浅慮
惟風
嬉しい
端的に言うと俺は幽霊だ。
そして今、俺の彼女と親友がセックスしている現場を天井から見下ろしている。
遮光性の高いカーテンの隙間からは月明かりが差し込む。荒い息遣いと嬌声、肌を打ちつける音が部屋に響く。
暗闇の中でも
必死に腰を振る
満に優奈を紹介したのは俺の人生最大の失敗だ。あいつと俺の好みが似通っていることは昔からわかっていたはずなのに。それでも、まさかあの意気地なしが優奈を本気で手に入れようとするなんて思いもしなかった。同じ女を好きになってもあいつはいつだって片想いを拗らせたままで何もできずにいた。勝者は常に俺の方だった。
少し控えめで、清楚に見えて芯のあるタイプをいつも好きになった。優奈も例に漏れずそういう性格だ。情に厚くて、とことんまで尽くしてくれて、でも折れない。従順過ぎないところが良かった。俺はズブズブに嵌まった。
陰でどれだけ派手で気のいい女と遊んでも、結局は優奈の元に帰ってくるしかなかった。
大学時代から付き合って三年、そろそろ身を固めるつもりだった。結婚式の余興の相談で、満と優奈の二人を引き合わせた。
初めて優奈を見た時のあいつの瞳のギラつきようは、今思うと異様だったかもしれない。
でも当時の俺はそんなことに気づきもせず、俺達小学生の時からの幼馴染でさ、なんて満の肩を叩いてみせた。満はいつもみたいにヘラヘラして、優奈はそうなんだ、と柔らかく笑っていた。
「優奈、き、綺麗だ」
優奈に覆い被さった満が言う。息が上がって、汗で前髪が額にべったり貼り付いている。憎しみで視界が明滅する。
何が「綺麗だ」だ。お前にこんな暗がりで何が見える。お前に優奈の何がわかる。優奈はもっと淑やかで、リードされるのが好きなんだよ。そのはずだった。
なのに、目の前の優奈の口からは俺の知らない高い声が発される。見たこともないほど乱れて、跳ねる。その度にベッドが不愉快な音を立てて軋む。優奈の首筋を満の舌が這う。怖気が走る。
俺は幽霊で、実体が無い。だから二人を止めることができない。何にも触れられない。
声も出せない。なのに音は生前よりもはっきりと聞こえて、二人が混じり合う様を感じ取れてしまう。吐息、振動、水音といった生者の息遣いが俺に叩きつけられる。
満は俺の喪も明けないうちから優奈にすり寄っていった。優奈の知らない俺と満の思い出話を彼女に語って聞かせた。俺と話す時は卑屈さすら感じるヘタレようだった男が、別人のように饒舌だった。でもその内容といえば、俺を懐かしんでいるように見せかけてその実巧妙にネガティブなエピソードばかりだった。暴露と言って良かった。
満と想い人との仲を取り持つはずのグループデートで、俺がその想い人と連絡先を交換して翌週から付き合い出したこと。
俺の浮気のアリバイ作りに何度も協力させられたこと。俺が優奈と付き合ってからもそれがあったこと。
こんな奴の話なんて聞くなと俺は何度も優奈の耳元でわめいた。満を呪い殺せるような悪霊になりたかった。なれなかった。願いは虚しく死は俺だけのものだった。
満が下心を隠そうともせず優奈を口説くまでに、さほど時間はかからなかった。最初は戸惑っているようだった優奈だったが、悲しみを癒やしたいと囁く満の誘いを次第に受け入れるようになっていった。簡単に流されてしまったのは俺という恋人を失って心が弱っていたせいか。
そして、今夜とうとう身体まで。
優奈はうっとりと目を閉じている。
無駄な足掻きとわかっていても、俺は恋人に呼びかけずにいられなかった。
優奈。
ゆうな。
「絶対、しっ、幸せに、する、から」
満が動くと優奈も揺れる。
顎を上げて、仰け反って、薄く開いた唇から息が漏れている。腕を絡めて満の肩にしがみつく。
俺はあまりにも惨めだった。成仏なんてもってのほか、この場から消えたくても消えられないでいた。何故まだここにいなければいけないのか、俺は優奈の側から離れることができない。こんな状態で、優奈への未練をどうやって断ち切れば良いのか。泣きたくても涙は出ない。それでも無音で叫ぶ。
優奈。
お前、騙されてるんだよ。
なあ、気づけよ。
気づいてくれよ。
こいつだよ、こいつなんだ。
満が俺を殺したんだ。
世間的には俺は夜道で暴漢に襲われて死んだことになっている。犯人はまだ捕まっていない。でも俺は死ぬ前に犯人の、満の顔を確かに見た。
その時は動機まではわからなかった。今ならわかる。優奈、お前をモノにするためにこいつは。
すると優奈の瞼が
幽霊になって初めて、優奈が俺のことを認識した瞬間だった。思わず身を乗り出した。
俺だ優奈、わかるか。聞こえるか。今すぐ逃げろ、とにかくこいつから離れるんだこいつは人殺しだ。信じてほしい、俺はこいつに殺された。
懸命に捲し立てた。優奈はそんな俺の様子をずっと見つめていた。夢中になっている満の声が裏返る。
「初めて、会った、時からっ、好き、だった」
優奈は満に貫かれながら、フッと笑みを溢した。目が三日月の形に細められていく。視線だけは俺を捉えたまま、満の頭を抱えて耳に唇を寄せる。微かな息と共に甘い声を吐いた。
――すごく、嬉しい。
満が、短く鳴いて弛緩した。
浅慮 惟風 @ifuw
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