元TS好きTS少女のささやかな一歩

TSペルペト

第1話

 『TSもの』という創作ジャンルがある。

 ご多分に漏れず様々な小ジャンルを内包してはいるが、マクロに見れば、性別の変化を主題とした創作物群のことだ。


 私はそれが好きだった。


 ――現実にならないかと、ちょっと踏み込んだ願望を持つくらいには。


 でもそれは、本気の願いというよりは、日常のささやかな慰めのようなものだった。

 起こり得ないことを理解していて、『突然宝くじで100億円当たらないかな』とか、『明日目が覚めたらチート持ちで異世界に転生してないかな』とか語る程度の、他愛もない話。


「……うそだろ」


 だから、絵空事が現実になってしまった時、私はただ戸惑った。ユニットバスの鏡の前に立って、呆然と変化した肉体を見つめるだけの案山子に成り下がった。

 それから次第に底知れぬ恐怖が沸いてきて、テレビを点け、ネットのニュースを漁り始める。


 果たして、答えはそこにあった。

 身体変性症候群と名付けられた新型感染症は、その実、本当に細菌やウイルスが原因なのかすら分からない。ただ、見えないどこかから降って湧いたように現れ、既に世界中で数十万人の発症が確認されているらしかった。

 つまり私は、正体不明の推定新興感染症の罹患者となったのだ。


 後はパニックだった。

 恐怖に駆られるまま救急に電話すると、物々しい防護服を着用した人々が急行してきて、設備が整った大病院の隔離病棟へ放り込まれた。

 一通りの検査を受け、心当たりがないか問診され、あれこれ説明され、また検査を受け。そんなことを何回繰り返しても、一向に原因が解明されることはなかった。


 やがて、これが感染症ではない――少なくとも、空気や飛沫、接触によって感染するものではないことが明らかになった頃には、既に半年が経過していた。

 その間、私が何をしていたのかというと、ただひたすらネットとサブスクとゲームに明け暮れていただけだ。隔離病棟から出られない以上は仕事もできず、かといって性別が変わった以外の問題もなかったので――むしろ、以前より若返って健康になってさえいた――、慣れてしまえば暇で暇で仕方ない。

 もういっそ、ずっとこのままで良いのでは。なんて、怠惰な思考に支配されるようになった頃、残念ながら、楽園を追放される日がやってきてしまった。

 これ以上の隔離に意味がないと判断したらしい国は、方針を変更。私は約七ヶ月ぶりに、晴れて自由の身を手に入れたのだった。


「でも、理想と現実だよねぇ」


 社会に解き放たれた私に待っていたのは、家族の温かい歓迎――否。

 友人からの気遣う声――否。


 そんなものはない。

 もとから家族とは疎遠で連絡もなかったし、友人なんて呼べる相手は誰もいない。

 私は男から女へ変化し、若返って容姿がちょっとばかり良くなったが、それで素敵な人間関係が生えてくる訳ではないのだから、当たり前の話でもある。

 孤独な人間は、境遇が変わったところで孤独なままだ。


「あーあ……親友くんがいればな、物語みたいに」


 だから、か。なまじ自分の存在がフィクションに重なってしまったせいか、ここのところ、そんなことを思う機会が増えた。

 好きだった物語の数々が脳裏を過ぎり、楽しさと虚しさが同時に去来する。所詮はフィクションだと慰めてみたところで、気持ちが変わるわけでもない。

 ぼんやりとした羨みだけを抱えて、広くなったベッドに寝転がりながらため息を吐くのみだ。


「……」


 こんなに世界は広いのに、どうして私は孤独なのだろう?

 何度も繰り返された自問自答に、返される答えはいつも一つ。


 ――何をせずとも手に入るだけの幸運がなかったのなら、あとは、自ら手を伸ばして掴み取るより他にない。


 分かり切った答え、解かっていても無視し続けた答え。


 でも、こんな風に変わってしまったせいだろうか。

 選べなかったものを、今なら、もしかすれば。


「少しだけ……」


 心だって変えられるかもしれない。


 持ち上げた手が、空を掴む。

 以前の自分とは似ても似つかない、変わり果てた少女の手。


 ――たとえ、掌の中に何も在りはしなくても。

 ――久しぶりに、誰かと話がしたいと思った。

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