終章 激闘の果て そして未来へ


終章 激闘の果て(18歳 11月24日 両国国技館) 予選審査


1 男子フレッシャーズの控室は、大部屋だった。

 テニスコートくらいの部屋の真ん中に通路があり、その両脇が一段高い板敷になっている。序の口とか序二段の若手力士が使うような部屋なのかな。すでに多くの選手が入っているけど、まだ受付中の選手もいるので、多少余裕がある。


 あ、いた。一番奥の左手に川島さんがいたので、僕も一番奥まで行って、

「川島さん。おはようございます。隣いいですかね」って言って、靴を脱いで上がった。

「あ、昇君か。おはよう。もちろんいいよ。どうぞ」と言うので、遠慮なく隣のスペースにレジャーシートを敷き、カートをその横に置いて、アップのスペースを確保する。少し狭いけど、予選が終わるまでの辛抱だ。


「ああ、ここからだと全体がよく見えますね。もうみんなアップ始めてる」

「あの右にいるのが東京のグランプリで、その左隣りが横浜のグランプリだ。去年の全日本だとそれぞれ3位と4位だな」


 なるほど。さすが激戦区のグランプリ。いい身体だ。バルクもある。もしかしたら川島さんよりもあるかも知れない。だけどよく見ると、大胸筋は大きくてもストリエーション(筋繊維)の出がイマイチでポテっとして見えたり、腕が太過ぎて、どこかいびつな印象を受けたり、やはりそのあたりにトップまで一歩及ばない理由があるのだろう。

 もちろん選手全体の平均値は前橋と比べるべくもないが、やはり川島さんのバルクとバランスを上回る選手は見当たらない。


「フレッシャーズはトップだからな。俺たちもアップ始めるか」

「そうしましょう」


 僕は、トレ袋からチューブとプッシュアップバーを取り出し、チューブで腕、肩、背中、そしてバーで胸、最後に腹筋を行う。うまくパンプしている。カーボと水分が刺激に反応して、膨らんだ筋肉が内側から皮膚を押し出しているのが分かる。でもまだ予選。本当のピークは午後3時の決勝に合わせたい。


 だいぶ暑くなってきた。僕は、ゼッケンをサーフパンツにつけ、Tシャツを脱ぎ、2周目に入る。

 

 すると、川島さんが、眼を見開いて、驚いたように言った。

「‥‥‥昇君。身体、ずいぶん変わったな。キレは相変わらず断トツだけど、胸と肩がよくなった。2カ月でこんなに変わるんだな」

「ずっと、補助つけて胸肩ばっかりやってました。その代わり脚と尻は捨てました。そのくらいフォーカスしないと、きっと変わんないだろうなって」

「よくなってる。間違いない。結局、今日も相手は一人だけか」

「いやー、僕なんか川島さんのバルクにはまだまだ全然ですよ。コバンザメみたいにくっついて行きますから、まずは決勝に連れてってください」

「お前、心にもないことを‥‥‥」

「いや、ほんとですって。だけど、最後はチョロっと差しにいきますから」

「ほらみろ。可愛げのないやつだ。はは」


 ふと気づくと、会場の選手がみんなこっち見てる。川島さんか?

 いや、違う、パンフで確認してる。『あの34番だれ? あんなのいた?』ってことか。

 はは、無名選手の悲しさだな。俺は東京の小田島昇、前橋の2位だよ。


 ******


 と、そこに、ポニテを揺らしながら、尚が入ってきた。予選用のピンクのボクサーパンツに白のトップス。足元は持参のサンダル。当然だが、選手全員から大注目を浴びている。『なにこの娘? すげー可愛い』って、たぶんみんな思ってる。


 尚は、部屋中をキョロキョロし、一番奥に僕を見つけ、「あ、いたいた。間に合ってよかったー」って言いながら、つかつか近づいてきた。この様子じゃ、もう痛みは大丈夫なのかな。よかった。


「昇。ちょっと、ライナー忘れてたわよ」って言いながら、上がってくる。

「あ、すっかり忘れてた。ごめん、尚」

「引いてあげるから、そこ座って」 僕は、正座して、尚に眉を引いて貰った。


「俺、今、ちょっとかっこよかったんだけどな。これみっともなくない?」

「ほらー、動かないの。ヘンなとこに引いちゃうわよ。‥‥‥はい、できた」

「ありがと。だけど自分じゃ確認できないな。どうスか?」って、横向いて川島さんに聞いたら、「いいね。上手だ。髪型とマッチしてる。男前だぞ」って言ってくれた。


 そしたら尚が、

「あ、川島! じゃなくて、川島さん! 隣だったのね」って、お前、今頃気付いたのか。尚は続けて、「今日の昇はやるわよ。川島さん、覚悟なさい。この2カ月、私が鍛えたんだから。あと昨日の仕上げがすごくうまく行ったんだから!」って、川島さんに宣言しちゃった。


 ああ、尚さん、余計なことまで言わんでよろしい‥‥‥。


 尚は、間髪おかず、僕にも人差し指をビっとして、

「じゃ、昇。私も控室で準備に入るから。予選頑張るのよ!」って言って、サンダルを履いて風のように去っていった。選手全員がジーっと目で追いかける。


「‥‥‥失礼しました。僕の躾(しつけ)がなっておりませんで」

「いや、いい娘だな。すごい美人だし。『尚』っていうんだ。補助は彼女が?」

「はい、ずいぶん助けて貰いました」

「えー、いーなー。うらやましいー」

「そうでしょう? ふふ」


 そこにスタッフが入ってきて集合がかかった。

 選手たちは、一斉に部屋を出て廊下に並ぶ。フレッシャーズクラスは55人。

 まずは上位10人の決勝を目指す。

 

2 昇及び師匠 予選審査


Ⅰ オープニングが終わり、スタッフが「はい一組目どうぞ」と声をかける。僕は四組目なので、腕立てを繰り返して、アップをしている。

 しばらくして、三組目のフリーポーズが終わり、選手が退場し、入れ替わりに僕を含めた10人が入場する。

 僕は所定の場所でフロントポーズを取り、場内を眺める。デカい! 両国国技館、すごい会場だ。土俵は撤去してステージを端に寄せ、普通の劇場型にしてある。二階席と三階席の間に、テレビでよく見る力士の優勝パネルが並んでいる。ほんとにあるんだな。それにしても大盛況だ。1000人くらい入ってる?


 お、ライト点いた。眩しくて熱い。ああ、思い出した、この感じ。

 さあ、始まるぞ。まいります、フロントポーズ!


 ******


Ⅱ 女子控室のモニターにフレッシャーズの四組目が出て来た。いた。やっぱり34番、昇が目立つ。背が高い。手足が長い。カットも抜群。でもその横、33番の川島さんもいい。少し小さいけれど、バルクを含め、とてもよくまとまっている。


 ‥‥‥でも、そのまとまりが、そのまま彼の弱点ともいえる。

 軽やかに飛び越えていく者を、もう追いかけることはできない。


 規定ポーズが始まった。

 ああ、いい。昇は、臆せず堂々と、自信を持ってジャッジにアピールしている。横の33番を意識して、でも自分のスケールで直接負かしに行ってるのが分かる。


 続いてフリーポーズ。もうバルクでも勝負できるけど、力強さではなく、スケールとしなやかさを強調したポーズを選択した。ストロングポイントを活かし、他の選手との差別化を図る。

 手足を雄大に使い、でも表情と指先まで意識して、最後まで優雅に決めた。

 微笑みながら右手を胸に当てたお辞儀もいい。


 ああ、昇、かっこいい。惚れ直しちゃう。


 私が鍛えて、私が育てた男。


 私の、私だけの男。


 昇、決勝も頑張るのよ。今日はいけるわ。


 ******


3 僕が予選を終え、川島さんと控室に戻ってくると、既に結果が貼りだされていた。34番と、もちろん33番も書いてある。ここまでは順調だ。

 僕は、剛と尚、そして師匠に「予選通りました。決勝は午後3時予定」とラインを打ち、控室表のモニターに張り付いた。これから、師匠が出てくるところだ。


 マスターズクラスは37人、師匠は32番だ。

 四組目、出て来た。師匠も出来はよいが、他の選手のバルクがすごい。さすがにキャリア何十年ともなると、どの選手もバルクは限界まで蓄積されているのだろう。


 あっ! 師匠がピックアップに呼ばれた! 予選通過ギリギリなんだ‥‥‥。


 予選が終わったところで、急いでマスターズの控室に移動したらスタッフが予選通過の貼り紙を持ってやってきた。ジーっと見てみると、あった! 32番。ああよかった。


 そこに師匠が帰って来たので、僕は「予選通りましたよ。おめでとうございます。僕も通りました」と声を掛けた。

「おー、俺、通ったか。よかった。午前11時にお帰りじゃ寂しいもんなー。まあピックアップ呼ばれてるようじゃ決勝は厳しいだろうが、せいぜい頑張るか」

「なんとかファーストコールで呼ばれるといいですね」

「今日はそのへんで御の字だろうな。上位6人にコールされれば応援にも熱が入るし、こっちも格好つくってもんだ」

「みんなにライン打っといてくださいね」  


 次は、すぐ尚の予選だ。なんだか忙しいな。ガールズは50人、尚は39番。


 *****


3 尚 予選審査 

 ガールスクラス予選四組目。39番。あ、尚先輩が出てきた。

 いつもどおり、ピンクのボクサーパンツに白のトップス。髪はポニテでリボンはパンツと同色のピンク。


 さすがに全日本大会。前橋よりも選手のレベルがグンと上がっている。

 まあ、それも当然よね。地方予選の上位しか出ていないんだものね。


 四組目の10人の中に、すごく綺麗な背の高い子が3人混じってる。ひと目みてメイクと髪にお金をかけてるって分かる。シンプルに美貌と身長だけなら、尚先輩といい勝負できる子たち。前の組でも何人かいたわ。何なの、モデルさんなの? 仕事の拍付けに出場してるの?

 そうかも知れない。ナイスボディで日本一獲ったら、売りになるものね。


 ‥‥‥でも、尚先輩の優位は揺るがない。こんなにきちんと鍛えて、バルクつけて、セパレーション(肩と腕など各筋肉が独立して分かれて見えること)が出てる子、一人もいない。

 尚先輩は、モデルさんじゃなくて、「すごく綺麗なスポーツ選手」に見える。


 ああ、ポーズも上手だ。相変わらず優雅に、キレよく、表情豊かに決めている。

 あれ? でも何か違う。今日は、こう、大人っぽい? ううん、そうじゃない、なんか、色っぽい? ポニテなのに? 

 あと、すごく幸せそう。白い頬を紅潮させて、なんか嬉しそう。心の充足が隠しきれなくて、表に出てきてる感じ‥‥‥。


「ねえ。剛さん」

「ン、なんだ?」

「尚先輩、雰囲気いいよね」

「そうだな。まだ全員見てないけど、今のところ抜けてるな」


「いや、そうじゃなくて。なにか感じない?」 

「ン、どういうこと?」

「‥‥‥絶対、昨日なにかあったわよ。昨日二人は前泊してたんだもん」

「あ、ああ、そうか。そういやそうかもな。まあとはいえ、よその男女のことなんだからいいじゃないか。人の恋路だ、ほっといてやれよ」

「うん、それは、そうなんだけど‥‥‥」

「あいつら子供の時からずっと一緒だったからな。俺から見ると特に驚きはないな。『ようやくか』ってくらい」 そう言って、剛さんは、そっと私の左手を握った。いつもどおりとても暖かい手。


 私たちも小さいときからずっと一緒だったもんね。剛さん、お兄ちゃんみたいだったな。と思ってたら、剛さんが、突如「39ばーん! 尚ー、いい女ーっ!」って叫んだ。


 えー? ちょ、ちょっと、そこでほかの女の名前呼ぶ? しかも、いい女? 

 バカ、バカ剛! あー、もうしょうがない、続くわよう!

「尚せんぱーい! ステキー、こっち向いてー!」 


 尚先輩がこっち向いて、満面の笑みを浮かべた。

 ポーって見とれちゃうくらい、すっごく綺麗な笑顔だった。


 ******


4 師匠と尚の予選も終了し、無事三人とも通過した。

 この後は、モデルクラスとマッスルクラスの予選が行われるので、次の出番まではだいぶ空く。今は、お昼の12時頃だけど、決勝は午後3時からだ。するとアップは2時過ぎからか。


 予選落ちの選手が引き揚げたので、広い控室はスカスカになった。ちょっと寂しい感じになっている。

 やることもないので、ちびちびカーボを補充しつつ、川島さんと雑談する。そこに他の選手も加わって、筋肉談義になった。

 「プロテインの銘柄は○○が安くて美味しい」とか、「○○筋は週何回こうやるといい」とか、一般の人では全く理解不能だろうマニアックな話が延々と続く。

 ああ、すっごく楽しいな。このようにして、丸一日一緒にいるので、みんな嫌でも仲良くなってしまう。普段学校や職場で変人扱いされている分、選手が一か所に集められると、急激に連帯意識が高まるようだ。


 とはいえ、さすがに3時間も雑談することもできず、皆、昼寝に入る。

 僕も着替え袋を枕にして、横になった。剛と香津美ちゃんは、今頃お昼だろうな。

 眠いな。昨夜あんまり寝てないからな。


 ‥‥‥あー、誰かが頭撫でてる。あったかくて気持ちいい。って、これデジャブだ。

 尚だろう? あ、やっぱり。ジャージ姿の尚が頭の横に座って、僕の頭を撫でていた。


「おお、尚か。どうした」

「決勝4時からで退屈だから遊びに来たのよ。ガールズの控室、モデルと女優志望ばっかりで、なんだか話合わなくって。黒のジャージなんて私くらいよ」

「あはは、なるほど。なんか分かる気がする」


「ブローライナー引き直してあげるわよ。持ってきたんだ」

「いや、朝からいじってないからいいよー」

「私が引きたいのよ。ほら、むー、むー! ここー!」って、尚は、正座した膝をポンポン叩いて催促した。あー、はいはい、分かりました。僕は、着替え袋を除けて、尚の膝枕に頭を載せた。起きてる選手たちが見てそうだけど、もういいや。


 尚は、ウェットティッシュで眉をゴシゴシこすってライナーを落とし、新たに引いてくれた。

「横向きだと、ちょっと引きにくいわね‥‥‥」

「無理に膝枕でやろうとするからだろ。大体、お前の太もも筋肉ばっかりで、寝心地悪いんだけど」

「‥‥‥ライナー、胸にぶっ刺すわよ」

「すいません。謝ります。申し訳ありませんでした」


 ああ、ひんやり涼しい控室で、あったかい尚の膝枕。穏やかな午後だ。


「今何時?」

「1時ちょっと過ぎ」

「じゃ1時半に起きて最後のカーボアップだな。2時からパンプだ」

「しばらくしたら起こそっか?」

「ああ、そうしてくれると助かるな。脚痛くなったら、着替え袋と替えてくれ」

「うん、そうする」


 尚が優しく髪を撫でてくれる。


 僕は瞼まぶたの裏に、昨夜の尚のつるんとした白い胸を思い浮かべながら、夢の中へと落ちていった。




→ 読者の皆様。いつも本作をお読み頂いてありがとうございます。

 無事に三人とも全日本の予選は通過しました。

 今回は、語り部が時々変わり、少々読みにくかったかも知れません。すみませんでした。

 ですが、このお話は、もともと縦書きの紙媒体を前提にワードで書いていたので、語り部ごとに字体を変えて、昇以外は基本ゴシック体にしたほか、優里さんなら色っぽく、香津美ちゃんなら丸い可愛い字体にしたりして、分かりやすく作っていたんです。残念ながら、カクヨムでは文中の字体は変えられませんので、悪しからず、ご容赦下さい。


 それではまた。


 小田島 匠

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