カッパになった少年と猫

あきちか

第1話

1 カッパの池


 新葉の家の近くには、川を一つまたいで、猫の背みたいな丸く盛り上がった森がある。その森には大きな池と小さな神社があって、水の神、龍神様と家来のカッパたちが祭られているという。

 よく晴れた初夏の夕暮れ、今年、小学五年生になったばかりの新葉は、お母さんと一緒に初めてこの森にやってきた。

 新葉とお母さんが参道の石の鳥居をくぐると、涼やかな風がやさしく二人をむかえた。

「風、気持ちいいね」

 新葉の黒い瞳が嬉しそうに輝く。

「ホントね」

 お母さんが笑顔でこたえる。

「あっ! 大っきい門だ!」

 新葉は石の鳥居を指さし前へ進む。

「転ぶから、走ったらだめよ」

 お母さんの注意に耳もかさず、新葉はあっという間にお母さんを追い抜く。

「わぁーーい」

 新葉ははしゃぐ。

「まちなさい!」

 お母さんは必死に我が子を追いかける。

 ついさっきまでクマゼミ、アブラゼミ、たくさんの蝉たちが競うように鳴き、鳴いては止みをくりかえしていたのに、ヒグラシのカナカナカナという鳴き声に変わっている。

 二つ目の鳥居をくぐり、神社のこぢんまりした境内に出た。

「とても古い神社ね」

「ここ『じんじゃ』っていうの?」

「そうよ」

「じんじゃ! じんじゃ!」

 新葉は嬉しそうに飛び跳ねる。

「手を洗うわよ」

「どうして?」

「神様に失礼だから」

「失礼って?」

「決まりなの!」

「決まりを守らなかったらどうなるの?」

 新葉の好奇心は止まらない。

「神様がお怒りになるの」

「お父さんが怒ったときより怖い?」

「お父さんより恐いわね。龍の神様だから大きな口で、パクリと食べられちゃうかもしれないわよ。そう言ってお母さんは手水舎の龍の蛇口を示した。

「お母さんぐらい恐そうだね」

 新葉はまじまじと龍とお母さんを見比べた。

「よけいなこといわない」

 お母さんは困り顔で息子をみる。

「はーい」

 新葉は無邪気にふるまう。

「さ、手をだして」

 柄杓でわが子の手にスッと水を注ぐ。

「冷たくて気持ちいいね!」

 新葉の頬がゆるむ。

「でしょう」

 お母さんはにっこり微笑んだ。

 息子は洗ったばかりの手を半ズボンにすりつける。

 お母さんはやれやれとため息をつく。

「神様にご挨拶するわよ」

「はーい」

 母と子は拝殿の前に並んで立ち、十円玉を賽銭箱に投げ入れると、大きな鈴をガランガランと鳴らして頭を下げ、柏手を打って目をつむった。

 祈っているうちにお母さんは、新葉のことや、最近、帰りが遅いお父さんのことを思い浮かべた。

 仕事が忙しく、体を壊しやしないかとか……出張が多いのは嘘で、浮気でもしているのではないかとか、あれこれ心配事をつぶやいた。

 神様、どうか、どうか、すべてわたしの思い過ごしでありますように。

 時間を忘れ無心に祈り続ける。

「新葉、行くわよ」

 そういいながら目を開けた。

 すると我が子がいない。

 サッと血が引いた。

「新葉! 新葉!」

 大声で呼んでみたが返事がない。

 お母さんは境内を走り回り、神殿や摂社末社まで見てまわるが子供の姿はなかった。

「まさか神隠し……」

 そのころ新葉は、お母さんの心配をよそに、池の畔に立っていた。

 太陽の光が鏡のような池に反射し、ダイヤモンドのように煌めいている。

 水の波打つ音が耳に心地よく。

 湧き水でできた池は透き通るほど美しい。

 池の畔を覆い尽くす蓮の葉がそよ風になびく。


 〝バシャ!〟


 蓮の葉と葉のあいだから水のはじける音がした。

 「なんだろう?」

 新葉は音のするほうを見る。

 するとそこに、長い緑の髪に小さな白い帽子みたいなものを被っている、人魚姫みたいなかわいい女の子が、大きな蓮の葉に座っていた。

「だれ?」

 目と目があう。

 女の子は蓮の花みたいな淡いピンクの頬に笑みを浮かべた。

 新葉もホッペを赤く染める。

「あたしと相撲がしたいの?」

 女の子が意外なことを訊いてきた。

「ぼく相撲が弱いからとりたくない」

 新葉は女の子にゆっくり近づく。

「つまんない」

 女の子は黒真珠みたいな瞳を輝かせてクスっと笑い、気持ちよさそうに足をまっすぐのばした。

 緑風に少女の腰まである濃い緑の髪がサラサラと揺れる。

「きみは、宇宙から来た人?」

「失礼ね。地球人よ」

「ほんとう?」

「人間だけが地球人なの?」

「……じゃ地球の人?」

「地球人よ。でも人間はあたしたちのことを、カッパって呼んでいるわ」

「カッパ?」

 新葉は両目をきょとんとする。

「知らないの?」

「う、うん」

「あたしが恐くないの?」

「恐くないよ。だっていい人だから」

「うれしい」

 女の子はピンクの唇をゆるめた。

「ぼく安達新葉」

「あたしはミキよ」

「ミキちゃんはどこから来たの?」

「あたしたちはずっと昔から、ここに住んでいるわ」

「昔って?」

「きっと人間がやってくる、ずっとずっと大昔から」

「リアル昔話みたいだね」

「ほんとよ」

 二人は楽しく笑う。

 その時、お母さんの声がした。

「新葉! 新葉!」

 木々の間からお母さんの姿があらわれる。

「お母さん!」

 新葉は無邪気に手をふる。

「危ないでしょ! どうしてこんなところまで来たの!」

 お母さんは池の畔に一人で立っている息子を強く抱きしめた。

「お母さん、お友達が出来たんだよ」

「お友達? どこにいるの?」

「ここにいるよ……」

 新葉はニコニコしながら後ろを振りかえる。

 ところがミキの姿は消えていて、あの子が座っていた大きな蓮の葉には、大小さまざまな水玉が宝石みたいに輝いていた。

 おかしいなぁ。

 不思議そうに池や蓮の葉を眺めていると、

「池に来たらだめよ!」

 お母さんは強い口調でそう言って目に角を立てた。

「どうして来ちゃだめなの?」

 新葉はひどく落胆し、お母さんを見あげる。

「カッパに足を引っ張られて、池に引きずり込まれるからよ」

 お母さんの口から信じられない言葉が返ってきた。

「ミキちゃんはそんなことしないよ!」

 新葉はお母さんにはじめて口答えした。

「そのミキちゃんて、学校のお友達?」

 お母さんは、ばかばかしいと思いながらも、まるで嫁に息子をとられたような嫉妬を感じる。

「違うよ。カッパの女の子だよ」

 新葉が大真面目に言う。

「カッパがいたの?」

 お母さんの顔が一瞬こわばった。

「うん」

 あいかわらず新葉は平気な顔をしている。

「ママが来たときは誰もいなかったわよ」

 お母さんはまずいと思った。知らなかったとはいえ、まさかこの森がカッパ族の森だとは思いもよらなかったのだ。

「でも僕はミキちゃんと話した」

 新葉はゆずろうとしない。

「きっと幽霊よ。新葉は繊細だから、見えないものが見えたのかもしれないわね」

 お母さんがやさしくほほ笑む。

「幽霊なんかじゃないよ」

 新葉はお母さんと一緒に池を見まわした。

 けれどカッパどころか人の気配すらない。

「カッパは池や川や海に住むこわい生き物なの」

「池や川なら噛みつき亀やアリゲーターガーのほうが恐いよ」

「カッパは妖怪だから恐いの」

 お母さんはムキになった。

 まさかこの子、ほんとうにカッパを見たのではないかしら……。

「ミキちゃんは妖怪なんかじゃないよ。地球人だから」

 新葉はどうしてお母さんが、そんなにムキになるのかわからない。

「そのミキちゃんていうカッパさんから、相撲に誘われなかった?」

「うん、誘われた」

「でしょう」

「きっとカッパさんは人間と遊びたいんだよ」

 新葉は、あどけない顔でお母さんを見あげる。

「ちがうのよ。遊びたいんじゃなくて、カッパは人間の尻子玉が大好物なの。だから相撲で勝てば、負けた人間のお尻から尻子玉を抜いて食べてしまうのよ」

 新葉は思わず両手でお尻を押さえた。

「尻子玉を抜かれた人はどうなるの?」

「魂を抜かれたみたいに腑抜けになってしまうの」

 お母さんの話をとても信じられない。

「そんなの嘘だ。絶対にミキちゃんがそんなことをするはずがないよ」

 新葉は唇をきつく結び、お母さんを睨んだ。

「本当のことよ。ほら、あの看板に恐いカッパの絵が描かれているでしょう」

 お母さんが指さした看板には、池で遊んだらダメと書かれていて、カエルと亀を合体したような変な生物の絵が描かれていた。

「あんなのカッパじゃないよ。ミキちゃんはすごく可愛かったよ」

 新葉はどうしてもお母さんを疑った。

「とにかく、池や川に近づいちゃダメよ」

 西の空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。

 お母さんは息子の手を引く。

 なるべく早く池から遠ざからないといけないわ。

 新葉はミキが気になって、もう一度、池のほうを振りむく。

 するとミキが大きな蓮の葉にちょこんと腰かけて、微笑みながら手を振っていた。

 新葉もにっこり笑い、小さく手をふる。

 するとミキはまるで人魚のように、蓮の葉から音も無く水にもぐり姿を消した。


 池の底にカッパ族の住宅地がある。

 カッパ族の家々は高台の水神様を祭る丸い石を中心に円を描くように建てられて、ミキの家族もその住宅地の中にあった。

「ママただいま。今日、人間の子の友達が出来たの」

 ミキは池の底の我が家に帰ってくるとすぐに新葉のことを話した。

「人の前に姿を現しちゃダメってあれほど言ってたでしょう」

 ママならわかってくれると思っていただけに、ミキのショックは大きい。

「新葉はいい子だよ。心がきれいな子なの」

「その子はいい子でも、親御さんや近所の人間達が同じとは限らないわ」

 ママの人間不信は相当なものだ。

「ちゃんと話し合えばお互いに理解し合えるわ」

 ミキも負けてはいないのだが。

「ママの言うとおりだ。人間と話し合っても彼らは変わらない。人間はこの世で最も偉い存在だと思っている。傲慢で貪欲で冷たい。おまけに心が小さく臆病で嫉妬深い。だから自分たちと違う存在を恐れ、見下し認めようとしないのだ」

 パパの言葉は説得力があった。カッパと人間の相互協定では地球人としての人権を認め合い、相互の文化や伝統を尊重する取り決めになっていたにも関わらず、ミキのクラスメイトが人間の学校に通い始めたら、酷い嫌がらせがつづき、しかも教師も人間の親たちでさえも一緒になっていじめたのだ。

「全ての人間がそうだとは限らないわ」

 ミキは新葉の目の輝きを忘れられなかった。

「ミキの気持ちはわかるわ、でもパパがいうように、カッパと人はそれぞれの世界で生きていた方が双方にとって幸せなのよ」

「パパもママも嫌い! 新葉と会ってないのに、色めがねでみてる。それじゃカッパも人間とかわりやしないわ」

 ミキは落胆してリビングを出て行った。

「たしかにあの子の言うことが正しいのだが……」

 ミキのパパとママは考え込んでしまった。


 翌日、日曜日、新葉は虫取りに行くといって、家を飛び出した。

 朝の九時を過ぎた頃だった。

 日差しが強く、シャー、シャー、シャーというクマ蝉の鳴き声が空気を隙間なくうめつくす。

「神社の池に行ったらだめよ」

 後ろからお母さんの声が追いかけてくる。

 新葉は前だけを見つめ、

「わかってる」

 と言って逃げるように自転車をこいだ。

 ミキちゃんに会いにいくつもりだったから、お母さんに嘘をついて心苦しい。でも、自転車は池にまっすぐ向かうのだ。

 五分もすれば神社に着いた。

 神社の裏のけもの道を蚊に刺されながら急いで駆ける。

 すぐに蓮の葉が生い茂る池が見えた。

「ミキちゃん!」

 新葉は周囲に誰もいないのを確かめ、ミキを呼んだ。

 するとチャプンと水の音がして、ミキが大きな蓮の葉に乗ってやってきた。

「新葉くん」

 ミキは嬉しそうに目尻を下げる。

「ミキちゃん、遊ぼうよ」

 新葉は新しい友達ができたので、嬉しくて、嬉しくて、こぼれるような笑顔をみせた。

「なにして遊ぶ?」

 ミキは蓮の葉の上であぐらをかいて、にっこり微笑む。

「ザリガニ釣りは?」

「いやだ。ザリガニさんと仲良しだもん」

「じゃあ虫取りしよう」

「虫さんも仲間なの」

「……ミキちゃんはどんな遊びしてるの?」

「蓮の葉でレースしたり、池に潜ってお魚さんと遊んだりかな」

 ミキは、ちょっと心配そうに新葉の目を覗く。

「ぼく、蓮に乗ったり、泳いだり出来ないよ」

 新葉は残念そうにうつむき、ポツンと言った。

「じゃあたしが教えてあげる」

「ほんとう!」

 新葉の目が輝く。

「うん」

 ミキが片目をつむってみせる。

「やったぁ!」

 新葉は嬉しくてジャンプした。

「わぁ!」

 着地に失敗。

 新葉はツルンと滑って土手から池に落ちた。

「新葉ちゃん!」

 ミキは素早く水にもぐり、新葉を抱きかかえ、蓮の葉に乗せた。

「だいじょうぶ?」

 ミキは心配そうに新葉の顔を覗き込む。

「うん。平気だよ」

「よかった」

 ミキは胸をなでおろし、ホッと息を吐く。

「水、すごくキレイだった」

 新葉はごろりとうつ伏せになって、水の中をのぞく。

「湧き水だからすごくキレイなの」

 ミキも新葉の隣にうつ伏せになって水の中を覗く。

 池の中を鯉やカメやエビが楽しそうに泳ぐのが見える。

「ぼくも泳ぎたいなぁ」

「じゃ、泳ごうよ」

「ぼく泳げない」

「あたしと一緒なら大丈夫よ」

「ほんとう!」

「うん」

「あ、でもぼく水泳パンツはいてないから」

「そんなのいらないわ。あたし水着なんか着てないもん」

「え、なにも着てないの?」

「そうよ。人はカッパって呼ぶけど、あたしたち、蓮の花の精霊なの」

「それで蓮の花柄の水着を着ているように見えるんだね」

「そういう新葉はどうして服なんか着てるの?」

「だって、みんな着てるから」

「みんな着なくなったらどうするの?」

「そしたらぼくも着なくなると思う」

「つまり服なんてどうでもいいのよ」

「ぼくなんだかわからなくなった」

「考えることじゃないわ。早く服脱いで」

「う、うん」

 新葉はずぶ濡れになったシャツやパンツを脱いで、蓮の葉の上にならべた。

「泳ぐ前にこれ食べるといいわ」

 ミキがヒマワリの種みたいなものを手渡した。

「これなに?」

「水の神様からいただいた、お菓子なの」

 ミキは不思議そうにお菓子を見つめる新葉を見てクスッと笑った。

「お菓子……」

 新葉はお母さんが言っていたことをちらりと思い出す。

 もしかして、これを食べたら尻子玉が抜けてしまうのかなぁ……。

「はやく食べて」

 とても澄み切った瞳でミキが新葉の顔をのぞきこむ。

「どうしていま食べないといけないの?」

 後ろめたさから、新葉は目をそらせてためらう。

「それを食べれば水の神様の力で、水の中を自由に泳ぐことが出来るから」

 ミキが顔をほころばす。

「すごい!」

 それを聞いて新葉は水神様の菓子をあっという間に口に含んだ。

 サク、サク

 チョコみたいな甘さが口いっぱいにひろがった。

「これすごく美味しい!」

 新葉の顔がパッと晴れる。

「よかった」

 ミキは目を細めて喜ぶ。

「ごちそうさま!」

 心で少し疑ったことを申し訳なく、新葉は頭を掻く。

「じゃ、泳ごう」

 ミキは気にもしていないようだ。

「オッケー」

 ミキと手を繋ぎ、新葉は初めて池に飛び込んだ。

 ドボンと水しぶきがあがった。

 池に二人の波紋が大きく拡がっていく。

 足はつかないけれども、ミキちゃんが両手を握ってくれるのでこわくない。

「ね、浮かぶでしょ」

「う、うん」

「じゃ、ゆっくり手をはなすから」

 ミキが目を細めながら手を放す。

「ほんとだ」

 新葉の体がぷかぷか浮かぶ。

「あたしの泳ぎ方をマネしてね」

 ミキはカエルのようにスイスイ泳ぐ。

 ミキが小さく手招きする。

「待って」

 新葉もカエルのように泳いでみる。

「わぁ、泳げた」

 神様のお菓子のパワーなのか、新葉はすぐに泳げるようになった。

「あっちゃんって呼んでいい?」

「あっちゃん?」

「安達君だから、あっちゃん」

「ニックネームで呼ばれたのはじめて」

 よほど嬉しいのか若葉の頬がうっすらピンクに染まる。

「気に入った?」

 ミキが片目をつむってみせた。

「うん」

 若葉はニッコリする。

「あっちゃん、泳ぐの全然平気ね」

「あのお菓子のおかげだよ」

「あっちゃんが頑張ったからよ」

 ミキは新葉と向き合う形で水に浮かんだ。

 やわらかな風に水が煽られ、小さく波打つ。

 新葉とミキの体は浮いたり沈んだりする。

「じゃ、今度は池の底まで潜りましょう」

「うん!」

 ミキが音も無く先に潜ってみせる。

 新葉もすぐに後を追う。

 本当だ。全然息が苦しくない。

 新葉は、まるで自分が魚にでもなったように、スイスイ泳げるので不思議でならない。

 池の底は南の島の海のように透き通っていた。

 ミキちゃんが「コッチよ」と手招きする。

 新葉はミキの後を追ううちに、それまで長い髪でおおわれていたミキの背中に、カメの甲羅みたいな模様があるのに気づいた。

 ミキちゃんはカッパの人……でもお母さんが言っていたカッパとは全然違う)

 気がつくとミキが、池の一番深いところに立って大きく手招きしている。

 新葉は急いで泳ぐ。

池の底に大人の背ぐらいのサファイア・ブルーのとても美しい石球があった。

 新葉はミキに手を引かれながら、石球の中に吸い込まれるように入った。

「ここは何なの?」

「ここは水神様に祈る場所なの」

「神社?」

「うん、そうね。人が神社って呼んでいるものと同じよ」

「でも何も無いよ」

「ここは祈るだけでいいの」

 ミキが目をつむり手を合わせて祈り出す。

「そっか……」

 新葉も同じように祈る。

 二人は黙々と祈り続けた。

「あっちゃん、なに祈ったの?」

「わかんないけど、ありがとうございますって」

「あたしも同じよ」

「石の中なのに息ができるし、涼しくて気持ちいいね」

「最高でしょう」

「最高だ! クーラーいらないね」

「もちろん。クーラーなんていらないわよ」

「……どうしてミキちゃんはぼくをここに連れてきたの?」

「あっちゃんが、友達になってくれて嬉しかったから」

「ぼくもすごく嬉しい」

「だから水の神様に報告したくって」

「神様、なんて言ってた?」

「なにも。でも優しく微笑んで下さってたわ」

「良かったね」

「ほんとに嬉しい」

「ドアもなかったのに、どうして石の中に入れたの? もしかしてここはカッパの人たちしか入れないところじゃないの?」

「あっちゃんは人間だけど心がきれいだから入れたの」

「やったね」

 褒められて新葉の心が躍る。

「……本当はね、パパとママから、「人間と遊んじゃダメ」って言われているの。でもあたし嬉しかったの。あっちゃんと友達になれて。だから、神様に認めてもらえればパパもママも許してくれると思って」

「ぼくも同じだよ。お父さんとお母さんが、カッパ、カッパって呼び捨てするし、変なことたくさん言うから。ミキちゃんのこと疑ったりしたんだ。ごめんなさい」

「あやまらないで」

「わかった」

「あたしたち大の友だちよ」

 ミキが両手で新葉の手を握る。

 新葉は頬を赤く染めながら、ミキのやわらかな手をギュウと握り返した。


   2 サファイアピンクの宝石


 夏休みが近づく頃、急にミキが池に姿をあらわさなくなった。

「ミキちゃん! 遊ぼう!」

 新葉は池の蓮にむかって繰り返し呼んだ。

 いままでなら、すぐに姿を見せて笑顔で手を振ってくれたのに、池はシンと静まりかえったままで波ひとつ立たない。

「ミキちゃん、どこにいるの」

 新葉ががっかり肩を落として帰りかける。

 その時、

「あっちゃん」

 ミキが蓮の葉に乗ってあらわれ、小さく微笑んだ。

「ミキちゃん!」

 新葉は嬉しくてドボンと池に飛び込んだ。

「あっちゃん」

 蓮の葉からミキが手をのばす。

 新葉はミキの手につかまり葉によじのぼる。

「あっちゃん、だいじょうぶ?」

「すごく心配した」

「あっちゃん、ごめんね」

 申し訳なさそうにミキがうつむき加減で新葉をみる。

「あやまらないで……風邪でもひいてたの?」

 新葉は優しい目を注ぐ。 

「あたしもうすぐ、大人になる儀式があるの。だから儀式が終わるまで会えなくなるのよ」

 ミキは膝に頬をおしあて、体をぎゅうと丸めた。

「大人の儀式って」

 新葉はミキの腕のすきまから、彼女の顔をのぞきこむ。

「人間の世界でも成人式ってあるでしょう」

 わずかな腕のすきまから、ミキの大きな黒い瞳がこっちを見た。

 大人びた視線に新葉はドキッとした。

「う、うん。でも、ぼくまだずっと先だよ」

 新葉は胸がキュンとするのを感じてどぎまぎした。

「あたしたちは人間より早く大人になるの」

 ミキは顔をあげ、新葉のあどけない顔にまっすぐ視線を注ぐ。

「ミキちゃん……結婚するの?」

 不安を言葉にしてみたら、胸がチクチクして、心臓がきゅうと締めつけられる。

「ちがうの。儀式は神様に認めてもらうためにするのよ」

 ミキはいつものようにあっけらかんだ。

 新葉はホッとため息をつく。

「認めてもらうって?」

「自由よ」

 ミキがポツンと呟く。

「じゆう?」

 新葉はきょとんとした。

「そうよ。でも自由には責任がともなうわ」

 ミキが空を見上げる。

「むずかしいね」

 新葉もつられて空を見上げた。

 抜けるような青空に、綿菓子みたいな雲がもりもり浮かんでいる。

「あたし夏の青空が大好き」

 ミキは思いっきりのびをした。

 蓮の緑に体の立体的な線がくっきり浮かび上がる。

 大人びたミキの姿を見て、新葉の心の蓋が開く。

 新葉は熱い視線をミキに送る。

「どうかした?」

 ミキは優しく新葉を見つめる。

「あ、あ、なんでもないよ」

 新葉はドギマギして顔を真っ赤に染めた。

「あっちゃんに見せたい物があるの」

 ミキは腰にさげた小さな袋から、ピンポン玉くらいの、サファイア・ピンクの宝石を大切にとりだした。

「わぁ、きれい! それ何って石?」

「これはね、成人式の日、神様に捧げる石、蓮の花のエレメント。とても大切な石よ。だから石を神様に納めるためには、心と体を清らかにしてないといけないの」

「ふぅーん」

 新葉にはピンとこない。

 むしろミキが手の届かないところに行ってしまうような気がして、恐れや、さびしい気持ちや不安な感情がごちゃ混ぜになる。

「いつか、あっちゃんも大人になるのよ」

 ピンクの宝石をミキが指先で丁寧につまみ、もとの袋に戻す。

 ピンクの爪、細くて長くて、とても綺麗な指。

「そんなに大事なもの」

 新葉はピンクの宝石を恨めしく思う。

 ただの石ころなのに妬ましい。

「大切よ」

 ミキはコクンとうなずく。

「ぼくより大事?」

 新葉はすねてみせる。

「あっちゃん、どうしたの?」

 ミキは新葉の顔をまじまじと見た。

「なんでもない」

 新葉はプイッと横をむいて、遠くの森に目をやる。

 神社の森がやわらかな風にあおられ、ザワと音をたてた。

「なにを怒っているの?」

 ミキは新葉が寂しがっていると、すぐにピンときたのだが、まさかその感情が恋の独占欲からとは思いもよらなくて困惑した。

「怒ってなんかないよ……大人になるって不安じゃないの?」

 新葉が自分の感情をもてあましているのは明らかだ。

「少し不安よ。でも大切なことだから」

 落ち着き払ったミキの大人びた態度。

 新葉の子供っぽさがよけい目立つ。

「無理に大人にならなくてもいいじゃない」

 新葉は唇を尖らかせて言う。          

 まるで駄々っ子みたいだ。

「無理じゃないよ。嬉しくて心がときめくの。だから」

 ミキは顔色ひとつ変えなくて淡々と話す。

「儀式はいつあるの?」

「こんどのストロベリー・ムーンの夜よ」

「ストロベリー・ムーンって?」

「お月様がピンクの宝石のように輝くの」

「うそだい。月の光はいつも白いよ」

「嘘じゃないわ。本当にピンクになるのよ」

「ぼくが子供だからと思って、からかわないでよ!」

 そう言って、新葉は、きゅーと眉をひそめた。

「もう、あっちゃん、いい加減にして。少し会えなかっただけで、どうしてそんなに不機嫌になるの? たしかに大切な友だちに理由も言わず、地上に姿を現さなかったあたしが悪かったわ。でも儀式の準備でとても忙しかったの」

 いつも優しく穏やかなミキが初めて感情をあらわにした。

 言葉とは裏腹に、ミキの黒くて大きな瞳が涙で潤んでいる。

「ご、ごめんなさい……」

「いいの。あたしこそ感情的なって」

 いつのまにか西の空があかね色に染まっていた。

 森からヒグラシの鳴き声が聞こえてくる。

「明日も遊ぼう」

「ごめんね。来月の儀式が終わるまで遊べないわ」

「そう」

「でも、来月、ピンクの月が白くなったら、遊べるわ」

「約束してね。指切りしよう」

 新葉がミキにむかって小指をだす。

「もちろん」

 ミキが指を新葉の小指に絡める。

 二人は指切りげんまんして、にっこり笑った。

「じゃ、ぼく帰るから」

 新葉が蓮の葉から池に飛び込もうとすると、

「あたし、陸まで見送るわ」

 ミキが先に池に飛び込んだ。

「あたしに追いつける」

 ミキが、バシャ、と水を叩いて泳ぎ出す。

「ミキちゃん、早い!」

 新葉も猛スピードでミキを追いかける。

 二人は池をまるで魚のように自由に泳ぎ陸の近くまでやってきた。

「あっちゃん、すごく泳ぐの早くなったね」

「先生がいいから」

「あら、そんなこと言ったってなにも出ないわよ」

「ばればれだね」

「くふふ」

 水の中でミキは新葉を抱きしめると、彼の頬に軽くキスをした。

「ミキちゃん……」

 新葉は顔を真っ赤にして、照れくさそうに頭を掻いた。

「来月、ピンクの月が白くなったら会いに来てね」

 ミキが真顔で新葉を見つめる。

「うん。会いに来るから」

 新葉は陸に上がりミキをじっと見ると、小さく手を振って森の中に姿を消した。

「あっちゃん……」

 ミキは水の中から彼の後ろ姿にむかって手を振り続けた。

 新葉の姿が見えなくなると、ミキも陸に背をむけて池の深いところへ潜った。


   3 過ち


 二人の姿が消えると、森に潜んで新葉とミキのやりとりを一部始終見ていた、三人の少年たちが池の土手に姿をあらわした。

「さっきのカッパだろう」

「それに新葉だった」

「まちがいない。新葉のやつ、カッパの女と遊んでたんだ」

「どうりで、いつも早く帰っていたのか」

「あした学校で、からかってやろうぜ」

「面白くなるぜ」

 佐野は石ころを拾い上げ、さっきまでミキと新葉が座っていた、大きな蓮の葉めがけて投げつけた。

 ドボンと鈍い音がする。

 葉に小さな穴が空いた。

「下手くそだな」

 伊藤がもっと大きめの石を投げた。

 バシャと水がはじける音がする。

「おれがとどめだ」

 村田が集めてきた石ころをつぎつぎと投げつけた。

 蓮の葉はちぎれて幾片にもなり、池にひろがった。

「やった!」

 三人の少年は飛び上がって喜び森を去った。


 翌日、新葉が小学校に行くと、クラスの雰囲気が違っていた。

 今まで仲良くしていたクラスメイトの数人が、新葉を避けるようになったからだ。それどころか、担任の先生まで新葉に厳しくなったように感じる。

 お昼休み、給食をさっさと食べ終わった新葉は、すぐに教室を出て、廊下から外の空気を思いっきり吸った。

 新葉のクラスは校舎の最上階にあるから、廊下からミキのいる森の神社と池が遠くに見えるのだ。

「ミキちゃん、今頃何してるのかな……」

 頬杖をついて池の方を眺める。

「新葉、おまえカッパと付き合ってるんだな」

 振り向くと村田君だった。

「うん。友だちだよ」

 新葉が素直に答えると、

「おまえあんな化け物とよく友だちになれるな」

 今度は佐野君が意地悪な目をして言った。

「……」

 新葉は唇を噛み、その場から走り去った。

「おい、新葉! 待てよ!」

 伊藤君が新葉の襟首を背後から掴もうとする。

 新葉は振り切って逃げる。

「ちっ、弱虫め」

 四人はポケットに手を突っ込んで新葉の背中を目で追った。

「あいつら、見てたんだ」

 新葉はミキに危害が加えられないか心配になってきた。

 ミキちゃんにあいつらのこと伝えないといけない。

 あれこれ心配事を考えながら校舎をぶらぶらした。

 しばらくして図書館に入ると、新葉は図書委員のひな子ちゃんと目が合った。

「新葉君、大丈夫?」

「え?」

「さっき、佐野君達に囲まれていたでしょ」

「見てたの?」

「うん」

「だ、だいじょうぶだよ」

「新葉君、ちょっと手伝って」

 ひな子に図書係のカウンターの中に連れて行かれる。

「こっちよ」

 カウンターの奥の机から美鈴ちゃんとひまりちゃんが手をふっている。

「みんなここで何してるの?」

 新葉が不思議そうな顔をして尋ねる。

「とにかく座って」

「う、うん」

 机を取り囲むように四人は椅子に腰掛けた。

「新葉君、何も知らないの?」

 美鈴ちゃんが真顔で訊く。

「何を?」

「佐野君と村田君たちが、新葉君がカッパと遊んで、変な病気うつされているって言いふらしているの」

 ひまりちゃんが信じがたいことを口にした。

「そんな……」

 新葉はサッと血の気が引いた。

「もちろん、あたしたちは、そんな嘘、信じていないわ。むしろ新葉君がカッパの人の友だちになれるなんて、すごく素敵なことだと思う」

 ひな子ちゃんが真剣な眼差しで言う。

「でもクラスの人でカッパの人たちのことを良く思わない人が多いわ。村田君はカッパの人のことを、不潔だとか、臭いとか、変な病気を持っているとか嘘の噂を流しているの。あたしあの人嫌いよ」

 いつもは大人しい美鈴ちゃんが、はじめて怒った。

「あたしの担任の先生は、いつもカッパの人のことを悪く言うの。カッパたちが川や池でウンチやオシッコするから水が汚れているんだって。しかも授業中に笑いながら言うのよ。あたし頭にきて言い返したわ。川や池や海が汚れているのはむしろ人間のせいですって。だってあたしの知ってるカッパさん家族は、みんなトイレで用を足しているのを知っているからよ。カッパの人たちの方が人間よりちゃんとしているの」

 ひまりちゃんもカッパの人たちに偏った考えをしない。

「ひどいね」

 新葉は三人の話を聞いて、怒りや憎しみより、悲しく感じた。

 ミキがどれほど心が綺麗で優しいか、新葉がだれよりもよく知っている。それだけに村田君たちや、ひまりちゃんのクラスを担当している先生みたいな人たちが、どうして付き合ったこともないカッパの人たちに対して、見下したり偏った見方をするのか理解できない。

「私たちと異なるからよ」

 ひな子ちゃんの言うことは全てを物語っていた。

「ミキちゃんは、とても心が綺麗なんだ。ぼくなんかより頭が良くて思いやりがあるし、すごく大人なんだよ」

 駄々っ子のような自分の態度を思い出して新葉は情けなくなる。

「新葉君のお友だちのカッパさん、ミキちゃんって言うんの。すごく可愛い名前ね。二人で撮った写真とかないのかな」

 美鈴ちゃんのミーハーぶりは、相変わらずだと思う。

「可愛いだけじゃないんだ。ぼくに水の中の泳ぎ方、薬草の見分け方、カッパさんと人間の歴史も教えてくれたんだよ」

 そういえば、すごく大切なことを沢山ミキは教えてくれた。

「それで新葉君、いつも池に寄り道していたのね」

 ひまりちゃんが新葉の顔を覗き込む。

「ええ、みんな知ってたの?」

 あの神社の森は通学路にあるから、誰から見られていても不思議じゃない。

「だっていつも家の方にまっすぐ帰らなくて、神社の森の方に歩いて行くから、あ、べつにストーカーしてたんじゃないよ」

 慌ててひな子がいいわけする。

「隠すつもりなかったからいいんだ」

 新葉は苦笑いした。

「カッパさんのこと悪く言うのはいけないと思う。とても失礼なことよ」

 ひな子ちゃんは拳を握り締めた。

「全くそうよ。だいたい、村田君の父さんは小さな建設会社の社長さんらしく、金儲けのために県内の自然林の伐採や宅地化、高層マンションの建設をごり押ししているらしいの。カッパさんの池も埋め立てて、高層マンションを建てようって、町長に言ってるそうよ」

 美鈴ちゃんのお父さんは自然を保護する団体でボランティアしているからか、その手の話にはやたら詳しい。

 そのとき突然、嫌な声がした。

「おい、新葉! おまえこそこそ何してるんや」

 佐野君がカウンター越しに新葉に凄んだ。

「いや、べつに」

 新葉がおどおどする。

「おまえ本を盗みに来たんだろう」

 村田君がわざとらしく大きな声で言う。

「いい加減にしなさいよ! 新葉君に本の整理を手伝ってもらっているのよ!」

 ひな子がカウンターに両手をバンとつき二人を睨んだ。

「なんだと!」

 村田君が鋭い目つきでひな子に手を振り上げる。

「静かにしろ!」

 図書館長の先生が二人を叱った。

「チッ」

 二人は新葉をにらみ、ポケットに手を突っ込んで図書館から姿を消した。

「なんて人たちなの」

 ひまりが深いため息をつく。

「新葉君、元気出して。あたしたちはいつも味方だから」

 美鈴が青ざめた新葉を励ました。

「池の埋め立てを止めなくちゃ」

 ひな子が声を震わせた。

「池を埋め立て! ミキちゃんに急いで知らせないと」

 新葉はいてもたってもいられない。

「あたしたちにとってもあの神社の森は、思い出がいっぱいの大切なところ。だから埋め立てなんて絶対に許さない。新聞の記事にするわ」

 小学校新聞部のひまりちゃんが語気を強めた。

「顧問の担任の先生に反対されるわ。日頃からカッパの人を蔑む発言が多いのよ。それにもうすぐ夏休よ。間に合わないわ」

「ひな子ちゃんの言う通りよ。担任の先生は村田君のお父さんが工務店の社長だから、ひいきがすごいの。しかもカッパの人たちを酷く嫌っている。だからカッパの森と池を守る特集なんて許可するはずないわ」

「村田君、よくお父さんのこと自慢してるし、カッパの森と池からカッパの人を追い出したら、タワーマンションとショッピングモール作って大儲けできるって言いふらしてた。ほんと嫌いだわ。あたし、いい考えがある」

「いい考えって!?」

 ひな子、美鈴、新葉が声を揃えた。

「号外を刷って朝一番に校門で配るのはどう? 号外ならすぐに書けるし、カラーコピーなら図書館のを使うの」

 ひまりは図書委員のひな子に目で合図した。

「もちろん、図書館のコピー機ならいつでも使えるわ」

 ひな子は片目をつむってみせた。

「担任の先生が許可する?」

 美鈴の顔が曇る。

「あたしあの先生には相談しない。だって号外だもの」

 ひまりちゃんは抜き打ち作戦を主張した。

「当日、校長先生の許可をもらうのは?」

 めずらしく新葉が思ったことを口にした。

「あ、それいいかも。校長先生はカッパの人たちのこと、悪くいわないし、差別や偏見はだめだって、日頃から言っているからあたしたちの行動を支持してくれそうね」

 ひな子は大きな黒い瞳を輝かせ、両手をギュウと握り締めた。 

 四人はカッパの池を守る会を結成、さっそく小学校新聞の号外作りが始まった。

 狙いはニュースを大きくして、カッパの池を守ること。さらに、全校生徒と先生たち、親たちに協力を求めることだ。


 放課後、さっそく新葉はミキに埋め立てのことを知らせようと、神社の森に行くことにした。

 行っても会えないかもしれない。けれども、なんとか伝える方法を考えないといけない。もちろん村田君や佐野君たち、いじわるなクラスメイトが、跡をつけてきている恐れがある。だから一旦家に帰って様子を見ながら移動することにした。

「家の周囲に人の気配はない」

 二階の窓から外を見回すが、いじわるな連中の影も姿も見当たらない。

「家の近くにいないからといって、神社の森で待ち伏せしているかも」

 新葉はどうしたらいいのか考え続けた。

「そうだ、そうしよう!」

 新葉はすぐにTシャツとショートパンツに着替え外に出た。

 お母さんは買い物からまだ帰ってこない。

 ガレージに駐めている自転車を押して家の前の道に出る。

 誰もいない。

「出発だ」

 ペダルを踏み込もうとしたら、いきなりシャツの袖を掴まれた。

「新葉君」

 振り向くとひな子ちゃんだった。

「あ、もうびっくりした」

「ごめん」

「やっぱりひな子ちゃんは、ストーカーだ」

 クスッと新葉は笑う。

「もう、失礼ね。村田君たちが池で待ち伏せしているって噂を聞いたの」

 ひな子の目は真剣そのものだ。

「やっぱり、あいつら待ち伏せしていたのか」

 新葉が自転車のグリップを悔しそうに握り締めた。

「六年生の不良も一緒らしいの、だから、今日は行かない方がいいわ」

 ひな子が自転車の前に立つ。

「なんであいつらカッパの人にいじわるするんだ」

 新葉はひな子を振り切りたい衝動にかられる。

「きっと家庭でも彼らのお父さんやお母さんが、カッパの人を見下すような言葉を使っているからよ」

 ひな子の話に悪寒が走る。

「あんな酷いこと言うのはあいつらの親に問題があるに違いない。だけど一番の原因はあいつら自身の心がゆがんでいるからだと思う」

 自分の気持ちをミキと話す時でしか言えなかった新葉が、いまは学年で最も読書家のひな子に堂々と言えたのだ。

「ほんとにそうね。言った言葉の責任は、あくまで言った本人の責任よね」

 ひな子がキラキラ輝く黒い目で新葉を見つめる。

「ひな子ちゃんからそんな目で見られると、なんだか照れくさいよ」

 新葉は自転車をガレージに戻しに行く。

「学校新聞でカッパの人に対する差別の問題と池の埋め立て反対のニュースをながすわ」

 ひな子ちゃんはそう言うと、大きく右手を左右に振って姿を消した。

「ぼくも頑張らないと」

 新葉は唇を噛みしめた。

 今も、佐野、村田、伊藤の三人組が、池の森に潜んでミキちゃんを待ち伏せしているかもしれないと思うと、新葉はとてもこのまま家にじっとしていることが出来そうになく。

「神社側から行かなくて反対側から池に潜り、池の底にある、水神さまの石球のところに行けばミキちゃんに会えるかもしれない」

 そう思い立つと新葉はふたたびガレージから自転車をひっぱりだした。

 家の近くで誰かが見張ってやしないかと周囲をチェック。

 念のため新葉は池と反対方向に向かって自転車を走らせた。

「よし、ここでいいや」

 森の入り口の正反対にある、田んぼのあぜ道に自転車を置く。

「ここから森に入れば、あいつらに見つからないで池に潜れる」

 新葉はけもの道を分け入るように歩き続け、ときどき周囲の様子を窺いながら、池にむかった。

 森の奥の輝きが目に飛び込む。

「池だ!」

 あたりが急に明るくなる。

「着いた」

 空を見上げると、夏の大きな雲がゆっくりひろがっていた。

「この木を伝わって池に降りるか」

 大きな楠の木が池に向かって傾いている。

 新葉は木陰でTシャツをぬぎ、ショートパンツ一枚で池に潜った。


 そのころ、新葉の予想通り、三人組と六年生の少年が新葉がやってくるのを、神社の境内でイライラしながら待っていた。

「おい、あいつホントに来るのか?」

 佐野が神社の扉に石を投げつける。

「ここにはメスのカッパがいるから、あいつ必ず会いに来るって」

 村田も目をつり上げイライラしていた。

「そのメスのカッパを捕まえれば手っ取り早いんじゃ」

 六年生の少年が立ち上がり、神殿にツバを吐いて池に向かう。

「俺たちも行く」

 佐野、伊藤、村田たちも噛んでいたガムを境内に吐き捨て後を追う。

 四人の悪ガキが池に向かおうとすると、村田の肩にカサッとなにかが触れた。

 その瞬間、ブゥーンと羽音がして、その音量はまたたくまに巨大な塊となり、四人を襲った。

「スズメバチだ!」

「逃げろ!」

「痛い痛い!」

「助けて!」

 四人は体中刺され神社の森から外によろめきながら出たときには、誰がだれなのかわからないくらい顔や手や足が腫れていた。

 通りがかった人が救急車を呼んでくれたので、少年らは一命をとりとめたのだが、もう二度とこの森には近づこうとしなかった。


 そんな事件がおきていると知らず、新葉は池の底へ底へと潜り続けていた。そしてミキが教えてくれた水神様を祭るサファイア・ブルーの大きな石球を見つけた。

「ミキちゃん、水神様で儀式があるって言ってたから、この辺りに居るはずだけど……」

 新葉は周囲を見回したが魚の姿すらなく、水の底はシンと静まりかえっている。

 まさか何かあったんじゃ……。

 思い切って新葉は石球の中に入ろうとした。

「人間はここから立ち去れ!」

 大人の男のカッパだった。

 語気が荒く新葉にというより人間に対する不快感を露わにする。

「ミキちゃんに会わせて下さい! 無理ならお父さんかお母さんに会わせて下さい。大切な話があるんです」

 やっと希望の光が輝いたかに思えた。

「よくも、おめおめと言えたものだ」

 カッパの男は敵意を剥き出しに新葉を石球から遠ざけた。

「ミキちゃんに会わせて下さい!」

 新葉は声を張り上げた。

「だめだ! あの娘は儀式が終わるまでは誰とも会えない」

 カッパの大人は、ミキどころか彼女の家族にも伝えようとしない。

「大変なんです。儀式をしている時間なんかないんだ!」

 新葉はつくづく後悔した。

 どうしてミキちゃんの家の場所を訊かなかったんだろう。

「おまえもあの連中の仲間だな」

「あの連中って、まさか、村田たちのことですか?」

「やはりそうか」

「僕はあいつらの仲間じゃないです」

「あの人間の子供は神殿に唾し、ガムを吐き捨てた。そればかりか、蓮の葉に石を打ち付け沈めてしまったのだ」

 カッパは怒りで顔を真っ赤にした。

「そんなひどいことを……」

 新葉はその場に崩れるように跪き両手をついた。

「立ち去れ」

 カッパは新葉の目の前に立ち見下ろした。

「……」

 新葉は力なく立ち上がると、カッパに背をむけその場から泳ぎ去った。

 次第に光が強くなる。

 水面が近い。

「なにもかもおしまいだ」

 新葉は水面で仰向けになり、棒切れのように水の上に浮かんだ。

 ミキちゃん……

 違うんだ。僕はあいつらの仲間じゃない……どうしていつも僕はきちんと自分のことを説明できないんだ。あのカッパの人は、ぼくも犯人の一味だとミキちゃんに報告しているのかもしれない。

 あのカッパの人は、まさかミキちゃんのお父さん……。

 様々なことが頭の中で渦巻く。

「やっぱりミキちゃんに伝えないと」

 新葉は水面でくるりと反転すると、もう一度、水神様を祭る石球のところまで潜った。

 池の底の岩陰から周囲を見回す。

 さっきのカッパの姿はない。

 新葉はしばらく石球の様子を見つめていたが、ミキがあらわれる気配もなく。

 もしかして、石球の中で祈っているのかも。

 そう思うと、迷うことなく新葉は、サファイア・ブルーの石球の中に飛び込んだ。

「あの時のように中に入れた、でも……」

 石球の中にミキはいなかった。

「此処じゃないのか」

 新葉はそう判断するとすぐに陸の神社を思い出した。

 あそこしかない。

 カッパの人に気づかれないうちに、石球の外に飛び出して池から出てきた。

 陸に上がった新葉は、素足で、上着もなく、ずぶ濡れのショート・パンツを穿いたまま、神社まで走った。

 新葉は、まだ、誰かいるかもしれないと周囲をチェックする。

 村田たちもカッパの人もいない。

「ミキちゃん」

 小さく呼んでみる。

 ジージーと蝉の鳴き声しか聞こえない。

 もしかしたら、神殿の中かも。

 新葉は用心深く拝殿の木製の階段を上がる。

「ミキちゃん」

 拝殿の入り口の扉は閉じられていていたが、鍵はかけられていない。

 隙間から中を覗く。

 祭壇にどこかで見覚えのある袋が置いてあった。

「おじゃまします」

 新葉は扉をそっと開け、隙間から中に入った。

 袋に手を伸ばす。

 中の物を撮りだしてみる。

「あ、これミキちゃんが見せてくれた宝石だ」

 新葉はサファイア・ピンクに輝く石を袋に戻そうとした。

 その時、外で玉砂利を踏む音がした。

「あ、誰か来た」

 新葉は咄嗟に、サファイア・ピンクの玉をポケットに突っ込み、袋を祭壇に戻した。

「おまえそこで何をしている!」

 カッパが新葉を睨んだ。

 さっき池の底で会ったカッパだった。

「ミキちゃんを探しに来ました」

 新葉はそういいながら、ゆっくりと拝殿の階段を下りる。

「さっきも言ったが、ミキには会えん」

 カッパの大人は祭壇に手を合わせると、ゆっくりと扉を閉めた。

「お願いですミキちゃんに会わせて下さい。大変な事が起きるんです」

 新葉は必死だった。

 もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。

 カッパが新葉の目をじっと覗き込む。

「……」

「考えとく」

 そう言って、カッパは池に帰って行った。

「ありがとうございます……」

 新葉は体中の力が抜けるように、ドサッと尻もちをついて、そのばに横たわり目を閉じた。

「あれ、ホッペが……」

 気がつくと目の前に子猫がいて、新葉の顔を舐めていた。

「わぁ、猫だ」

 慌てて新葉は上体を起こす。

 子猫が尻尾ピンと立てている。

「やけに人なつっこい猫だな。でもおまえ病気にかかってる? 体毛はほとんど禿げてるし、あばらが浮き出るほど痩せている。おまえ捨てられたんだな」

 新葉が頭を撫でるとお尻を立てて喜んだ。

 首輪はない。

「オスか。よし名前はダイアンにしよう」

「ミャー」

「ダイアン、家に連れてってやるよ」

 新葉は、ぼろ雑巾みたいな子猫を抱きかかえ、Tシャツと自転車を拾って家に帰ってきた。

 玄関の鍵をそっと開ける。

「今までどこに行ってたの? スマホのバッテリーが切れてたの?」

 思った通りお母さんのヒステリックな声がする。

「う、うん」

 新葉はスマホのことなどすっかり忘れていた。

「新葉、その子猫どうしたの?」

 お母さんは、ダイアンを見て唖然とした。

「森の神社で拾ったんだ」

 新葉は子猫を抱きしめた。

「捨て猫なの?」

 お母さんはダイアンを遠巻きに見る。

「うん、あんなところに置き去りにするなんて、無責任すぎるよ」

「ひどいことするわね」

「チップが埋められているかも」

「とにかく、すごく痩せているし、皮膚病も罹っているみたいだから、すぐに病院に連れて行きましょう」

 お母さんはすぐにガレージから車を出した。

「ダイアン、よかったね」

 新葉はダイアンをタオルでつつみ、お母さんの車に乗り込むと病院に向かった。

 ダイアンにマイクロチップはなく、たいした怪我もしてなかったが、虫下しを飲ませてもらった。

 獣医さんは、生後、三ヶ月くらいだろうと言った。

「お母さん、子猫、飼っていい?」

 新葉とダイアンがお母さんを潤んだ瞳でじっと見つめる。

「ちょうど後釜を探していたところだしね」

 新葉の家でずっと飼っていた猫が、先月、老衰で死んだのだった。

「じゃ、いいんだね!」

「いいわよ。でもちゃんと世話するのよ」

「ダイアン、良かったね!」

 新葉はダイアンの体をギュウと抱きしめた。

 ダイアンも嬉しそうに目尻を細めた。


   4 玉が消えた


 病院の帰り道、新葉はお母さんの車でホームセンターに立ち寄った。ダイアンのトイレセット、猫砂や尿取りシートを買うためだ。

「缶詰やドライ・フードだけでカゴが山盛り」

 そう言いながら新葉は缶詰をどっさり、買い物かごに入れる。

 レジを済ませて店外に出たら、空に三日月が輝いていた。

「もう、猫は飼わないつもりだったから。でも、猫は可愛いわ」

 お母さんは、買ったばかりのバスケットの中にシートを敷きダイアンを入れる。

「ミャー、ミャー」

 ダイアンは弱々しく鳴き、尻尾を丸め小さくなっている。不安なのだろう。

「家に帰るわよ」

 滑るように車が動き出す。

「ダイアン、お家に帰るよ」

 新葉は膝に乗せたバスケットを覗き込む。

 ダイアンがミャー、ミャー鳴きながら新葉を見つめる。

「おまえ、寂しがり屋だな」

 新葉はバスケットからダイアンをとりだして、胸に抱きかかえた。

「人なつっこい猫ね。もう新葉になついているわ」

 そう言いながらお母さんは満足げに微笑んだ。

 それから十分ほどで新葉たちは家に帰り着いた。

「おまえの家だよ」

 新葉は晩ご飯も後回しにして、ダイアンのトイレをセットし、食事やお水のためのお皿を並べ、爪研ぎのタワーを組み立てた。

 ダイアンは大喜びで、部屋中を飛び回る。

 新葉はおてんばなダイアンがすっかり気に入った。

 遊び疲れたのか、気がつくとダイアンがソファの上の一番、エアコンがあたるところで心地よさそうに眠っていた。

「ダイアン、寝ちゃったね」

 新葉はダイアンが舌を出して眠っているので、可笑しくてしかたがない。

「スマホで写真撮ってインスタにのせたら」

 お母さんの提案に新葉もすぐに頷く。

「スマホ持ってくる」

 新葉はそう言って二階の自分の部屋に上がっていった。

 ドアを開ける。部屋は真っ暗だ。

 照明のスイッチを入れようとすると、床でなにかがピンクに光っていた。

 なにが光っているんだろう。

 部屋が明るくなると、ピンクに光っていたところに、脱ぎ捨てられたショート・パンツがころがっている。昼間、神社の森に行ったとき、池で泳ぎやすいようにと穿いていたパンツだった。

「あっ……」

 新葉はパンツのポケットの丸い膨らみを見るや、一瞬で、血の気を失った。

「どうしよう」

 恐る恐る新葉はポケットに手を入れて玉を掴む。

 握った手を目の前でゆっくり開く。

 眩しいくらいに美しく輝くサファイア・ピンクの玉が現れる。

「早くミキちゃんに返さないといけない……、ああ、でもどうしたら……」

 新葉は呆然となり、玉を握り締めたまま、そこから動けなくなった。


 翌日、新葉は赤い玉をハンカチでくるんで机の奥にしまい、登校した。本当は学校に持って行って、帰りがけに神社の祭壇に返したかったのだが、村田たちから持ち物に悪戯でもされて玉を盗まれるかもしれない。そう思うと持って行くのがためらわれた。

「新葉君、知ってた?」

 朝一番にひな子ちゃんから声をかけられた。

「何を?」

 新葉はきょとんとする。

「村田君たち、蜂に刺されて入院したらしいの」

 ひな子ちゃんは気の毒そうな顔をしてみせるが、目は明らかに喜んでいた。

「そうなんだ」

 ひな子の期待に反して新葉の返事は素っ気なかった。

 新葉はすぐにピンときた。

 神社にツバを吐いたり、ガムを吐き捨てたりしたから、神様の怒りにふれたんだ。当然の報いだ……ああ、ぼくも神様の報いをうけるのかな……。

「ちょっと新葉君、聞いてるの!」

 ひな子が新葉の顔を覗き込んだ。

「え、あ、何を?」

 新葉はあの玉のことが気になってしかたがない。

「号外はあたしたちがばらまくわ」

 ひな子は軽くウインクして自分の席に戻っていった。


 放課後、新葉は急いで家に帰った。

 一刻も早く玉を元の場所に返そうと思った。

 家に着く。お母さんは仕事でいない。

 二階に駆け上がる。

「ない」

 引き出しの中に玉が無かった。

「まさか」

 玉を包んでいたハンカチは見つかった。

 誰かが玉を持っていったんだ。

 新葉は自分の部屋をはじめ、家中の窓に鍵がかかっているのを確認する。

 お母さんかな、お父さんかな……お父さんは出張でいないから、やっぱりお母さんしか考えられない。ピンクの綺麗な宝石だから勝手に取り上げたんだ。

 でも、どうやってお母さんに訊けばいいんだろう。逆に、あの玉がどこの誰の物か訊かれたら、ぼくはどう答えればいいんだろう。お母さん、カッパさんのこと凄く嫌ってたし、絶対に遊んだらダメだと言われていた。もしぼくが正直に話したら、お母さんは逆ギレしてカッパさんの池の埋め立てに賛成するかもしれない。

「ああ、どこにいったんだ」

 新葉は考えれば考えるほど深刻になり、おでこの右側がキリキリ痛み出した。

 沈むように新葉はカーペットに横たわる。

「ミャーミャー」

 いつ部屋に入って来たのか、ダイアンが新葉の頬をペロペロ舐めてくれる。

「ダイアンごめんね、エアコンつけなくて」

 新葉はダイアンが暑がっているのがすぐに分かった。

 エアコンのリモコンを手探りで探す。

 偏頭痛で体を動かすことも出来ない。

「あった」

 ピッ、スイッチを入れる。

 スーと涼しい風が吹いてきた。

「ダイアン、すぐに涼しくなるから……」

 新葉はダイアンの喜ぶ顔を確認しながら目を閉じた。


 そのころ、神社の森の池ではミキの石のことで大変な騒ぎになっていた。

「神様に捧げる石は、決まり通り祭壇に置いていたわ」

 ミキは床に座り込みうなだれた。

「やはりあの人間の子供が盗んだに違いない」

「パパ、何かあったの?」

「実はきのう……」

 ミキのパパは昨日の出来事を一部始終話した。

「そんな、新葉が来ていたのならどうして、教えてくれなかったの?」

 ミキはパパが人間に不信感を持っているのはわかっていたが、幼い頃から遊んでいた新葉のことまで疑っていたとは思いもよらなかった。

「人間の小学生が四人やってきて、蓮の葉を石で投げ破り、神殿に唾を吐き、神域にガムを吐き捨てたのです」

 ミキのママが、より詳しく話した。

「その四人はあっちゃんの友だち?」

 ミキは新葉がそんな連中と仲が良いはずなど、ありえないと思う。

「たしかに否定していた」

 ミキのパパは申し訳なさそうに正直に言った。

「だったらパパ、どうしてあっちゃんが玉を盗んだと疑うの?」

「昨日、拝殿の中に入ったのはあの子ただ一人だったからよ」

 ミキのママは、霊視して見えたことを娘に言った。

「ママの霊視でしょう。霊視は百パーセントじゃないって、昔、ママは言ってたわ。それなのに、どうしてあの子が盗んだと言い切るの?」

 ミキはこんな言い争いをしたくなかった。いっそ、新葉に会って疑いを晴らしてやりたいと思った。

「ママが視た通りなのだよ」

 パパは目を伏せ、声を抑えながら言った。

「パパが不審に思い拝殿に行くと中に新葉君がいたのだよ」

「あっちゃんが、居たからと言って、彼が玉を盗んだとは言い切れないわ。第一、何の理由で玉を盗まなきゃならないの? しかも彼が玉を持っていたのをパパは見たの?」

 ミキは目に涙を浮かべパパを睨む。

「ズボンのポケットが丸く膨らんでいたのだ。しかもその膨らみはほのかなピンクに光っていた」

 そう言い切ると、パパは厳しく目を細め娘を見た。

「あっちゃん、どうして……」

 ミキはガックリと肩を落とした。

「あなた、なんとかなりませんか」

 ママはミキと新葉の友だちつきあいに、微かな期待を持っていたので、娘の成人の儀式も新葉の過ちもなんとか穏便にすませたいと思った。

「今はとにかく、あの子から玉を返してもらわねば」

「その役、ミキに任せて宜しいですか?」

「こうなっては仕方あるまい」

「パパ、ありがとう」

「よかったわね」

「だが、ミキ、もうあまり時間がない。もうじき月がストロベリー・ムーンになる」

「もし持っていなかったらどうするのですか?」

 ママがパパを見つめる。

「その時は、蓮の花の精霊から玉をつくってもらうわ」

「それは不可能だ」

「どうしてなの?」

「おまえの蓮はあの子供らが石で沈めてしまった」

「そんな酷いことを……」

 ミキの瞳は涙で潤んだ。

「新葉ちゃんはしてないのよ」

 ママが新葉を庇ってくれる。

「もちろんよ。あっちゃんがそんな酷いことするわけない。玉を持ち帰ったのもなにか理由があるに違いないわ」

「これが理由なのかわからないが、池が埋め立てられるという噂がたっている」

「どうしてそれを早く言ってくれなかったの! きっとそうよ。それを伝えたかったのよ。あっちゃんは、ひどく悩んだに違いないわ」

「ミキ、すまない。だが、彼が心配するに及ばない。この池は古来、水神様に守られてきた池だ。埋め立てることなど人間には出来ないのだ」

「それなら、なおのことあっちゃんを苦しめる必要はなかったのに」

 ミキは立ち上がり、パパの胸を両手で繰り返し叩いた。


 誰かが部屋に入ってくる。

「新葉、遅くなってごめんね」

 お母さんだ。

 新葉は起き上がろうとするが体に力が入らない。入らないどころか頭が痛くて吐き気がする。

「頭が痛い……」

 新葉は小さく言った。

「風邪でもひいたのかしら」

 お母さんがおでこに手を当てる。

「違うよ。頭痛がする」

 気分が悪すぎて玉のことを訊くことができない。

「頭痛薬を持ってくるから」

 お母さんは部屋から出て行って、すぐにお薬と冷たい水を持ってきた。

 新葉は首を持ち上げようとしたら、猛烈な吐き気が襲った。

「新葉」

 お母さんは慌てて息子の背中を摩った。

「……」

 何か言いたくても口や舌が絡み何も言えない。


「……」


 気がつくと真っ白な天井が目に飛び込んできた。

 ここ、どこかな?

 新葉は周囲を見回す。

 ベッドはテントのようにカーテンに囲まれ、まるでキャンプ場にいるようだ。

「だいじょうぶ?」

 突然、お母さんの声がした。

 気がつかなかっただけなのか、真横からお母さんが僕の顔を覗き込んでいる。

「ここどこなの?」

 起き上がろうとした。

「病院よ。まだ起きたらだめ」

 お母さんから枕に押し戻される。

 右の腕からチューブが伸びていた。

「点滴すぐおわるから、もう少し頑張ろうね」

 今度は美人の看護士さんに止められた。

 でもミキちゃんの方が美人だ。

「急に胃液を吐いて気を失ったから、びっくりして救急車を呼んだのよ」

「お母さんも救急車に乗ったの?」

「お祖父ちゃんが倒れたとき以来かな」

「いいなぁ。ぼくも乗りたかった」

「乗ったじゃない」

「憶えてないもん。乗ったことにならないよ」

「もう、乗らなくていいわ」

「お母さんはずるい」

「もう、ほんとに心配したのよ」

「うん」

 また頭がボーとして新葉はまた眠りにおちた。


 翌朝、新葉は退院した。

 新葉が倒れた原因は分からずじまいだった。

 医師が話すには、過度のストレスが原因だろうという。

 病院でお昼ご飯を食べ終わる頃、お母さんが家から車をもってきて、新葉は病院から我が家に帰ってきた。

「小学校にお休みの連絡したから」

「明後日から夏休みだよね?」

「そうよ」

「明日も安静にしてなさいって、お医者さんが言ってたから、終業式の欠席の連絡したからね」

「やった!」

 新葉は無理して元気なふりをしてみせた。

 ひな子たちの号外のことも気になるが、ミキの消えた玉のことで頭が一杯だった。

 考えるだけでお腹がキリキリ、頭がズキズキする。

 休めたから時間ができた。今日、一日かければ玉が見つかるかもしれない……それにしてもお父さんはどうしてるのかな……。

「お父さんは、いつ出張から帰るの?」

 もうひとつの気がかりは、お父さんだった。

 もう一ヶ月近く顔を見ていない。

「お仕事が忙しいから、まだ帰れないって……」

 お母さんはそう言って、新葉と目を合わせないまま階下のキッチンに降りて行った。

「お父さんはどこに出張しているの?」

 新葉はお母さんを追いかけて階段を下りる。

「……」

 お母さんはリビングのソファでうつむいていた。

「どうしたの?」

「新葉、ごめんね、お父さんはもう帰ってこないの」

「帰らないって?」

「お母さんとお父さんは別れたの……だから、夏休み中にお祖母ちゃんのところに引っ越すよ」

 お母さんは涙目になった

「ぼく引っ越したくない」

 あまりのことに新葉は頭の中が真っ白になった。

「もう決まったことなの」

「ぼくミキちゃんと別れたくない!」

 新葉は急に胸苦しさを感じると、二階の自分の部屋に駆け上がり、ベッドに腰掛けた。

 

 ミャー、ミャー、ミャー

 

 ダイアンが足に頬を擦り付けてきた。

「いつもありがとう」

 新葉はねころがるダイアンの襟首を優しく撫でた。

 ダイアンに触れると、さっきまでの心の嵐がピタッと止まる。

 気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

「ダイアン、ミキちゃんの玉をしらない?」

 新葉は気持ちを切りかえた。

 今度は、横たわるダイアンの顎の辺りをくすぐる。

 よほど心地いいのか、ゴロゴロゴロと喉をならしながら、思いっきりのけ反った。

「やっぱり、知らないよね」

 新葉がくすぐる手を休めると、ダイアンがパクッと甘噛みした。

「痛てて」

 慌てて手をひく。

「ダイアン」

 甘噛みだから怪我はないけど、ダイアンはこうして気持ちを伝えてくるのだ。

 今の甘噛みは、心地いいからもっと続けろ、という意思のあらわれだ。

「わかったから」

 新葉が襟首を撫でてやると、満足したのか、両手両足を伸ばしながら弓なりになり、それから起き上がって左足をピント伸ばしグルーミングしはじめた。

 この体勢になったらそっと見守るべし。

「引き出しから勝手に消えるわけないし」

 新葉はベッドから出て、用心深く立ち上がり、机の引き出しを全部引き抜いて、床に並べてみた。

「やっぱり無いよな」

 空っぽの机の下に潜り込んで探してみたが、ホコリしか出てこない。

 ゴホン、ゴホン、

 喉がチクチク咳が止まらない。

 新葉は窓の前に立ち、急いでカーテンを開けた。

 強い陽射しが差しこむ。

 エアコンの音にも負けず、クマ蝉の鳴き声がシャー、シャーと部屋中に響く。

 窓をガラガラと勢いよく開けた。

 青空に入道雲が白くクッキリ広がっていた。


   5 ワルの悪だくみ


 スズメバチに刺された、四人組の親たちは息子を襲ったハチを口実に、カッパたちが住む森を潰し池を埋め立て、高級マンションを造ろうとしていた。カッパの森が地下鉄の駅から近く、都心にも地下鉄をつかえば十分で着くことから、土地が値上がりを続けていたからだ。そこで、親たちはその町の有力者である町長の邸宅に集まった。

「小学校の近くに、カッパが住みついているだけでも薄気味悪く治安も悪くなるのに、そのうえあの薄汚い化け物たち、いつも裸でうろうろして見苦しく、子供の教育にもよくないですわ」

 村田君のお母さんが憎々しげに吐き捨てた。

 村田夫人は最近急成長した村田土建の社長夫人だが、口が悪く、心が冷たくて、おまけに嘘つきだった。

「まったくまったくおっしゃるとおりだ」

 町長がうんうんと頷く。

「カッパからキュウリ畑を荒らされたという話も聞いたことがあります」

 村田社長がありもしないことをでっちあげる。

「そんな、不気味で薄汚い化け物、どうして動物園に閉じ込めないのかしら。それがだめなら皆殺しにしてしまえばいいのよ」

 村田夫人がヒステリックに叫んだ。

「まったく奥様のおっしゃるとおりだ」

 佐野君のお父さんがもっともだと頷く。

「息子の顔は酷く腫れ上がったままで、治まる気配がない。あのスズメバチもカッパの連中が操っているに違いない」

 伊藤君のお父さんは顔を真っ赤にした。

「きっと息子と同じクラスの安達のバカ息子も共犯してるのよ」

 村田夫人は悪く考えて、あて推量で決めつけた。

「安達さんとこのお子さんが?」

 さすがに町長がけげんな顔をする。

「あの新葉という気色悪い子供が女カッパに惚れ込んで、スズメバチを仕掛けたに違いないわ」

 まるで親の敵のように村田夫人は憎々しげに言う。

「まさかそんな」

 町長は呆れ顔になる。

「あの不良少年が図書館の本を盗んだり、女カッパと抱き合ったりしているところを息子達が目撃しました。なんて不純で不潔なのでしょう」

 村田夫人はありもしないことをでっち上げて、わざとらしく身震いして見せた。

「それは大事件ですな。教育にも良くない」

 伊藤インテリアを経営する伊藤君のお父さんが大きく首を縦に振る。

「わたしもそう思います。ですから森を更地にして、カッパどもを追放し、この町のシンボル的場所に生まれ変わらせるべきです」

 村田社長がこれぞ大義と言わんばかりに主張した。

「しかし、あの池はとても大きい。あれだけの土砂をどこから手に入れるか。しかも、我々の儲けがあるから出来るだけコストを抑えたい」

 町長が工事決定のサインを出す。

「それなら、心配に及びません」

「おお、村田さん、どこかよいつてがありますか?」

「いやいや、簡単ですよ。あの森を崩せばその土砂で池を埋め立てることが出来るでしょう。しかも建材用の良質な木材も手に入ります」

「おお、それならコストもかからないし儲けもでる。名案ですな」

「たしかに名案ですが、町長、森の神社をどうします? さすがに神社を潰すわけにはいかないでしょう」

「それなら心配に及びません。マンションの敷地内に小さな祠でも作って祭ればいいでしょう」

 伊藤君のお父さんはニンマリした。

「ああ、よくビルの谷間で見かけるあれですね」

 佐野君のお父さんが合いの手を入れる※。

「ああ、なるほど」

 一同、うなずく。

「カッパもいまや、絶滅危惧種に指定されている。やつらを追い出すとなると、簡単に国は認めないだろうし、人権団体もうるさくなるでしょう」

 町長は工事のリスクを想定する。

「人間にだって人権があります。子供たちが命の危険に晒されたのですぞ。しかもあいつらは国の保護を受けながら、あの森で何の生産性もなく堕落した生活を続けているんです。そんな奴らをどうして私たちが税金で養わねばならんのですか」

 村田社長はタバコを灰皿にグリグリと押しつけて火を消した。

「あんな醜く、臭い生き物。しかも人間の物を盗む泥棒を野放しにしているのが間違いなのよ。こそ安達のバカ息子も一緒に留置所にでも隔離すべきだわ」

 村田夫人は両目をつり上げ、吐き捨てるように言って、唇を醜く突き出した。

 よほどカッパと新葉が憎いらしい。

「いやいや皆さん。よくわかりました。子供たちに危害を加えるとなると、町でもこれ以上黙ってみているわけにはいきません。この町内にカッパを庇う人たちはもういないでしょう。あの森は町の判断で宅地にすることにします」

 町長は軽くそう言って笑った。

「カッパたちはどう処分するんですか?」

 伊藤君のお父さんはどうしてもカッパの息の根を止めないと気が済まないらしい。

「池のカッパを工事でおびき寄せ、全員集まったら暑いので一時避難するよう言って騙します。全員をバスに乗せ森を封鎖。エアコンを切ってバスの中に閉じ込めれば、この夏の暑さ。お皿の水がすぐに蒸発するでしょう」

 村田社長がニタリとする。

「お皿の水が無くなったらどうなるんですか?」

 佐野君のお父さんにはどうも解せない。

「干物のように薄くなって仮死状態になります。あとはそのまま袋詰めにして燃えるゴミに捨ててしまえばいい」

 伊藤君のお父さんが横から割り込んで説明した。

「清掃作業員に見つからないでしょうね?」

 佐野君のお父さんが不安に思う。

「当番の作業員に少々お小遣いを掴ませれば軽く引き受けてくれます」

 あきらかに違反なのだが町長は平気なようだ。

「市には何と報告するおつもりで?」

 村田夫人が念を押す。

「この夏の暑さ、カッパたちは熱中症で全滅したと言えばいい。さらに彼らを町のシンボルとして祭り上げるのです。あそこをカッパの里とでも命名すれば、観光の目玉にもなりますぞ。何しろ現存する日本最古のカッパの里ですからなぁ」

 町長もすっかり乗る気だ。

「おお、それは名案だ。女カッパを捕らえて剥製にすればカッパの聖地化は間違いなしだ!」

 伊藤君のお父さんは手を上げ小躍りした。

「わたしはさっそく計画を練りに会社に戻ります」

 村田社長はいそいそと町長の邸宅をあとにした。


 夏休み前日の朝、ひまりたちは小学校新聞の号外を校門で配布した。もちろん、校長先生の許可を得てのことだった。

「号外です! 号外です!」

〝カッパの森と池を守ろう! 池の埋め立て反対! 〟

 一面の大見出し。 

「何てことだ」

 新葉やひまりたちのクラス担任で新聞部の顧問でもある先生は不快感を露わにした。

 号外のことを新聞部のひまりたちから知らされてなく、そしてなによりも、池の埋め立てでやっとカッパを追い払えると思っていた矢先の出来事だったからだ。

「おまえたちはどうして無断で号外なんか配ったんだ!」

 部活担任の先生は声を震わせひまりたちを叱った。

「無断じゃありません。校長先生の許可を受けました」

 ひな子は担任の先生をキッとにらみ返した。

「こ、校長先生の……」

 担任の先生は言葉を失った。

 こうして〝カッパの森と池を守ろう会〟が結成され、多くの保護者や教職員の支持を受けた。

 出鼻を挫かれた村田社長や村田夫人らが町役場の町長のところに押しかけた。

「大変です! 小学校で反対運動がおこりました」

 村田社長は声を震わせ顔を真っ赤にした。

「あの臭いカッパを守ろうなんて、正気の沙汰じゃありませんわ! 町長の力で校長を首にして下さい!」

 村田夫人はまるで鬼か夜叉面のような形相で、髪を振り乱しながらヒステリックに叫んだ。

「そうですよ! まったくけしからん」

 佐野氏や伊藤氏も眉間に縦皺を寄せ腕を組んだ。

「まあ、まあ、皆さんそう騒がないで下さい」

 町長は困り顔になりながら、額の汗をタオルで拭った。

「まあ、まあ、じゃないですよ!」

 渡部氏が町長に詰め寄る。

「このままじゃ、安達のバカ息子が犯した女カッパとのけがわらしい関係をお認めになるのですか? 小学校全体の風紀が乱れますわ! 明日にでも、カッパも安達家もこの町内から追い出して下さいませ!」

 憎々しげに村田夫人が言う。

「いくらなんでも、それは出来ません」

 町長はそう言い放ち、立ち上がった。

「なんなら」

 村田社長が睨み付けた。

「人の話を最後まで聞きなさい!」

 町長が村田社長の言葉を遮った。

「しかし、なんですか」

 村田社長が態度をあらためる。

「しかし、カッパの森と池は予定通り宅地にしましょう」

 そう言って、町長は秘書を呼ぶと肩を怒らせ執務室から出ていった。


   6 埋め合わせ


 悩んだあげく新葉は、玉を持ち出したことや、無くしたことをミキに正直に言うことにした。

 もし、ミキちゃんに会えなくても、あの大人のカッパの人なら伝えてくれそうな気がする。

「とにかく行こう」

 新葉が玄関に行こうとする。

「ミャー、ミャー」

 ダイアンがふくらはぎを甘噛みした。

「い、痛い。ダイアン、ぼくは急いでるんだ」

 新葉は寂しがる子猫のダイアンをあやそうとした。

 屈み込み首の後ろを撫でてやる。

「そうじゃないにゃ」

 ダイアンが突然言葉を発した。

「あれ、お母さん……」

 猫が話すなんてありえないと、新葉は周囲をみまわすが、お母さんの姿や気配は無く。

「おいらも連れてって」

 ダイアンが新葉をまっすぐ見上げた。

「だ、ダイアン」

 新葉は驚き、その場に座り込む。

「サファイア・ピンクの玉のおかげで話せるようになったにゃ」

 ダイアンはそう言ってにっこりした。

「まさか、ダイアン、おまえあの玉を食べてしまったんじゃ?」

「おいらにもわかんにゃい。でもあの日、新葉の部屋でお昼寝していたら、玉が目の前にやって来ておいらの体の中に入って消えたにゃ。そうしたら言葉を話せるようになったにゃ」

「じゃ、あの玉は、きみの体内に入っているんだね」

「わからにゃい。でもおいらもミキちゃんのところに連れて行ってくれにゃ」

「うん。ミキちゃんなら何かわかるかも」

 新葉は玉が消えたことや、もしかしたらダイアンの体内にあることがわかったので、大きく胸を撫でおろし深呼吸した。

「この中に入って」

 新葉は黄色のリュックにダイアンが入ると、よいしょと背負った。

「ダイアン行くよ」

 玄関を出てガレージから自転車を引き出す。

 お母さんは朝から仕事に出ていた。

「ミキちゃん、今行くから」

 新葉は思いっきりペダルを踏み込んだ。

 まだ朝だというのに陽射しが強く、思ったより外は暑い。

 新葉がキャップのつばを持ち上げ、空を見上げたら、今日も青空を切り抜きしたような入道雲が広がっていた。

「ダイアン、着いたよ」

 新葉はリュックの底を指先でチョンと突く。

「にゃー」

 ダイアンがリュックから頭を出してきた。

「やっぱり、森は涼しいなぁ」

 新葉は引っ越してきたばかりの頃、初めてお母さんとこの神社に来たときのことを思い出した。

 新葉は神社の参道を自転車で押しながら進む。

「おいら自分で歩くにゃ」

 ダイアンはごそごそとリュックから這い出たかと思うと、新葉の肩からピョンと地面に飛び降りた。

 新葉とダイアンは神社に向かって真っ直ぐ延びる参道をひたすら歩いた。

「神社だ」

 新葉は拝殿に近づく。

 クマ蝉の鳴き声がシャーシャーと鳴り響く。

 人の気配はない。

「ミキちゃんは池にいると思うにゃ」

 ダイアンはそう言って、池に向かって歩きだした。

「ダイアン、待って」

 新葉も慌てて後を追う。

 すぐに池が見えてきた。

「ミキちゃん……」

 池の畔に立つ。

「あっちゃん」

 ミキは大きめの蓮の葉に座り、新葉に微笑んだ。

「ごめんなさい!」

 新葉は池に飛び込んでミキのところに泳ぐ。

 ダイアンは池の畔から二人を見守っている。

「あっちゃん、お父さんから話を訊いたわ」

「じゃ、あのカッパの人はミキちゃんのお父さん……」

 新葉はミキの蓮の近くまで来た。

「池の埋め立てが始まるのでしょう」

「そうなんだ。村田くんのお父さんや町長さんが、ここを埋め立てて、タワーマンションを建てるんだって……だから、ぼくはそのことを伝えたくて」

「それを知らせたくてあたしに会いに来てくれたのね!」

「うん」

「嬉しい! ありがとう」

「でもぼくはミキちゃんの大切な玉を持ち出してしまったよ」

「どうしてそんなことを」

「池の底でお父さんから、ミキちゃんに会わせられないって、言われたから、仕方なく陸の神社に行ってみたら、拝殿にミキちゃんの袋を見つけて、中を開けたら玉が出てきたから、手にとって見てたんだ。その時、お父さんがやってきて、ぼくは叱られるのがこわくて、咄嗟に玉をポケットに入れて隠してしまった」

「正直に話してくれてありがとう……玉が戻れば何も問題ないわ」

「玉は僕の机の引き出しに入れていたんだけれど、次の日、消えてしまったよ」

「消えたって……」

「ダイアンがいうには、体に入ってきたんだって」

「そうにゃ」

 いつの間に来たのかダイアンが泳いで二人のとこまで来ていた。

「ダイアン、水が苦手なんじゃ」

「理由はわからにゃいけど、あのピンクの玉が体に入ってから、話せたり泳げたり出来るようになったにゃ」

「そうだったのね」

 ミキはすぐに理由を理解したようだ。

「何がどうなっているの?」

 新葉には全くわからない。

「玉がダイアンを選んだの」

「選んだ?」

 ミキは蓮の葉からおりて池に入り、三人は蓮の葉を取り囲むように水に浮かんで向き合った。

「あの玉は蓮の愛のエレメントを結晶にしたものなの」

「愛のエレメント?」

「あっちゃんだって、お母さんとお父さんの愛のエレメントよ」

「そ、そっか」

 新葉の頬が赤く染まる。

「人間は一度生まれたら、子供から大人に成長するけど、蓮の花から生まれるあたしたちは、子供から大人になるには蓮の玉、つまり愛のエレメントが必要なの。お母さんもお父さんも同じ蓮の花から玉をもらって大人になったのよ」

「それで玉が大切にゃ」

「ダイアン、その大切な玉を返してよ」

「ダイアンを叱らないで」

 ミキはしょげるダイアンに微笑む。

「でも……」

「蓮の花の玉は、花からこぼれ落ちて、宿る相手を選ぶの」

「宿る相手?」

「心と魂が清らかな生命を」

「じゃ、玉のそばにいたのがダイアンだった」

「ダイアンは玉が宿るにふさわしい命だったから、玉に選ばれたのね」

「ダイアンが話せるようになったのも玉のおかげなんだ」

「おいらのせいですまないにゃー」

「ダイアンのせいじゃないわ……でも不思議ね」

「なにが不思議なの?」

「玉が宿るのは蓮から生まれたあたしたちだけなんだけどな」

「あの玉がないとミキちゃんはずっと子供のまま?」

「そうなの」

「やった! ならぼくとずっと遊べるね」

「あの玉がなかったら、あたし蓮の花に戻ってしまうの」

「そ、そんな」

「お月様がピンク色に染まる、ストロベリームーンの夜までに玉がないと、あたしは蓮の花になるの」

「じゃ、もう一度、蓮の花に玉を作ってもらおうよ」

「それは無理よ」

「あたしが生まれた蓮の花はこのあいだ、石で沈められてしまったから」

「村田たちがやったんだね」

「うん」

 ミキはこくんとうなずき、涙を流す。

「ちくしょう。ぼくあいつらを懲らしめてやる」

「あっちゃん、乱暴なことはやめて」

「でも」

「それに蓮の花があっても無理なの。あの玉が出来るまで十年もかかるのよ」

「十年も……」

 新葉はガックリ肩を落とした。

「もう時間がないわ」

「元はといえば、ぼくが玉を持ち出したのがいけなかったんだ」

「あっちゃん、嬉しいわ。あたしのことそんなに心配してくれて」

「ぼくミキちゃんのお母さんとお父さんに話に行く」

 なにを思ったか、新葉はドボンと水しぶきを上げて、池の底を目指して泳ぎ出した。

「あっちゃん、待って」

 ミキも慌ててあとを追う。

 その二人をダイアンが追いかける。

「いったいどうするつもり?」

「わかんない。でもミキちゃんの両親なら解決法を知っているかもしれない」

「それがあれば、あたしに教えてくれたはずよ」

「ミキちゃん、確かめた?」

「……」

 言われてみると、たしかに訊いてはいない。

「やっぱり、訊いてないんだ」

「だけど」

「替え玉とかあるかも」

「まさかそんなことありえないわ」

「泳ぐのはたのしいにゃ」

 ダイアンは猫かきで、フナや鯉と競うように泳いだ。

「水神様の石球のところに行きましょう」

「ミキちゃんのママとパパいるかな?」

「いるにゃ」

「ダイアン、どうしてわかるの?」

「あの玉のパワーでダイアンは、あたしたちの会話が聞こえているからよ」

「なんだか僕だけのけものにされたみたい」

「あっちゃん、ひがまない」

「だってー」

「あそこにいるにゃ」

「ママ、パパ」

 ミキが大きく手を振るとミキの両親が姿をあらわした。

「どうやらおそかったようだな」

 ミキのお父さんがダイアンをチラと見る。

「パパ、あっちゃんを叱らないで」

 ミキは涙目でうったえる。

「ミキちゃんのお母さん、お父さん、ごめんなさい」

 新葉は両親の頭を下げた。

「これも娘の運命だと思います」

 お母さんはミキを抱きしめ涙を流した。

「あのとき君は、池が埋め立てられることを知らせに来てくれたんだね」

「は、はい」

「何も訊かず追い返したわたしが悪かった」

「パパ」

 ミキがお父さんの心の変化に驚く。

「パパ、ママ」

 ミキはお父さんとお母さんから強く抱きしめられた。

「ミキちゃんを助ける方法はないの?」

 新葉は両目を涙で真っ赤にはらしながらうったえた。

「あっちゃん、ありがとう。でも、もういいの」

 ミキがさびしげに微笑む。

「ミキちゃん、あきらめちゃだめだよ」

「そうにゃ」

「あたし、あっちゃんと出会って幸せだったから。もう充分なの」

「ミキ」

 お父さんは堪えきれなくなり、

「一つだけ方法がある」

 と声を上げた。

「あなた、それはダメです」

 お母さんは、青ざめて反対する。

 新葉もミキも何が何なのかサッパリわからない。

「新葉君、よく聞いてくれ」

「は、はい」

「ミキを救う方法が一つだけある」

「ほんとうですか!」

「パパ」

「実は、蓮の玉と同じ玉を人間は一つ持っているんだよ」

「じゃ、ぼくにも?」

「もちろん」

「それをあげればミキちゃんが助かるんですね!」

「もちろんだ。ただし……」

「あなた、もうそこまでにして下さい」

「パパ、ママどういうこと?」

「ミキちゃんが助かるんならぼくのをあげるよ」

「その玉は尻子玉と人間が呼ぶものだ」

「尻子玉って……」

 新葉は小さな頃お母さんが言っていた尻子玉の話を思い出した。

「あっちゃん、もういいの。パパの話は忘れて」

「ぼくふぬけになってもいいよ。ミキちゃんが好きだから」

「あっちゃん」

「ふぬけにはならない」

「え、じゃ、お母さんが言ってたことはやっぱり嘘か」

「神様は人間に一つの尻子玉を与えたが、その玉が人間であることを決めるのだ」

「ぼくの尻子玉をミキちゃんにあげたら、ミキちゃんは人間になるの?」

「いや、ちがう……」

 お父さんは一瞬沈黙した。

「ぼくはミキちゃんのためならどうなってもいいです」

「ミキは成人し、きみはカッパの女の子になる」

「パパ、もういいの。あたしはこのまま花になってもいいわ」

「ぼくの尻子玉をミキちゃんにあげてください!」

「あっちゃん、いけないわ!」

「ぼくミキちゃんのこと好きだから、カッパになれたら毎日一緒に遊べるから、だから全然こわくない」

「あっちゃん、もうやめて」

「新葉ちゃん、もういいのよ。ありがとう」

 お母さんが新葉を抱きしめた。

 次の瞬間、石球から金の光が水を突き抜け天まで昇ったかと思うと、大きな渦が巻き起こり龍神様が姿を現した。

「わぁ」

「龍神様にゃ」

 新葉とダイアンが驚きの声をあげる。

 龍神様は二人を渦に巻き込みながら天高く飛び去った。

「これでいいのだな」

「はい。あたしはとても幸せでした」

「ミキ」

 お母さんは娘を強く抱きしめた。

「ミキ、おまえは石球で祈ってくれ。われわれは、もうじきやって来る人間どもを龍神様と共に懲らしめないといけない」

「パパ、あたしも行きます」

「ダメだ。おまえは神様に祈る役目がある」

「龍神様が必ずこの森と池を守って下さります」

「ありがとう」

「はい」

 ミキは小さく返事して、石球の中に入っていった。

「では行くか」

「はい」

 ミキの両親が振り返る。

 夫婦の周りを何百という池のカッパが取り巻いていて、人間との戦いを今か今かと待ち受けていた。


   7 バチ当たり


 翌早朝、神社の森をけたたましい音が襲った。

「ブルドーザー、パワーショベルを参道に入れろ!」

 町長と村田社長が町の有力議員らを動かして、カッパの森をいよいよ埋め立てることが決まったのだ。

「これでスッキリしますわ」

 村田夫人はカッパたちの最期を見届けようと、運転手付きの車でのお出ましだった。

「真っ先に神社の本殿を取り壊し、その勢いで森を丸裸にします」

 村田社長が嬉々として言った。

「あの化け物どもが慌てふためくざまを早く見物したいわ」

「いや、いや、村田夫人、そう慌てなくても、じりじり追い詰めるのも一興かと」

「そんな生ぬるい事じゃ、満足しませんわ。カッパを一人残らず、捕まえて動物園にでも入れるのです。特に、あの穢らわしい女カッパは、檻に入れて町内の晒しものにするのよ。安達のバカ息子にお灸をすえなきゃね」

「そこまでしなくてもいいでしょう。村田さん、あなた安達家になにか個人的な恨みでもあるのですか?」

 さすがに町長もけげんな顔をした。

「恨みだなんてとんでもない。あのバカ息子が女カッパと不純な関係にあるから教育上よくないと警告しているのです」

「あなたはそれを見たのですか?」

「いいえ、息子が見たんです」

「そうですか……」

「町長さん、とにかく一刻も早くここを更地にして下さい!」

 佐野君のお父さんが険しい顔で腕組みする。

「ええ、わかってますとも」

 町長はいたって冷静だ。

「もう、本当に目障りな神社だこと!」

 村田夫人はプンプン怒りながらそこから立ち去ろうとした。

 その時だった、木の高いところでガサガサと枝葉が擦れる音がしたかと思うと、緑色のカナブンが雨あられのように降ってきて、村田夫人の体中にしがみついて糞をしまくった。

「ぎゃあぁぁ」

 村田夫人はこの世の終わりのような悲鳴を上げた。

「か、カナブンが」

 町長はあまりの出来事に体が凍り付いた。

「ぎゃー」

 村田夫人は狂ったように参道を駆け回り、森の中に消えていった。

「ぎゃー」

「助けてー」

 町長の周囲で次々と叫び声があがった。

「町長、蛇が、蛇が、降ってきた。この森は呪われている!」

 現場監督がやってきて工事の中止をうったえた。

「ば、バカな」

 沢山の蛇が町長の行く手を塞ぐように参道を埋め尽くしている。

 それでも町長は工事を止めようとしない。

「ブルドーザーで一気に神殿を壊しましょう」

 村田社長がニタリとした。

「古い神社だ、せめて遷宮の儀式を」

 さすがの町長もためらった。

「時間と費用がもったいないです」

 村田社長がにじり寄る。

 その時、校長先生やひな子、ひまり、美鈴たちが森に駆け込んできた。

「町長、いったいこれは何事ですか」

「おお、校長先生。ご覧の通りだ。危険なスズメバチや蛇から子供達を守るために森を撤去しているところです」

「何てことを! 蜂の巣だけ撤去すればいいじゃないですか」

「ここには危険な池もある。埋め立てて高級マンションとショッピングセンターを建てた方が町の経済も豊かになります」

 町長は当然のことのように言う。

「池に住むカッパさん達や森の生き物たちはどうなるんですか」

 ひな子が今にも噛みつきそうな顔で詰め寄った。

「カッパには、ここを立ち退いてもらう。でも次の綺麗な家を用意しているから住むところには困らないよ」

 佐野君のお父さんが平然と嘘をつく。

「立ち退いてもらうって、カッパさん達と話し合ったんですか?」

 新聞部部長のひまりはさらに鋭く追求した。

 返事次第では工事反対の第二、第三の号外を出していくかまえだ。

「みんな動物園に入れるんだよ」

 後ろから声がした。

 後からやってきた村田君だった。

 顔は蜂に刺され醜く腫れたままだ。

「おい、坊や、何てことを言うんだ。そんなわけない」

 町長があわてて否定する。

「やっぱりそうだったのね! 町長も村田君のお父さんも嘘つき!」

 美鈴が激しく抗議する。

 二人の大人が目を逸らし顔を強張らせた。

「町長、ここは町の憩いの森なんです。工事を止めてもらえませんか」

 校長先生は町長の目を真っ直ぐ見つめた。

 その時、境内でブルドーザーの大きなエンジン音が鳴り響いたかと思うと、ガチャンガチャンという音がして、あっというまに神殿を破壊してしまった。

「村田君のお父さんよ」

 ひな子の顔が青ざめた。

「ひどいわ」

 美鈴の唇が震える。 

「やったー」

 村田君が嬉しそうに声を上げた。

「人でなし」

 ひな子が村田君をキッと睨む。

 とその時、

 カァカァ

 カラスの大群が村田君の頭に大量の糞を落としていった。

「わぁぁあ!」

 村田君は何度も転びながら森の中に逃げ込んで姿が見えなくなった。

「ハハハハ! 校長さん、これで決まりですな」

 村田社長は勝ち誇ったように拳をあげた。

 勢いづいた社長はブルドーザーで摂社、末社も跡形も無く破壊した。

「なんてことを」

 校長先生は言葉を失った。

「もう止められません。マンションが建ったら小さな祠を建てますからご安心を」

 町長は、始まったものは仕方ないと、他人事のように再開された工事の様子を見守った。


 その頃、池のカッパたちは人間の非道な行いをつぶさに観察していた。

「このままでは森も池も破壊されてしまう」

 カッパたちは人間の暴力的な行いに怒りを露わにした。

「人間は愚かな生き物だ。だが、中には心の清い人間もいる」

 ミキのお父さんは出来るだけ戦いを避けたかった。

「そんなことを言っていたら、すぐにこの池も埋め立てられてしまうぞ」

 老いたカッパたちは好戦的だった。

「あの校長となら理解し合えそうだ」

 ミキのお父さんはあくまでも対話を望んだ。

「わたしたちもそう思います」

 人間との戦いに、真っ先に矢面に立たされる若いカッパたちも賛成だ。

「よかろう」

 長老カッパがミキのお父さんにこの場を預けることにした。

「よし行こう!」

 ミキちゃんのお父さんとお母さんは、大勢の若いカッパたちと伴に、神社に向かうべく、水中を素早く泳ぎ森に上陸した。


 目覚めたら新葉とダイアンは自分の家の二階にいた。

「あれ、どうしてここにいるんだろう」

 周囲を見回すと自分のベッドに横たわっている。

「たぶん龍神様が送ってくれたにゃ」

 ダイアンは右手で目をこすった。

「ミキちゃんを助けなきゃ」

 新葉はベッドから飛び降りた。

「そうにゃ!」

 ダイアンも後に続く。

 するとその時、

 〝コンコン〟

 と窓ガラスを叩く音がした。

「何だろう」

 新葉が窓を見るとミキちゃんがガラス戸越しにニコッと微笑んだ。

「ミキちゃん!」

 新葉が窓をガラッと開けと、

「わぁぁ」

 ミキちゃんがテラスに立っている。

「びっくりした?」

「びっくりするよ」

「びっくりにゃ」

 二人が笑顔で手を握り合うと、ダイアンが新葉の頭に飛び乗り微笑んだ。

「神社がブルードーザーで壊されたの」

「すぐに止めなくちゃ」

「早く行きましょう」

 ミキちゃんが空を見上げた。

 すると龍神様が舞い降りてきた。

「さ、乗って」

 ミキちゃんが龍神様の首に乗り手招きする。

「ええ、の、乗るの……」

 新葉は怖くて体が棒のように固まった。

「さ、早く」

 ミキちゃんが急げと大きく手招きする。

「すぐ行くにゃ」

 ダイアンは新葉の頭をめがけて思いっきりジャンプした。

「わぁ!」

 新葉はバランスを崩して窓から落ちた。

 落ちる新葉とダイアンを龍神様が素早く受けとめた。

「いらっしゃい」

 ミキは満面の笑顔だ。

 新葉とダイアンは龍神様の首にまたがり、ミキを見て苦笑いした。

「ミキちゃんのママとパパは?」

「今のところ人間と話し合おうということになっているけど、老カッパたちは人間を懲らしめろって言うの。でもパパや若いカッパたちは話し合いで何とか解決しようとしているわ。だからどうなるかわからない」

 三人を乗せ龍神様は空高く舞い上がり、森へと向かった。


   8 落とし穴


 その頃、森ではカッパたちと人間たちの間で話し合いが続けられていた。

「森と池は神聖な場所だ。すぐに工事を止めなさい」

 ミキのお父さんは町長に迫った。

「わたしも森を残したかったのだが、スズメバチの大群に子供たちが大勢刺され、町民が不安になっているのだ」

 町長は仕方が無いことだと言わんばかり。

「それは刺された子供たちが神殿に唾し、池の蓮を石で全て沈めたから森の精霊の怒りをかったのだ」

 ミキのお父さんはすぐに言い返した。

「それじゃ、悪いのは子供たちだというのか」

 村田社長が声を荒らげ顔を真っ赤にする。

「子供たちのせいだけではない、心ない子を育てた親の責任もありましょう」

 ミキのお父さんは村田社長をじっと見つめた。

「正に我々親の責任です。ミキちゃんのお父さんが正しい」

 駆けつけた校長先生が二人の間に割って入ってきた。

「あんたは人間の味方なのか、カッパの味方なのか!」

 村田社長はカッカして、今にも校長先生に掴みかからんばかり。

「どっちの味方とか言う話ではないでしょう。思いやりや愛の話ではないですか?」

 校長先生はそう言ってミキのお父さんの手を握った。

「あなたは話が分かる方だ」

 ミキのお父さんも校長先生の手を強く握り返す。

「町長、この森を保護していただけませんか?」

 校長先生の物腰は柔らかだが、口調は強い。

「うむ……だが、町民をどう説得すれば」

 町長は困り果て腕を組んで深いため息をついた。

「ちょと、町長、話が違うじゃねえか!」

 村田社長は土を蹴ってブルドーザーの方に戻ろうとした。

「何をするつもりだ」

 ミキのお父さんが社長の前に立ちはだかる。

 若いカッパ立ちも横並びになって壁を作った。

「工事の邪魔をするな! この化け物が!」

 村田社長はスコップを振り上げた。

「村田さん、あんた自分が何をしているのかわかっているのですか」

 校長先生は社長の背中に言葉を投げつけた。

「村田くんのお父さん、カッパさんの森を壊さないで下さい!」

 ひな子が村田社長の袖を掴んで放さない。

「あたし知ってます。お金儲けのために池を埋め立てようとしていますよね」

 ひまりは取材でかなり正確なニュースを掴んでいた。

 だから村田くんのお父さんが頑なに工事を続ける理由を知っていた。

「まあまあ、みなさん、そんなにカッカしないで。クーラーのよく効いたバスの中で冷たいお茶と冷えたキュウリでもいただきませんか?」

 そう言って町長がカッパと村田社長の間に立って、参道の正面に停まっている大型バスを指さした。

「それはいい。わたしもこう暑くては冷静な判断ができない。カッパの皆さんにも不快な思いをさせてしまって」

 ついさっきまで工事を強引に進めようとしていた村田社長が、人が変わったように穏やかになった。

 校長先生は、町長や村田社長の態度がやわらいだので、ホッと胸をなで下ろした。

「お心遣いありがとうございます」

 ミキのお父さんは皆の方を振り返り、人間に続いてバスの方に行くよう促した。

 参道から一歩外に出れば、太陽を遮る木々はなく、バスの天井は目玉焼きが出来そうなほど高温になっていた。

「足下に気をつけて下さい」

 運転手がエンジンをかけっぱなしにしてカッパたちをバスの中に誘導する。

「暑いですね。冷たいお茶と冷やキュウリを用意してますから」

 村田社長がやけに親切だ。

 カッパたちが三台のバスに乗り込んだところで、村田社長と彼の従業員達は、

「すぐにお持ちします」

 といって、バスから出ていった。

 校長先生とミキのお父さんはひな子やひまり、美鈴ら新聞部の子供たちに囲まれ、バスから少し離れた木陰で話をしていた。

「この暑さ、皆さんもお疲れでしょう」

 校長先生がタオルで禿げ頭ににじむ汗を拭う。

「ミキちゃんは何処に居るんですか?」

 ひな子がミキのお父さんに初めて話しかけた。

「君たちは?」

「わたしたちは新葉くんのクラスメイトで、新聞部のメンバーです」

 三人は声を揃えた。

「じゃ、君たちが埋め立てのスクープを流してくれたんだね」

「はい、だから新葉くん、それを伝えようと必死だったんです」

「わたしはあの時彼の話も聞かず追い返してしまった。人間に対する悪い思い込みで」

「人間にもいろんな人がいます。大人も子供も。カッパさんの世界ではどうなんですか?」

 ひまりが記者のような質問をした。

「我々の世界に悪いカッパはいない」

 ミキのお父さんはそう言ってひな子たちに微笑んだ。

「ホントですか!」

 ひまりは思わず声を上げた。

「我々は蓮の花から生まれたのだよ。だから我々は花のように生きるのだよ」

「花のように生きる……それは何もしない。何も出来ないって事じゃないですか?」

 ひな子がもやもやを投げかけた。

「花とても沢山のことをしている。花であると言うことだけでね」

 ミキのお父さんはにっこり微笑む。

「人間も一人たりとも同じ花はない。一人一人が宇宙で一つの花なのだ。だからこそお互いを認め尊重し思いやらなければならないのに、人間はそれを忘れかけておる」

 校長先生はそう言って腕を組み眉間にシワを寄せた。

「花のように生きるってそういうことなんですね!」

 ひまりは思わず胸の前で手を組んだ。

「それにしても皆さんバスからなかなか戻ってきませんな」

 校長先生がバスの方を心配そうに見つめる。

「まさか!」

 ミキのお父さんはバスの中の異変に気づいた。

「今だ!」

 村田社長と従業員らがミキのお父さんに網をかけた。

「しまった! 罠か!」

 ミキのお父さんは勢いよくクレーンで逆さ吊りにされてしまった。

「なんてことをするんだ!」

 校長先生は村田社長の襟首を掴んだ。

「そこまでだ。殺人未遂で逮捕する」

 森に隠れていた警官が大勢出てきて、校長先生を取り囲んだ。

「全ては計画通りですな」

 町長がほくそ笑む。

「最初から罠だったのか」

 校長先生は町長と村田社長を睨んだ。

「町民の安全がかかっていますから、危険生物のカッパは全て捕獲せねばなりません。警察も喜んで掃討作戦に協力してくれました」

 町長は以前から仲の良い警察署長と森の跡地の利権で合意していた。

「エアコンを切ったバスの中は猛烈な温度に上昇しているから、今頃、カッパの皿の水は干からびているだろう。みんな日干しだ! ハハハハ!」

 村田社長はお腹を抱えて笑った。

「そんな酷い……」

 美鈴は言葉を失い、足がすくんでその場に跪いた。

「おまえ達は自分のやっていることを分かっているのか!」

 校長先生は声を張り上げた。

「カッパさんたちを助けて!」

 ひな子がバスのところへ行こうとしたが、警官に制止された。

「おろかな人間ども。龍神様の怒りをかうであろう」

 ミキのお父さんが叫んだ。

 すると雷鳴と伴に真っ黒な入道雲が現れ、森はまるで夜のようになった。

「おい、まずいんじゃないか」

 もともと気が進まなかった従業員は不安に怯えた。

「カッパめ、貴様、何をした!」

 村田社長がつるされたミキのお父さんに石を投げつけた。

 〝ゴツ〟

 と鈍い音が響く。

「化け物!」

 他の従業員たちも石を投げた。

 警官は見て見ぬふりをした。

 その時、目もくらむような稲妻が村田社長に直撃したかと思うと、ドバッと大粒の雨が視界を遮るほど降ってきた。

「助けて!」

 町長や従業員や警官らは逃げ惑った。

 ブルドーザーやパワーショベルは落雷で黒こげになった。

「校長先生!」

 ひな子たちは恐怖に怯えた。

「だいじょうぶだ」

 校長先生はひな子やひまり、美鈴を守るように抱きしめた。

「あれはなに」

 ひな子は目を疑った。

 巨大な龍が天から舞い降りたのだ。

「わぁぁあ」

 大きな洪水が襲いかかり、町長も工事の作業員も警官らも、一瞬にして森の外に流されてしまった。

 バスに閉じ込められていたカッパたちは、龍神様の爪であっけなくバスが壊され無事助け出された。

 大水は町に流れ込み、村田工務店と町長宅が跡形も無く流されてしまった。


   9 愛の尻子玉


 分厚い雲の割れ目から光が溢れ、瞬く間に星空がひろがった。

 龍神様は新葉とミキとダイアンを、神社があったところにおろすと、天高く舞い上がり池の中に帰って行った。

 校長先生やひな子たちはカッパたちに助けられ、森の高台で難を逃れていた。

 龍神様は人間への戒めとして、町長や村田社長をはじめカッパを苦しめた人々をカエルにしてしまった。

「パパ!」

 ミキは地面に横たわるお父さんに駆け寄り、網を解いて助け出した。

「わたしは大丈夫だ」

 幸いにも石は頭に当たってなく、怪我もたいしたことはないようだ。

 ミキは喜びお父さんに抱きついて涙を流した。

 少ししてカッパたちと一緒に森の高台から校長先生やひな子たちがやって来た。

 参道には心配して駆けつけた新葉のお母さんの姿もあった。

「龍神様が力をかしてくださったのか」

 ミキのお父さんは上体を起こす。

「うん」

 ミキは小さく微笑む。

「新葉くん、君を疑ってすまなかった。ほんとうにありがとう」

 ミキのお父さんは新葉の両肩にかるく手をあて頭を下げた。

「ぼくに勇気がなかったから」

「そんなことないわ」

 ミキが涙目で新葉を抱きしめた。

「ミキちゃん」

 新葉は頬をピンクに染める。

 満月がストロベリー・ムーンに輝きはじめた。

「時間が迫っている。ミキ、そろそろ池に戻らねば」

 ミキのお父さんはよろめきながら立ち上がると、まっすぐ池に向かって歩きだした。

「わたしは蓮の花になっちゃうけど、時々会いに来てね」

 ミキは小さく手を振りお父さんの後を追う。

「そんなの嫌だ」

 新葉はミキの手を掴んで放さない。

「あっちゃん」

 ミキの黒くて大きな瞳が涙で溢れる。

「ミキちゃん、ぼくミキちゃんが好きだから、ずっと一緒にいたい。だからぼくの尻子玉をあげるから行かないで!」

 新葉はミキの前に立って大粒の涙を流した。

「あっちゃん、だめよ」

 ミキは真っ黒な瞳に涙を滲ませ、新葉を優しく抱きしめた。

「ぼくも一緒に行く」

 新葉がミキの目を見つめる。

「あっちゃん」

 ミキは新葉を強く抱きしめた。

「ミキちゃん……」

 新葉はミキに身体をゆだねた。

「あたしたちずっと一緒よ」

 ミキはそう言って新葉のお尻に軽く手をふれた。

 すると新葉のお尻の辺りにサファイア・ピンクに輝く尻子玉が現れ、二人の胸のところまで浮かんでくると、ミキの心臓のあたりにスッと入って消えた。

「あっ……」

 次の瞬間、新葉はピンクゴールドの光に包まれ、みるみるカッパの女の子になった。

「あっちゃん」

 ミキはカッパになった新葉にキスをした。

「ミキちゃんと同じだ」

 カッパになった手や足を見て新葉は幸せに満たされる。

 新葉のお母さんがやってきて二人を抱きしめた。

「お母さん……」

 新葉が申し訳なさそうに見上げる。

 お母さんは、うん、と小さく頷き、二人と池まで歩く。

「ミキちゃん、ありがとう」

 お母さんはミキを抱きしめた。

「お母さま」

 ミキは新葉のお母さんの胸に顔をあて涙を流した。

 池の畔に集まったカッパも人間もみんな二人の門出を喜ぶ。

 新葉とミキは笑顔でみんなに手を振ると、池に浸かって深く深く潜っていった。

「お幸せににゃ」

 

 池の畔からダイアンが二つ大きな波紋を眺めていると、キュートなメスの猫カッパが目の前に現れた。

「あなたそこで何をしているにゃ?」

 猫カッパがダイアンに話しかけてきた。

「カッパになった友だちの門出を祝ってたにゃ」

 ダイアンはそう言って池の波紋をみつめた。

「あなたは寂しくないの?」

 猫カッパが池から陸に上がってきて、ダイアンが座っている土手のとなりに腰掛けた。

「おいらも寂しいにゃ。でも新葉が選んだことだからにゃ」

 ダイアンは目を細めた。

「あたしなら追いかけるかも」

 猫カッパがダイアンを見てニコッと笑う。

「追いかけるって言ったって、おいらは水の中じゃ生きられないにゃ」

「そうともかぎらないわ」

「どういういみにゃ」

 ダイアンが猫カッパをまじまじとみた。

「あなたから猫尻子玉をとれば猫カッパになれるわよ」

 チャーミングな猫カッパはそういってクスクスと笑った。

「それはマジなはなしかにゃ」

 ダイアンはまじまじと猫カッパの目を見つめた。

「マジにゃ」

 猫カッパはニコリとする。

「おいら泳げないにゃ」

「そんなの全然大丈夫よ。あなたが猫カッパになったらわたしが教えてあげるみゃ」

「水の世界も楽しそうだにゃ」

 ダイアンは笑顔を返す。

「うん、とっても楽しいわよ」

 猫カッパが微笑むと笑クボがとってもチャーミングにみえる。 

「可愛い猫カッパにゃ」

 ダイアンは猫カッパに一目惚れしたようだ。

「名前をおしえてにゃ」

 ダイアンの目がいつのまにかハートになっている。

「アイリンって名前みゃ」

 アイリンもダイアンに惚れたみたいだ。

「アイリンちゃん、おいらも猫カッパになりたいみゃ」

 アイリンの虜になったダイアンはもうメロメロだ。

「いいわよ。あなたも猫カッパになるみゃ」

「うれしいにゃ」

「じゃ、わたしにお尻を見せるみゃ」

 ダイアンは言われた通り、腰をあげてお尻を見せた。

「じゃはじめるみゃ」

 そう言って猫カッパはダイアンのお尻に手をふれ、猫尻子玉をとった。

「あれれ、おいら猫カッパになったにゃ」

 ダイアンも〝バシャ〟と池に飛び込み、キュートな猫カッパを追いかけた。

「水の中は思ったより快適だにゃ」

 その後、蓮の花もよみがえり神社も新しく建て替えられると、カッパの森と池は町の宝として大切にされたという。

                                                             おわり

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カッパになった少年と猫 あきちか @akichica

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