黒い靄(もや)2

「それで、俺の所に来たと」


 荒れ果てた神社の中で、呆れたように法眼ほうげんが言った。


「ここに来ても良いとおっしゃっていたので」


 鬼ヶ原神社には、時子、法眼、牡丹、紫苑がいた。牡丹は無表情だが、紫苑はポカンと口を開けている。今の法眼は、角も牙も隠していない。


「お前には驚かされるな。見ず知らずの子供の為にためらいなく金まで渡すとは」

「それで、どうなんです?」


 法眼は、牡丹をじっと見て答えた。


「呪い……ではないな。死んだ人間の魂が纏わりついているといった所か」

「牡丹に危害を加える可能性は?」

「わからない。……正直、陰陽師としての俺の腕は大した事ない。黒い靄の正体を知りたいなら、もっと腕のある陰陽師に診てもらった方が良い」

「そうですか……。また明日対策を考えましょう。紫苑、何か書くものを持っている?」

「はい」


 紫苑は、懐から紙と筆を取り出した。大体の状況を把握した上で、法眼の正体には言及しない事にしたらしい。


 時子は、紫苑から紙と筆を受け取ると、何事か書き付け、牡丹に渡した。


「これを、必ず浅葱さんに渡してね」


 紙には、明日も牡丹を雇いたい旨と、報酬をたんまり出すと言った旨が書かれている。


「明日も私達に付き合ってくれると嬉しいわ。明日の朝、あなたに声を掛けたのと同じ場所に迎えに行くわね」

「はあ……でも、どうして姫様は私に親切にして下さるんですか。話を聞くと、私の身に何か悪い事が起きないか心配して下さっているんですよね」


 それを聞いて、時子は昔の事を思い出した。


 十歳くらいの頃、時子は屋敷を抜け出してよく町に遊びに行っていた。

 ある日、時子が町で装飾品の店を覗いていると、一人の少女に声を掛けられた。


「姫様、何かお探しかい?」


 商人の娘とみられるその少女は、粗末な松葉色の衣を着ていた。時子と同じ位の年齢に見える。姫様と言ったのは、時子の着物が上等なものなのに気付いたからだろう。


「ええ、素敵なくしを探しているの」

「じゃあ、これなんかどうだい?」


 若菜と名乗るその少女は、時子に似合う櫛を選んでくれた。少女と話すのは楽しかった。それから時子は、頻繁に町に出て少女と遊ぶようになる。


 ある日時子が若菜と一緒に遊んでいると、若菜の周りに黒い靄のようなものが見えた。若菜に、その靄が何なのか聞いたが、彼女には靄が見えなかった。時子は気になったが、靄の正体を探ろうとは思わなかった。


 ある時から、町に出掛けても若菜を見かけなくなった。周りの大人の話を聞き、若菜が病で亡くなったと聞いた。その晩は、ずっと泣いていた。

 後から、もしかしたら黒い靄が死の予兆だったのではないかと思い当たった。自分が靄についてもっと追究していたら何かが変わったのだろうか。時子はずっと思い悩んでいた。


「誰かを助けられたかもしれないと思って後悔するのは嫌なの。それと、私の事は時子と呼んで」


 牡丹は、不思議そうな顔をしながら、「はい、時子様」と答えた。



               ◆ ◆ ◆



 その日の夜、橘直通の屋敷を訪ねてくる者があった。陰陽師の加茂光明である。直通より二歳年上のこの陰陽師は、昔から直通と付き合いがあった。


「どうした、光明。お前の方から訪ねてくるのは珍しいな」


 直通が問い掛けると、光明は切れ長の目を伏せがちにして口を開いた。


「芦原時長様の件でお話が」


 光明は、時長に毒が盛られた事件を聞いていた。そして、つい先日時長の見舞いに行ったという。時長に見えないよう細工を施して、光明の式神も連れて。見舞いが済んだ後、その式神が光明に伝えてきた。


「『部屋に鬼の匂いがする』と……」

「鬼だと?」


 直通が目を瞠った。


「はい。その後芦原家の下女達に話を聞いて回った所、気になるのが、鬼四法眼という陰陽師。何でも、時子様が時長様に紹介したとの事。……しかし、陰陽寮の中に、そのような者はいないのです」

「つまり、その鬼四法眼とやらが、鬼という事か?」

「陰陽寮に属していなくても陰陽師と名乗る者は多いので、はっきりとは言えませんが、鬼について何か知っている可能性はあるかと」

「……しかし、その者が鬼だとして、一体何がしたいんだ? 時長様は、陰陽師に助けられたと言っていたが」

「わかりません。気まぐれで善人の真似事をしてみたのか、時子様を騙して何か大きな悪さをしようとしているのか……」


 結論が出ないまま、時が過ぎて行った。

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