第8話 目覚めて見る悪夢
「きゃああああああああ!!!」
「ダ、ダイアウルフだ!!」
スヴェンが巨大な影の正体を叫ぶ。
ダイアウルフ……
前世の世界では1万年以上前に絶滅したと言われるオオカミだ。
地上最大のオオカミとも言われたその体長は、成人男性ほどあったとか……。
いや、あったとか…… ではない!
あるのだ!
いままさに目の前で、その巨体のオオカミが牙をむいて威嚇している。
「ガアアアアアアアア!」
ダイアウルフが飛びかかってきた。
しかしそれを、スヴェンが剣を抜き放ち叩き切る。
仕留めることはできなかったが、そのダイアウルフは深手を負いその場に倒れ込む。
「この数はまずい! 逃げるぞ!!」
スヴェンが叫ぶ。
俺たちは野営していた洞穴から一斉に飛び出した。
しかし、アンナが地面の石につまずき転倒してしまった。
木陰から別のダイアウルフが飛び出し、アンナに襲いかかる。
「やっ、いや、いやぁあああーーーーーーーー!!」
巨体のオオカミに伸しかかられ、身動きを封じられたアンナが叫ぶ。
「アンナ!!」
「構うな! お前もやられちまうぞ!!」
アンナを助けなければ、と思い、彼女に駆け寄ろうとするが、スヴェンは見捨てろ、と言う。
そんな…… 仲間だろ……?
信じられないことを言う。
そんなショックを受ける俺に構うことなく、彼は背を向け走り出す。
俺も一瞬、逃げるべきか迷うが意を決し剣を抜き放ち、アンナに伸しかかっているオオカミめがけて剣を切りつけた。
しかし、剣術など習ったことのない俺の腕では踏み込みが浅く、オオカミの体に薄い切り傷をつけることしかできなかった。
しかもそれが逆に、オオカミの怒りに火を着けてしまったようだ。
そのオオカミは激しく牙をむき、ますますこちらを威嚇してくる。
ここはアンナと協力をして……。
そう思い彼女のほうを振り向くが、先ほどまで倒れていた場所に彼女はいない。
なんと彼女も、俺を追いて逃げようとしているところであった。
しかし、さらに森の木陰から何匹ものダイアウルフが飛び出してきて彼女に襲いかかる。
今度は彼女も武器を手に持ち、それに抵抗しようとする。
護身用に身に付けていたモーニングスターを両手で持ち、ブンブンと振り回す。
だが彼女は俺と同等……、いや、それ以下の技術しか持っていないようで、武器を振り回すというよりも、武器に振り回されているといった感じだった。
何発かはまぐれ当たりもあったが、次々と襲いかかるオオカミたちをさばききることができず、やがて彼女はローブの裾や袖に食いつかれ、その場に押し倒されてしまった。
数匹のオオカミたちに抑え込まれながらも、なお、もがきつづける彼女……。
早く助けねばと思うが、こちらもいつの間にかオオカミたちに囲まれてしまい身動きもとれない状況に追い込まれてしまっていた。
そんな中、状況はさらに絶望的なものとなる。
「ぎゃああああああああーーーーーー!!!」
どこからか聞こえてくる男の断末魔の叫び。
俺のほかにこの付近にいる男なんてスヴェンしかいない……。
スヴェンがやられてしまったのだ。
俺たちの中で、一番腕が立つと思われる彼がやられてしまった……。
そんな絶望感に押し殺されそうになるも、なんとかアンナだけでも助けなければ、と思い、彼女を見るがさらに絶望は加速する。
先ほどまで抵抗をしようともがいていた彼女が、ピクリとも動かないのだ。
もはや残されたのは、自分ひとり……。
なんとかオオカミたちの囲みを逃れようと、俺はスヴェンが逃げた方向とは逆の方向へ走り始めた。
暗い森の中を必死に走る。
しかし、とりわけ足が速いわけでもない俺がオオカミたちに追いつかれてしまうのは、あっという間のことだった。
そして、最後は抵抗する術もなく、喉笛をかみ切られ意識を失った……。
まぶしい光に目を覚ます。
目の前には、青い空が広がっていた。
「…………!?」
いままで夢を見ていたのだろうか?
そう思い、周囲を見渡す。
周りは鬱蒼とした木々が生い茂る森だ。
転生自体が夢で、俺は日本の自分の部屋の暖かいベッドの中で目を覚ました、と思いたかったところだが、現実はそうではなかった……。
どう考えても、周囲は部屋の中と思えるような風景ではなかった。
この森で目覚めた後、としか思えない……。
ならば昨夜のこと自体が夢で、いましがたこの森に着いたばかり、ということならどうだろうか?
俺はなにかしらの理由で、薪拾いの途中に森の中で気を失っていたとか……。
いや、それには無理がある……。
薄暗い森の中ではあるが、その日差しの角度から、だいたい今が午前中だということが予測できた。
そもそも昨日、この森の入口に到着したのは夕方で、午前中は出発すらしていなかったじゃないか……。
夢と思い込みたかったが、それが無理なことだと悟る。
「じゃあ、なんで俺は生きているんだ……?」
独り言をつぶやきながら、自分の手を見た。
血色のいい、いかにも生きている者の手だ。
その時、はっと気付く。
女神に与えられた不死身の体……。
死なない体とはこういうことだったのか……。
死に戻り…… そう! 死に戻りだ!
なんとなく希望が湧いてきた。
昨夜、俺はオオカミに襲われて、確かに命を落とした。
しかし、女神に与えられた力で『死に戻り』をして、昨夜のことはリセットされたのだ。
そう考えれば、辻褄が合う!
そう! 辻褄が合うはずだ!
……いや、合わない……、合うはずがない……。
さっき、夢だと思い込もうとしたときに同じ考えに至ったじゃないか……。
もし『死に戻り』だったとしたら、この森で復活するんじゃなくて、ヴァイスベルクの街の中で復活していないとおかしい時間帯じゃないか……。
そうなると『死に戻り』をしたのではなく、死んだその場で復活し、朝を迎えたと考えるのが妥当なのではないだろうか……?
最終的に、俺はそう結論付けた。
しばらく途方に暮れていた。
昨夜のことは、現実に起こった出来事なのだ。
もう取り返しがつかないことだ。
なら、二人は……。
考えたくもなかった。
しかし、確認ぐらいはとるべきだろうか。
そう考えて、昨夜野営をしていた場所へ戻ろうと森を出たところで、奇妙な物が目についた。
それは、ぼろ布に包まれたなにかの塊のようだった。
俺は、目を凝らしてその物体を見た。
それは……
アンナの死体だった!!
四肢は食いちぎられ、着こんでいたチェインンメイルの下からはらわたを引きずり出され、昨夜見た可憐な彼女の姿は、無残な物に変わり果てていた。
「うっ、えぐ…… おええええぇーーーー!!」
胃からなにかが込み上げてくる。
昨夜、夕食を取ってからなにも食べておらず、胃の中にはなにも残っていないはずだが、そのあまりにもショッキングな光景に俺の体が拒絶反応を起こす。
頭の中が真っ白になり、ぐらぐらする。
なにも考えられない……。
絶望感に打ちひしがれ、しばらく途方に暮れていた。
そんな俺の前に、希望の光とも言えるある人物が現れる。
「め、女神様!!」
俺の目の前に現れたのは、俺をこの世界に転生させた女神シスであった。
彼女ならこの状況を、なんとかしてくれるのではなかろうか。
そんな淡い期待が頭の中をよぎり、俺は彼女にすがり付いた。
「女神様! 助けてください! 俺のせいで……、俺のせいでこんなことに……」
しかし彼女はそんな俺を見て、にやりと口の端を上げる。
「け……」
「け?」
「けーら、けらけらけら……!!」
「!!?」
突然、彼女は大きな笑い声をあげるが、その奇怪な彼女の笑い方に俺は驚愕させられた。
そして、高笑いをする彼女の表情にも愕然とさせられる。
そこにあったのは、かつて転生の時に見せた優しい笑顔ではなく、まるで虫けらがもがき苦しんでいるのを見て楽しんでいるような顔だった。
「いやあ、あなたを転生させて正解だったわ。いきなり、こんなにも楽しませてくれるなんて。けーら、けらけらけら……」
えっ!? どういうこと!? なにを言っているのかわからない……?
声にできず、心の中で自問する。
しかし、その心の中を読んだかのように彼女は答える。
「あなた、異世界に転生して楽に生きていける、楽しく生きていけるなんて、そんなあまーーーいこと考えていたんじゃなくて? この世界はね、そんな甘いものじゃないわよ。まぁ、せいぜいもがいてもがいてもがきまくって私を楽しませてちょうだい! けーら、けらけらけら……」
彼女の言葉にしばらく呆然としてしまうが、はっと我に返り彼女に食らいつくように問質す。
「なにを言っているんだ!? それじゃ、ここは理想郷だなんて…… 嘘だったのかよ……?」
「あら、嘘なんか言ってないわ! ここは理想郷よ……、私にとってのね!!」
そう言って、女神シスは満面の笑みを浮かべる。
その不気味な笑みに、やっとその真意に気付かされる。
なんてことだ……!
この女神は、俺たち転生者を幸せにしてくれるために異世界に転生させたのではなく、その苦しむ姿を見て楽しむために転生させたと言うのか……?
異世界に転生して、女神から与えられた特殊能力を使って、前世と違う満たされた人生を送る。
そんな異世界転生ものの話によくある光景が、俺の頭の中で音を立てて崩れていった。
「まぁ、死ぬまで苦しむことになるかもだけど、がんばってちょうだい……って、そう言えばあなた、死ねないんだったわね!?」
そう言って、彼女の笑みはさらに不気味なものになる。
死ねない……。
そうだ! 俺は『死なない体』を望んだ……。
いや、望んでしまった……。
スライムにやられそうになったとき、オオカミに喉笛をかみ切られたとき、どちらも苦痛を伴った。
後で復活できるだけで、死ぬときに苦痛を伴う。
それはつまり、死ぬたびに何度も何度も苦痛を味わわなければならない、ということではないか。
永久に…………。
俺は絶望のどん底に叩き落された。
その後、いつ女神と別れたかも覚えていない。
どうやって戻ってきたかも覚えていないが、気が付けば俺は、ヴァイスベルクの街へ戻ってきていた。
俺は、街の入口で呆然と立ち尽くす。
街に戻ってきたのはいいが、明日からどうすればいいのか……。
これからの身の振り方を考える。
いや、明日からなんて言っていられない、今日、この後どうするかだ。
昨日の夜からなにも食べていない。
空腹だ……。
死なない体だが、腹はちゃんと減るようだ。
このまま餓死したらどうなるのだろうか……?
餓死した後、生き返った時に飢餓感はなくなっているのだろうか?
もしそうならなかったら、永久に飢餓感に苦しむことになるだけである。
まず、食事をなんとかしないと……。
だが、相変わらず先立つ物がなかった。
当たり前だ……。
その金を手に入れるため遺跡探索に出かけたが、それに失敗して、なんの成果も得られず逃げ帰ってきたわけじゃないか。
どうする……?
このまま、ここで野垂れ死にするのか……?
こんなことなら、いっそスヴェンたちの荷物から金目の物をもらって帰ってこればよかった……。
二人はどうせ死んでしまっていたのだから、勝手に物をもらったとしても罪悪感を受ける必要もなかっただろう。
そんな非道徳的な考えが頭の中をよぎったが、いまとなってはそんなこともできない。
この場をすぐに離れたい……。
ここから早く逃げたい……。
それだけで頭の中がいっぱいで、ここまでどうやって帰ってきたかも覚えていなかったわけじゃないか。
ましてや、いまから戻ってもまた危険な目にあうだけじゃないか。
どうする…… どうする……?
そればかりが頭の中を堂々巡りし、時間だけが過ぎていく。
しかし長い時間が経ち、やっと落ち着いてきたのか、ある考えが浮かぶ。
それは、考えてみればごく当たり前の思考だった。
いま持っている武器を売って、金にすればいいじゃないか!
異世界に転生して、なんの考えもなしに冒険者になろうとしたが、そもそも俺にそんなことができる才能なんてなかったんだ。
冒険者なんてつづけたって危険な目にあうだけだし、死にそうな目にあうことだってある。
いや、既に一度死んだじゃないか……。
俺の場合、何度も何度も死ぬことになる。
もうあんな怖い思いも、痛い思いもいやだ。
それならもう、いっそ冒険者なんてやらずに普通に暮らしていけばいいじゃないか。
俺は冒険者をあきらめ、身に付けた装備を売るため武器屋を訪れた。
「うーん、これを買い取れってね……」
店の主人は、俺の身に付けていたショートソードとチェインメイルを見て渋い顔をした。
だが、それは仕方がないことだった。
ショートソードの刃は途中でぽきりと折れてしまい、チェインメイルも所々の鎖がちぎれてしまっていて、どちらも使い物にならない状態であったからだ。
「どちらももう一度炉で溶かす鉄くずとしてなら使えるかもしれんが……。それだとこれぐらいかね……」
そう言って、店の主人は俺の目の前に百円玉のような物を5枚置いた。
「小銀貨5枚ってことでどうだ?」
俺にはこの国の貨幣価値のことなどわからなかった。
しかし、『銀』ならどこへ行ってもそれなりの価値はあるだろうと思い、それを受け取った。
なによりも、早く飯にありつきたかったせいもあったからだ。
街の広場の周囲には多くの露店が軒を連ねていた。
俺はその中で、肉の串焼きを売っている店に目をつける。
うまそうだが、なんの肉なのかわからない……。
しかし、丸一日なにも食べていなかった俺の胃袋は、そんな迷いをあっさりと打ち破った。
1本では物足りないと思い、その串焼きを2本購入する。
このときに大銅貨4枚を請求されるが、小銀貨しかなかったのでそれを1枚出すと大銅貨が6枚返ってきた。
大銅貨10枚で小銀貨1枚ということがわかった。
しかし、大銅貨1枚の価値がどれほどのものか、まだよくわからなかった。
そもそもこの肉自体がものすごく安い肉だとすると、大銅貨の価値もそれほどではないことになる。
この国の物価水準がどれほどのものかわからないが、露店で売っている物がそんなに高価とは思えない。
「確か、前世ではハンバーガーの値段でその国の物価を図る、って考え方があったよな……」
俺は、肉の串焼きの値段からその国の物価水準が図れないかと思い、ついついそんなことをつぶやいた。
考えたが無駄だった……。
しかし、串焼き2本でなんとか腹は満たされた。
なんの肉かはわからないが、それなりの量があり手持ちの金であと何回かは食べることができそうだ。
そうなると、少しは余裕が出てきた。
これなら、宿にも泊まれるんじゃなかろうか?
今夜は宿に泊まって、そこで冒険者じゃなくてもできる仕事を紹介してもらい、明日からの身の振り方を考えていこう。
そんなことを考えながら、宿への道を急いでいる時だった。
向かいからすれ違ってきた男と肩がぶつかる。
なにかいちゃもんをつけられるのでは……?
悪い予感がした。
武器は売ってしまい、もう丸腰だ。
素手で喧嘩できるような度胸も腕力もない。
「す、すみません!」
俺はとっさにその男に謝った。
むしろその男からぶつかってきたくらいの勢いだったが、とにかく俺のほうから謝った。
だが、男はそれを無視するかのように行ってしまった。
「なんだい、また来たのかい……?」
宿屋の女将に悪態とともに迎えられる。
ほかの宿にすればよかった……。
そう思ったが、俺はこの宿屋しか知らない。
いや、この辺りは宿屋街だから、隣もそのまた隣も宿屋だ。
別にどこでも一緒だったのだが、なぜか俺の足は勝手にここへ向かったのだった。
「いや、今日はちゃんとお金は持っていますから……」
そう、今日泊まるぐらいの金はきっとあるはずだ。
そう思い俺は腰に下げた袋に手を伸ばす。
が……
「な、ない!? そんな……」
金を入れておいたはずの袋がなかった。
心当たりに気付きはっとする。
ここへ来る途中に肩のぶつかった男……。
やられた……。
あの男はスリだったのだ。
俺はまた無一文になってしまった……。
「なんだい? 金持ってるんじゃなかったのかい?」
女将は怪訝そうな表情でこっちを見てくる。
「あの…… どこかで失くしてしまったようで……」
「それじゃ、悪いけど泊められないね」
当たり前の返事だった。
ツケで泊めてもらえないか交渉したが、前回同様、今回も無駄だった。
「あんた、仲間はどうしたんだい? あいつらなら、金も持っていただろ?」
女将はスヴェンたちが一緒にいないことに気付き、そんな質問をしてくる。
「あの二人は…… 死にました……」
「なんだって!?」
俺が正直に話すと、女将は驚愕の声を上げる。
しかし、すぐに冷静さを取り戻し、
「そうかい、それは気の毒にね……。まあでも、冒険者なんていつ死んでもおかしくない仕事だし、仕方ないね……」
と、慰めの言葉を口にしてくれた。
だが、それはあくまで同情でしかなかった。
「……とは言っても、悪いけどうちには泊められないのは変らないからね……。そんな理由でいちいち泊めてたら、外にいる浮浪者全員を泊めてやらなきゃならなくなってしまうからさ……。恨まないでおくれよ……」
同情はしてもらえたものの、さすがに商売上の融通をきかせてもらうことまではできなかった。
結局、宿に泊まることもできず、今夜は路上の傍らで寝ることになりそう、とひとり肩を落として街を歩く。
少しでも風の当たらない場所はないかと路地裏を覗くと、至るところで浮浪者を見かける。
この街に来てからいままでそんな場所、気にも留めていなかったので気づきもしなったが、こうしてみると結構な数が見受けられた。
職も寝床もない、そんな人たちがこんなにもいるのか……。
そんな厳しい世界で、俺はこれからどう生きていけばいいのだろうか……。
絶望しかなかった……。
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