第2話
月日は流れた。
紳士はめっきり姿を見せなくなった。
花を贈るようなイベントがないからかな……
そんなことを考えながら店先に立っていると、常連のお客さんの一人である林田さんがやってきた。
林田さんには旦那さんと娘さんがいて、娘さんがピアノのコンクールに出る時に、お祝いの花を買っていくことが多い。
林田さんは話し相手が欲しかったようで、いつものようにペラペラと喋りだした。
「お隣の旦那さん、いつも家族にお花買っていたみたいで、偉いな~って思って」
家族に花を買っていく?
それって、あの紳士のことかな?
私は聞いてみた。
「お隣さんって……ひょっとして一ノ瀬さんですか?」
「そうよ。まったく、うちの旦那なんて一回も私に花なんて買ってくれたことないんだから。お隣さんを見習って、っていつも言っているんだけどね」
まさか、うちの店の常連さんが、お隣同士で住んでいたなんて。
「あの……一ノ瀬さん、最近来ないですし、なんだか昔より元気ないみたいですし……」
「そりゃそうよ、奥さんと娘さん、いっぺんに亡くしたんだから」
「え? いつですか?」
「そうねぇ……去年のクリスマスだったんじゃない? ケーキを買いに行く途中で二人共、車にはねられたって聞いたわよ。それで、一人暮らししていたみたい」
「去年のクリスマス? あの……一ノ瀬さんにお子さんって何人かいますか?」
「かすみちゃんっていう娘さんが一人だけだったはずよ。私の娘とピアノ教室が同じで、仲良くさせてもらっていたんだけどね。亡くなってしまって、娘もかなりショック受けちゃって」
「え? え? 一ノ瀬さん、娘さんの入学祝いとか誕生日や結婚記念日のお祝いとかで、今年もお花を買っていたけど……」
「……あら? そうだったの? 一ノ瀬さん、今年はあの家にずっと一人暮らししてたわよ。他に誰も出入りしている様子もなかったし」
「じゃあ、何のためにお花を……」
「奥さんや娘さんのこと、忘れられないんじゃないかしら……仏壇とか墓前にお供えしていたんじゃない? ホント、一ノ瀬さん、いい人だったんだけどね」
「……いい人だったって?」
「あら? 知らなかった? 一ノ瀬さん、最近、お亡くなりになったの。前から病気だったとは聞いていたけど、急に悪くなって突然死みたいな感じで。やっぱり男の人って、やもめになるとダメよね」
あの一ノ瀬さんが、亡くなった……
私は店を閉めると、臨時休業の張り紙を貼った。
林田さんに住所を聞き、一ノ瀬さんのおうちを訪れてみることにした。
ここだ。表札に「一ノ瀬」って書いてある。
家の中は暗く、誰も住んでいない。
玄関の前に、子供用の自転車が放置されている。
消えかかったペンの字で、「いちのせ かすみ」と書かれていた。
一ノ瀬さんは、奥さんとお子さんを亡くしてからも、ずっと花を買い続けていた。
小学校に入学できなかったのに、入学祝いを。
迎えることができなかったのに、誕生日、結婚記念日のお祝いを……
心の中で生き続ける奥さんやお子さんのために、一ノ瀬さんは花を買っていたんだ。
天国にいる奥さんや娘さんに届けたい思いを、花に託していたんだ。
一人のお客さんとして私の店を支えてくれていた一ノ瀬さん。
私は一ノ瀬さんに届けたいものがあっても、もう届けることはできない。
それでも……
一ノ瀬さんに、そして、一ノ瀬さんのご家族に、届けたい、私の思い。
持参した花束を、そっと玄関の前に置く。
青紫の美しく気品あふれる花びらが印象的な
この桔梗の花と花言葉を、一ノ瀬さんに届けたい。
花言葉は、『永遠の愛』『誠実』。
奥さんには、
一度だけお店で会ったのことのある奥さん。
“立てば
この言葉をそのまま表したかのような人だった。
芍薬の花言葉は、『はにかみ』『幸せな結婚』。
かすみちゃんにはやっぱり、かすみ草。
白いかすみ草を花束にした。
花言葉は、『幸福』『無邪気』『清らかな心』
一ノ瀬さん、奥さん、かすみちゃん。
私は三人の冥福を祈り、花を捧げた。
* * *
久しぶりに息子が帰省した。
付き合ってきた彼女と、そろそろ結婚したいとのこと。
我が子も一ノ瀬さんみたいに、家族に花を贈るような旦那になるのだろうか。
「母さん、プロポーズするときに、指輪と一緒に花束も贈ろうと思っているんだけど……」
「ふふふ……母さんに任せなさい! いいのを選んであげるわよ! さぁ、どんな気持ちを届けたい?」
「届けたい気持ちか……ええっと……」
花を選んでいる時の表情を見るのが大好き。
それが我が子となると嬉しさもまた、格別である。
「この花にはこんな花言葉があってね……」
< 了 >
あの人に花束を 神楽堂 @haiho_
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