あの人に花束を

神楽堂

第1話

 フラワーショップの朝は早い。

 仕入れた花を店頭に次々に並べていく。

 花屋は小学生の頃からずっと憧れていた仕事。

 私は『フラワーショップさくさく』の店長、咲田さくた佳菜江かなえ

 自分の店を構え、ついに子供の頃の夢を果たすことができた。


 花屋をやっていてやりがいを感じるのは、やはり、お客さんの笑顔を見ることができた時。


「はい、どうぞ」


 私がアレンジした花束を渡すと、お客さんの顔がぱっと輝く。


「ありがとうございます!」


 ここはお店なのだからお礼を言うのは私のはずだけど、上手に花束を作ることができると、お客さんはとびきりの笑顔を見せて、私にお礼を言ってくれる。

 そんな時、私は花屋をやっていてよかったな、としみじみ思う。


 お目当ての花があって買いに来るお客さんや、なんとなく見た目で選んで買っていくお客さんもいるけど、どの花にしようか店先で延々と悩むお客さんもいる。


「どなたかへのプレゼントですか?」


 声を掛けると、お客さんは照れながらも語ってくれる。

 その照れている顔を見るのも私は好きだ。

 お客さんは “届けたい思い” を、花に込めて買っていく。


 そこで、私は店内に『花言葉』を掲示することにした。

 花を決めれない時は、花言葉を参考にしたら選びやすいかも、と思ったからだ。

 そして、花と一緒に花言葉も贈れば、きっと思いも届けられるはず。


 胡蝶蘭こちょうらんには、こんな花言葉カードを掲示した。

 『幸福が飛んでくる』『発展』『あなたを愛します』

 名の通り、まるで蝶が舞うかのような優雅な胡蝶蘭。

 その花言葉は、お祝いごとにぴったり。

 お遣いで買いに来たお客さんが、


「なるほど、だから胡蝶蘭を贈るんだ」


と、花言葉カードを見て納得してくれたりもする。


 マーガレットには、『恋を占う』『真実の愛』『心に秘めた愛』と書いたカードを掲示。

 花びらを摘みながら、好き、嫌い、好き……と恋占いに使われた花なので、このような花言葉になったとのこと。

 この花言葉カードを見た若いお客さんたちが、


「告白の時、マーガレットの花束とか持っていったらドキドキだよね」


と、はしゃぐ様子もなんだか微笑ましい。


 さて、この仕事を長く続けてきたおかげで、常連のお客さんも増えてきた。

 そんな常連さんとの会話も、私の楽しみの一つ。


 今日も、とある紳士がやってきた。

 いつも、照れくさそうに花を買っていく。


「結婚記念日なので、妻に花を贈ろうと思って」


 なんてステキな旦那さんでしょう。

 この紳士は、毎年、必ず私のお店で記念日の花を買ってくれる。

 けれど、なかなか自分では決めることができないみたい。

 私は声を掛ける。


「今年はどんな気持ちを届けたいですか?」


「えぇ、やっぱり『感謝』かな」


 紳士は、『感謝』の花言葉カードがついた花を探す。


「感謝でしたら、たくさんありますよ。白いダリア、赤いカーネーション、トルコキキョウ……」


「悩むなぁ……」


 毎年、奥さんにお花を贈るなんて、きっとこの紳士は奥さんのことが大好きなんだ。

 私はこの花を薦めてみた。


「ピンクの薔薇なんてどうですか?」


 紳士の顔が、ぱっと輝く。


「いいですね! これにします!」


 この紳士からピンクの薔薇をもらえる奥さんって、いったいどんな人なんだろう?

 そんなことを妄想しながら、私は花束を作っていく。


 ピンクのバラの花言葉は、『感謝』『しとやか』。

 おしとやかな奥さんなのかな?


* * *


 今日もあの紳士がやってきた。

 なんだか嬉しそうである。


「いらっしゃいませ。今日はどんな花にしますか?」


「あの……赤ちゃんが産まれたんです」


「それはおめでとうございます!」


「いやもう、かわいくてかわいくて」


 この紳士、これからは奥さんだけじゃなくて、お子さんにも花を贈るようになるんだろうな。


 紳士は花言葉カードを見ながら、こう言った。


「『幸福』『無邪気』、かすみ草って、こういう花言葉だったんですね」


「えぇ。かすみ草はアレンジで使われることが多いんですけど、かすみ草だけの大きな花束も、とってもステキですよ。いかがですか?」


 きっと、この紳士の赤ちゃんは、花言葉通りに無邪気な笑顔で幸せに育っていくんだろうな……


「いいですね。でも、かすみ草って白ですよね。産まれたのは娘なんで、赤い花がいいかな、とも思っているんですよ」


「だったら、赤いかすみ草はいかがですか」


「赤もあるんですか」


 紳士は花言葉カードを見つめる。

 赤いかすみ草の花言葉は『感激』。


「今の私の気持ちにぴったりです! これにします!」


 実はそろそろ、お子さんが誕生する頃かな、って思っていたところ。

 なぜ分かったのかと言うと、産科に入院している奥さんに花束を届けたいと言って、お花を買っていったことがあったから。

 で、そろそろ臨月かな、と思って用意していたんだよね。

 男の子が産まれても、女の子が産まれても、どちらでも大丈夫なように、白の他に赤いかすみ草、仕入れておいてよかった。


 私は花束を作り上げ、紳士にこう言った。


「かすみ草って、ベビーズブレスとも言うんですよ。赤ちゃんの吐息、愛おしい人の吐息、って意味です」


「へぇ、じゃあ、ますますぴったりだ!」


 紳士はとびきりの笑顔で、かすみ草の花束を抱えて帰っていった。

 お客さんの笑顔は私を元気づけてくれる。

 花屋をやっていて本当によかった。



 かくいう私は、子育てを終えて今は独り身。

 夫を病気でなくし、息子は独り立ちして遠い地で頑張っている。

 この紳士がなんだか我が子のように思えてしまう。


* * *


 奥さんや娘さんの誕生日にも、この紳士は必ず花を買いに来た。

 いつかこの紳士の奥さんや娘さんを見てみたい!


 そんなある日、ついに紳士の娘さんを見ることができた。

 なんと、娘さんを連れて花を買いに来たのだ!


「いらっしゃいませ」


「カーネーションをください」


 母の日ということもあり、たくさんのお客さんがカーネーションを買いに来ていた。


「ほら、香澄美かすみ、どの色のカーネーションにする?」


 かすみ? 娘さんの名前、かすみちゃんなんだ……

 出産祝いの時に、かすみ草を買っていったことを思い出した。

 私が包んだ花が、この娘さんの名前になっている……

 そのこともなんだか嬉しく、そして、尊いことのように思えた。


「あかとぴんくがいい!」


 紳士は花言葉カードを読み上げる。


「え~っと、カーネーションの花言葉は、赤が『母への愛』、ピンクが『感謝』か。かすみ、いいのを選んだな」


 お父さんに頭を撫でられて、かすみちゃんはとっても嬉しそう。


「娘さん、かすみちゃんって言うんですね。じゃあ、かすみ草もアレンジに入れておきますね」


「いやぁ、いつもステキな花束を作ってくれてありがとう」


「いえいえ、いつもご贔屓にしていただき、こちらこそありがとうございます」


 花屋の仕事は朝は早いし、立ちっぱなしで足はむくむし、水を扱うから手は荒れてしまうし、なかなか大変なことも多いけど、お客さんとのこういうやり取りがあるからこそ、やりがいをもってこの仕事を続けていられる。


 この紳士の奥さんってどんな人かな。

 いつか会ってみたいな。


* * *


 ある日のこと、おしとやかで綺麗な女性が、女の子を連れて花を買いに来ていた。

 連れている子は、前に見たかすみちゃんだ!

 前に見たときより背が高くなっている。

 幼稚園の制服を着ていて、名札には「いちのせ かすみ」と書いてある。

 そっか、あの紳士は一ノ瀬さんっていうんだ。


「今日はね、パパに買ってあげるのよ。お誕生日だから」


「いつもパパがおはな、かってくれるけど、きょうはママがかうの?」


「そうよ。お誕生日おめでとうってパパに渡すのよ」


 私は声をかける。


「お誕生日のお祝いですか。それでしたら、ガーベラはいかがですか。花言葉は『希望』『辛抱強さ』『常に前進』なんですよ」


「そうなんですか。ステキな花言葉ですね。では、ガーベラにしようかな」


「ふふふ。旦那さんにはいつもお世話になっております」


「うちの主人、ここの花屋さんはオススメだぞ、っていつも言っているんですよ」


「それは光栄です。旦那さんにもよろしくお伝えください」


 奥さんは予想通り、『淑女』といった感じの人だった。

 この家族の幸せに、私は花を通じてささやかな貢献できているような気がして嬉しくなった。



 それからはしばらく、花を贈るようなイベントがなかったようで、あの家族が店に来ることはなかった。

 なんとなく張り合いがないというか、もちろん、その紳士の他にも常連さんはいたのだけれど、私は心の何処かで、またあの家族の笑顔を見たいと思っていた。


* * *


 クリスマスローズの仕入れは、毎回悩む。

 名前はクリスマスなのに、入荷は二月から。

 どうにも名前と季節とが合わない。

 それでも、かわいくてステキな花なので買っていくお客さんもいる。

 今年も少しだけ仕入れて、店頭に並べておいた。


 今日は雨が降っている。

 やはり、晴れていないと花の色も映えないものだ。

 店先に並ぶ花たちも、どこか物悲しそうに見えた。


 おっと、お客さんだ。


「いらっしゃいませ」


 そこに立っていたのは、あの紳士一ノ瀬さんだ。

 クリスマスローズをじっと見つめている。

 なんとなく、いつもより元気がないみたい。

 私は声をかける。


「もうすぐ春なので、クリスマスローズ、名前のせいであんまり売れないんですよ。でも、かわいいお花でしょ? どうです、買っていかれませんか?」


「……クリスマスか…………よし、お願いしようかな」


「ありがとうございます」


 クリスマスローズの花言葉は、『私の不安をとりのぞいてください』。

 売れ残ったらどうしようと思っていた、私の方の不安がとりのぞかれたような気がした。

 紳士さん、いや、一ノ瀬さんだっけ。

 いつもありがとう。


* * *


 四月。

 新生活が始まる月。

 入学祝いでお花を買っていく人が多い。

 あの紳士も、買いに来てくれるかな?


 来た!

 久しぶりだ!


「娘が小学校に上がったので」


「そうですか。ご入学おめでとうございます!」


 紳士は花言葉カードを見て、花を選んだ。


「スイートピーでお願いします」


「ありがとうございます! スイートピーの花言葉は『門出』『優しい思い出』。新学期にぴったりですね!」


 それからも紳士は、結婚記念日、奥さんの誕生日、娘さんの誕生日に、花を買いにやってきた。

 元気がないような気もしたけど、花束を渡した時に見せてくれる笑顔は相変わらずだった。


* * *


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