治らぬ病4

 時子は、母親について話し始めた。


 時子の母親は、芳子よしこという名だった。とても美しく、賢かった。いつも時子に優しい笑顔を向けていたが、甘やかすこともなく、時子に礼儀作法や読み書きを教えた。芳子を通じて、時子は勉学の必要性や楽しさを知った。


 しかし、時子が八つの時、芳子は病で亡くなった。


「父は、しばらく茫然自失としていましたが、ある日、『時子、これからは私がお前の父親と母親両方の役目を果たそう』と言って、私を抱きしめてくれました」

「良い親を持ったな」


 そう言って、鬼四は夕日を眺めた。



 次の日、芦原家の下女達の間に、緊張した空気が漂っていた。


「今日は、何の仕事をするにしても二人以上で行動しないといけないって聞いた?」

「そうそう、何でも、殿の食事に毒を入れた者がいるとか」

「明日の朝、下女の持ち物を検査するという話も聞いたわよ」


 そんな話が下女達の間で広まっていた。


 その晩、一人の下女が屋敷の廊下を歩いていた。そして、懐から折り畳まれた紙を取り出すと、中に包まれている粉のようなものを庭に捨てようとした。

 その瞬間、蠟燭の光が彼女を照らし出した。思わず手が止まる。


「やはり来たか」


 鬼四が不敵な笑みを浮かべて言った。後ろから、時子も顔を覗かせた。

 紙を持ったままその下女――桔梗は、驚愕した表情で二人を見ていた。



「どうしてこのような事を? 父に恨みがあるわけでは無いでしょう?」


 時子が桔梗に聞いた。ここは時子の使用している部屋で、今部屋の中には、時子、法眼、桔梗の三人しかいない。

 桔梗は、床に手を突き、悲痛な声で言った。


「言えません……どうしても、言えないのです。……こんな事を頼める立場にないのは分かっておりますが、お願い致します。私はどうなっても構いません。母と弟をとがめる事だけは堪忍して下さい。家族は関係ありません。……特に、母には迷惑をかけたくありません。母は、私と弟を女手一つで育ててくれたんです……」


 話によると、貧しい貴族だった桔梗の父親は桔梗が五歳の時に病で亡くなったらしい。それから、桔梗の母親は女手一つで桔梗と彼女の弟を養っていたとの事。


 しかし、桔梗の母親は一年前に病に罹り、薬を飲んでいるが症状が改善しないらしい。それで、桔梗は母親にもっと効く薬を飲ませる為に、樋口家と芦原家を掛け持ちで働く事にしたという。


「……人の命を奪おうとしておいて、それは虫が良過ぎるんじゃないか?」


 法眼が冷たい声で言った。


「虫が良いのは重々承知しております。それでも、どうか、どうか……」


 桔梗は、涙を流しながら許しを請い続けた。


 時子は、そんな桔梗をじっと見た後、落ち着いた声で言った。


「……分かりました。あなたのご家族については配慮しましょう。あなたのお母様の薬代も援助致します」


 それを聞き、桔梗は一瞬目を見開いた後、再び涙を流した。


「ありがとうございます、ありがとうございます……」


 法眼は、時子を見ながら思った。時子は、母親の病に苦しむ桔梗と母親を亡くした自分を重ね合わせているのではないかと。

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