治らぬ病4
翌日の朝、芦原家の下女達の間に、緊張した空気が漂っていた。
「今日は、何の仕事をするにしても二人以上で行動しないといけないって聞いた?」
「そうそう、何でも、殿の食事に毒を入れた者がいるとか」
「明日の朝、下女の持ち物を検査するという話も聞いたわよ」
そんな話が下女達の間で広まっている。
そんな台盤所の様子をそっと廊下から覗いていた時子は、一緒に覗いていた法眼に向かって言った。
「法眼様の言っていた『犯人を炙り出す策』とは、この事だったんですね……」
「ああ、犯人はまだ毒を持っている可能性が高いからな」
法眼達は、毒の調査を始めたばかり。犯人が危機感を持って、証拠となる毒を捨てているとは考えにくい。
そして、毒の混入の発覚を恐れて犯人が肌身離さず毒を持っているとしたら、持ち物を調べられる前に何らかの行動を起こす可能性が高い。
「うわああんっ!!」
急に子供の声が聞こえた。見ると、庭で四歳くらいの男の子が地べたに座り込んで泣いている。簡素な服装からすると使用人の子供らしいが、転んだのだろうか。
「あらあら、どうしたの?」
子供に優しい声を掛けて近付いたのは、桔梗だった。桔梗は、子供の頭を撫でると、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「転んだのね。怪我は無い?」
子供は、無言で頷いた。
「そう……泣きたかったら、泣いてもいいのよ。でも、自分の力で立ちましょうね。それがあなたの自信になるから」
子供は、目を擦った後、自力で立ち上がった。それを見ると、桔梗はにこりと笑った。
「よく立てたわね。特別にこれをあげる」
そう言って桔梗は、懐から小さな菓子を取り出した。
「……ありがとう」
子供は、菓子を受け取ると、笑顔で礼を言って駆けて行った。
その光景を見て、時子は疑問を抱いた。本当に、この優しい女性が人の命を奪おうとしたのかと。
◆ ◆ ◆
その晩、一人の下女が屋敷の廊下を歩いていた。そして、懐から折り畳まれた紙を取り出すと、中に包まれている粉のようなものを庭に捨てようとした。
その瞬間、蠟燭の光が彼女を照らし出した。思わず手が止まる。
「やはり来たか」
鬼四が不敵な笑みを浮かべて言った。後ろから、時子も顔を覗かせた。
紙を持ったままその下女――桔梗は、驚愕した表情で二人を見ていた。
「どうしてこのような事を? 父に恨みがあるわけでは無いでしょう?」
時子が桔梗に聞いた。ここは時子の使用している部屋で、今部屋の中には、時子、法眼、桔梗の三人しかいない。
桔梗は、床に手を突き、悲痛な声で言った。
「言えません……どうしても、言えないのです。……こんな事を頼める立場にないのは分かっておりますが、お願い致します。私はどうなっても構いません。母と弟を
話によると、貧しい貴族だった桔梗の父親は桔梗が五歳の時に病で亡くなったらしい。それから、桔梗の母親は女手一つで桔梗と彼女の弟を養っていたとの事。
しかし、桔梗の母親は一年前に病に罹り、薬を飲んでいるが症状が改善しない。それで、桔梗は母親にもっと効く薬を飲ませる為に、樋口家と芦原家を掛け持ちで働く事にしたという。
「……人の命を奪おうとしておいて、それは虫が良過ぎるんじゃないか?」
法眼が冷たい声で言った。
「虫が良いのは重々承知しております。それでも、どうか、どうか……」
桔梗は、涙を流しながら許しを請い続けた。
時子は、そんな桔梗をじっと見た後、落ち着いた声で言った。
「……分かりました。あなたのご家族については配慮しましょう。あなたのお母様の薬代も援助致します」
それを聞き、桔梗は一瞬目を見開いた後、再び涙を流した。
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
法眼は、時子を見ながら思った。時子は、母親の病に苦しむ桔梗と母親を亡くした自分を重ね合わせているのではないかと。
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