第1章 ボディビル部めんめん 年間活動計画 目指せ細マッチョ日本一!


第1章 ボディビル部めんめん ~2年後 高校3年生 4月4日(木)~


1 僕は毎朝4時20分に起きる。

 起きてプロテインを飲んで、前日の残りでご飯を食べる。それから、おにぎりを5つ作って、茹でてあったブロッコリーと鳥むね肉、ゆで卵3個をランチバッグに詰める。

 洗面して着替えて、誰も聞いていないけど「行ってきまーす」と声をかけて家を出るのが5時過ぎ。まだ薄暗いけやき並木を歩いて、甲州街道と京王線の高架下を過ぎて右手にある「アイアンジム府中東京」に入る。家から歩いて10分くらいだろうか。

 

 4階のフロントでチェックインして、5階の男子ロッカーでタンクトップとショートパンツに着替え、個人ロッカーからシューズ、ウェイトベルト、グローブを取り出して再び階下に降り、冷水器でドリンクを作った後、ジムエリアに入る。


2 早朝はジムが空いている。いつも5人くらいしかいない。

 もうみんな顔見知りだから、顔が合うたび「おはようございまーす」と挨拶しながら、小物置きの棚にドリンクを置く。

 さてと、ジムエリアを見渡してみると‥‥‥ああ、いたいた。見慣れた後ろ姿が45度レッグプレス(脚と臀部の種目。座って脚で斜め上にウェイトを挙げる)に座って、ウェイトを挙げようとしている。


 尚(なお)がもう来てるんだな。


 丁度、今セットを始めたところみたい。

 3、4、5・・6、少しペースが鈍ってきた。・・7・・8、あと一回いけるか?

 尚の細くて長い脚が折り畳まれ、だけど苦しいのかなかなか挙がらず、プルプル震えてガニ股になってるのが、ふふ、なんともいい眺めだな。 


 僕はそのセットが終わるまで後ろで待ち、尚が「うーっ、くっ!」という、こもった声とともに挙げ切って、ガチャンとストッパーで固定したのを確認してから、「尚、おはよう。今日は少し早いんだな」って声をかけた。


 腿がパンパンになって乳酸がたまって苦しいのだろう、尚は両手をひざ下に回して脚を上げ、交互にパタパタ振りつつ、僕を見て、

「ハァ、ハァ‥‥‥。昇、おはよ」と返してきた。


 くわっ、これは、か、可愛い‥‥‥!

 ていうか、尚は細身の長身だから、むしろ「すごく綺麗な女の人」って感じ? まだ17歳だから少女と言ってもいいような齢なんだけど。

 僕は思わずしゃがんで、マシンの背もたれに手を置いて、目線を尚と同じ高さにした。


 尚は、生まれつき色素が薄く、ほとんど真っ白っていうくらい肌が白くて、瞳も薄茶色、栗色の長い髪はポニーテールにして黒いキャップの穴から後ろに垂らしている。セットが終わったばかりで、肌が耳まで真っ赤に上気して、額から汗が流れ、首を伝って白い胸元に吸い込まれていく。白い肩も淡いピンクに染まって粒々の汗が噴き出している。


 基本、ムサいマッチョマンばかりのジムの中で、尚の周辺だけ光り輝いているようだ。これはまさに「掃き溜めに鶴」ってやつじゃないでしょうか!? 


 尚は、息が整うまで少し待ってから、

「うん。今日はちょっと早く目が覚めてね。脚の日ってボリュームあるし時間かかるじゃない? それで少し早く来たんだ」と、小さな口を開けて、ハァハァしながら言った。充血して真っ赤になった唇から、これまた真っ赤な細い舌先がチロリと見えて、なんとも艶めかしい情景だけれど、もちろん顔には出さない。


「今日は脚の日なのか。一番辛い日だな、お疲れさん。最初にレッグプレスやってるとこ見ると、今は尻を育ててるのか」

「うん、そう。まだまだお尻薄いからね。だからレッグプレスは脚をプレートの上の方に置いてやってみてるの」 

「ああ。それよさそうだな。下の方に置くと腿に入るよな。だけどカーフ(ふくらはぎ)の種目もちゃんとやった方がいいぞ。お前カーフ細すぎ。ペナペナ」

「言われなくてもやるわよ、うるさいわね。あんただって、カーフ女の子みたいじゃないの!」 尚は赤い頬を膨らませてそう言いながら、右手の腕時計を目にし、

「あっ、00秒になってる! 押し忘れたじゃないの。もうー、あっち行って!」と、今度は割と本当に怒っちゃった。

 

 ええ、それ僕のせい? 尚が両手で脚挙げてたからじゃないの? と思ったけれど、「ははは、悪い悪い。それじゃ7時20分に上で」とだけ言って、退散することにした。各セット間のインターバルは、トレーニーごとに決めているので、長話しないのが基本的なマナーだ。


「うん。また後でね。今日はどこ?」

「今日は胸」 僕はそう答えて、ベンチプレス台に向かい、タオルをベンチに敷いた。


 今日は「胸の日」だ。

 筋肉はトレーニングによって傷つき、回復に何日かかかるので、毎日全身を鍛えることはできない。だから、トレーニーは身体の部位を何分割かして鍛えている。

 よくあるのが、5分割して週5日トレーニングするパターンで、僕もそれでやっている。脚、肩、背中、胸、腕の分割で水曜日と日曜日がオフ(休み)だ。

 各部位を中6日で鍛えていることになり、休ませている間に、以前よりほんの少し発達するので(これがいわゆる「超回復」だ)、5年とか10年とか、長い時間をかけて、全身の筋肉が薄紙を重ねるように少しずつ発達していくことになる。


 ******

 

3 午前5時半に始めたトレーニングは7時前に終わる。胸を4種目やってオマケで腹筋。それ以上は疲れてしまって効率が悪いのでやらない。今日はベンチプレスが80㎏で平均9回できて嬉しかった。


 トレーニングを終え、シャワーを浴び、体重を計る。72㎏だ。2年前に初めてジムに来た時よりも10㎏も増え、体は格段に大きくなった。

 もちろん、ボディビル(いわゆるゴリマッチョ)やフィジーク(かっこいいマッチョ)の選手には遠く及ばないけれど、鏡に映して見ると、両肩はサイドに張り出し、脇の下からは広背筋が覗いている。いい感じだ。以前は「I字型」だった体形が「Y字型」になってきた。水泳選手をちょっとマッチョにしたイメージ? だけど胸はまだペナペナで、脚も女子高生みたい。ベンチプレスとスクワットを伸ばさないとな。

 

 ブイーンと髪を乾かして制服に着替え、ロッカー室の表にあるレストスペースに出る。大きなテーブルにチェアが6つ。それと飲み物の自販機。

 7時20分。まだ尚は出てきていない。プロテインをチビチビ飲んで、さっき作ったおにぎりをかじりながら待つ。プロテインはトレーニングで破壊された筋肉の材料になり、おにぎりみたいな糖質は、たんぱく質を筋肉まで運んでくれる運び屋さんだ。「ゴールデンタイム」と言われるくらいで、なるべく早いうちに摂った方がいい。


 そうしているうちに、女子ロッカーから制服姿の尚が「お待たせ!」と言いながらパタパタと出てきた。

 ポニテは解いて、ロングのストレートにして両肩の前に垂らし、頬の横に緩めのレイヤーを入れている。い、いい、可愛い‥‥‥けど時間かかりそう。メイクしないだけまだマシだけど、女の人は大変だな。


 尚は、膝の上に置いた巨大なコールマンのリュックからプロテインのシェーカーを出し、ボトルから冷水を入れて、両手で上下にシャカシャカとシェイクした。真剣にやっているので、白い頬が上下にプルプルしている。

 10秒くらいそうやって、大体混ざったのでテーブルにトンと置き、マルチビタミンとバナナを取り出す。


「バナナ半分食べる? すっごく大っきいの買っちゃった。コンビニのバナナって、1本100円もするけど立派よね」

「え、いいの? それじゃ食べかけで悪いけど、俺のおにぎりも半分やるよ。具も海苔もなくて、塩だけなんだけど」

 

 尚は、極太のバナナの皮をむいて半分折り、皮のついた方を僕に渡してくれた。僕も、おにぎりを半分にして、ラップに包んだ方を尚にあげた。「あ~ん」なんてしません! 神聖なジムでそんな破廉恥なことできません! 筋肉の神様が見てます。てか、ジム以外でもしたことありません! 


 そうして「このバナナ美味いな」「おにぎりも塩気きつくて美味しいわよ」って言いながら、プロテイン飲んでいたら、後ろから、「ようご両人!」って、陽気な声がかかった。

「‥‥‥『ご両人』って、その声は洋介師匠。てか今日いました? 木曜日ってクリニック休みでしょ?」 

 

 洋介師匠は、2年前から全然変わっていない。

 Tシャツの上からでもはっきりわかるほど鍛え抜かれた体で、長めの髪を真ん中分けにして、半分くらい白くなった髭を口の周りに生やし、それを短く刈り揃えている。初めて会ったときは30代半ばかと思っていたけど、実際にはもう45歳で、まさに「ダンディ」という言葉がピッタリくるかっこいい男だ。相当なハンサムで、しかも独身で、きっと、絶対、モテるんだろうなあ‥‥‥。


「今日はさ、桜が丘カントリーでコンペなんだよ。夜は調布で宴会だから、二日酔いで明日朝の筋トレできないだろ? だから前倒しで今日来たんだ。夜は府中に帰ってきてまた一杯やるけど、昇と尚ちゃんも来るかー?」

「まだ未成年ですって(笑)。だいいち、ゴルフの前に筋トレなんかして大丈夫ですか。途中で脚つったりしそうですけど」

「エンジョイゴルファーだから大丈夫! カートにキャディ付きでテレンコテレンコ回るから問題なし! 楽しみは酒! それじゃまた、お疲れさん!」


 師匠はそう一気にまくしたて、右手を挙げてチャーミングな笑顔とともに颯爽と去って行こうとしたので、僕は慌てて「あ、師匠。ちょっと‥‥‥」と声をかけ、師匠も「オロッ?」って感じで立ち止まった。


「師匠。近頃尚と話してたんですけど、入学してボディビル部作って今年3年生で最後なので、記念にどこかのボディメイク(細マッチョ競技全般、の意)のコンテスト出ようかって考えてるんです。師匠は前にナイスボディ(ボディメイク最大の競技団体)で、全日本のグランプリ取ってるんですよね? それで、参考にいろいろ話聞かせて欲しいなって、ね?」と、僕は尚の方を見て同意を求めた。


 尚も、師匠の方を向いて、ウンウンと頷いている。両手を腿の下に敷いて、少し前かがみで、微笑みながら小首を傾げている。か、かわいい‥‥‥。これじゃ絶対お願い聞いちゃう。

 

 やっぱり師匠にもすごく刺さったらしく、

「ああ、もちろんいいよー。酒飲みながらでいい? なんなら今日でもいいよ」と、かなり極端に効果を発揮したので、

「いや、今日じゃ、師匠グデングデンで役に立たないでしょ‥‥‥。また連絡しますよ。僕と尚は日曜日ジムでバイトだし、その後とか」と僕が慌てて返すと、

「そだね。それじゃ連絡ちょうだいね。お疲れさーん!」と言い残し、師匠は今度こそ颯爽と去って行った。一応ゴルフも頑張ってね。


 さあ7時半回った。僕たちもシェイカーをしまって撤収しよう。


 これにて本日の部活は終了! 

 学校行かないと。なにしろ今日から新学期だ。





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