第8話 初陣
馬車が荒れた道を揺れながら進む中、レイは窓から遠ざかる城の尖塔を見つめていた。王女と過ごした日々が、今でも鮮明に胸に焼き付いている。彼女のくれた指輪が指に触れるたびに、少しだけ温かい気持ちがこみ上げてきた。
「英雄殿、間もなく到着です。」
護衛隊の隊長が静かに告げる声に、レイは小さく頷いた。その言葉と同時に、周囲の空気が急に重くなったように感じる。窓の外には、木々がまばらになり、広がるのは荒れ果てた大地と、所々に散らばる瓦礫の山だった。
馬車が停止し、扉が開かれる。外の空気は冷たく、遠くから金属のぶつかり合う音や、兵士たちの怒声が微かに聞こえてくる。
「さあ、行きましょう。」
護衛の一人が促す。レイは深呼吸を一つし、足を地面に降ろした。
目の前には、広大な野営地が広がっていた。無数のテントが立ち並び、鍋の中で煮え立つスープの匂いと、武器を研ぐ金属音が入り混じっている。鎧を纏った兵士たちが行き交い、それぞれの役割を果たしていた。その顔には緊張感と疲労が滲んでいる。
「ザハル将軍がこちらに向かわれています。」
案内役の兵士が伝えると、レイの視線の先に、屈強な体格を持つザハルが現れた。彼の姿は、戦場という苛酷な舞台でも堂々としており、その表情には迷いが一切なかった。
「よく来たな、レイ。」
ザハルが朗らかに笑いながら声をかける。その声は、周囲の兵士たちにも届き、次第に彼らの視線がレイに集中する。
「みんな、見ろ!英雄レイだ!」
ザハルの声が響き渡ると、周囲の兵士たちが一斉に歓声を上げた。「英雄が来たぞ!」「これで勝利は我らのものだ!」
その歓声に包まれながら、レイは思わず一歩後ずさった。初めての経験に戸惑いを隠せない。しかし、ザハルはそんな彼の肩を力強く叩き、笑顔を浮かべる。
「気負うな。お前がここにいるだけで、みんなの士気は天に昇る。頼りにしてるぞ。」
その言葉に、レイは小さく頷きながらも、心の奥にわだかまる違和感を拭えなかった。自分が『英雄』と呼ばれることが、果たして相応しいのか。戦いを目の当たりにしていない自分が、こんな風に崇められていいのか。
「さあ、これからお前の力を存分に見せてもらうぞ。」
ザハルの言葉に、レイはゆっくりと拳を握りしめた。その時、影の中からゼンの声が静かに響く。
「レイ、力には責任が伴う。それを忘れるな。」
ゼンの声に、レイは小さく頷いた。その瞳に、一瞬だけ決意の光が宿る。
戦場の空気が一層重くなり、遠くの戦線から火花が散る音が響く。レイはその方向に視線を向け、歩みを進める。
これが、彼の戦場での第一歩だった。
戦場の空気は、城下町で見たものとはまるで別世界だった。
焦げた木材の匂い、血の匂い、荒れ果てた大地がレイを迎える。前線に到着すると、護衛隊と共に布陣を整える兵士たちが次々と準備を進めていた。
「これが戦場…。」
レイはつぶやき、遠くの地平線に広がる敵軍の姿を見つめた。その表情には緊張と期待が入り混じっている。
「怖いか?」
隣に立つ隊長が問いかける。その言葉に、レイは首を横に振った。
「怖いというより、何をすればいいのか、まだわからないだけ。」
「心配するな。お前の力を見せつけるだけでいい。後は俺たちが片付ける。」
隊長はそう言って微笑みながら、肩を叩いた。その瞬間、戦場の空気にわずかだが安堵が広がった。
戦いの火蓋が切られた。
レイが最前線に立った瞬間、彼の全身が異様な熱を帯び始めた。ゼンが影の中から冷静な声で告げる。
「力を解放するんだ、レイ。ここではお前の力が必要だ。」
「わかってる!」
レイが深呼吸すると、その体が一瞬光に包まれた。そして次の瞬間、彼の姿は人間のものではなく、巨大な獣のような形態に変貌した。白銀の毛皮が光を反射し、長い尾と鋭い爪が見る者すべてに恐怖を与える。
「化け物だ…!」
敵兵がその姿を見て声を上げた。その恐怖に、レイは微かに笑みを浮かべた。
次の瞬間、レイは前へ飛び出した。爪が空を裂き、彼の前に立ちはだかる敵兵たちを次々となぎ倒していく。その動きには迷いもためらいもなかった。
「これが、僕の力だ!」
彼の攻撃は凄まじく、敵陣を次々と蹂躙していく。魔法使いが繰り出す防御魔法すら彼の一撃で粉砕される。周囲の味方兵士たちはその光景に歓声を上げた。
「すごいぞ!あれが英雄レイの力か!」
歓声が広がる中、影の中のゼンはその光景を冷静に見つめていた。
(これでレイの価値は証明された。だが、この力が制御不能になれば…いや、今はそれを考えるべきではない。)
ゼンは内心で危惧を抱きながらも、その思考を押し殺した。
戦いが終わった。敵軍は完全に撤退し、戦場には静けさが戻っていた。
「やった!勝利だ!」
味方の兵士たちは歓声を上げ、互いに勝利を喜び合った。その中心には、戦場を無双したレイの姿があった。
「すごかったぞ、レイ!」
隊長が駆け寄り、彼の肩を力強く叩いた。その言葉に、レイは照れたように微笑んだ。
「僕、役に立てたかな?」
「役に立ったどころじゃない!お前のおかげで、この戦いは勝てたんだ!」
その声に、レイの胸には純粋な喜びが広がった。
だが、その裏で、ゼンはただ静かに彼を見守っていた。その視線には、安堵と不安が交錯している。
(レイ、お前が力を振るうほどに、この国の人々はお前を求めるだろう。それがどれほど重いものなのか、まだ気づいていないのだろうが…。)
戦場から戻ったレイは、護衛隊と共に前線の拠点へと運ばれた。
「レイ様、こちらで体をお休めください。」
護衛の兵士が彼を案内したのは、簡素だが清潔な個室だった。そこには医師や魔法使いが待ち構えており、彼の身体の検査が始まった。
「訓練以上の稼働時間だったようですね。身体に大きな負担がかかっています。」
医師がカルテに目を落としながらそう呟く。
「ですが、異常はありません。今のところは…。」
魔法使いがレイの体に魔力を送り込みながら、慎重に様子を観察している。
「このペースでは、次の戦闘までに十分な養成が必要ですね。訓練以上の負荷を考慮して、特別なケアを施します。」
その言葉に、護衛隊の指揮官が頷いた。
「了解した。では、必要な手配を進めよう。」
レイはその会話をぼんやりと聞きながら、布団に横たわった。戦場での興奮がまだ彼の中に残っており、彼の胸には達成感とともに、不思議な高揚感が広がっていた。
(僕、これからもっと強くなれるかもしれない…。)
その思いを胸に、レイは静かに目を閉じた。その傍らで、影の中のゼンは無言のまま彼を見守り続けていた。
次の更新予定
毎日 07:00 予定は変更される可能性があります
祈りの果ての景色 小土 カエリ @toritotan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。祈りの果ての景色の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます