治らぬ病6

 数日後、また樋口兼良が妻を伴って芦原家に来ていた。


「何度も見舞いに来てもらって申し訳ないな」

「そう恐縮するな、昔からの友人だろう」


 時長の言葉に兼良が応えた。今、時長の部屋には五人の人間がいる。時長、樋口夫妻、時子、そして法眼だ。


「あなたが、時長の病の原因を突き止めた陰陽師ですか。まだ二十歳にもなっていないようにお見受けしますが、見事な腕前ですな」

「お褒めに与り光栄です」


 法眼が綺麗な笑顔を作る。今日も牙が見えないよう気を使っているのを、時子だけが知っている。


「そうそう、二人に食べてもらいたいものがあるんだ」


 時長は、樋口夫妻を見てそう言うと、侍女を呼んだ。間もなく侍女が運んできたのは、麦縄。米粉や小麦粉等で作った生地を縄の形にして揚げた唐菓子からかしだ。


「これに、何が入っていると思う?」

「ん? ただの麦縄じゃないのか?」

「先日奥方から頂いた茶葉を生地に練りこんであるんだ。私も食べたが、おいしかった。もちろん、その茶葉で淹れた茶もあるぞ」


 二人の前に唐菓子とお茶が並べられた。


「さあどうぞ」


 時長が勧めたが、一人だけ、体を震わせるだけで麦縄を口にしようとしない人物がいた。法眼が、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。


「おや、どうしました?―奥方様」


 孝子は、何も言えず、ただ顔色を悪くしていた。


「ああ、毒が入っていると思われたのですね。ご安心下さい。この唐菓子やお茶は、あなたから頂いたものと同じ種類の、別の茶葉で作らせたものですから。……さすがに、毒まみれの茶葉で作った唐菓子や茶を口に入れる事はできませんでしたか」

「毒……? あの時の茶葉に……? 孝子、お前……」


 状況を理解した兼良が、信じられないという目で孝子を見る。茶葉に毒が入っていると知っているという事は、孝子が毒を入れた張本人と考えて良いだろう。


「……私は幸せになりたかっただけよ」


 孝子は、誰と目を合わせるでもなく語り始めた。


「昔から、私の望みが叶った事なんてなかった。本当は時長様の事をお慕いしていたのに、芳子様と結婚してしまうし、それならせめて芦原家よりずっと裕福な家に嫁いで自慢したいと思ったけれど、嫁ぎ先に決まったのは芦原家と同じ位の家柄の樋口家だった。芳子様が亡くなったのは残念だったけど、それからも時長様は時子様と仲良く過ごしているのも羨ましかった。私には子供ができなかったのに……」

「だからと言って、時長を殺そうとするというのは……」

 

 兼良が困惑した表情で言う。


「時長様がいなくなれば、あなたが出世できるかもしれないじゃない!そうすれば、私は……いいえ、出世とかはどうでも良かったのかもしれない。私は、私を選んでくれなかった時長様が憎かっただけかもしれない。時長様と時子様が仲良く過ごしているところを見たくなかっただけかもしれない」

「孝子……罪を償おう。私もできる事はするから……」

「嫌よ、死罪にならなかったとしても、このままみじめに生きていくなんて……」


 孝子は懐から小さな刀を取り出すと、自らの首に押し付けようとした。


「孝子!」


 わずかな間に法眼は式神の紙を二枚取り出し、ふっと息を吹きかけて飛ばした。すると、式神はそれぞれ人間の武官のような姿になり、孝子を取り押さえた。


「嫌よ、死なせてよ、うああああ……」


 孝子の鳴き声が、部屋に響き渡った。


 その夜、法眼と時子は二人で芦原家の庭にいた。


「父も動揺していたようですが、今は落ち着いているようです」

「まあ、目の前であんなに悪意を向けられたんだ。無理せずゆっくり休めばいいさ」

「……唐菓子を出す前から、孝子様が桔梗の雇い主だとわかっていたのですか?」

「いや、式神が俺の所に毒入りの茶葉を一欠片持って来た時点では、兼良様が犯人である可能性も考えていた。唐菓子で犯人を炙り出せなくても、茶葉に残っている念のようなものを辿れば、いずれ真相は明らかになっていただろうがな」

「今回は、本当に……ありがとうございました」


 時子はそう言うと、隣に立っている法眼の方に向き直った。


「あの、お礼の件なのですが……」

「お礼?」

「あなたに命を捧げるという……」

「……そんな約束した覚えは無いが」


 時子は、狐につままれたような顔をした。しかし、よく考えてみると、確かに法眼は、時子の命を奪うとは言っていない。「お前の命を望んだらどうするんだ」「構いません」といった意味の会話をしただけだ。


 覚悟をしていた自分が恥ずかしく思えて、時子は顔を赤くした。それを見て、法眼は笑った。


「……鬼ヶ原神社って知ってるか?」

「ああ、聞いた事があります。荒れ果てて、今は誰も住んでいないという……それが何か?」

「……俺は、そこをねぐらにしている。だから……また何かあったら、来いよ。相談に乗ってやってもいい」


 そう言うと、法眼は門へと駆けていった。


 法眼がいなくなるのを見送ってから、月子は夜空を見上げた。そして、微笑むと呟いた。


「綺麗な満月ですね……」

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