第1章 第2話

~ 昇と尚が一緒にジムを出て、学校に向かう ~


4 ジムを出て大國魂(おおくにたま)神社の参道を抜け、府中本町の駅に向かう。


 尚は、紺のブレザーにグレーのスカート、白のブラウスに胸元の大振りなリボンは3年生だから赤。それと今日は紺のハイソックスに黒いローファー。

 地味って言えば地味なんだけど、なにしろスタイルがこれだから、まあ目立つこと。別にスカートをモコモコ巻き込んで短くしてるわけじゃないのに「脚長っ!」って感じ。

 並んで歩くと、身長は僕とそんなに変わらない? ああ、でも、僕の方がちょっと高いのか。じっと横を見ると、パッチリした、大きなアーモンドアイに、栗色の長いまつ毛が綺麗に反り返っている。


「何?」 尚が僕の視線に気づいた。

「いや、お前、身長170㎝超えた?」

「うん。171まではないけど、近いくらい。昇は?」

「こないだ175超えた。でも、もうあんまり伸びてない。いいとこ176くらいかもな」

「ふーん、いいんじゃない。丁度いいくらいでしょ。何をするにも」

「そだな」


 相沢尚と僕は、幼なじみだ。

 僕の親父は弁護士なんだけど、若い頃に、某大手損保会社の若手社員だった尚のお父さんと一緒にいろいろ仕事して、仲良しになったんだそうだ。ちょうど子供が出来たのが同じ時期で、それで尚とは小さいときから、一緒に町田のリス園に行ったり、東京競馬場のキッズルームでシルバニアの町作ったり(その間、親はビール飲んで馬券買ってた)、とにかくしょっちゅう一緒にいた。家族で焼肉なんて何回行ったか覚えてないくらい。

 ちなみに尚は6月24日生まれで、僕は11月23日生まれだから、尚の方が少しお姉さんだ。


 そういうわけで、僕と尚の付き合いはとても長い。十数年? 人生の大半を一緒に過ごしている。幼稚園は別々だったけれど、小、中と一緒で、その半分くらいが同じクラスだった。尚の登校路の途中に僕の家があるので、いつの頃からか毎日「昇いくよー。遅刻するよー。はーやーくー!」って呼びに来てくれて、一緒に登校するようになった。

 しかも、中学の成績が同じくらいだったから高校受験の志望校もかぶって、結局K市にある都立高校に二人とも通うことになった。学年でトップクラスになれば、W大かK大に届くかどうか、というくらいの学校だ。


 もちろんのこと、都立高校にボディビル部なんてあるはずもなく、仕方ないので、僕は担任の先生に申し出て、おまけに厚かましくも顧問になってくれるように頼み込み、部を立ち上げた。

 僕一人じゃだめで、最低三人必要なので、まず尚に声を掛けたら「えーっ、ボディビル? うーん、まあいいわよ」とか、案外あっさり承諾してくれて、部員になってくれた。尚は中学時代は陸上部で短距離の選手だったから、体を動かすのが好きだったんだと思う。そしてもう一人、同じ中学だった男子に「名前だけでもいいからっ!」って声をかけて頼み込み、部員になって貰って、ようやく三人が揃った。


 そうしてK高ボディビル部が誕生して、校内に部室も貰ったんだけど、学校にはウェートの機器がないので部活ができない。なので、部員はそれぞれ適宜のジムでトレーニングを積むこととなった。顧問の先生も自分の責任範囲ではないので、気楽なものだろう。


 しかし、部活を始めてしばらくしたら、尚には相当に才能があることが分かった。

 長い手足に広い肩幅、ほっそいウェストはもちろんだけど、陸上の短距離選手をやってたくらいだから、速筋、すなわち筋肥大につながる筋肉の割合が多かったようだ。

 最初の1年くらいは、見た目あまり変わらなかったが、2年生なってからトレを週4ないし週5にしたら、挙上重量が増えて筋肉もつき、どんどんボディメイクの選手のような身体に変化していった。「綺麗な女の子」から「いい女」に昇華していく感じ?

 やはり成果が目に見えると俄然面白くなるようで、以来、尚はいわゆる「ハマった」状態となって、現在に至っている。今では週3日僕と一緒にジムで早朝にトレーニングして学校に通う生活だ。それぞれオフの曜日が異なるので、残りの2日は別々に鍛えている。


5 それにしても尚と並んで歩いていると、道行く人達がチラチラとこちらを見るのが分かる。

「この娘モデルさん? ずいぶん白いけど日本人?」というような反応なんだろう。


「お前、脚、体の半分くらいあるの?」

「ううん、股下83㎝だから、ちょっと足りない」

「そうなんだ。俺も85㎝だから、半分まではないな。脚が半分以上あると、きっと見た目のバランス悪いだろうな。長すぎて。筋肉つけるのも大変そうだし」

「私は、脚もそうだけど、やっぱりお尻と、それから‥‥‥胸かな?」

「ええ? 胸、悪くないじゃんか。それだけあれば十分じゃないか」って、僕は尚の胸元をじっと凝視しつつ言ったら、

「ちょ、やだ、もう、じろじろ見ないでよ!」って尚は白い頬を赤らめて、左手で僕の右肩をパチンと叩いてきた。ちっとも痛くない。こういうの嬉しいな。


「そりゃ小さくはないけど、メリハリつくほどじゃないのよ。ボディメイクの競技やるなら、もっとないと‥‥‥」 

「ふーん、トレーニーだから、だいぶ広背筋でバストの数字稼いでるみたいだな。ええと‥‥‥、171㎝で上から82、58、90。そんで55㎏」

「き、キモっ! なんで分かるのよ!」 尚が色をなしてこちらを睨む。

「洋介師匠の直伝だ。ふふふ」 僕は、師匠みたいに口の端でニヒルに笑って返した。


 ******


 府中本町の駅でJR南武線に乗り、登戸で降りて小田急線に乗り換え、多摩川を渡ってひと駅の和泉多摩川で降りる。ここからは、周りは同じ都立K高校の生徒ばかりだ。


 男女の学生が大勢歩いている中で、僕と尚が並んでいると、

「ほら、あれ、相沢さんじゃない。すっごい綺麗ー。背高ーい」

「尚さん脚長っ! モデルか?」

「超絶スタイル。フィギュアみたい。ほんとに日本人?」等々、尚を賞賛する声があちこちから聞こえてくる。まるで僕なんかいないみたいだ。


「お前、いつも人に見られてて大変だな。不自由というか、隙を見せられないだろ?」

「えっ? そんなの全然気にしてないよ。私は私だし、私らしくしかできないし、それ以外するつもりもない。したいようにしてる」

「ふーん、お前らしいな。サバサバしてて」

「だから、友達少ないんだ。特に女子。理系で女の子少ないのもあるけど、こう、何にでも同調して行動するのがどうも苦手で」

「男っぽいんだよ。『ハンサムな女』ってやつだな」

「私は、昇と部活の仲間がいれば今のところそれで充分。今以上に関係を広げていきたいとは思ってない。ラインのアドレスだって家族と昇くらいだよ」

「へー、そうなんだ。俺もそうだな。なんか生活が複雑になりそうで嫌だよな」


 そしたら、尚は、(うーん)って、ちょっと考えて、

「‥‥‥だけどね、ずっとそうなのも、どうかなって思うの。待ってるだけじゃ、物事って動かないから、見つけてくれるかなんて分かんないし、時間ばかり過ぎて結局取り逃すかも知れないから。だから、本当に『この人』って思ったら、ちゃんと自分から追いかけて捕まえるよ。私、たぶん」って呟くように言った。

 僕は、つい「そうだな。俺もそれがいいと思う」って、サラッと答えちゃったけど、なんだか重大発言っぽいぞ。今の誰の事言ってるの?


 僕と尚は物心ついたときからずっと一緒にいたから、一緒にいるのが普通だったから、もちろん尚のことは大好きだけど、特に僕から打ち明けたことはないし、その逆もそうで、でも万一違ったら壊れるのが怖くて、これまではっきり言葉で伝えられなかった。『え? そうだったの? でも私はちょっと違うから。ごめんなさい‥‥‥。もちろん昇は大事な友達なんだから、これからも一緒にいよっ!』とか言われたら、本当に立ち直れない。向こうがよくてもこっちがダメ。

 それなら、今のまま続いた方がいい、居心地いいんだもの。‥‥‥って、ああ、本当にダメな男だ。情けないよ。


 しかし、結局、今日も一歩踏み出すことはできず、いつもと同じ逡巡(しゅんじゅん)を辿り、僕は尚のさっきの言葉を反芻(はんすう)しながら、一緒に8時30分に校門をくぐって、昇降口をあがった。


 ******


6 僕は文系で、尚は理系だから、3年になると当然クラスは分かれる。僕は1組で尚は5組だからそもそもフロアが違うし、午前中はまず会うことはない。


 僕は、2限と3限の間の休み時間にプロテインとおにぎりを1個食べ、4限終了とともにランチバッグを持ってボディビル部の部室に行く。

 まだ誰も来ていない。僕は部室のダイヤル式の鍵を開けて中に入った。まだ4月だけど、ムっとする湿気と熱気がこもっている。窓を開けてパタパタと空気を入れ替えていると、尚が「お、いるいる」と言いながら入ってきた。


「聞いてよー! 私、また出席番号1番よー。まったく、いつかこれから解放されるのかしら?」 尚は椅子に座ってテーブルに両肘をつき、両手のひらに顔をプニっと乗っけて不満そうにつぶやいた。

「あはは、そうだったのか。いや、小学校1年の時にさ、青山君ってのが1番で、この子ずっと1番なんだろうなって思ってたら、2年の時に尚が1番になってびっくりしたのを覚えてるよ」

「『あいざわ』だと、そこから上は考えられないわよね。『ああ』は無理だし」

「『相川』さん、がいるだろ。少ないけど『愛甲』さんもいるな。『藍尾』さんとかもきっといるけど、今まで聞いたことない人はなんとなく反則だな」

「よくそんなポンポン出てくるわね。さすが文系」

「はは、それじゃお昼にしようか。二人もそのうち来るだろ」ということで、持参のお弁当を広げてボトルの水と一緒に食べ始めた。


 とはいえ、僕は朝作ったおにぎりと、タッパーに詰めこんだブロッコリーと鳥の胸肉、それとゆで卵で、「わーいランチだ!」と心躍るようなものではない。尚はお母さんが持たせてくれたお弁当箱を広げている。鮭の載ったのり弁に、おかず箱はブロッコリーとプチトマト、それに卵焼き。実にバランスの取れた和風のお弁当で、筋肉にも理想的だ。 


 尚が、「ねえ、いつも思ってたんだけど、そんなの食べて楽しいの。飽きないの?」って、魚の形をした醤油差しから、醤油をポトポト鮭に垂らしながら聞いてきた。


「飽きるとかじゃなくて、体のために大事だから食べてる。これ以上身体を大きくすると減量が大変そうだから、なるべく脂肪はカットしないと。それに、カレー粉かけたり、ボン酢にしたり、結構バリエーションつくんだぜ」


「可哀そうだから、卵焼き一個あげる。おネギとシラスの」

「うう、ありがとうございますー。(パクっ)すっごく美味しいですー。やっぱり食べ物の美味しさって、塩と脂だよな‥‥‥」

「なんともプライドのない話ね」

「まあ、卵はいいんだよ。多すぎなければ。お礼に胸肉一切れあげる。ポン酢かかってるぞ」


 尚は、「ふーん」って言いながら一口でパクっと食べて、「こ、これは‥‥‥まずっ、まずい! パサパサしてて、鳥臭い! 一体どういうお礼なのよ、これ?」と顔をしかめ、栗色の綺麗な眉を逆立てて僕を睨んできた。

 ふふふ、かかったな。だけどなんて可愛いんでしょう。


 そうしているうちに、部室の表から二人分の足音と、カサカサ言うレジ袋の音が聞こえてきた。


 これで、部員勢ぞろいだ。 

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