剛樹の隣に座っていいか確認してから腰を下ろす。執事がすぐにユーフェの分のお茶と菓子を給仕した。

「先ほどの質問だが、愚問だな。そもそも番でなくとも、私はモリオンの後見人なのだ。周りの干渉から守るに決まっている」

「ユーフェさん……!」

 剛樹は目を輝かせた。

 番でなくても守ると宣言するあたり、ユーフェの誠実さがよく分かる。恋人関係になったせいか、優しい上に格好良いとまで思える。

「うふふ。銀狼族の男たるもの、そうでなくては」

 アレクサはうれしそうに微笑んだ。

「ところで、アレクサ嬢はなぜここに?」

「お二人は番になられたのでしょう? 祝福を言いに来ましたの。それから、頼んでいた絵の進捗確認ですわ」

「はあ。どちらが建前かは聞かぬことにする」

 ユーフェは呆れをこめてSNS。

「ああ、そうだったんですね。ここ数日、のんびり過ごしていたので、何枚かはラフが完成したんですよ。少し待っていてください」

 剛樹は寝室からスケッチブックを取ってくると、アレクサにラフ画を見せた。

「まあ、まあああ!」

 アレクサは興奮した様子で、銀狼族の男達が並んでいる絵を食い入るように見つめる。

「これでいいなら、ペン画で清書します。色はつけたほうがいいんですか?」

「ええ、今回はそうしてくださいませ!」

「今回は……?」

「こんなに素晴らしいのですもの。次回はわたくしの本の挿絵を依頼したいですわ」

「分かりました。俺も楽しみにしています」

 アレクサは剛樹の絵を気に入ってくれたようだ。剛樹の絵を喜んでくれているのがうれしくて、剛樹ははにかんだ笑みを浮かべる。

 アレクサと色の打ち合わせもしてから、メモを書いておく。

「さあ、わたくしの用事は終わりましたわ。ユーフェ様の番です、どうぞ」

「ああ、アレクサ嬢ならば構わぬか。実は異世界漂着物から、分からないものがあるとジェラルドに押しつけられてな。本当はモリオンを呼びたかったそうだが、体調が悪いからと止めていたら、持っていけと言われてしまい」

 ユーフェは左手に持っていた紙袋から、いくつかの物を取り出した。剛樹は一つずつ取り上げる。

「これはたぶん、キャンドルホルダーですね。これはテレビのリモコンかな? これ一つだとなんの意味もありません。あ、綺麗な貝ボタンに、ガラスボタン」

 ガラス工芸品が混ざっており、剛樹は思わず指先でつまんだ。教師の一人がこういったものが好きで、絵の題材にと見せてくれたことがある。

「これはボタンなの? 貝製も、ガラス製も、どちらも綺麗ね」

 アレクサはうっとりと眺めている。

「でも、銀狼族はボタンの服は大変なのよね」

「ただの飾りでつければいいじゃないですか」

「え? 飾りで?」

「飾りボタンってそういうものですよ」

「面白いわね。フェルネン様に許可をいただいたら、服の装飾に取り入れてみるわ」

 飾りでボタンをつけるという考えがなかったらしく、アレクサはうれしそうに目を輝かせた。服飾については、剛樹は口を挟まないことにしている。絵を描くのは好きだが、服のデザインセンスがあるかは微妙なところだ。

 それから、剛樹は最後の箱に目をとめた。

「これって電卓じゃないか。ユーフェさん、箱を開けていいですか?」

「ああ」

 電卓が入っている箱には、剛樹がいた日本の時代より二年前の製造年月日が書かれている。紙製の箱なので、水に濡れて壊れているかもしれないと思ったが、ビニール袋で梱包されていた。

 ソーラー電池に光を当てながら、電源を押すと、数字のゼロが電子板に浮かび上がる。

「あ、使えるみたいです。この袋も開けていいですか?」

「ああ、構わぬ。ジェラルドには好きにするように言われているからな」

 ユーフェの許可が出たので、剛樹はビニール袋を破り、中から銀色のボディーをした電卓を取り出した。

「これはなんなんですの?」

「俺の国……というより世界で広まっている計算機ですよ。足し算や引き算、掛け算や割り算を簡単にできるんです」

「まあ、すごいわ! ちょうどいいところに、あなたへの絵の報酬の見積書を持ってきたの。その文字は読めないから、わたくしが読み上げる数字を、そちらで試しに計算してみて」

「はい」

 アレクサに言われるまま、剛樹は計算機を叩く。

「合計はこの数字で合ってますか?」

「ええ、正解よ!」

「正解なんですか。そんなにいただいていいんでしょうか」

「わたくし、あなたを天才絵師として広めてみせますわ!」

 飾りボタンを見た時は少女のように目を輝かせていたアレクサが、今度は燃え盛る情熱をたたえて、元気に宣言した。

「あの……買いかぶりすぎです。そんなに持ち上げないでください。誰かに期待されて、実際を見てがっかりされたら悲しいので」

 想像しただけでダメージを負い、剛樹はうつむいた。慌てたのはアレクサだ。

「まあっ、そんなに落ちこまないでくださいませ」

「モリオン、私から見ても、お前の絵は上手いと思うぞ。もう少し自信を持つといい」

「でも……」

 そう言われたって、剛樹にはこの異世界で自分の絵が認められるのか分からないのだ。

「とにかく、わたくしはあなたの絵が大好きですわ。引き続きお願いしますわね。半額をお支払いしておきます」

 アレクサがそう言うと、侍女が美しい木彫りの箱を剛樹の前に置いた。蓋を開けると、銀貨がぎっしりと入っている。

「完成してからで構いませんよ?」

「いいえ、逃げられては困りますもの。塔に帰るのは、絵を完成させてからにしてくださいね」

 アレクサは剛樹が塔に帰ることを心配して、進捗確認に来たみたいだ。確かに、パーティーが終わったので、剛樹はいつでも塔に帰ることができる。

「分かりました。塔に帰るためにも、がんばって完成させます」

 塔に帰れるのだと気づいたら、剛樹はがぜんやる気が湧いてきた。

「ええ、よろしくお願いしますわね。ではお二人とも、結婚式の日取りが決まったら教えてくださいね」

 アレクサは笑顔でそう言うと、浮き浮きした足取りで帰っていった。



 アレクサ達が退室すると、執事も部屋を出て行った。

 剛樹は気まずく思って、咳払いをする。

「結婚式だなんて……気が早いですよね」

「銀狼族ではそんなことはないと、教えたはずだが……。そういえば、そちらの風習ではどういう風に結婚するのだ?」

 ユーフェは落ち着かなさそうに、何度もカップを持ち上げては茶を飲む。どう見ても空のカップを口に運ぶのを、剛樹は不思議に思って眺める。

「お代わりを入れましょうか?」

 執事はお茶セットをのせた台車を置いていってくれたので、剛樹は立ち上がろうとする。ユーフェは剛樹の右手をそっと掴んで、引き留めた。

「いや、構わぬ。座っていてほしい。大事な話だ」

「……?」

 気のせいか、ユーフェの肉球が湿っている。落ち着きのない態度といい、手汗といい、そんなに緊張するような話をしていただろうか。

「俺も詳しくありませんが、たいていは数年交際してから、結婚するみたいですよ。でも、出会ってすぐに結婚する人やお見合い婚をする人もいるし、結婚しないで同居している人もいます。いろいろですね」

「……肉体関係があるのに、結婚しないことがあるのか?」

「最近は、多様性を認めようっていう風潮でしたからね。同性婚も少しずつ普及してきましたけど、俺の国ではまだ少数派です」

「同性婚?」

 ユーフェはきょとんとした。

「俺の世界の人間は、愛の花で生まれるわけじゃないので、男女での結婚が一般的なんですよ。女性しか子どもを産めませんから」

「ああ、そういえばそうだったな。今更だが、私は男なのに、モリオンは嫌ではないのか?」

「俺はユーフェさんのこと、性別を越えて、一人の人間として好きなんです。恋愛経験がないので戸惑ってはいますが、大丈夫ですよ」

 剛樹はそういうことかと、ユーフェの様子に納得した。

 改めて剛樹と価値観のすりあわせをしたいと思ったのだろう。

「そなたは気弱だが、懐は大きいな」

「あの、ユーフェさん。何か心配しているなら、教えてくれませんか。こちらの世界の人とは常識が違うので、俺にはユーフェさんが何を考えているのか察することもできません」

 剛樹は眉尻を下げる。

「もしかして、俺が何か、あなたを不安にさせるようなことをしましたか?」

 剛樹はこの傷ついた優しい獣人に、悩んでほしくない。原因が自分になるなんて、とんでもないことだ。

「いや……その」

 ユーフェは居住まいを正して、咳払いをする。

「私と結婚するのは嫌ではないのか?」

 剛樹は少し考える。

「ユーフェさんが俺のことを好きで、結婚したいと思ってくれるなら、とてもうれしいです。でも、負い目を感じているだけなら、義理で言い出さなくていいんですよ。俺みたいな得体のしれない異世界の人族が、王子に釣り合っているとは思ってませんから」

 だんだんうつむいていく剛樹に慌てたのか、ユーフェが叫ぶように言った。

「ち、違う!」

 そして、ユーフェは腕力だけで剛樹を持ち上げて、自分の膝の上に乗せた。

「そうではない。お前を悲しませるつもりで質問したのではないのだ。ただ、私が意気地なしなだけで……事前に気持ちを確認したかったのだ」

「事前?」

「ごほんげほん。なんでもない! 今日の夕食は一緒に食べよう」

「え? ええ、わかりました」

 急な話の飛躍に、剛樹はあっけにとられている。

 何がなんだか分からないが、剛樹がもたれているユーフェの胸元から、心臓がバクバクとすごい音を立てているのに気づいた。

「ユーフェさん、お体の調子でも悪いんですか? 心音が……」

「この部屋に来る前に、速足で歩いてきたせいだろう」

 ユーフェは気まずげに、そっと剛樹の身を少しだけ離させる。

「とにかく! 夕食は一緒にとること。よいな」

「わかりましたけど、夕食だけですか? 昼食は……?」

 何も用事がないなら、剛樹はユーフェと食卓を囲みたい。そう思ったが、ユーフェは朝から王宮内を出歩いているのを思い出した。

「あ、忙しいのに、すみません」

「この程度、わがままでもなんでもない。昼食も共にするつもりだ」

 ユーフェは嬉しそうに言って、先ほど距離を開けたばかりなのに、剛樹をぎゅっと抱きしめた。



 そして夕食の時間になって、剛樹はいつもと違う食堂に案内された。

 なぜか、おしゃれな平服に着替えさせられたのを不思議に思っていたが、その部屋は美しく装飾されていた。

 食卓は真っ白なテーブルクロスがかけられ、色とりどりの生花で飾られている。壁にはいかにもお祝い事ですと主張する、真っ白なリボンがかけられていた。

 そして、平服ながらぴしりと服を着こんだユーフェが、そわそわと落ち着かない様子で椅子を立つ。

「来たか、モリオン。どうだ、たまにはこういう部屋も気分転換になっていいだろう?」

「素敵なお部屋ですね」

 何か良いことでもあったのだろうか。

 部屋を見回す剛樹に、ユーフェは椅子を引いた。

「ほら、座りなさい。ごちそうもあるのだ」

「もしかして、異世界漂着物の研究で、何か俺が貢献できたんですか?」

 剛樹とユーフェに共通のことといえば、仕事だ。ちょうど研究者からの質問に答えたばかりでもあった。

「何を言っている。お前はいつも貢献してくれている」

 ユーフェはけげんそうに返し、自分の席に戻った。

「何かお祝いごとでもあるのかと」

「そうなればよいと思っている」

 剛樹は首を傾げた。

 ユーフェは説明するつもりはないようで、落ち着かなさそうに咳ばらいをする。手元の鈴を鳴らすと、使用人が料理を運んできた。

 鳥の丸焼き、ラズリ・フィッシュのフライ、芋の冷製スープ、サラダ、白パンがあっという間に食卓に並べられた。

 スープとパンだけ手元にあるが、他のメニューについては、傍にいる執事に頼んで皿に盛りつけてくれるシステムのようだ。

 どうしてこんな格式ばった食事をするのだろうかと、剛樹は不思議に思った。

 いつもよりもテーブルが広いし、ユーフェが遠い。いつものように、近い距離で食事をするほうがいい。

 せっかく用意してくれたラズリ・フィッシュのフライも、なんだか味気ない。

 しかも、ユーフェがそれっきり黙りこんで、しんと静まり返るではないか。

「どうした、今日は食が細いな」

「すみません!」

 とがめられたと思った剛樹は謝り、慌てたせいでカトラリーを床に落とした。カランカランと甲高い音が響いて、余計に泣きそうな気分になる。

「あの、俺、部屋に戻ります……」

 行儀の悪いことをしてしまった。剛樹はうなだれて、そろりと椅子から下りる。

「どうしたのだ、急に」

 目を丸くしたユーフェが席を立って、歩み寄ってきた。

「何か怒ってるんですよね?」

「は?」

「いつもより他人行儀だし、何も話さないし……。そんなに怖い顔をしなくても、ちゃんと言ってくれれば直しますので」

「ち、違う!」

 ユーフェは裏返った声で否定した。

「私はただ緊張していただけだ。――こら、執事! 笑うな!」

「ですから、こういう回りくどいやり方はしないほうがいいと言いましたのに」

「執事!」

「失礼いたしました」

 剛樹が周りを見ると、執事だけでなく、給仕をしていた使用人達まで身を震わせて目をそらしていた。

 いったいどうしたのかと剛樹があぜんとしていると、ユーフェは諦めた様子で首を横に振った。

「ああ、まったく。格好つけようとすると、これだ。もういいから、あれを持ってきてくれ」

「は」

 執事はいったん退室し、すぐに鉢植えを運んできた。小ぶりな白い山百合に似た花が植えられている。

 執事はテーブルに花を置くと、使用人達を連れて出て行った。

 何が起きているのか分からず、剛樹は首を傾げる。

「なんですか、その花」

「愛の花だ」

「愛の花? ええと、確かこの世界の人が、子どもを作る時に必要な花でしたっけ」

 それがどうしてここにあるのだろうか。剛樹がユーフェの顔を見ると、彼はどこかすねたように、そっぽを向いていた。

「私はお前に、正式にプロポーズをしようと、この場を設けたのだ。まったく伝わっていなかったようだが」

「そりゃあ、一緒に夕食をとろうだけでは、俺には分かりませんよ」

「そうだな。私が悪い。モリオンには気まずい思いをさせただけであったしな」

 事情が分かってみれば、おしゃれな平服に着替えさせられたことも、飾り付けられた内装にも、用意されたごちそうにも、全て納得がいく。

(ああ、なるほど。夜景の見えるレストランでプロポーズするみたいな状況だったのか……)

 庶民の剛樹は、王宮ってすごいんだなあと思うだけだった。

(だから昼間に、結婚の話をしていたのか……)

 自分の鈍感さが恥ずかしくなって、剛樹は顔を真っ赤にする。

 まさかそこから夜になって、プロポーズされるなんて予想もしていなかった。

「あの……正式なプロポーズというのは?」

「これは狼獣人だけではなく、この世界ならば恐らくどこでもそうだろう。愛の花を用意して、あなたと愛の花を咲かせたいと告げるのは、結婚しないかという問いだ」

 この世界の人々は、愛の花で子どもを得る。

 この花は、お互いに愛がなければ、子どもができないのだ。

 意味が分かると、剛樹は今度は胸が熱くなって、目をうるませた。

「ユーフェさん、俺と家族になってくれるんですか」

 ユーフェは剛樹と向き直り、剛樹の右手をやんわりと両手で包みこむ。

「むしろ、家族になってほしいと私のほうが求愛しているのが正しい。モリオン、私はお前の優しさで、心が癒された。これからずっと、共にいたい。私とともに、愛の花を咲かせてはくれまいか」

 そしてユーフェは身をかがめて、剛樹の耳元で「愛している」とささやいた。

 剛樹はこくりと頷くと、ユーフェの上半身に飛びつくようにして抱き着いた。

「俺も、愛してます!」



 終



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狼王子は、異世界からの漂着青年と、愛の花を咲かせたい 夜乃すてら @kirakira-seiza

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画