アメノとハバキリ

デバスズメ

本文

「とんでもない田舎道だったな……」

額の汗を拭いながら歩くのは、青味がかった髪と作務衣が特徴的な青年、雨野 伊吹(あめの いぶき)。

「カハハッ!たまにはいい運動になっただろ?」

Tシャツ姿で雨野の横を歩くのは、赤い髪が特徴的な青年、羽々斬 陽(はばきり よう)。


二人は、真夏の太陽が照りつける中、車がギリギリすれ違えるかどうかの細い山道を歩いていた。

「お前が駅で買い食いしなけりゃバスに乗れたんだがな……」

「しょーがねーだろ?せっかくの旅行でうまいもん見逃すわけにはいかねーよ」

天野の言葉をさらりと流す羽々斬。


それから二人は歩き続け、太陽がそろそろ傾いてきた頃だろうか。ようやく目的地にたどり着いた。

「おー!いい雰囲気の温泉じゃねーの!はやく探検しよーぜ!」

「待て待て」

今にも走り出しそうな羽々斬だったが、雨野に服を引っ張られて止まる。


「まずは宿だ。というか、今日は宿で休まないとやってられない」

「そんじゃあ調査は明日からってことか?」

「ああ、まずは休ませてくれ。祠の調査は、万全の体調で挑みたいんでね……」

雨野の言葉に、羽々斬はニカっと笑う。

「あいよ!」


――――――――――


時刻と場所は変わって、夜の食堂。

「風呂は最高だったな!」

「うん、飯もうまい」

二人が泊まった宿は観光目的というよりは、長期滞在用の安宿だ。昔から湯治目的の客が利用していたが、今は違う目的の利用者もいる。……例えば、道路工事の作業員などだ。


雨野と羽々斬は食堂に集まっている人々を見渡す。この中に、祠を壊した者がいるかもしれない。……そして、一人の中年男性に目をつけた。

「やあやあ、どうもどうも!」

羽々斬がビール瓶をもってその中年男性に近づく。

「ん?なんだあんたは?」


「オレぁただの旅行好きで、羽々斬って言います!旅先で色んな人と話すのが好きなんですよ」

羽々斬はそう言いながら、中年男性が持つコップにビール瓶を傾ける。

「お、おお……」

中年男性は流れに乗せられて羽々斬のビールをコップで受ける。


さっきまで見ず知らずだった二人だが、羽々斬の手であっという間に会話する関係が築き上げられた。

「おじさんも温泉目的でここに?」

「いや、俺は仕事でな」

中年男性はビールを飲みながら答える。


「へー、なんの仕事?もしかして、小説の取材だったり?」

「はは、そんなんじゃねえよ。道路工事しにきただけの、ただの土方だよ」

「そりゃあ、お疲れ様です!ここまでの道は狭かったですからね。あの道が広くなるんならみんな喜んでくれるでしょ」


羽々斬は更にビールを注ぐ。饒舌なリズムは相手にも伝播し、情報を聞き出す効果がある。そして、アルコールがそれをブーストする。

「いや、俺は新しい道を作ってんだ。あの道を広くするのは難しいってんで、山奥の方に道伸ばしてトンネル掘ろうって計画なんだが……」


中年男性は言葉に詰まり、手に持つコップのビールを飲み干す。

「何かあったんですか……?」

羽々斬は神妙な面持ちで声をかけながら、空いたグラスにビールを注ぐ。あまりにも自然な動作に、もはや中年男性からは、羽々斬への警戒心が完全に消えていた。


「ああ、今日の作業を始めようかって時だったんだが、急に土砂崩れが起きて重機が下敷きになっちまってな」

「ええ!?大変じゃないですか!」

「まあ、幸いケガ人は出なかったんだが、工事は中断になっちまってな。しかも、先週も同じようなことが……」

中年男性は何かを恐れるように語る。


「先週もですか?」

「そうなんだよ。大雨で地盤が緩んだってわけでもねえのに、いきなり岩が落ちてきて重機が壊れちまった。そんときはまだ偶然だと思ってたんだが、二度も起こると、だ……」

中年男性は一度言葉を遮り、ビールを飲んでい一息つく。

「……もしかして、祟かもしれねえ」


「その話、詳しく聞かせていただけませんか?」

いつの間にか側に来ていた雨野が中年男性に声を掛ける。

「あ、あんたは?」

「あ!こいつはオレのダチっす!一緒にあちこち旅行してるんスけど、オカルトに目がないんスよ」

「はじめまして、雨野です。友人の羽々斬がご迷惑を」


「いやいや、迷惑だなんてとんでもねえ!むしろ、誰かに話したかったところだ。こんな話、誰も信じちゃくれねえかもしれねえんだから」

中年男性は申し訳無さそうに言うと、前のめりになって話し出す。

「じつは、先週に落石で重機がダメになったって言ったが、その前日、祠を壊しちまっていな」


「え?祠、壊しちゃったの?」

羽々斬がわざとらしく驚いて答える。

「でもよ、壊していいか確認は取ったんだ。何年も手入れされた後がなかったし、ここの住民は誰も祠のことを知らなかったんだ」

雨野は中年男性の表情を伺うが、確かに、嘘ではなさそうだ。


「それは、妙ですね」

雨野が口を開き、自論を続けて述べる。

「祠に祀られた神は、祀った人々の思いで神になる。つまり、誰も覚えていない祠があったとしたら、そこにはもう神はいないはず。それなのに祟があるとは妙なこと」


「確認したって言ってましたけど、本当に全員に確認したんですかい?」

羽々斬がビール瓶を差し出しながら中年男性に問う。

「もちろんだ!壊してしまった祠の写真を持って、この地域すべての家で聞き込み調査をしたさ。だが、祠の由来どころか、祠があったことすら誰も知らなかったんだ」


中年男性はコップに注がれたビールを飲みながら答える。

「その祠の写真、見せていただくことはできますか?」

「ん?ああ、それならちょうど持ってるぜ。ほら、これだ」

中年男性は雨野に写真を見せる。

「ほほう、なるほど……」


雨野は写真をじっくりと見る。写っているのは、破壊された木製の祠だ。何年も手入れされていないといっていたが、実際は何十年も手入れされていないであろうことは、障子の破れ具合から察しがついた。だが、それ以上に雨野が不思議に感じたことがあった。

(御神体が無い……?)


多くの祠には、神が宿るために御神体が収められている。それは御札であったり像であったり様々だが、どうあれ祠が破壊されているのならば御神体も顕になっているはずだ。だが、中年男性が見せた写真には、それらしきものが一切写っていない。


「すみませんが、この祠の近くに、御札や彫像のようなものはありませんでしたか?」

「いや、無かったな。無かったからカラの祠だと思ったんだが」

雨野の問いに中年男性が答える。


「そうでしたか……」

雨野は礼を言って中年男性の元を去ろうとする。

「おいおい!」

雨野を止めたのは羽々斬だ。

「せっかく旅先でこの方とお知り合いになれたんだぞ。親睦を深めないでどうするよ!」


羽々斬は楽しそうに笑い、食堂横の厨房に注文する。

「おーい!ビールもう一本追加お願いしまーす!」

「はーい!」

厨房から元気な声が聞こえてくる。羽々斬の雰囲気が伝播したのか、妙に雰囲気が明るい。

「今夜はとことん飲みましょう!」


「ハッ!若いモンに言われちゃあ敵わねえな!」

中年男性は上機嫌で返事をする。

「やれやれ、羽々斬はいつもこうだ……」

雨野は呆れたように覚悟を決める。どうやら長い夜になりそうだ。


――――――――――


……翌日、雨野と羽々斬は温泉街で祠について聞き込み調査を行った。しかし、成果は芳しく無く、新たな情報を得ることはできなかった。

「聞き込みは脈なし」

「明日は郷土資料館あたりでも調べてみようぜ」

「それがいいだろうな」

二人が明日の計画を算段していたその時だ。


「祠のこと調べてるのって、おじさんたちですか?」

その声に二人は振り向いた。声をかけてきたのは中学生くらいの大人しそうな少年だった。

「僕、死んだおじいさんから祠の話を聞いてて……」


「おい!」

いきなり声を出したのは羽々斬だ。少年の目線に顔を合わせるようにしゃがみ、そして、少年の両肩を掴む。

「ひ!」


突然の自体に萎縮する少年。こうなってしまうのも無理はない、見知らぬ大人に両肩を掴まれ身動きが取れなくなってしまうのだ。その恐怖は計り知れない。

「こら!」

ゴンッ!

「痛ってえ!」

雨野のゲンコツが羽々斬に炸裂する。


「子どもを怖がらせるんじゃないよ」

悶絶する羽々斬をよそに、雨野はしゃがんで少年に問いかける。

「私は、幽霊や心霊現象の話が好きであちこち旅をしている雨野です。失礼ですが、キミの名前は?」

少年は少し落ち着いたようで、ゆっくりと名を名乗った。

「三村(みむら)です」


「ありがとう、三村くん。それで、おじいさんから聞いた祠の話なんだけど、私達にも教えてくれないかい?」

雨野は三村の目を見て問いかける。その目は、子供だましなどでは決してない、嘘偽りのない純粋な"興味"の視線だった。


「い、いいけど……」

三村は、雨野の視線に飲み込まれたかのように言葉を紡ぐ。

「死んだおじちゃんが言ってたんだ。昔は、兎狩りの兎を祀って供養してたんだって。それから、兎の神様は山で迷わないように導いてくれるって」


「……そうか、わかったぞ」

雨野は呟いて立ち上がる。

「三村くん、キミの力が必要だ。協力してくれ」

「え!?な!なんのことですか!」

あまりにも突然申し出に、三村は萎縮する。


「あー、まあ、な……」

萎縮する三村に対して、羽々斬がしゃがみ込んで声を掛ける。

「お前のじいちゃんが信じてた兎の神様がちょいと悪さをしてるかもしれねえんだが、じいちゃんの血を引くお前が協力してくれるなら、解決できるかもしれねえってことなんだわ」


「神様……?どういうこと?」

困惑する三村に対して、雨野が答える。

「助けてくれるなら、逢魔ヶ時に私達を祠まで案内してほしい。そうすれば、すべてが分かる」

「おうまがどき……?」


「夕暮れ時、と言ったほうがわかりやすかったね。すまない」

雨野は薄っすらと開けた目で微笑み、立ち去ろうとする。

「あ……、あの……!」

三村が何かを言いかけた時、羽々斬が振り向く。

「頼りにしてるぜ。また後でな」

「はい……」

三村は立ち去る二人の背中を見つめ、しばらく呆然としていた。


――――――――――


……そして、時刻は夕暮れ。太陽は沈みかけ、西から橙の光で空を染め上げている。同時に夜の気配が迫り、東から群青に空を染めている。光と闇、昼と夜、この世と常世……二つの世界が入り交じる時間、逢魔ヶ時が訪れた。


「これがその祠か」

「見事にぶっ壊されてるな」

雨野と羽々斬はぐずれた祠を見下ろす。

「誰も知らなかったくらいだし、手入れもされてなかったと思う」

二人を連れてきた三村は、どこか物悲しそうな表情で祠を見る。


「だが、妙だな。神の気配が全くしない」

「どういうこと?」

三村に問われた羽々斬は、答えを続ける。

「祠ってのは、神の家みたいなもんだ。家を壊されたら当然怒るが、他に帰る場所もないから仕方なく居座ることが多い。はずなんだが……」


「ならば、探してもらうとしよう」

雨野はそう言うと、腰の巾着袋から一つの小さな箱を取り出す。それは木で作られた細工箱のように見える。

「それは何?」

「これは祠だ。小さいけど、中には神が祀られている。今から神を呼び出す」


「もしかして、その箱を壊すの……?」

恐る恐る問いかける三村に、雨野は微笑んで答える。

「まさか。少し開いて、力をお借りするだけさ」

雨野はそう言うと、手に持った箱のフタを開けるように捻る。すると、ボタンのように丸いパーツが浮かび上がる。天野の持つ箱は、秘密箱と呼ばれる細工。決められた手順でのみ、その箱は開かれる。


「よく見てくれよ。キミにも神が見えるはずだ」

雨野は木箱のボタンを押す。すると、その小さな祠から犬神が飛び出した!

「わあ!」

三村が驚いて叫ぶ。


「よーしよし、いい子だポチ」

雨野は犬神の体を撫でる。

「ワン!!」

ポチと呼ばれた犬神は元気に返事をする。


「え?ポチ?神様なのに?」

ますます混乱する三村を見ていた羽々斬が説明する。

「こいつは元々、猟犬を供養した祠で生まれた神だ。その祠が壊されるってんで、天野が引き受けたのさ」

「へー、神様っていっても、普通の犬っぽいんだね」

三村がポチに近づくと、ポチは尻尾を振って三村を見上げる。こうしてみると、普通の犬と区別がつかない。


「ああ、そう望まれて生まれた神だからな。神ってのは、人間に信じられて初めて存在できる。だからそのあり方も、どうあって欲しいと信じられているかで決まっちまう」

「そうなんだ。あ……でも、それって……」

羽々斬の言葉を聞いた三村は言葉に詰まる。


「キミの思う通り、兎が祀られている祠のことを誰も知らなければ、そもそも神はいなくなっている」

「やっぱり、この神様が怒ってるのは、僕がそう信じてるせいなんですね」

三村は、淡々と説明する雨野の言葉を聞き、今回の騒動の原因が自分にあると考えてしまう。


「いや、それは違いますよ」

雨野は、気落ちしそうな三村に声を掛ける。

「キミがおじいさんから聞いた話では、兎の神様は山で迷わないように導いてくれると言っていた。人を襲うという話は聞いていなかったはずだ」

「うん……」


「キミが信じる神様はこんな悪いことはしない。神が荒ぶったのは、他にも原因があるはずだ」

雨野はそう言うと、ポチに指示を出す。

「ポチ、この祠にお住いになっていた神を探せるか?」


雨野の指示を聞いたポチは、壊された祠の匂いを嗅ぐ。

「スンスン……」

猟犬の神であるポチは、動物神の匂いを嗅ぎ分ける能力を持つ。特に、狩猟の対象となるモノならば、その鼻はより鋭利に得物を嗅ぎ分ける。


「ワン!」

ポチが立ち上がり、山奥に伸びる獣道に向かって歩き出す。

「それじゃあ、行こうか。キミも着いてきてくれ。キミの信じる神を、助けに行こう」

「……はい!」

雨野と羽々斬、そして三村は、ポチの後を追って山に入る。


――――――――――


……三人と一柱が数分歩くと、開けた草原にたどり着いた。よく見ると、朽ち果てた小屋がある。

「こんなところに家があったんだ」

三村はここに初めて来たようで、少し驚いている。


「随分昔のに人が住まなくなったのでしょう。昔はこのあたりまで人が住んでいたようですが、木の家は、人が住まないとすぐに駄目になってしまいます。例えばこの柱なんか……」

雨野が呑気に解説をしようとしたその時だ。

「ヴヴッ!!バウッ!!」

ポチが朽ち果てた小屋に向かって吠える!


「なんか居やがるな!」

羽々斬が三村を庇うように前に出る。

「どうやら、これが悪さをしていた張本人というわけですね」

雨野が小屋を見つめる。


「いいかい、三村くん。これから起こることを、すべて見届けてほしい。神のあり方を決めるのは人だから」

「……」

雨野の言葉に三村は無言で頷く。


三村には、はっきり言ってこの状況が理解しきれていなかった。だけど、なぜかわからないけれど、雨野と羽々斬の二人は、自分を信じてくれている。ならば、自分も、二人を信じたい。その思いが、覚悟に繋がった。


「……よそ者、山に入るべからず」

三人と一柱が見つめる小屋の跡から、不気味な声が聞こえる。

「……山の宝、よそ者にわたすべからず」

声は黒いモヤの塊となり、次第に禍々しい実体を持ち始める。

「……山の宝を盗むよそ者、許すべからず!」


恨みと怒りに満ちた声が、ついに完全な実体を持つ。その姿は、古の弓を持つ狩人だ!

「やはり、霊だったか!」

雨野は狩人の霊を睨む。

「霊……神様じゃなくて?」

雨野の言葉を聞いた三村は問う。


「神は、生きる人の思いが形になったもの。霊は、死して尚この世に残る強い思いが形を持ったもの。故に……」

雨野は戦いの覚悟を決める。

「今を生きる人に害をなす霊は、倒さねばならない!」


雨野はポチの祠を左手に握る。そして、どこからともなく木彫細工に使うノミを取り出して右手に握り、大きく振り上げる。

「神よ!今再び安寧の祠を破壊する無礼、お許しください!」

祈りの声と共に、雨野はノミを振り下ろす!


バギャンッ!!


ポチの祠が、壊された。


「グルル……」

祠が破壊されると同時に、ポチの全身が震え、毛が逆立ち、牙が巨大になる。祠という枷を破壊されたポチは、今や目の前の得物を狩り殺すために全身全霊を賭ける猟犬となったのだ!


「ヴォン!!」

荒ぶるポチが狩人の霊に襲いかかる!

「猟犬ふせいが!狩人に逆らうか!」

狩人霊の弓射撃!

「ヴォッ!!」

荒ぶるポチは紙一重で躱し前進!そのまま腕に噛みつく!


「ガウァ!!」

荒ぶるポチの鋭く長い牙が、狩人霊の腕に食い込む!

「ええい!狩人に逆らう駄犬めが!」

狩人霊は短刀を取り出し、荒ぶるポチの腹を突き刺す!


「グルルッ!」

ポチは噛みつき続けようとする!だが……。

「手を!離せ!この!犬が!」

狩人霊が何度も短刀を突き刺す。


「グァ……」

狩人霊の容赦ない攻撃に、荒ぶるポチもうなだれる。

「ポチ!」

三村が叫ぶが、その声も届かない。もはやここまでか……。


……否!

「雨野、ちょいとばかり、暴れてもいいよなぁ?」

羽々斬が雨野に問う。

「ああ。その代わり、負けることは許さない。お前は、最強だ」

雨野の許し……すなわち"人"の許しが、"神"に降りた。


「おうよ!!」

羽々斬は答えるとほぼ同時に、人間には不可能な速度で狩人霊に突撃し、顔面に拳をぶちかます!

「ぐああ!」

ふっ飛ばされる狩人霊!同時に、荒ぶるポチも自由になった。


「天野!ポチはもう限界だ!祀ってやってくれ!」

「わかっている!」

雨野は巾着から新しい秘密箱を取り出す。それは一度も開けられた痕跡の無い、清らかなモノだ。


「祀られる祠なき荒ぶる犬神よ!ここに新たな祠を拵えさせていただいた!どうか静まり給え!」

雨野は祝詞を唱えながら、荒ぶるポチに向かって秘密箱を突き出す。

「ヴ……ヴァン……!」

雨野の声に導かれるように、荒ぶるポチは新たな祠に入っていった。


「よし、あとはあいつをぶちのめすだけだな!」

羽々斬は雨野の方に振り返って笑う。同時に、羽々斬の胸部に矢が貫通する。背後からの射撃。確実に心臓を貫く致命傷の一撃。放ったのは、羽々斬にふっ飛ばされた狩人霊だ。


「ックカカッ!戦いの最中、敵に背を向けるとは愚の骨頂!!」

狩人霊は高笑いしながら立ち上がる。

「心の臓を貫いた!我らが山を犯す不届き者め!思い知ったか!カーカッカッカッ!」


三村はこの状況を見守るしか無かった。どのような結果であれ、戦いを見届ける覚悟が、神を見定める責任が、自分にあるのだと、理解していた。

「……」

だからこそ、動けなかった。羽々斬が死ぬというのに、側に駆け寄る衝動をも抑え込んでいた。


だけど。頭では理解していても、心は抑えきれない。

「は……」

前に出たら死ぬだとか、そんなことはどうでもいい。人だとか神だとか、そんなこともどうでもいい。今はただ、「羽々斬が死んでしまうかもしれない」という感情が、三村を埋め尽くしていた。

「はばきりさ……」

三村が思わず走り出そうとした。だが、雨野の言葉で立ち止まった。


「あー、壊しちゃいましたか……"羽々斬の祠"」

「え……?」

三村は雨野を見つめる。


「羽々斬の心臓は、私が作った秘密箱。とある場所で祀られていた剣神が収められているんです」

雨野の言葉に共鳴するかのように、羽々斬の体が光りだす。


「祠を壊された神よ、どうかその怒りをお収めください。贄は、眼の前に御座います」

雨野の祝詞が、羽々斬の秘められた力を開放する!


「うおおおおお!!」

羽々斬が吠える!同時に、羽々斬の腕に一振りの巨大な剣が握られる。その長さ、握り拳が十個分。伝説に名高い、十拳剣(とつかのつるぎ)だ。


「ま、まさか……その姿は……!」

狩人霊が驚くのも無理はない。十拳剣といえば、日本古来の伝説の剣だ。それぞれ異名は数あれど、その中でもひときわ有名な剣がある。

「アメノハバキリ!!」


天羽々斬!かつてヤマタノオロチを討ち取ったとされる十拳剣。羽々斬の御神体は刀の欠片だが、それが本当に天羽々斬の一部だと証明する証拠はない。だが、その欠片が天羽々斬であると信じる人間がいれば、神はそのような存在となり、そのように振る舞うのだ!

「羽々斬!死してなおこの世に害なす霊を、斬り伏せろ!」


「ぶった切る!!」

羽々斬は十拳剣を大上段から切り下ろす!

「ぐわあああ!!」

狩人霊真っ二つ!爆散!


その瞬間、心臓の形の秘密箱を構えた雨野が叫ぶ!

「贄を喰らいし荒ぶる剣神よ!新たな安寧の祠を拵えさせていただいた!どうか静まり給え!」

「ああん?オレ様はまだ暴れ足りなグアアア……」

荒ぶる剣神は再び鞘に収められる。心臓形秘密箱を埋め込まれた羽々斬は傷がふさがり、再び人間の羽々斬としての自我を取り戻す。


そして、辺りは静寂に包まれた。

「終わったの……?」

戦いを見守っていた三村が問う。

「いいえ、最後にやることが残っています」


雨野は巾着から、新品の秘密箱を取り出す。

「祀られし兎の神よ!新たな祠を拵えさせていただいた!願わくば、我らが願い聞き届け、どうか祀られていただきたい!」

……雨野の祝詞には、直ぐには反応は無かった。


だが……。

「あ!あっちに兎さん!」

三村が、木々の間から顔を出す兎神を見つける。

「おいおい!あっちこっち兎神だらけじゃねえか!」

羽々斬が言う通り、周囲には無数の兎神の姿が見える。


「どうやら、この祠では少々手狭なようですね」

雨野はフッと笑った。これほどまでに神を信じる人がいるならば、ここの神は安心して任せることができる。その安心感が、雨野の顔に漏れ出していた。


――――――――――


……数日後、木彫細工家の工房にて。

「あれから事故も起きてないんだってな?」

羽々斬はコーヒーを入れたカップを2つ持ち、雨野が座る作業机に近づく。


「ええ。通行人を見守る神様がいるということにして、兎神を祀る祠を新しく建てたようです」

雨野は羽々斬からコーヒーを受け取り、一口すすってスマホの画面を見る。そこには、旅行者が撮影した兎祠の写真が写っていた。


「よかったじゃねえか。で、次はどこに行くんだ?」

「まだ決まってないよ。でも……」

雨野は作成途中の秘密箱を見つめ、言葉を続ける。


「忘れられる前に、いろいろな神とお話したいね」

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