第7話 想い

先輩は、駄目人間だ。


 仕事はできないし、楽観主義で不真面目。よく山崎さんに怒られている。顔がいいわけでも、頭がいいわけでも無い。


それなのに......。


 彼はすごくモテるらしい。

 それに気付いたのは、入社してすぐだった。


 私が入社したのはつい数ヶ月前のこと。

 大学から新卒で入社できる会社を探していた私は、理系だったこともあって技術職で採用してもらえる会社を探していた。そして、友人のつてで今の会社で採用してもらった。

 といってもまぁ、大手自動車メーカーだし、コネとかではなく普通に面接は受けたんだけど......。

 そして優秀な私(自称)は余裕で入社。

 そんな私が初めて配属された企画部で、私の教育係をしてくれたのが先輩もとい水島奏汰さんだった。

 彼の第一印象は”theサラリーマン”といった感じ。

 特別かっこいいとも思わないし、特別不愉快に思うこともない。一応、清潔感はあるけど男の一人暮らしらしく、アイロンをかけていないのかシャツにはシワがついた。

 まぁ、恋愛対象外。早く女性社員の友達がほしかったので、教育係が男性で少しがっかりしていた。


 それが変わったのは、入社して2週間が経った頃。

 その日、私たちの担当していたプロジェクトでミスが見つかり、私たちは残業をしていた。

 オフィスの全員が渋い顔でパソコンに向かっている。とはいっても皆の顔には疲労の色が浮かび、生気があるのかも怪しい。

 作業のペースは時間が経つごとに明らかに落ちていた。

 

......まずい......。でも......。


 まだ研修中の私。いくら優秀(自称)でも、まだこの会社のシステムについて詳しく知らない状態の私には、手も足も出なかった。

 悔しい。でも、せめて何かできることはないかとパソコンを睨む。が、ただ目が痛くなるばかりで何もわからない。

 乾いた目を休めようと顔をあげると、ひとりの女性社員が目に入った。先程から時計をチラチラと見ては、そわそわとしている。


あ、あのひと今日は彼氏と会う約束があるって......。


 その女性社員は黒澤さんという名前で、先輩の同期だった。

 先輩と仲がいいようで、先輩に教育係をしてもらっている私のこともよく気にかけてくれていた。

 今日の昼休み。私は黒澤さんと先輩と一緒に社食で昼ご飯を食べていた。

 黒澤さんは先輩に彼氏の愚痴を聞いてもらっていて(私も一緒に愚痴られた......)、その時に「今日は交際1年の記念日で、彼氏と会うの」と言っていたのを思い出したのだ。

 胸の奥が締め付けられるのを感じた。

 こんなことで、大切な恋人との1年記念日を奪ってしまうなんて。

 私はとっくに気がついていた。パソコンを見ていれば嫌でもわかる。


このミスは私のせいだ......。


 傲っていたんだ。

 自分が努力してきたのを知っていた。受験だって頑張って、いい大学に行って、大手に就職した。そんな自分に自信を持っていた。

 目元が熱くなる。

 あの山崎さんですら、疲れた顔をしていた。それだけ私は迷惑をかけてしまっているんだ。


......悔しい。


 抑えていた涙が、頬を伝って落ちた。

 視界が滲んでいる。


「なに泣いてんだよ。らしくねぇな」

 

 急に頬に伝わるヒヤッとした感触。そしてこの2週間で聞き慣れた声。

 振り返ると、そこには困ったように笑う先輩がいた。

 片手に自販機で買ったきたであろう私の好きな炭酸ジュースが握られていて、私の頬に押し当てていた。

 瞬時に申し訳無さで胸がいっぱいになる。


「......先...輩。......すいません。私のせいで......」


「ん?なんのことだ?」


 涙ながらに謝罪する私に先輩はあっけらかんと言うと、オフィス内に響く声で言った。


「皆さん、疲れてるでしょ?あとは僕が引き受けますから、帰っていただいて大丈夫です!なんか、彼氏に会いたくてうずうずしてる人もいるので!!」


 すると、先程まで地獄のように張り詰めた空気だったオフィス内に小さな笑いが起こる。

 山崎さんは疲れた顔で、先輩を不審そうに見ている。”彼氏に会いたくてうずうずしている”黒澤さんは、顔を赤くして先輩を睨んでいた。ただ、その口許は緩み安堵しているように見えた。

 先輩は山崎さんと少し言い合った後、先輩と私以外の社員全員がオフィスを後にした。





「ん〜!おわったぁ!!」


 そう言って、先輩が大きく伸びをする。

 結局、あの後3時間ほど残業をして、全てのミスが修正された。

 その間、先輩は休むことなく手を動かしていたが、結局私はほとんど手伝うことができなかった。

 それでも「湊のおかげで早く終わったよ。ありがとう」なんて言うものだから、私は申し訳無さでいっぱいになる。

 そもそも、あのタスク量はひとりの平社員が3時間で終わらせれれる量では無かった。

 それなのに、先輩は終わらせてしまった。普段から優秀なわけでもない、むしろ仕事はできない方なのに。


「あの、先輩。今日はすみませんでした」


 帰り支度を始めていた先輩に、私は深々と頭を下げた。


「そして......ありがとうございました」


 灰色の床を視界いっぱいに映しながら先輩の返答を待つ。すると先輩が吹き出す音が聞こえ、やがて声を上げて笑い始めた。

 私が驚いて顔をあげると、目元に涙まで浮かべて爆笑している。


「な、なんで笑うんですか!!」


 私が不満げに抗議の声をあげると、先輩は涙を拭きながら「ごめん、ごめん」と言った。


「いやぁ、いつも「私ひとりで大丈夫ですから」みたいな雰囲気出してる湊が......ねぇ」


 そう言ってまた笑う先輩。少しイラッとしたが、そこに込められているのが非難ではなく親しみようなものだとわかって、少し胸の奥が暖かくなるのを感じた。

 そうやって私が黙っていると、先輩が口を開いた。


「いいんだよ、迷惑かけても」


「え?」


 さっきとは打って変わって優しい声でそう言われて、私は驚いて先輩を見る。


「湊が努力してるのは知ってるし、それに自信を持つのもいいことだ。でも現場には現場の仕組みがある。環境が変われば、今までの努力に関係なくミスなんていくらでもするさ。これから慣れていけばいい」


 そう言って優しく笑う先輩。最後に茶化すように「だから、あんまり泣かないでくれよ」とだけ言って彼はオフィスを出ていった。


 手元に残った炭酸ジュースをもう一度頬に当ててみる。

もうぬるくなっているはずなのに、冷たく感じたのは私の頬が熱かったからかもしれない。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イトコイー従姉妹に恋してしまいましたー つくね @r1s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画