右手の痣(あざ)6

 次の日の夜、誰もいない蔵に足を踏み入れる者がいた。その人物は蔵の中を漁り、やがてある書類を見つけると、口角を上げた。そして蔵から出ようとした時……。


「まさかこんなに早く尻尾を掴めるとはな」


 法眼の声がした。振り向くと、法眼の他に時子、紫苑、牡丹、家信、茂子がいた。


「なっ……!!」


 書類を持ち出そうとした人物――千葉常盛が目を見開いてその場に固まった。


「あんた、税の徴収に関わる民部みんぶ省の役人なんだってな。調べさせてもらった。……あんた、不正をして徴収した税の一部を自分の懐に入れてただろう。そして、その証拠となる書類を政家様に握られた。今日は、その書類を盗み出そうとしたんだな?」


 常盛は、何も言えずに体を震わせている。法眼の言う事は間違っていなかった。茂子に好意を抱いていたのは本当だが、再婚を申し込んだのは、この家を自分の物にして、屋敷にあるだろう証拠の書類が他人の目に触れないようにする為だ。

 息子の師常に紫苑との結婚を勧めたのも同じような理由からだった。


「式神にあんたを見張らせていたが、まさかこんなに早く行動を起こしてくれるとはな」

「……何故不正の事まで……」


 常盛は、唇を噛み締めて呟いた。


「あんたが知る必要は無い。……連れて行け」


 法眼がそう言うと、法眼の式神二人が武官の姿になり、常盛を挟むようにして連行して行った。


「常盛様は検非違使けびいしの所に連れて行くよう命令してある。もう紫苑がしつこく結婚を迫られる事はないだろう」

「法眼様、ありがとうございました」


 紫苑が頭を下げる。


「でも、結局呪いの真相は分からず仕舞いですね……」


 時子が顔を曇らせて言う。


「……恐らく、紫苑の症状は治まっているはずだ。紫苑、腕を動かしてみろ」


 法眼の言葉を聞き、紫苑が右腕に力を入れた。すると、紫苑の思い通りに腕を前後に振る事が出来た。


「動く……動きます!」


 紫苑が目を見開いて言う。


「良かった……紫苑……でも、どうして……」

「まあ、腕が動くようになったのなら良いじゃないか。母屋に戻ろう」


 法眼は笑ってそう言うと、皆と一緒に母屋に戻った。


           ◆ ◆ ◆


 皆が寝静まった後、法眼は母屋から抜け出し、蔵に向かった。蔵の側に来ると、法眼は誰もいないはずのその場所で話し掛けた。


「いるんでしょう? 出て来て下さい――政家様」


 すると、辺りが炎で照らされるように少し明るくなり、一人の男が姿を現した。 

 三十路くらいのその男は、法眼の方を見ると穏やかな顔で微笑んだ。


「……常盛様が連行されたようですね」

「ええ。師常様も不正に関わっていたようですし、これでもうあなたの家族が千葉家に利用される事は無いでしょう」

「ありがとうございます、法眼様」

「いや、あなたが教えてくれなかったら、不正に気付かなかった」


 昨夜鎌田家の蔵に足を踏み入れた後、法眼はすぐ母屋に戻らずに蔵に引き返した。それは、霊の気配を感じたからだ。そして、蔵で霊体となった政家と話をして、常盛が不正をしている事を知ったのだ。


「私は常盛様の不正を訴えようと準備をしている最中に死んでしまったので、それが心残りだったのです。……まあ、私がこの世に留まっている一番の理由は、家族の事が心配だったからですが……」

「紫苑を呪っていたのはあなたですよね。……呪った理由は?」

「紫苑を呪えば、紫苑が恐がってこの家に近付かないと思ったのです。……師常様が紫苑を狙っていると分かったので、紫苑にはこちらに戻って欲しくなかった」


 最近貴族の不正を取り締まる動きが大きくなった為、常盛は早く鎌田家を自分のものにしたかった。師常は、常盛から紫苑と結婚するよう勧められていたが、師常本人も紫苑に惚れており、酔った際友人に言っていた。「無理やりにでも紫苑を手に入れてみせる」と。

 それを聞いた正家は、紫苑が師常に近付かないよう、紫苑を呪うという手段に出たのだ。


「紫苑があなたのような陰陽師と知り合いだと知っていれば、呪詛など使わずにあなたに事の次第を話したのですが……上手くいかないものですね」

「……まあ、それは仕方ないでしょう。……政家様、もうすぐ黄泉の国へ行ってしまわれるのですね」


 法眼が寂しげに微笑んで言った。政家の気配が、少しずつ弱くなっている。


「ええ。法眼様、大変お世話になりました。今後共、紫苑の事をよろしくお願い致します」


 そう言って、政家は頭を下げた。


「……最後に紫苑と話さなくても良いのですか? 俺なら、呪術であなたの姿を紫苑に見せる事も出来ますよ」

「いえ、良いのです。……あの子達には、私の事を忘れて前を向いて欲しいので……」

「……そうですか……」

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