黒い靄(もや)5

「本日はどうされました?人数が多いようですが。昨日牡丹はそちらに泊まったはずですが、引き続き雇われるのですか?」


 翌日、浅葱が驚いたように言った。


 今日は、昨日鬼ヶ原神社に集まった六人が全員、浅葱の居る店に来ていた。昨日、牡丹は芦原家で働くという名目で屋敷に泊まる事になっていたが、実際は、なんやかんや理由をつけて、客人として泊まってもらった。


「実は、この子を養子にしようと思いまして」


 時子がとんでもない事を口にした。


「……養子、ですか……?しかし、貴族様の養子になるには身分差が大きいかと……。それに、ずっと可愛がってきたこの子を手放す気には……」


「御冗談を。あなた、この子を虐げていたでしょう」


 光明が口を挟んだ。


「この子がこのような格好をしているのは、貧しいからだと思っていたが、よく見ると、あなたはこの子より随分上等な着物を身に着けているようだ」


 直通が言うと、今度は紫苑が牡丹の着物の袖をまくった。牡丹の腕には、いくつもの痣があった。


「こんなに叩かれた痕があるんですもの。可愛がってきたなんて言葉は通用しませんよ。それと、この子を養子にするのは私ではありません。そこにいる紫苑です」


 にこりと笑って、時子が止めを刺した。


              ◆ ◆ ◆


 その夜、芦原家の屋敷で、時子達は祝杯を上げた。牡丹のみ、酒ではなく茶を飲んでいる。

 浅葱には、半ば脅すような形で、牡丹を紫苑の養子にする事を了承させていた。そして、事の成り行きを見守って安心したのか、女の霊は、いつの間にか姿を消していた。


「しかし、紫苑、本当に良いのですか?牡丹を養子にする云々は方便ですから、本当に養子にしなくても良いのですよ?他に良い里親は見つかると思いますし」

「牡丹さえよければ、私は本当に養子にしたいと思います。これでも、情が無いわけでは無いのですよ……」


 いつも無表情で淡々と仕事を熟す紫苑だが、この時は微かに笑った気がした。そういえば、紫苑も昔、天涯孤独だったのを良い里親に拾ってもらったと言っていた気がする。


「それにしても、牡丹の周りの黒い靄が、霊からあの浅葱とかいう女へ向けられた怒りを表したものだったとはなあ」

「あの霊は、牡丹と自分の子を重ねて、牡丹を守ろうとしていたのでしょう」


 直通と光明が笑顔で話している。


「あー、俺は、そろそろ帰らせてもらう」

「あら、まだ宵の口ですよ。もう酔いが回りましたか?」

「酔ってない。……あれ、お前、双子だったか?」

「目がかすむ程酔っているではありませんか」


 時子とそんな会話をした後、法眼は一人屋敷の門へと歩いて行った。



「何故言わなかった?」


 丁度門に来た所で、法眼は直通に話しかけられた。


「何の事だ?」

「とぼけるな。お前、時子に気付かれないように、式神を時子の護衛につけていただろう。光明が気付いて私に知らせてきた」

「ああ……」

「女の霊の正体がわかるまでのわずかな間だけ護衛を付けていたんだろうが……式神の事を言えば、より時子の信頼を得られただろうに。何故言わなかった?」

「別に、『霊がお前に悪さをするかもしれない』と言って怖がらせる必要はないだろう。あいつが無事なら何でもいい」


 そう言って、法眼は微笑んだ。門を出ようとする法眼に、直通は声を掛けた。


「お前の事を完全に信用したわけでは無いが……時子に近づくなとか言って、すまなかった」


 法眼は、直通に背を向けたまま、右腕を振って去っていった。法眼が見えなくなった後、直通はぼそりと呟いた。


「……やっかいな奴だ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る