第32話 Color me orange ⑤
そこには、オレンジ色のチュチュをはいてオレンジ色のパフスリーブのTシャツを着た、巻き毛のかわいい妖精が立って私を見上げていた。
「あっ……あなた……」
私は妖精に腰をかがめて微笑んだ。その子は、以前私にこの橋の上でぶつかってきた子だった。
「これ、あげる」
彼女は私に白い紙袋を差し出した。
ふわりと、甘いにおいが漂ってくる。
手に取って中身を見ると、それはオレンジ色のマカロン。チョコレートクリームが挟んである。
「えっ? 売り物かな?」
「うん。あっちでママとお菓子の出店してたの。これね、おねえちゃんにあげるよ」
「それなら買うわ」
女の子は首を横にぶんぶんと振った。
「いいの! おねえちゃんにあげたいの。あの時のおわび」
少し困って女の子が指さしたほうを見ると、彼女の母親がにっこり笑って手を振ってくれた。
「そう。じゃぁ、遠慮なくもらうね。ありがとう」
微笑むと、女の子は満足げににっこりして飛び跳ねるように走って去って行った。
これも、合縁奇縁かな。
人でごった返す混沌とした街中で、また会うなんて。
私は再び運河に視線を落とした。
人々はまだ楽しそうに騒いでいる。ゾエが込み合う通りをシブヤみたいだと言ったけど、運河はさながらタイの水上マーケットみない。
外国人の観光客の集団が橋の上を通る。十数人はいる。私は彼らをよけようとしたけれど、一歩踏み出した先にビール瓶が転がっていて、それを思いっきり踏んで足首をひねってしまった。
「きゃっ……」
不注意だった。路上にも橋の上にもゴミがあふれていることを忘れていた。バランスを失ったうえに、誰かとぶつかって弾き飛ばされてしまった。
とっさに、ワインのボトルとマカロンの袋をかばう。
後ろに倒れて……良ければしりもち、悪ければ頭を打つかもしれない。
悪あがきで、橋の欄干に手を伸ばしたけれど……届かない。
「エリカ!」
私の後頭部は橋の石畳に激突することはなかった。
ふわりと、ネロリの香りが漂う。
ああ。
私は安堵して目を閉じ、体の力を抜く。
「やっぱり三度目があった」
エトは後ろから私を優しく抱きしめた。
くすっと笑った彼の吐息が、私の右の耳たぶをくすぐった。
くるりと体をひねり、彼を見上げる。透きとおった茶水晶のような瞳がオレンジの斜陽を移して炎を宿しているようにゆらゆらと揺れて見える。まっすぐにじっと覗き込むと、そこには私が移っている。
オレンジ色の瞳の中の、オレンジ色の私。
今にも泣きそうな、いろいろな感情がごちゃ混ぜになったへんな表情。
「驚かせようってレヴィとゾエが言うから、黙って帰って来たんだけど……」
照れ臭そうに微笑みを浮かべるエトを、私はじっと見上げている。
「きみを見かけて、さっきの集団に紛れて近づいてみようかなって」
私は涙をこらえて下唇をかみしめる。それを見たエトは、不安そうに眉根を寄せる。
「エリカ? あの、べつに意地悪しようとしたわけじゃ……」
「……わかってる」
ふてくされた小さな子供のように口をとがらせると、エトはおろおろし始める。
「オレンジ」
「えっ?」
「オレンジの何か。何も身に着けてないでしょ?」
私の言葉にエトは笑顔になる。
そして私の手からワインのボトルを奪うと、私と手をつないだ。
「こうしていれば、OKかな」
「身に付けてはいないでしょ」
私もくすっと笑ってしまう。
「これ」
彼はバックパックの横のポケットに挿していた、小さな花束を差し出した。
「あっ」
私はその小さな花束を見て目を見開いた。
それは、小さな小さなスズランみたいな白い花がたくさんついたスズランエリカ。
手をつないだまま花束を受け取り、エトを見上げる。
オレンジ色に染まった笑顔が私に注がれている。
「知ってる? 想い人に白いエリカの花を贈ると、幸せになれるって」
花束を胸に抱えると、エトの手も私の胸の上に来る。彼ははっと目を見開いて、照れ臭そうに手を解こうとするけれど、私はしっかりと握って離さなかった。
「じゃあ、私も贈らないとね」
微笑みを向けると、柔らかな笑みが返ってきた。
「俺はこの人間のエリカがいいよ」
私の頭の上にキスが落ちてきた。
橋の下で船の上の人々が私たちをはやし立てる。
すべてがオレンジに染まる中。
私たちはお互いをそっと抱きしめ合った。
【完】
AMSTERDAM しえる @le_ciel
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