11:河童もツチノコも民俗学ではない 感想
お話
https://kakuyomu.jp/works/16818093085544010627/episodes/16818093086218995447
妖怪といえば、やはり皆様「垢舐め」を思い出すのではないでしょうか? そうですね、少々汚い話にはなりますが、やはり人間が生きている以上代謝というのは行われ、それはつまり垢との付き合いが芽生えるということをも意味しているわけです。そんな我々が生きていく上で「垢舐め」という概念が発生したとしても何ら不思議ではなく、そもそもですよ。そもそも、ただ身体を清潔にしなさいという戒めとして生まれたのなら(実際どうなのかはまだ調べておりません)、何故わざわざ舐めるのでしょう?
ブラックサンタのように連れ去るのでも、それこそ本作タイトルに登場した河童のように生き肝を奪ったりしてもいいわけです。それなのに何故舐めるという選択肢が生まれたのか……? ここまでこの感想にお付き合いくださった皆様なら、もうお気付きですね。そう、江戸時代の皆様も「舐め」に対する無限の可能性を見出だしていたのかも知れませんよね。もちろん、「垢舐め」が舐めるのはあくまで風呂桶や浴室の垢なので、いやらしいニュアンスなんてこれっぽっちもないのですが、それでもやはり、敢えて「舐める」んですよ。「食べる」のではなく(最終的には食べるそうです)、「舐める」のです。
そもそも江戸時代は、セックスや前戯の体勢に様々な名称をつけて流布させた四十八手が編纂された時期でもあるとされています(その後も様々な時代に編纂されたりして、その都度名前や対応する体位は変わっているそうです)。四十八手を用いて交わる人々の姿が描かれた「閨房角力四十八手」の迫力たるや、もはや春画と呼んでいいのかわからないレベルにまで達していますからね。凄いものです。
他にも数々の色本(艶本)も登場した時代じゃないですか、そう思うとそんな時代に「垢舐め」という妖怪が考え出されたのには、単にお風呂を綺麗にする心の余裕はほしいよねという戒めの他に、そういう性癖の気配も感じてしまいますよね。
筆者は数年前、様々な妖怪や怪異の登場する『ものけもの』という漫画を読んだんですね。その漫画は「死神」「トイレの花子さん」といったオーソドックスな怪異から、「雪女」「猫又」、そして「垢舐め」という様々な怪異のエピソードを網羅した成人向け漫画なわけです。
筆者はそのなかの「垢舐め」のエピソードがかなり印象に残っておりましてね。あの長ぁ~い舌を思い出すと、今でも読み返したくなりますもの。その作者様はロリものでかなりハードな話を書かれる方で、小学生の少女が彼氏の兄に寝取られてしまう『終わりの日記帳』シリーズや、ジュニアアイドルをしているヒロインが悪い大人たちに貪られて子どもを身籠ってしまう『小さな天使のおしごとは』シリーズなど、もうね……胸が痛いのに読まずにはいられないんですよね。
ということで、仕事をサボった現場を見つかるというのは何とも気まずくてちょっと焦ってしまうところですよね。だから神崎さんの誘いにもホイホイ付いていってしまうんですよね……園田さんの気持ちもわからんではないのです。
傍目に見ていればいいものですけどね、河童の存在やツチノコの存在を信じる三十路上司ね。自分に関係なければ実に微笑ましいというか、そういうお兄さんに萌えを見出だすことは往々にしてありますからね。
そして、結局あの皿は何だったんでしょうね……という疑問を落としつつ、『河童もツチノコも民俗学ではない』の感想とさせていただきます。
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