右手の痣(あざ)4

 その後、法眼達は茂子に最近変わった事は無いか聞いたが、特に思い当たる事は無いとの事。


「……あえて言うなら、最近千葉ちば常盛つねもり様と師常もろつね様が頻繁にこの屋敷を訪ねて来られる事くらいかしらね……」

「千葉様が?」


 茂子の言葉を聞いて、紫苑が目を見開いた。


 千葉常盛とは政家の友人で、政家の死後鎌田家を援助してくれていた。茂子は政家以外の元に嫁ぐ気が無かったが、常盛が茂子に惚れている事は明白だった。常盛は早くに妻を亡くしていて、実際何度か茂子に自身との再婚を持ち掛けた事もある。

 そして、師常とは常盛の息子で、家信と同じ二十歳。こちらはこちらで紫苑に惚れている節がある。


「千葉様はどのような理由でこちらの屋敷を訪れているのでしょう?」


 法眼が聞くと、茂子は頬に手を当てながら答えた。


「それが……よく分からないのです。紫苑は元気か、紫苑に許嫁はいるのかといった事をよく聞かれるのですが、何故今しつこく聞くのかは……。紫苑と師常様の縁談はとっくにお断りしているのですが」

「そうですか……」


 法眼は、考え込むような表情をしながら頷いた。


 その時、部屋の外から声がした。


「失礼致します」


 そう言って部屋に入って来たのは、目つきが鋭く賢そうな二十歳前後の男性。


「お話し中失礼致します。私、紫苑の兄の鎌田家信と申します。いつも紫苑がお世話になっております。今後共紫苑をよろしくお願い致します」


 話の邪魔をしないようにという配慮だろう。それだけ言うと、家信は部屋を辞した。


 その後も、紫苑と茂子は近況の報告等をし合っていたが、呪いについての手掛かりは得られなかった。


「……そう言えば、あなた、牡丹と言ったかしら」


 不意に茂子が牡丹に話し掛けた。


「はい。紫苑様にはいつもお世話になっております」

「そう……紫苑は感情が読み取り辛い事もあるかもしれないけど、優しい子なの。よろしくね」

「はい。これからも紫苑様……母上との縁を大切にして生きていきたいと思います」


 牡丹は、真剣な顔でそう応えた。



 その日の夜、時子が泊まる客間に法眼、紫苑、牡丹が集まった。時子達は鎌田家に泊まる事になったのだ。


「法眼様、呪いの原因を突き止める方法はあるのですか?」


 時子が聞く。


「ああ、今俺の式神達に呪いの気配を探ってもらっている。呪いの気配が強くないから、探るのに時間が掛かるかもしれないが」

「そうですか……」

「心配そうな顔をするな。……恐らく呪いの主は、紫苑の命を奪う気は無い」

「そうなのですか?」

「ああ。命を奪う気なら、もっと呪いの気配が強くなるはずだ。安心して良い」

「……だとしたら、呪いの主の目的は何でしょう?」

「分からない……もう少し時間をくれ」


 法眼が言うと、牡丹がいきなり頭を下げた。


「お願いします、法眼様。紫苑様の呪いを解いてあげて下さい。紫苑様は……もう私にとって、大切な人なんです」


 初めは、ただ親代わりだった浅葱あさぎから逃げる為だけに紫苑の養子になった。でも、今では紫苑は牡丹にとって大切な存在になっていた。


「牡丹……」


 紫苑は、頭を下げる牡丹をただ見つめていた。



 翌朝、時子達が客間で話をしていると、表で声がした。誰かがこの屋敷を訪ねて来たらしい。紫苑が表に出ると、一人の青年が紫苑に声を掛けた。


「紫苑殿、久しいな」

「師常様……ご無沙汰しております」


 訪ねて来たのは、師常だった。後ろには父親の常盛もいる。


「紫苑殿、元気だったかな?」


 常盛も紫苑に話し掛けてきた。


「はい。ご無沙汰しております、千葉様」

「少し紫苑殿に話があるのだが、良いかな?」

「話ですか……でも」


 紫苑は、チラリと近くにいる時子達の方を見た。


「ああ、私達の事は気にしないで。外に出る用事があるから」


 時子が笑顔で言う。


「おや、お客様がいらしていたのか。済まないね」


 常盛が済まなさそうに言ったが、時子達は「お構いなく」と言って屋敷を後にした。


 客間で腰を下ろすと、いきなり常盛が切り出した。


「紫苑殿。あなたには、許嫁がいないとの事でしたな」

「はい。それがどうかなさいましたか?」

「実は……紫苑殿に、ここにいる師常の妻になって頂けないかと思いましてな」

「まあ……」


 薄々感づいてはいたが、やはり紫苑の事を諦めていなかったのか。しかし……。


「申し訳ございません、千葉様、師常様。私は今しばらく都で時子様に仕えたいと思っております。それに、養子ではありますが、子もおりますし……そのお話、お受け出来かねます」


 紫苑は丁重に断ったが、常盛はなおも食い下がる。


「師常の妻になれば、苦労して働かなくても良いのですよ。それに、子供なら、師常も自分の子のように可愛がるはずだ。そうだろう? 師常」

「はい、あなたの子を大切にする事を誓います」


 師常がはっきりと言った。


「……申し訳ございません。それでも、私は今の生活を続けたいのです」


 紫苑がそう言うと、常盛は紫苑の側にいた茂子の方に目を向けた。


「茂子殿。千葉家は、鎌田家に対してかなりの額の援助をしてるはずです。紫苑殿を嫁に迎えたいという願い、聞いても良いとは思いませんか」


 脅しとも取れる発言だったが、茂子は冷静に言った。


「援助は大変有難く思っております。しかし、援助を受ける代わりにお召し物の繕いや歌合わせのお供など、亡くなられた奥様の代わりにお仕事をさせて頂いているはずです。娘の生活を犠牲にしなければいけないとは思いません」


 常盛は、唇を噛み締めた後、怒りを隠そうともせずに言った。


「恩知らずとはこの事ですな! 妻の代わりに仕事をしたからと言って偉そうに。鎌田家への援助を打ち切っても良いのですぞ」


「どうぞご自由に」


 そう言って部屋に入って来たのは、家信だった。


「兄上! 今日は朝から登庁していたはずでは」


 紫苑が目を見開いて言う。


「登庁する途中で時子様達に会ってな。千葉様が訪ねて来ていると聞いて嫌な予感がしたんだ。それで、急いで戻って来た」


 家信は、常盛の方を向くとキッパリと言った。


「千葉様。紫苑の縁談の件、お断りさせて頂きます。援助を打ち切るならどうぞご自由に。これでも私は上司に目を掛けて頂いているので、私の稼ぎで鎌田家は十分やっていけます」

「……後悔しても知りませんぞ」


 常盛は、そう言い残すと師常を連れて部屋を後にした。


「……紫苑、酷い事を言われなかったか?」


 常盛達が帰ると、すぐに家信が紫苑に声を掛けた。素っ気ない態度は相変わらずだが、紫苑を心配しているのが伝わってくる。


「はい、大丈夫です。……ありがとうございます」

「……礼を言う必要は無い」


 家信は、そう言って紫苑から目を逸らした。

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