前世が人斬りのおれは平凡な日常の傍観者になりたい

成瀬 楓

第1話 甲斐田凌は目立ちたくない

 人も動物も寝静まったよく晴れた夜の町。

 逃げ惑う標的。それを追いかけるのは、ほかならぬ己自身。

 抜き身の刀を携えて、なおも怯える標的を追い続ける。

 標的を追い詰めたその時、刃を振りかざす。

 ――ここで夢は終わる。


 五月七日火曜日、午前六時五十五分。目覚まし時計はまだ鳴っていない。

 甲斐田凌かいだりょうは、自分のうなされた声で目を覚ました。

「くそ、またあの夢かよ……」

 自分の腕に触れてみる。なんともいえない生暖かい感触が残っている。

 あの夢の中で起きた凄惨たる光景、飛び散った赤い液体、そして、断末魔。

 凌はそれらすべてを思い出し、どっと汗をかく。


 荒い呼吸を整えること五分。目覚まし時計が七時を知らせる音を鳴らす。

「今日も二度寝できねえな……。飯くうか……」

 背伸びをしてからベッドから降り、寝間着のまま部屋を出る。

 途中、顔を洗いに洗面所へ立ち寄り、洗ったばかりで水に濡れた顔をぼんやりと眺める。

(相変わらず間抜け面)

 自分の顔に内心で悪態をつきながら顔を拭く。

 台所へ向かうと、目玉焼きやコンソメスープ、食パンといった洋風の朝ご飯が並んでいる。

 せわしなく朝の支度をする母に「おはよう」と挨拶をしてに席につき、手を合わせる。

「いただきます」

 いつもと変わらない朝食の時間。食べ終えたら今日一日の準備だ。


 歯を磨いたら手早く制服に着替え忘れ物がないか確認、いってきますと家族に声をかけたあと靴を履く。

 玄関を出てスマホを見ると、七時四十分を指している。

(いつも思うが、文明の利器というのはこうも便利なものか)

 まあ遅刻はないだろうと気だるげにゆっくりと歩く。

 途中、今朝見た夢を思い出しそうになると、軽く頬をはたく。

(しっかりしろ、今日こそは平凡な日常になる)

 無遅刻無欠席、成績は可もなく不可もなく、目立つことなく、そして誰ともかかわらない。

 それが、彼の望む平凡な日常なのだ。

 

 家を出て二十分ほど歩くと、校門と「公立昆陽千紀宝高等学校」と書かれた看板が見えてきた。

 この学校は良くも悪くも普通の公立高校であることには違いない。

 校風は生徒の自主性を重んじており、息苦しい場所が嫌いな凌にとっては過ごしやすい環境の学校だ。

 しかし今日は生徒指導の教師による服装チェックがはいるようで、凌はなんとなくまずいと思ったのか、いつも緩めているネクタイを締め直す。

 そしてなにごともなかったかのように「おはようございます」と挨拶をする。

 生徒指導の教師は、そんな凌を一瞥しながら「おはよう」と返す。

(やれやれ、やはり制服とやらは窮屈だ)

 こうして凌は生徒指導をかいくぐり、靴箱で上履きに履きかえたあとまたネクタイを緩めたのだった。

 

 一年二組の教室に入ると、やいのやいのと騒いでいる生徒を尻目に窓際にある自分の席につく。

 五月の日差しと気温が気持ちいい、授業が始まるまでは昼寝に最適な、自分だけの特等席。

 机に顔を伏せて軽く目を閉じる。今にも眠ってしまいそうになる。

(よかった、今日は平和に過ごせそうだ)

 邪魔するんじゃねえぞと心の中で周りを威嚇しながらしだいに眠くなってくる。

 しかし、この気持ちのいい日差しの中でも悪夢をみる。

 ひたすら腹をすかせる誰も死ぬことはない夢だが、あまりいいものではない。

 思わず顔を伏せたまま目を開ける。

(今日はここでも寝れねえのかよ! 今日はえらくしつこいな……)

 夢に悪態をついていると、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。


 一限目は国語だ。担当教師はこのクラスの担任・島之内しまのうち

 島之内の授業は声がよく響く。良くも悪くもよく通る声。

(声がでけえから眠気も飛ぶんだよなあ。いや、寝やあしねえけど)

 しかしわからないことがあれば、わかるまで要点を突き詰める。

 凌はその点に関しては、少なからず好感を持っている。

「……以上が、この話の前半の要点になる。テストに出すかもしれないからしっかりノートを取るように!」

(そういやあ国語は中間試験前に小テスト? だったか )

 凌は黒板を見ながら島之内の話に耳を傾け、ガリガリとノートを取るのだった。


 二限目は、空腹に耐えながら日本史の授業を乗り切った。

「今日のはえらく長く感じたぜ……」

 ごそごそとカバンの中から弁当を取り出す。

 弁当箱のふたを開けると、本日のおかずである豚肉の生姜焼きが白米の上に乗せてあり、少しの野菜としてトマトとレタスが入っている。

(この時代はきちんとめしが食えるのがありがたいことだ)

「いただきます」と手を合わせ、おかずを口に運んでいく。

 そうしてもくもくと昼食を楽しんでいると、頭上から騒がしい声が聞こえた。

「あー! 今日も俺が声かける前に食べてる!」

 もごもごと口を動かしながらおそるおそる見上げると、購買で買ったであろう大量のパンを抱えた男子生徒・濱田信也はまだしんやがむくれた表情で立っていた。


 人懐っこく底抜けに明るい信也は、入学当初からなぜか凌にかまおうとしており、こうして昼食を一緒にとろうとしたり、なにもないなら一緒に帰ろうと誘ってくる 。

 凌は彼がなぜ自分に絡むのかがわからず、こうして絡んできては適当にあしらう毎日だ。

「今日こそは一緒に食べようと思ってパンいーっぱい買ってきたのに!」

「その大半はお前の腹の中に収まるんだろうが」

 信也は今は座る者がいない凌の前の席にどかっと座る。

 凌は一気に弁当をかきこみ、水筒のお茶をゴクゴクと飲み始める。

「で、何の用だよ」

「これ食う?」と信也はチーズボールパンの入った袋を渡す。

 凌はもらえるものならと思いそれを受け取る。

「まだ部活決めてないんだろ? もう締切まで一週間もないぞ」

(また野球部とやらに入れって言いにきたのか)

 はあ、と凌はため息をつく。


 凌は部活に入る気はさらさらないのだが、子供の頃からよい運動神経を周りに一目置かれている。

 また、入学した頃の体育の授業で軽々と八段の跳び箱を越えてしまい悪目立ちしてしまう。

 それに目をつけたのが担任の島之内とこの信也で、島之内と運動系の部活を一緒に見に行ったり、信也に一緒に野球部に入らないかと勧誘されるのだ。

「そういうお前はどうなんだ? 今日野球部へ体験入部に行くとか言ってただろ」

「うん! だから見にきて!」

 瞳を輝かせる信也。犬の尻尾を大きく振っているように見える。

「いやだ」

 即答だった。

「なんでー?!」

 信也は涙目だ。心なしか悲しそうな犬のようである。

 そんな彼を尻目に凌は立ち上がる。

 チーズボールパンをカバンにしまい、体操着の準備をする。

 次の授業は男子の体育。今日はとび箱をするという。

(またとび箱か。今日こそは目立たないようにしねえと)

 いまだに騒いでいる信也をよそに、男子更衣室へ向かうのだった。


 男子体育の時間。生徒たちは自分が飛べるレベルのとび箱でまず練習する。

 凌は気だるげに九段のとび箱の列に並んでいる。

 生徒の掛け声とホイッスルが鳴る。

 目の前の生徒が九段のとび箱を跳ぼうとするが、うまくとべず座る形になってしまう。

(まあ、落ちるよりはマシだと思うが)

 次は自分の番かと立ち上がる。

「次!」という体育教師の声が響く。

「甲斐田、行きます!」

 ホイッスルが鳴ると同時に助走をつけ、まっすぐ走り出す。

 踏み台から足を離すと、跳び箱の真ん中に両手をつき、きれいなフォームで跳ぶ。

 そしてマットでダン! と音がすると、着地の姿勢がきれいに決まった。

 周囲からおおー! ざわめきが聞こえる。

 凌が我に返ると、周囲が羨望と感激の眼差しで彼を見ている。

(またやっちまった……!)

 頭を抱えそうになる。そして体育教師の追い打ちをかける声が。

「甲斐田。お前、次十段行け。お前ならたぶんいける」

(勘弁してくれ……!)

 内心頭を抱え後悔している凌は「ハイ」としか返事ができなかった。


 放課後、凌は疲れ果てていた。

(結局今日も目立っちまった……)

 あのあと信也をはじめとしたクラスメイトの何人かにすげえすげえと絡まれ、十段のとび箱がとべたことを体育教師にも褒められたが、褒められるのは嬉しいが周りがうぜえとげんなりしていた。

 帰って課題をする前にひと眠りしたいと下駄箱に向かおうとしていると、「甲斐田くん」と呼び止められる。

 クラスメイトの田越だ。凌は特に話したことはないが、しっかり者の生徒であることはわかっている。

「なんか用か?」

「甲斐田くん、君さえよければ、一緒に陸上部に入らないかい?」

 部活の勧誘である。どうやら体育の跳び箱のフォームを見て感激したらしい。

(めんどくせえ、でも……)

 一応は中学から続けてきた陸上競技。いろいろあって少し遠ざかっていたが、凌にとっては慣れ親しんだものであることに間違いはなかった。

 もう部活からは逃げられねえかと悟った凌だが、帰宅部でいたい気持ちとその他の感情が入り混じって返事の言葉がでてこない。

「あ、無理にとはいわない。ただ、部活がまだ決まってないならと思って……」

 そう言いつつも田越はどこか落ち着きがない。

「あー……、一旦考えさせてくれ。明日には返事するようにするから」

「本当かい?! ありがとう! 僕の陸上部の体験入部は二日後だから、それまでに考えてくれていいからね!」

 大喜びでじゃあね! と手を振る田越の背中を見送った。

(……もう、どうにでもなればいいか)

 凌はぼんやり考えながら靴を履きかえ、校舎をあとにする。

 昼休みにもらったチーズボールパンをほおばりながら。


 甲斐田凌、十六歳。

 スポーツが得意な普通の高校生。

 目標は平凡な日常の傍観者になること。

 そして、人斬り・岡田以蔵おかだいぞうが転生した姿。

 これは、そんな彼のとある一日。

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