第31話 Color me orange ④



 エトが日本に行って数日が経った。


 彼の仕事は二人の従業員がこなしている。私は時々、アトリエの冷蔵庫の中の花たちの様子を見に行く。


 従業員たちが世話をしているので私が出る幕はないのだけれど、花たちを見ていると慰められるから。



 たぶん彼らには業務上の連絡が入っていると思うけれど……私には何の連絡もない。私からすることもない。


 それはお互いに暗黙の了解のようなものだった。


 彼はヒカルを説得しに行ったわけではない。莉緒の死に対して、謝罪するためでもない。ヒカルがどう出るか。それは彼にもわからないだろう。


 でも彼は帰ってくる。


 私はそれを待つ。




 フォンデル公園が飾り付けされた。


 春の陽気の中、人々が浮き立ってくる。国王の誕生日を祝う日King’s Dayが目前だから。


 国王の誕生を祝うために、国の色であるオレンジ色の何かを身に着けた人々で通りも運河もあふれて、国中がフリーマーケットやパーティ会場になる日。



「まだ戻ってこられないのかな、エト」


 レヴィが眉尻を下げる。


 私は「そうね」と呟くだけ。



「これ、エリカ」


 ゾエが私にオレンジ色のバンダナを差し出した。私は苦笑して首を横に振る。


「いいよ、ゾエ。私は店番してるから。今日は観光客で満室、書き入れ時よ。でももしお祭りに行きたいなら、レヴィと見てきて」


 ゾエはため息をついて私の背をそっと撫でた。


「レヴィに店番頼むから、ちょっとだけ一緒に見に行こうよ。ね?」


「わかった」


 私は承諾した。ゾエが気を使ってくれているのが分かったから。



 石畳の道は多くの人々でごった返している。みんなオレンジ色の服や帽子やスカーフ、キャップを身に着けている。


 店も屋台も、すべてがオレンジ。オレンジだらけ。



「見てよ。シブヤみたいじゃない?」


 ゾエが肩をすくめて苦笑する。


「はは。オレンジ色だらけじゃなければね。見て、あの人、全身オレンジ。顔までオレンジ!」

 


  私とゾエは髪をオレンジのバンダナでひとつに結んでいる。観光客や地元の人たちであふれた通りをぬって、屋台を冷やかす。


「はい、エリカ」


 プラスティックのカップに入った赤ワインをゾエは私に差し出した。


「仕事の休憩中なのにいいの?」


「いいのいいの、今日は無礼講だよ」


 ワインを片手にさらに人ごみをかき分けて進んでいく。オレンジ色のアフロの鬘をかぶってべろべろに酔っぱらっている学生の一団が、私とゾエの首にオレンジ色のレイを引っかけてハイテンションで奇声を上げて通り過ぎる。


 いつの間にか、私はゾエと笑い転げて、お祭りを楽しんでいた。



「ゾエ、ありがとう。すごく楽しいよ」


 ひととおり見て回ってホテルへ戻る途中。私は彼女の腕を引いてお礼を言った。


「よかった。あ、そうだ、エリカ。ボーのお店でワインを一本買ってきてよ。私は先に戻って夕飯の支度しておくからさ。ロゼがいいな。辛口のやつなら何でもいい」


 私の返事を待たず、ゾエは小走りで人ごみの中に消えた。



 私は5年前に、ある人に騙された。


 失望してショックを受けてしばらくの間自分の中に閉じこもってなんとなく過ごしてきたけれど、常に周りには恵まれていた。


 私を心から心配して、思いやってくれる人たちに囲まれている。友達も兄妹も従兄夫婦も。



 きっとゾエはレヴィと一緒に、私のために豪華な夕食を用意してくれているのだろう。冷蔵庫の食材を見て気づいていたけれど……ここは知らないふりをして、ゆっくり買い物でもして帰ろうと思う。



 大音量の楽隊の太鼓の音、人々の歓声。運河はオレンジ色の人々の乗るボートが大渋滞。みんな楽しんでいる。私も、楽しもう。



 日が傾きかけて、あたりはオレンジ色に染まる。エトは今頃何をしているのかなと、揺らめく運河の水面を見てふと考える。


 橋の真ん中でちょっと物思いにふけっていると、後ろからちょんちょんと腕をつつかれた。


「ねぇ、おねえちゃん」


 かわいらしいソプラノの声に私は振り返った。





















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