★11:河童もツチノコも民俗学ではない
仕事をサボるなら河川敷に限る。
園田詩音はタバコをふかしてひと息ついていた。
成果の見込めない営業ほどやりがいのない仕事はない。イマドキ詐欺まがいの訪問販売なんて、成約件数より通報されるほうが多いくらいだ。
三流大学出身で誇れる特技も資格もなく、選べる会社が無かったとはいえそろそろ潮時かもしれない。
億劫ではあるが、結婚しろ子どもを産めと五月蠅い実家暮らしにでも戻るのも手かもしれない。
園田はため息まじりに白煙を吐き出して、歩道のベンチから川の上で進む工事に視線を向けた。
この川の真上に新しい駅ができるらしい。工事の足場が架橋を囲んでいく様子をぼんやりと眺めていると、なぜか心が落ち着いてきた。
「園田さん、なにしてるん」
ふと声をかけられて、とっさにタバコを握りつぶした。手のひらが熱い。
すぐそばにいたのは上司の神崎だった。
三十路だというのにあどけなさの残る顔立ち。実年齢より十歳若く見えるおかげか、ミスは多いのになぜか客受けが良いという営業部署の元エースだった。
園田は心の中で残念イケメンと呼んでいる。
「ちょっと休憩中です。神崎先輩こそどうしたんです?」
「いやぁ……ちょっとな、ちょっと確認しに来てん」
目を泳がせる神崎は、浮気がバレた大学生のようだ。
「また何か
「またってなんやねん」
神崎は文句を言いつつ、不安そうに声を落とした。
「いやな、あんま大きい声で言えへんねんけど、聞いてくれるか?」
正直嫌な予感しかしないので断りたかったが、上司にサボりの現場を見られた手前頷くしかなかった。
「工事現場あるやん。さっきそこの手前で水切りしとってんか」
「……何切りです?」
「水切りや水切り。石投げて水面を何回跳ねさせれるかやるやつ」
「なんで仕事中に遊んでるんですか」
「今日は肩の調子がよかってん! しかもちゃんと七段いってんで。新記録やで」
目を輝かせる神崎。
知らんがな。
「そしたらちょっと工事現場の方に逸れてしもてな。岩陰に跳んでったと思ったら、ガシャンって音が鳴ってん」
「はいはい。何を壊したんですか。弁償しましたか?」
「ちゃうねん。恐る恐る様子見に行ったら、割れた皿が一枚だけ沈んどってん……やから慌ててこれ買ってきてん」
神崎が手にしていたスーパーの袋から出したのは、キュウリの三本入りの袋。
「……なんでキュウリ?」
「そら謝らなあかんと思ったからや! アレたぶん河童の皿やろ……皿割ったら絶対怒ってるやん。謝るなら相手が好きなモン持って行くのが常識やろ」
「常識ってなんなんですかね」
少なくとも、河童に謝る時の常識は知らなかった。
「そういえば園田さん、大学で民俗学やってたって言ってたやろ。なあ、河童ってキュウリが好きで合ってるやんな? 間違って尻子玉取られたくないねん。ほんまに頼む、専門家の意見を聞かせてくれ」
「民俗学にケンカ売ってます?」
「それか一緒に謝りに行ってくれへんか? 僕、一人じゃ怖くてよう謝りに行けんくてずっとウロウロしててん……そしたら園田さんおるやんか。クールな園田さんやったら河童も怖くないんちゃうか思て」
「確かに河童は怖くないですけども」
河童なんていないし、と園田はこっそりため息を吐いた。
三十歳にもなって河童を信じているとは呆れを通り越して笑えるが、むしろ河童が実在しないことを教えてこなかった顔も知らない神崎の友人に怒りを覚えた。
でも仕方ない。サボりを咎められるよりはマシか。
園田はニコリともせずに頷いた。
「わかりました。どこですか」
「あっち」
工事現場の手前を指さす神崎。
園田が迷わず川縁に近づくと、確かに岩の後ろの浅瀬に割れた陶器が沈んでいるのが見えた。ここからなら皿にも見えるし、壺にも見える。
だが当然、河童らしき気配は見当たらない。
「ど、どうや。河童おったか?」
「いないですねー」
「きっと怒ってるんや……どうしよ、夜中に家まで来て殺されるかもしれん。どっか逃げるとこ探したほうがええかな」
「そうですねー」
「そういえば園田さんって北海道出身やったやんな。しばらく有給取って実家に泊まらせてもらってもええ?」
「実家は熊に潰されました」
「えっ、じゃあ家残ってないん?」
「納家だけ残りました。熊も残ってますけどそれでいいならどうぞ」
「さすがに熊と河童やったら熊のほうが怖いわ……」
もちろん嘘だが。
役目は終わったので、なおも不安そうに川を眺める神崎を置いてすぐに引き返した。
休憩してたはずなのに無駄に疲れた。
「ちょっと園田さん置いてかんといて! ひとりにせんといて……あ、なんか踏んだ。うわっ、これツチノコの脱皮痕や! ほら園田さん見て! ツチノコの皮やで!」
「先に会社戻りますねー」
「待ってーな! 園田さーん!」
園田は翌日から、サボり場所を変えた。
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