ヒロシマの謀神

齋藤景広

はじめに

 私は毛利元就。現在の広島県の戦国武将だ。広島といえば、カタカナで書いたら原爆を落とされたという意味があるそうな。実に14万人が命を落としたという。毎年8月6日には、犠牲者を弔う儀式が行われる。皆、戦争のない世の中を願っている。しかし私が言いたいのはそれだけではない。

 私は原爆投下からおよそ400年前の広島にいた。1555年、すなわち原爆投下から390年前、私は厳島神社で謀反人の陶晴賢を倒した。この厳島の戦いの時には、赤い鳥居と海の境の区別ができなくなるほど海は血に染まった。向こう側の死者は4000人にものぼった。4000人、決して少なくない数である。

 私が生きていた戦国時代は、血で血を洗うような時代であった。親子や兄弟で争うのも当たり前である。これは、常日頃残酷なことが武将たちによって行われていたことを意味する。つまり、戦国時代の戦も第二次世界大戦や太平洋戦争と全くの別物とは言えないことだ。

 にもかかわらず、戦争を起こした軍人は戦犯扱いされて、戦国武将は英雄視される。一体全体、この二つの違いは何か?私は、この謎を解き明かしていきたい。

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ヒロシマの謀神 齋藤景広 @kghr

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