第6話 後輩

「で、好きなんですか?」


「......はぁ?」


 月曜日、会社の昼休みのことである。

 僕は誰もいない会社の喫煙室で後輩、安井湊に質問攻めにされていた。

 クーラーの付いていない喫煙室の中、僕のシャツには冷や汗が染み出している。

 なぜこんなことになってしまったのか、遡ること数十分。





「せーんぱいっ!お昼行きましょ」

 

 そう言って僕に抱きついてくるのは、僕が教育係をしている後輩、安井湊。

 懐いているのか単純に距離感が近いのか、スキンシップ過剰なやつで、いつも犬の相手でもしているような気分にさせられる。

 とはいえ、どうあっても異性は異性。意識してしまうわけであって、いちいち精神力を削られてしまう。

 少し参りつつも、いつもどおり「やめてくれ」と咎めながら湊を引き剥がす。そして「本当は嬉しいくせにぃ」とニヤける彼女の少し前を、先に歩き出した。

 僕の務める会社では、昼休みは11時から13時の間の中で1時間、自由なタイミングで取れる。

 湊はいつも早めに昼休みを取るので、誘われて僕も一緒に取ることが多かった。

 いつもこうやって抱きつかれては、引き剥がして先に行く。それを湊が追いかけてくる。

 しかし今日は、追いかけてくるヒールの音が聞こえなかった。気になって後ろを振り返ってみると、湊が見たこともないようなすごい表情をして僕を見つめていた。

 目を見開き、だらしなくポカンと口を開けている。


「おーい、どうした」


 僕が呼びかけても湊は上の空で、反応がない。


聞こえていないのか?


 そう思い僕が湊の近くまで歩いて戻ると、彼女はハッとしたように意識を取り戻し、やがて僕を認識すると、腕を掴んで引っ張った。


「ちょっ、湊?どうしたの.......」


 驚いた僕の問いかけを無視して、湊はグイグイと僕の腕引っ張ってオフィスを出る。それに流されるようにして、僕もオフィスを出た。

 オフィスを出るときに、こちらを睨んでいる山崎さんと目が合ったので、「お先に、休憩入ります!」とだけ叫んでおいた。

 後で嫌味を言われるだろう。


 そんなことよりも湊だ。

 どう考えても、様子がおかしい。

 破天荒なのはいつものことだが、今日は一言も喋らずにただ僕を引っ張んている。  前を歩いているから顔こそ見えないが、ふざけているようには見えなかった。

 とりあえず、沈黙が気まずくなり「どこにむかってるんだ?」と問いかけるが、答えはない。

 

 そして歩くこと数分。

 連れてこられたのは、1階のトイレ脇の喫煙室だった。

 このビルは10階建て。1階はエントランスになっていて、2階が事務室、3階以上がオフィスとなっている。ちなみに僕たちのオフィスは5階だ。

 エントランスに人はおらず、事務職の人は僕たちとは昼休みの時間が違う。3階にも喫煙室はあるので、ここには僕と湊以外、誰もいなかった。

 湊は喫煙室に入りドアを閉めると、周りを確認する素振りを見せてから、こちらに向き直る。

 湊の表情に、僕は背筋が凍りつくのを感じた。

 そのときの湊は、仕事でも見たことがないほどに真剣な表情をしていた。

 心なしか、怒っているようにも見えた。


「先輩......」


「......はい」


 妙に低い声色で言われ、緊張が走る。冷や汗が額を伝う。


え、僕なんかやっちゃったっけ?

 

 そんなふうに自分の行動を思い返してみるが、全く心当たりがない。

 僕が忙しなく思考を巡らせていると、湊がおもむろに口を開いた。

 湊の奇麗な唇が動く。


「......先輩、彼女できたんですか?」


「ふぇ?」


 しかし、飛んできたのはあまりにも予想外の質問で、僕は間抜けな返事をしてしまった。

 もちろん、僕に交際経験なんてものはない。


「いや、いないけど...。今も、昔も」

 

 言いながら、虚しさが押し寄せてくる。

 すると湊は、「それじゃぁ」と言って喫煙室のテーブルを強く叩いた。

 喫煙室にバシッという低い音が響いて、僕は驚いて肩を震わせてしまう。

 そんな僕を見て、湊は先程より語気を強めて言った。

 

「じゃぁ、なんで、先輩から女物のヘアミストの匂いがしたんですか!?」


「へ?」


「オレンジの匂いの!」


「...あぁ......」


 僕の顔に、思わず苦笑いが浮かぶ。


やってくれたなぁ美晴さん......。


 僕の家はワンルームの一人暮らし用マンション。

 当然家具もあるわけで、美晴さん用に布団を敷くスペースも、日中布団をしまっておくスペースも無かった。

 結果、未だに同じベッドで寝ていた。

 とはいえ美晴さんは僕を信用してくれているし、僕もそれを裏切るまいと理性を総動員しているので、間違いは起こっていない。

 ただ、そこまで密着していたのだから、ヘアミストの匂いが付くことくらい想定できたはずだ。

 僕は平静を装いつつ、内心冷や汗ダラダラで言い訳を探す。

 

「ぼ、僕が使い始めたんだ......!いい匂いだろう?」


 僕が苦し紛れにそう言うと、湊は悲しそうな目をした後、少しうつむき「はぁ」とため息を吐いた。

 

「......うそ」


 そして小さな声で、でもはっきりとそういった。


「嘘じゃないヨ」


「じゃぁ、なんで女ものなんですか!?」


「え?」


女もの?匂いでそんなことがわかるのか!?


 下手に話を続けてはボロが出る。早くこの状況から逃れるべく、僕が必死で言い訳を探していると、 湊が悲しそうな表情でこちらを見つめた。

 

「......先輩、私のこと信用してくれてないんだ...。別に彼女ができたなら言ってくれたっていいじゃないですか......」


 演技だとわかっているけど、今までに聞いたこともないほどか細い声で言われて、さすがに僕も申し訳なくなってしまう。

 でも、湊は交友関係が広い。本人の口の堅さは知らないけど、美晴さんのことを話すのには少し不安が残る。

 悩んだ末、僕は美晴さんの家出のことは伏せて、一緒に暮らしている事実だけを話した。......当然、一緒のベッドで寝ていることも隠した。


 話し終わると、湊は状況を理解しかねるといったように僕に問うた。


「......まってください。つまり、付き合ってない男女がひとつ屋根の下で暮らしていると?」


「まぁ...な。血縁だけどな」


 僕がそう言うと、湊は僕を睨んでくる。


「血縁とか、関係ないと思います。......で、好きなんですか?その人のこと。初恋の人のこと思い出すラブコメ主人公みたいにしみじみと語っちゃって......」


「......はぁ?」


 またもや間抜けな返事をしてしまう。

 湊が言う”初恋の人”という的確な指摘に動揺して、うまい返答が見つからない。


「い、いや別に好きとかじゃ......」


「うそ!」


「だから嘘じゃないんだって.......。初恋の人っていうのは...まぁ、そうなんだけど。告白する前に疎遠になっちゃったし。いきなり再会して好きかと言われると......。」


 そこまで言ってふと思う。

 僕は美晴さんが家に来てから、確かに美晴さんを異性として意識している。だけど、それが恋愛感情かと言われればそうとも言い切れないような気がする。

 そんなことを考えていると、湊の僕を見る視線が、冷たい、呆れたようなジト目になっていることに気がついた。


「え、なに?」


「いや、先輩って嘘つくときとか、ごまかす時は顎触る癖があるじゃないですか。でも今は触ってないから......」


「まって、なにそれ」


 自分にそんな癖があるなんて初耳だ。しかもなんでそれを湊が知っているのか。

 そんな僕の混乱をよそに、湊は続ける。


「つまり、今の「好きかどうかわからない」っていうのが本心ってことですよね?」


「ま、まぁ。ていうか、はじめからそう言ってるだろ?」


 僕がそう言うと、湊は呆れたというようにため息を付いた。


「先輩って、たらしのクセにヘタレなんですね......」


「え?」


 すごく小さな声だった。が、周りが静かなだけに聞き取れてしまった。


僕がたらし?ヘタレ?

 

 後輩からいきなり発せられた罵倒に、頭が追いつかずにいると、湊は黙って僕の脇を横切った。そして喫煙室の扉を開けながら言った。


「まぁ、いいですよ。聞きたいことは聞けたので」


 そして一呼吸置くと、こちらに向き直って今までよりワントーン高い声で言った。


「成人してる血縁だからって、手を出したら許しませんからね!!」


「ださねぇよ!!」


 僕が咄嗟にそう叫ぶと、湊は満足したようにニへっと笑った。

 

いや、何だったんだよ。まじで。


 僕の脳内だけは、混乱したままだった。




 

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