ゆうくん
小紫-こむらさきー
ゆうくん
「ねえ、
シャワーから出るなり、俺のスマホを右手に持った
怒っていなければ猫みたいな顔をしていて可愛いのにな。そう思いながら俺は髪の毛をタオルでわしわしと拭きながら「は? なんだよ。してねーよ」と反射の様にそう答えた。
「ドンキホーテ新宿明治通り店!」
「ああ?」
「ドンキホーテ新宿明治通り店って電話に登録してる女、いるでしょ!」
「勝手に電話に出るなって言っただろ!」
ドンキホーテ新宿明治通り店の名前が出た時点でぎくりとした。ハッタリでどうにかならないかととぼけてみたが、どうやら
風呂に入るときにスマホを置いていくんじゃなかったと後悔しながら、俺はタオルをその場に落とし
付き合ってから七年。そろそろプロポーズもしようと思ってるし、こいつを手放すつもりはない。
「なあ、
「でも、ドンキホーテ新宿明治通り店は
「
「
頬を膨らませて俯く
本当にちょろくて可愛い最高の本命彼女。それに比べて
「
真っ暗な画面にはトップが長めのウルフカットの自分が映っている。今日も相変わらず顔だけは良いなんて思いながら顔認証でスマホのロックを解除した。
それから電話帳を開いてドンキホーテ新宿明治通り店を削除する。せっかくバレにくいようにLINEを使わずにわざわざ電話番号にしたのにな。
ちょっと短気なところもあるが、押しに弱く、流されやすく、実家が太くて、本人もそれなりにちゃんとした企業の正社員で金も貯金もある。
こうして彼女のマンションに転がり込んで、良い生活を出来ているのだから彼女のを最優先にするのは当たり前のことだ。
「
「いや、俺も
「仕事が仕事だからしょうがないよ。私の理解が足りなくて、いつも
「困らせていいんだって。売り言葉に買い言葉でキツく言っちゃうけど俺は
我ながらよくもまあこんな歯の浮くようなセリフがすらすらと出てくるなって思う。でもまあ、これで俺の生活が守れるのなら吐きそうなくらい甘い言葉なんていくらでも言える。
「
軽くついばむようなキスだけで終わったことに不安を覚えたのか、目を開いて小さな声で俺の名前を呼ぶ彼女に笑いかけ、細くて白い彼女の手首をそっと握る。
「ベッド、いこ?」
そういって
スマホを枕元に投げながら愛しい彼女を抱き寄せて、今度は深く口付けを交わす。
感じやすくて濡れやすいのも彼女の好きなところの一つだ。
「愛してるよ。本当に……
「
「なんだよそれ。まあいいや、しよ?」
唇を離し、愛を囁き合った後にもう一度深いキスをして、彼女の内部に手早くゴムを付けてから熱を持った自分自身を挿入する。
交わる水音と、彼女の嬌声を聞きながら何度も何度も
そのまま汗ではりついた
「愛してるよ
「
そう言ってくれながら微笑んだ可愛い彼女を抱きすくめたまま眠りについた。
「……でさあ、ゆうくんはどうなの?」
誰かと話している
見えたのは
「ええ? 家に? 22時までなら平気だよ。あの人は帰ってこないから」
その時間に家にいることが少ないのは俺だ。
まさか、浮気か? 俺のことを大好きで、押しに弱くて、ちょろい
今すぐに起きて彼女からスマホを取り上げたくなるけれど、それは耐えて布団の中で拳を握りしめる。
「じゃあ、明日なら来ていいよ。……うん、ゆうくんに会えるのが楽しみ。それでね、この前話してたドレスのことなんだけど」
良いことを聞いた。明日は平日だし、急に休んだところで文句も言われないだろう。それに、用事が出来たから帰れないと
通話を終えたらしい
寝ぼけたふりをして彼女を後ろから抱きしめながら、まだ見ぬ間男ゆうくんに対してどう立場をわからせてやるかを想像したまま眠りに落ちた。
「
朝八時半。いつもの時間に
昨日、間男と電話していたことなんて俺が勝手に見た悪夢みたいだ。
めずらしく情事の最中にゆうくんなんて可愛い呼び方をされたせいで見た夢なのかもしれない。そんなことを考えながら二度寝をし、再び起きたのは昼過ぎだった。
昨日、彼女が間男と話しているのを見た瞬間に感じた不快さを上書きしたくてそんなことを考えながら飯を食い終わらせた。
時間を潰していつもの出勤時間に家を出て、それから適当にネカフェで時間を潰す。終電がなくなる時間を見計らって玄関の前に立つ。
鍵を取り出してドアへ差し込もうと思ったら、玄関のドアがひとりでに開いた。
視線をあげた先にいたのはスーツの男だった。少し癖っ毛だが清潔感のあるマッシュウルフの黒髪とタレ目がちなのに強気そうな印象の笑顔を浮かべたそいつは「はじめまして」と玄関の前にいた俺を怪しむことなく声をかけてきた。
「はじめまして。僕は
まるでビジネスマンみたいに爽やかに自分の名を告げた男――
「みーちゃんなら、今コンビニにゴムを買いに行ってますよ」
「は?」
爽やかなビジネスマンじみた格好をした男からはとうてい聞けないような単語を聞いて、思考が停止する。俺の
「あ? お前が間男の間違いだろ。図々しい」
俺の名前を知っていることよりも、こいつに間男呼びをされたことが腹立たしい。
反射的にそう言い返しても、
「ははっ、本当に何も聞いてないんですね。僕はみーちゃんの婚約者ですよ。先日、彼女のご両親にも挨拶をしましたし」
「は?」
婚約者?
混乱して動きを止める俺の肩を抱き寄せた
「これ、ブライダルフェアに二人で行ったときの写真です。こっちが式場の下見に両家で行ったときの写真」
最後にいつ見たのかわからないくらいはしゃいだ
「みーちゃんと
喉から漏らすような「ククク」という抑えたような笑い声を出しながら、
「お前……」
「……あ、みーちゃん、そろそろ帰って来るみたいですよ。ほら、こっちにきてください」
殴ってやろうかと思ったが、
「NTRって言えば見抜きでしょう?」
笑顔のまま、両目をきらきらさせた
「このまま出ていけばエレベーターで彼女と鉢合わせしますよ。僕の目の前で惨めにみーちゃんから別れを告げられます?」
腕を振り切って出直そうと玄関のドアの前から離れようとしたが、そう言われて足を止める。少しだけ考えてから意を決して俺は家の中へ入ることを決めた。予想外のことの連続で冷静な判断を出来ていないと気が付いていたが、もうどうすることも出来ない。
「ほら、急ぎましょう。あ、靴はちゃんとクローゼットの中に持っていってくださいね」
脱いだ靴を片手に勝手知ったる我が家の廊下を通って寝室へ向かう。それから大きなクローゼットを開いて中へ入った。
俺がクローゼットの中へ入ったのを確認して、
「ゆうくんのサイズ、なかなかないんだから忘れないでよね」
「でもさ、僕たち結婚するんだからいつもみたいに生でよくない?」
「せっかく出来てないんだから、ドレスを着るまでは避妊するの!」
胸が痛くなる。俺の知らない男と親しげに話す
思わず口を右手で抑えながらクローゼットの扉に顔を押し付けて、隙間から外を見ようとする。心臓の音がうるさいし、走ってもないのに呼吸が浅くなる。
何を話しているのか聞いているはずなのに頭に会話が入ってこない。穏やかな笑みを浮かべた
「ゆうくん、愛してる」
俺には言わない言葉が聞こえて、今すぐ出て行ってやろうかと思った。思っただけで俺の足は動こうとしない。
「みーちゃん、愛してるよ」
「ゆうくん、私も! ゆうくんのこと誰よりも愛してる」
ベッドに横たわった二人の姿はここからはよく見えないけれど、衣擦れの音、不愉快な水音が嫌でも耳に入ってくる。
暗がりの部屋でクローゼットの中から見えるのは激しく背中を仰け反らせて体を痙攣させている
ただただ惨めに自分の股間に熱を持たせたまま、朝まで続く二人の行為を見ているだけしか出来ないでいた。
「
「……あ」
呆然として、そのまま寝てしまったのか、忌々しい柔らかな低い声と柔和な笑顔で起こされる。慌てて寄りかかっていた体を起こして辺りを見回していると「みーちゃんならもう仕事にいきましたよ」と言われて、安堵する。
「なんだよ。間男の俺をあざ笑いに来たのか?」
ニコニコこちらを見ながら俺に声をかけてきたムカつく男にそういうが、
「
と付け加えて、俺から離れていく。
「……変態野郎」
「ふふ。そうやって罵ることであなたの溜飲が下がるのなら、なんと言ってくれても良いですよ」
クローゼットの中からようやく出て、部屋を見渡したが、昨日あれだけ乱れていたにもかかわらず部屋は整然としていた。ゴミ箱の中もチラ見してみたが昨日の情事を思い出させるようなものは一つも残っていなかった。
昨日以外もああやって俺たちのベッドで交わっていたのかと思うと、再び吐き気のようなものが込み上げてくる。
何も言えずに、玄関に向かう
玄関を出て行く直前に、
「ああ、それとみーちゃんと結婚後、この家の名義はあなたに譲るので新居を探す必要は無いですよ。今後の家賃は払えるくらいの稼ぎはありますよね?」
ただただ惨めな気持ちのまま、去って行く爽やかな雰囲気のカス野郎の背中を見送ることしか出来なかった。
ゆうくん 小紫-こむらさきー @violetsnake206
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