第7話 異世界の洗礼
遺跡のある森の入口に到着する。
日もかなり落ちてきているため、今日はこの辺りで野営することとなった。
さすがに夜の森に入るのは危険だからだ。
近くの岩場に雨露をしのぐのにちょうどいい横穴があったので、そこに荷物を置き野営の準備を始める。
「火を起こすのに、少し小枝や落ち葉を拾ってきてくれ。なるべく乾いているものをな」
焚火の火の起こし方といえば、小学生の時に林間学校で習ったような気がするがうろ覚えだ。
薪は持ってきたが、いきなりそれに火が付くわけではなかったはず……。
ここはスヴェンに任せて、その指示に従うことにしよう。
「あまり森の奥には行くなよ。クマやオオカミが出るかもしれないからな」
そう注意されて、背筋に冷たいものを感じる。
鬱蒼と生い茂る森の木々が、これまで以上に薄気味悪く見えた。
ここまでの道中、なんのトラブルもなく来ることができた。
途中なにか魔物にでも遭遇するのではないかと、期待しながらも内心びくびくしていたが、正直なところ拍子抜けだったくらいだ。
まるでハイキングにでも来たかのよう気分だった。
しかし日も傾き、薄暗くなり始めた森の中に入り一気に緊張感が高まってくる。
この奥には、クマやオオカミが住んでいる……。
いや、もっと別の魔物とかもいるかも……。
さっさと拾うものを拾って戻ろう、と思った。
しかし、意外と乾いている小枝が落ちていない。
俺は知らず知らずのうちに、森の奥へと進んでしまっていた。
そして、いつの間にか森の薄気味悪さに慣れてきてしまい、緊張感も解けてしまっていたようだった。
「薪に火をつけるのって、面倒くさいな……。火の魔法とかで、ぱっとつけれたりしないものなんかね……。火打石を使うって、何時代なんだ、ここは……?」
俺は、まるで心細さを誤魔化すかのように、独り言をぼやきながら牧拾いをつづけた。
前世の自分たちの時代なら、マッチやライターなどの便利なものがあった。
しかし、この世界ではそんな便利な物、まだ発明されていないようだ。
ひょっとしたら、マッチでも作って売り出せば大儲けできるのでは……?
転生前の知識を使って、異世界にない物をつくり出し、それで成功する。
これも異世界転生ものによくある黄金パターンじゃないか!
俺は、まるで天啓を得たかのように大喜びしたが、今回もまた、すぐにその考えの甘さに気付き我に返る。
あれ? そもそもマッチって、なにでできているんだ……?
文系出身の、しかも大して勉強もしていなかった俺にとって、たかだかマッチ一本だが、その材料もつくり方もわかるものではなかった。
確か、『リン』っていう物質使うんだったよな……。
でも、そもそも『リン』ってなに? どこにあるんだ?
鉱石みたいにどっかの山を掘ったら出てくるものなのか?
こんなことすらわからない。
前世なら、ネットで調べればわかったことだろう。
「せめて、スマホが使えれば……」
そう独り言をこぼしつつ、がっかりと肩を落とす。
その時だった。
完全に気が抜けていた。
いや、警戒していたとしても、俺では気づくことができなかっただろう。
俺の頭上から、なにかが落ちてきた。
そのなにかはヌメリとした物体で、俺の頭から顔にまとわりついてくる。
そしてそのまま俺の鼻や口を塞ぎ、さらに鼻の穴や口の中に入ってこようとする。
気道が塞がれて息ができない……!
声も出せない……!
苦しい……!
このままでは、し、死ぬ……!!
えっ、死ぬ!?
いや、死ぬってどういうことだ?
確か転生した時に、死なない体にしてもらったはずなのでは……?
しかし、意識はだんだんと遠退いていく。
「おい! 大丈夫か!」
意識が朦朧としかけたところ、スヴェンの声が聞こえた。
「おい、アンナ! 松明に火をつけて持ってこい! 急いでだ!」
スヴェンがアンナに指示を出し、彼女が慌てて駆けつけてくる。
謎の物体に顔を塞がれて見えないが、そんな一連のやり取りの様子が聞こえてくる。
「熱いが我慢しろよ! アンナこいつを押さえていろ!」
嫌な予感がする……。
そう感じた次の瞬間。
ぐああああ! あつ、あつ、熱いいいいい!!
顔に火のついた松明が押し当てられる。
その熱さに耐えられず、俺はのたうち回ろうとするが、二人に押さえつけられて動くこともできない。
松明の火によって、謎の物体はその体を蒸発させていく。
しかしそれと同時に、俺の顔の皮膚や肉も焼かれていく。
「ふう……なんとかなったな……」
「一時は、どうなることかと思いました……」
「…………」
俺の鼻や口を塞いでいた物体は取り除かれ、ようやく息ができるようになったが、顔中に大火傷を負ってしまい、目をうまく開けることも口をうまく動かすこともできなくなってしまった。
そのため、二人に礼を言うことすらできなかった。
「あちらで治療をしましょう」
そう言って、アンナが手を引いてくれる。
女の子に手を握られる。
本来ならうれしいことなのだが、顔中の大やけどの痛みと二人に対する申し訳なさで、そんな感情になれなかった。
「いまから治癒魔術で治療をしますが、じっとしていてくださいね」
野営地に戻り、傷の手当てを受ける。
治癒魔術……この世界で初めて見る魔法に、傷の痛みも忘れそうなぐらい期待が高まっていた。
「おお、我らが母なる慈愛の女神よ、そのいつくしみの光にて傷つきしかの者を癒し給え……」
おお! なんかそれっぽい!
感動する俺に向かって彼女が呪文を唱えながら、俺の顔の前に手をかざす。
暖かい光が俺の顔を包み、徐々に傷が癒えていく。
段々と、徐々に、少しずつ……。
ん……?
「ふう、これで大丈夫ですよ」
なにやら違和感のようなものに気付いた俺に向かって、彼女は治療が終わったことを教えてくれる。
しかし顔にはまだ若干の痛みが残り、腫れも完全に引いていない。
「これで……終わりですか……?」
「はい、あとは明日の朝まで安静にしていてください」
そう言って彼女はにっこりとほほ笑むが、なんだかそれが前世の医者の治療を受けて、「あとはお大事にー」と言われた時と同じ状況に思えた。
「えっ!? これで終わりって、完全に治らないんですか?」
「いえ、一応治癒魔術によって回復力は促進されていますので、明日の朝くらいまでには治るとは思いますが……」
一応完治はするが、その場でぱっと治るものではない……
そう言われ、前世の医術と比べれば完治するだけでも凄いものだと思うのだが、もっと瞬時に治るものと思っていただけに、ちょっと期待外れな感じがしてがっかりしてしまう。
「すみません……私の腕が未熟なせいで……」
そんな俺の態度を自分のせいと勘違いしたのか、彼女が謝ってくる。
これはなんたる失態か。
かっこいいところを見せて、初めてパーティーを組む美少女に惚れられる。
そんな甘い計画が、初っ端から破綻してしまいそうだ。
かっこいいところを見せるどころか、逆に助けられて、さらには治療してもらったのにそれに対して不服そうな態度をとってしまった。
最悪の印象しか与えていないだろう……。
「いえ、そう言う意味では……」
なんとか取り繕おうとしたが、次の言葉が出てこない。
そこに、スヴェンが話に割り込んでくる。
「はははっ、そう言ってやるなよ。瞬時に傷を治すなんて、熟練した治癒魔術士でも無理だぞ。」
「熟練した……でもですか……?」
「ああ! 王宮お抱えのこの国最高の治癒魔術士でも、大けがを治すには数日かかるらしい」
「そんなにかかるのですか? それじゃ、もし腕や足を切り落とされたりしてしまったら、どれくらいかかるものですか?」
「ひょっとしてお前、魔術を万能なものと思ってないか? そんなの無理に決まってるだろ!」
手足を切断されたら治療は不可能……。
そうなると、死んでしまった者の蘇生術とかはどうなるのだろうか?
いままでの話から考えるに、死者の蘇生など間違いなく無理な話だろう。
俺は、先ほど謎の物体に窒息死させられそうになったことを思い出し、ぞっとした。
「しかし、さっきの相手がスライムでよかったな! あれがクマやオオカミだったら、食いちぎられて今頃お前の手足はなかったかもよ!」
俺の考えていることを知ってか知らずか、スヴェンがそんな物騒なことを言う。
それは置いておいて、先ほどの謎の物体は、やはりスライムだったか……。
スライムと言えば、ゲームの中では最序盤に出てくるモンスター。
最弱中の最弱モンスターだ。
俺の頭の中に、玉ねぎのような形をしたヘラヘラとした笑いを浮かべるヤツの姿が浮かんでくる。
あんなのに殺されそうになるとは……。
「さあ、そろそろ寝るとするか! まず、俺が見張りをやるから、お前は先に寝てくれ!」
食事も済ませ、明日に備え就寝となる。
が、野営をしているわけである。
当然、寝ている間も警戒が必要である。
火を焚いていれば獣も寄ってこないだろうとは思われるが、その火の番をしなければならない。
先にスヴェンが見張りをしていてくれるということで、俺は薄い毛布に身を包み、その場に横になった。
目を閉じて眠ろうとするが、なかなか寝付けない。
昨夜スヴェンの部屋に泊めてもらったが、雑魚寝だったため、あまりよく眠れていないはずなのに……。
この後、見張りを交代し、朝まで起きていなければならない……。
朝が来れば、森に入らなければならない……。
スライムごときになにもできなかったのに、森の中ではもっと魔物に出くわすかもしれない……。
もうこれ以上、二人に迷惑をかけるわけにはいかない……。
そんな考えが頭の中をぐるぐるする。
考えれば考えるほど、ますます眠れなくなる。
なかなか寝付けずに、焦り始める。
焦れば焦るほど、さらに眠れなくなる。
……悪循環がつづく。
とは言え、寝付けるまでかなり悪戦苦闘はしたが、やはりここまでの疲れもあったのか、俺はいつの間にか眠りについていた。
しかし眠りが浅かったのか、なにやら物音が気になり目を覚ましてしまった。
いや、聞こえたのは物音ではなく、声だった……。
しかもただの声ではなく、なんとも艶めかしい声が聞こえてくる。
えっ? いま、ここでそんな声出せるのって、アンナくらいしかいないよな……?
えっ? なに? アンナ、なにしてるの……?
俺は気になったが、必死に目を閉じていた。
しかし、好奇心……
いや、スケベ心には勝てず、そっと薄目を開ける。
そして、衝撃的な光景を目にしてしまう。
男女の営みの真っ最中のスヴェンとアンナの姿だった……。
え? なに? なにしてるの二人とも……?
いや、ナニしてるんですよね……?
俺の頭の中はパニックになっていた。
二人はそういう関係だったのか……。
かわいい子と旅ができて、うまいこと仲良くなれたら……なんてバカな妄想をしていたけれど、よくよく冷静になって考えてみれば当然のことだった。
男女二人がパーティー組んでいれば、普通そうだよな……。
そんなことを考えているうちに、二人の行為は終了していた。
賢者モードに入ったスヴェンが、不意にこちらを向く。
……やばい!
バレないように、うっすらと目を開けていたつもりだったが、ばっちり目があってしまった……。
「すまねえ……起こしちまったか……?」
さすがに怒られるかと内心びくびくしていたが、かけられた言葉は予想外のものだった。
そしてさらに俺は、次に彼の口から出た言葉に驚かされる。
「お前も、するか?」
「…………」
一瞬、思考が停止した。
しかし、彼はそんな俺に構わず言葉をつづける。
「まぁ、おれはやる事やったから、いまから寝させてもらうから好きにしな……」
そう言って、すぐに彼は毛布に体を包み横になってしまった。
俺は、焚火越しに向かい側に座るアンナを見る。
裸のまま、じっとこちらの返事を待っているようだ。
いまの状況がどういうことなのか、さすがに察しが付く。
つまり彼女は……。
「あの……あなたは……します?」
痺れを切らしたかのように、彼女が問いかけてくる。
「それって、つまり……買うか……ってことですよね……?」
「はい、有り体に言えばそういうことになりますね……」
確定だった……。
ショックだった……。
まだ二人が恋人同士だという話のほうが、どれだけマシだっただろうか。
こんな清純そうな子が娼婦なんかやっているなんて……。
「いつもこんなことをしているんですか?」
ついついそんな野暮なことを聞いてしまった。
「えぇ、まあ……」
「しかし、なぜこんなことを……?」
「……あなたは、本当に冒険者の事情を知らないんですね?」
確かにこの世界に来て、まだ2日……。
冒険者の事情どころか、この世界のこともわからない。
ましてや冒険者の事情が、娼婦をすることとどう繋がるかなんてさっぱりだった。
「私たち治癒魔術士は、基本、戦闘に加わらないことはお話ししましたよね?」
「はい、確か武器を購入しに行ったときに……」
「それで普段は、なるべくパーティーの邪魔にならないように後ろにずっと控えていることが多いのですが、そのため報酬は戦闘職の人たちと比べてかなり少ないんですよね。ケガ人が出ればその人を治療して報酬を稼ぐこともできますが、けが人がまったくいないと報酬は雀の涙ほどです。」
「それでほかの方法で稼ぐために、こんなことを……?」
「はい……。ですが、みんながみんな、こんなことをやっているわけじゃないですよ……。 治癒魔術士の中にも、武芸を磨き戦闘に積極的に参加している人もいますから」
報酬は均等に山分けということではなくパーティーへの貢献度によって、ということのようだ。
それで、報酬の少ない者はなにか別のことで補わなければならない。
なるほど、確かに納得はいった。
納得はいったはずだが、別のところでなにかもやもやとしたものが残った……。
「それで先ほどの治療の件ですが、ツケにしておきますので街に帰ったらちゃんと払ってくださいね」
言われて、はっと気付く。
そうだった、ケガの治療をしてもらったのだった。
そのほかにも、スヴェンに装備の購入代金を立て替えてもらっている。
この探索から帰った時、俺の報酬はあるのだろうか……?
「ツケのついでと言ってはなんですが、こちらもツケでいいので、しますか……?」
そう聞かれるが、なぜかその気になれなかった。
こういった行為にどこか抵抗があったのかもしれない。
そうでなくとも、これまでいろいろあり過ぎて疲れてしまっていた。
「いや、やめておくよ……」
「そうですか……。では、私も寝ますので、後のことはよろしくお願いしますね」
俺がやんわりと断ると、彼女は残念そうにしながらもいそいそと服を着て寝てしまった。
ひとり残された俺は、じっと焚火を見つめながら火の番をする。
そして、転生してからのことをぼんやりと思い返していた。
たった2日のことだが、随分と時間が経ったような気がする……。
「……はっ!」
考え事をしながら火の番をしていたが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい……。
慌てて焚火を見るが、いつの間にか火は消えてしまっていた。
やばい! 早く着けないと……!
再び火を着けようとするが、燃え尽きた薪に火は着かない。
新しい薪をくべて火を着けようとするが、いきなり火が着くわけがない。
早くしないと二人が起きてしまう。
俺は、焦りながら火打石を何度も何度も打ち付けた。
「ん、どうした……?」
焚火が消えて寒くなったせいか、俺がバタバタと物音を立てていたせいか、二人は目を覚ます。
「おい! お前、なにやってんだ!!」
焚火が消えていることに気付いたスヴェンが、跳ね起きて俺を怒鳴りつける。
その時だった……。
「ワォオオオオオーーーーーーーーン!! 」
「グルルルル……」
オオカミたちの遠吠えが聞こえる。
「まずいぞ! 囲まれている……!」
スヴェンがそう叫んだと同時に、黒い巨大な影が、俺たちの目の前に飛び込んできた。
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