第8話 くちびる、くちびる、愛を告げて

デパートでキスをするのはあまりにも周りへの迷惑を考えていないのではないか。ぼくと望夢くんが出した結論であり、それならばと彼はぼくの手を引いてずんずんと歩き始めた。行き先はおそらく彼のバイト先であり、ぼくがよく通っているゲイが多く集まるバーだろう。ぼくは彼がそこでアルバイトスタッフとしてホールを回しているのを知っているし、ときどきは面倒な酔っ払いの相手をしたり、常連からの指名に答えてアルコールを摂取してみせたりと、いろんなことをやっているのを知っている。マスターにあれでアルバイトはやり過ぎでしょ、と伝えたこともある。けれどもアルバイトでいたがるのは望夢くん本人の意思らしい。いつかこの店を出てまっとうに働くから、ここで正規採用をしないでほしい、といういかにも真面目な彼らしい発言だった。そういうクソ真面目なところとか、変なところで自分ルールにこだわったりだとか、そういうところも変わっていないな、なんて思って安心するぼくがいる。バーで常連さんたちと話している内容によると、ちょくちょくと恋人を作っては別れ、作っては別れを繰り返しているらしい。高校時代は猥談一つでなにげなくその場を離れていたけれど、今では常連さんが振ってくるど直球な下ネタにすら笑顔で返しているのを見てしまって、なんとなくぼくはそれに嫉妬したんだ。そう、ぼくは、ずっとずっと望夢くんのことを追いかけていた。

高校卒業してすぐ、それぞれの大学に入ってちょっとした頃、望夢くんはある日突然、ぼくたちのような仲良しグループで作られたラインのグループを退会した。個別に連絡しても連絡は取れなくて、唯一何気なく連絡を取れていたのがぼくの幼なじみこと、阪下雄大だった。彼と連絡を取りたいと雄大に言ってもとりあってもらえずに、大学の四年間をぼくは、ほとんど勉強と望夢くん捜しに費やした。雄大が止めるのも聞かずに、とにかくどこかの大学に居るんじゃないかと思ってインカレサークルには入れるだけ入ったりして、とにかくぼくは望夢くんを探して奔走した。雄大と望夢くんが付き合った可能性もあると考えて、阪下のおばさんに聞いてみたりもしたけれど、残念なことにそれはなかった。雄大の男遊びがひどいから、彼氏でも作って落ち着いてくれたらいいんだけどね、とおばさんが嘆くほどに男遊びをしていた雄大は、なにをやっても絶対に望夢くんのことだけは教えてくれなかった。飲み会と称して潰しても、一切彼のことを漏らさなかった。やっぱり付き合ってんじゃないかな、とぼくが探りを入れていたらある日、雄大がいつもと違うバーに行くようになったことを知った。男あさりのためじゃなくて、酒を飲むためのバー。というか成人したばかりの大学生が入るにはずいぶんと敷居が高そうなスナックだった。ぼくは追いかけて不自然じゃないように入店して、そこでひっくり返りそうになった。

ホールにはなんと、あんなに探していた望夢くんがいたのだ。まるで望夢くんじゃないみたいにしゃきっとして、けれどもどこか望夢くんらしくやんわりとした明るいひとが、そこでは働いていた。彼は高校時代に、告白しないと振り向いてすらもらえないことで有名なひとだったから、ぼくはタイミングを見計らっているうちに次のひと次のひとと付き合い始めてしまって。告白しなかったから、いなくなっちゃったんだと思ったんだ。ぼくはね。けれど好きなひとに、大好きなひとに二股をかけさせるようなことはもっとしたくなかったから、ずっと一人になる瞬間を待って、そうして告白しようと思っていた。望夢くんが付き合う人間のことを大事にしないことは高校時代から有名な話だったけれども、ぼくには少しだけ勝算があった。

高校時代、目が合うと顔をちょっと赤らめたりだとか、少しだけ挙動不審になったりすることは、ぼく以外を相手にするとほとんどなかった。ぼくにだけそういうことをしてくれていたから、これは望夢くんはぼくのことが好きなんだろうなと、心の底から信じていた。けれども望夢くんはぼくにもなにも言わずに表の世界から消えてしまって、夜の世界を飛び回る蝶々になってしまっていた。すごくきれいで、すごく美しい姿になっていた。チャンスがあったなら抱きたいと思うくらいに美しくて、ぼくはフロアスタッフをただ眺めているだけの不審な客になってしまっていた。ただ、マスターはすぐにいろんなことを察してくれたらしく、ぼくはバーの一角に座る常連客として、そのバーに存在することを許された。当時の望夢くんはかなり荒れていたらしい。実家からは弾き出されて、ゲイだということを認めてももらえなかったらしい。病気だ病気だと言われて大変だったらしい。全部伝聞なのは、全部マスターから聞いたからだ。


「もしかしておまえさ、トリ、湊……どっちで呼んで欲しい?」

「みーくんがいいな♡」

「うるせえやつだな」


口調が荒っぽいのは昔から。湊じゃ雄大と呼び方が被るし、トリだと他のみんなと一緒になってしまう。ぼくはその他大勢になりたいんじゃなくて、望夢くんの大切な存在になりたいのだから。そんなありふれた呼ばれかたでは納得できない。

通い慣れた(ことはまだ教えていない)バーのドアの前に立ち、合鍵を出して扉を開けていく。ずんずんと歩いて行って、バックヤードに案内された。彼の手は相変わらず冷たい。ぼくは覚えているよ。初めて男の先輩に呼び出しをされたとき、なにをされるのかわからずにいた望夢くんは指定された場所のちょっと前まで、ぼくの手を引いて向かったんだ。緊張していたからずっと指先が冷たくて、とにかくかわいいなって思ったのを覚えている。そういうかわいいところをたくさん持っているのが望夢くんだ。道ばたで彼氏に急に自分の性的指向を暴露されても、戸惑って逃げるしかできない、筋肉フェチな望夢くんだ。ぼくが近くにいなくても変わらないままだった。だからこそぼくは愛を伝えたいし、彼とキスだってしたい。そのさきのことだっていっぱいしたい。

だけどまずは、ぼくがきみのことを愛しているよ、って伝えたい。


「で、トリ、おまえなんで俺のこと見つけて、なんにも知らないフリしてたの」


元彼ともめたときとか、言うチャンスあったでしょ。不機嫌そうにくちびるの先をとがらせるのは、昔から変わっていない癖のひとつだ。すねているときは絶対にくちびるの先がとがる。かわいいところがあるなあ、ってずっと思っていた。ぼくがなにも答えないでいると、今度は彼がことばをたたみかけるように話しかけてきた。


「あそこの角に座ってる常連客も、トリだったんだ」

「みーくんがいいんだけど」

「なんでなんにも言わなかったの」

「なんでって……きみが知られたくないのかなと思って」


ゲイなのは薄々感づいていたし、高校時代はもっと奔放に彼氏をとっかえひっかえしていたから、本人はいちいちカミングアウトしなくても大丈夫だと思って過ごしているんだと思っていた。それなのに急にいなくなるから、何かあったんじゃ無いかと思うだろ。そういった主旨のことを伝えてやると、望夢くんは不機嫌そうにして、そうしてぼくのほうをにらんだ。


「おまえのこと、大好きだったのに」


へ?ちょっとまって、頭が追いつかない。ぼくのことを大好きだったのに、と言ったよね、彼は。誰が誰を大好きだったんだろう。しかも残念なことにこれらは過去形で綴られてしまっている。現在進行形ではないので、その好かれていた誰かはあっさりと失恋してしまったことになる。待って待って待って。最初におまえのこと、ってつけたよね。てことは大好きだったのはぼくのことなんだろうか。もう現在は好きじゃないってことなのかな。声に出して確かめればすぐなのに、どうしてもそれをするのが怖くていけない。ぼくは今でも望夢くんのことを好きだし、愛していると言っても良いくらいには好きなんだけど。会えない時間が愛を育てたんだけど。きみはそうじゃなかったってことなのかな。会えない時間は愛を育てなかった?それとも、もう他に誰かに告白されて、そのひとのことを好きになってしまったのかな。だから、過去形とか?

頭の中がぐるぐると回っているような気持ちになってしまって、なにも言葉を継ぐことができないでいる。ただ目の前でかったるそうにバックヤードの定番である少しほこりっぽい壁に背中を預けて、そうして腕を組んでいる。ねえ、きみ、ぼくのことが大好きだったと言ったよね。じゃあその態度はなんなんだろうか。こういうときはちゃんとぼくのことを見て、ぼくのことをじっと見つめて、失踪まがいのことをしたことを謝って、それからもう一度ぼくに告白するくらいのことがあってもいいじゃないか。


「ねえ」

「あのなあ、俺は、トリのこと、湊のこと、あの頃からずっと大好きだったの」

「過去形にしないでくれる?それとももう、過去形になっちゃった?」


過去形にしないでくれるなら、ぼくはまだきみのことが好きだから、ちょうどいいんだけど。お付き合いとかそういうの、できちゃうんだけど。興味はありませんか。細切れに質問を投げかけてやると、また顔を少し伏せながら、小さく首をふる望夢くんがいる。相変わらずきれいな首筋をしているなあと思う。


「過去形ってわけじゃない、と思う。トリじゃなくて、湊に惚れ直したし」


そんなことを言われたらキスしたくなっちゃうだろうよ。ぼくだって普通の成人男性ですからね。し、という言葉を言い切ったかどうかのタイミングで、首筋に片手を添えて、優しくぼくのほうにもたれ掛からせる。相変わらず細いなあ、このひと。付き合ったら一緒の部屋で暮らすとして、そうしたらもっともっといろんなものを食べさせてやろう。そんなことを考えつつ、ゆっくり顔同士を近づけていく。ゆっくりゆっくり、時間をかけて。そうして鼻先がくっつきそうになったら、もう片方の手でまぶたを覆ってから、キスをした。ぷにゅん、と触れて軽い音が鳴るだけのキス。軽くて柔らかいキスを、ぼくたちはした。


「ふふ、くちびる柔らかいね」

「勝手に言ってろ」


恋人をとっかえひっかえしていた時代がある人間にしては、どうにもぎこちないキスだったと思う。目を閉じるのなんかもっと早くていいし、もっとぼくに全部を委ねてくれてもいいはずなのに。全身がカチンコチンになったみたいにギクシャクしていて、このひとは今までどうやってキスをしてきたんだろうかと心配になってしまった。あの駅前ノンケクソ野郎(雄大との待ち合わせの前に偶然通りかかったから聞いちゃったんだけど)相手にも、こんなふうにカチンコチンのキスをしてあげたんだろうか。まあこれはこれで処女っぽい反応だから、こういうのが好きなひとには刺さるかもしれないけれど。あのクソ野郎には刺さらないと思うし。遊び慣れているひとや、ゲイバーなんかに訪れるひとは、こういうカチンコチン具合を喜ばないと思うんだよな。もっと軽い遊び感覚でキスをしたがるだろうし、ぼくだって相手が望夢くんじゃなかったら、もっといい加減にキスをしていたと思うし。リラックスしてキスをしようともう一度提案してやれば、カチンコチンで気をつけの姿勢をとったまま、彼はぼくの提案を退けた。


「好きなひととキスしたのって初めてだから、もう、なんか落ち着かない。無理。帰る」


ぽろっとこぼされた水滴のような発言を受け止めきれないうちに、バタバタと望夢くんが出て行った。いや、関係者どころかただの客をバックヤードに放置して帰るなよ。どこに行ったのか知らないけれど。

それにしても何だって、ぼくの耳がおかしくなければ、好きなひととキスしたのが初めてって、あの、どういうことですかね。それに関しては聞いてもいいのかな。聞かないほうがいいのかな。聞いてもいいよね。ぼくとキスして言い出したことだもんね、ね?

そうと決めれば善は急げだ。なのでぼくはぼくなりにバックヤードを歩き回りながら望夢くんを探すことにした。


「あれ、きみ」

「望夢くん見ませんでしたか!?」

「ミヤちゃんなら今日は仕事休むって話だったよ、そっかそっか」


うまくいったんだねえ、とマスターがほこほこと笑っている。長いことご愛顧ありがとうございました、と頭も下げられてしまった。お店やめちゃうんですか?と思わず聞いてしまう。お店はやめないで欲しいし、望夢くんを雇い続けていて欲しい。そうじゃないと今日みたいに望夢くんの地雷を踏んだとき、逃げる場所がなくなってしまうから。


「お店はやめないよ、でもきみは、ここに来る理由がなくなるからね、そういう意味だよ」



さて、ここからは望夢くんとぼくが再会して、ぼくが望夢くんのいう「トリ」であるということを伝えて、そうして告白まがいのようなことをされたあとの話だ。あのあと望夢くんはきちんともう一度告白してくれたので、ぼくたちは今、お付き合いのようなものをしている。相も変わらず望夢くんはバーでアルバイトをしているし、ぼくはぼくでいつも通り会社員を続けている。変わったことといったら二つくらいだろうか。ぼくと彼が一緒に住むことになったこと、雄大は一人暮らしになって、いよいよ本腰を入れて恋人を探そうと思っていること。大きく変わったのはこの二つ。それから、ぼくと望夢くんの薬指には、同じ指輪が輝いている。婚約なんかは法律が許してくれないからできないけれど、代わりにぼくたちは養子縁組というもので代わりにしている。ぼくの両親はぼくが男も女もいけることを知っているし、望夢くんのこともすんなり受け入れてくれた。そういうわけで、望夢くんは今、早見ではなくて小鳥遊望夢くんになっている。これも大きな変化かもしれない。けれど会社員でも何でもない望夢くんは、その苗字を使うところがないと文句ばかりを言っている。


「トリー、トリ起きて」

「まだもうちょっと」


変わったことはここにもあった。ぼくと彼が一緒に住むことによって、彼はぼくの目覚まし時計になってくれたことだ。こうやって寝ているベッドのところにやってきて、やさしくベッドマットを揺らして起こしてくれる。かわいい起こし方だと思うでしょ、これがぼくの恋人なんです。のろけはこの辺にしておいて、そろそろ起き上がって会社に行く準備をしなくてはならない。会社いやだなあ、ずっと望夢くんと一緒にいたいけれど。それでもぼくたちは生きていかなきゃいけないので、会社に向かっていくし、望夢くんはバーに夜出勤をすることになっている。ちゃんと生きている。どこかにきえてしまったりしないで、ちゃんと地に足をつけて生きている。


「みーくん」

「どうしたの、のんちゃん」


みーくんと呼ぶときは甘えたいときだということを、ぼくはよくわかっている。スーツを着て荷物を持って、それから愛妻弁当ならぬ望夢くん弁当を持って、出発の準備をしていると、奥から眠そうな望夢くんが出てきた。寝ていていいよといつも言っているけれど、見送りだけはいつもしたいらしい。気持ちとお言葉に甘えてやってもらっているけれど、無理しなくていいのに。ぼくが望夢くんをのんちゃんと呼ぶときは、いつだって甘えていいよという合図になっている。甘えていいんだよ、のんちゃん。一人で肩肘張って強がろうとしなくていいんだからね。聞こえますようにと心の中で伝えてやる。


「今日、これつけてって」

「今日もしかして一周年の日?」


こくりと眠たげに首が動くから、ぼくはそれを見てふきだしそうになる。明け方までスナックで、というかバーでバイトしてきているのだから、眠たいのは当然なのに。こうやってぼくのことを見送ってくれようとしているのが、ものすごくうれしくてときめいてしまう。行ってきますのキスをして、玄関を出てから三回ほど深呼吸。顔をきゅっと引き締めてからマンションのエレベーターに乗り込むようにする。なんでも不思議な独占欲を持っている望夢くんは、ぼくがうれしいと感じることが起きた後に、頬がゆるっとしてしまうのを他の人間に見られるのがいやらしい。別にそれくらい減るものではないのに、どうもそれが気に食わないんだとか。でも独占欲がないよりはあったほうがいいから、それを口にしてくれた望夢くんに、のんちゃんに、彼に、大きな感謝を寄せていることをときどき言葉にするようにしている。

ブブ、とスマホがバイブを奏でている。幸いにもエレベーターはそこまで混んでいないので、申し訳なさそうな顔を作りながらポケットからスマホを取り出して、通知を確認する。ラインが望夢くんから来ているではないか。忘れ物でもしたっけ。エレベーターが地上についたのと同時に、ラインのメッセージを開いてみる。ぱ、と視界に入ったのは、愛してる、という大きな文字だった。ああ、そっか、今日一周年だもんな。ぼくたちが付き合いだしてから一周年で、ぼくたちがぼくたちとして再会してから一周年だ。もうあれから一年経ったんだと思うと、なんだか一年間がずいぶん短いものに思えた。かけがえのない毎日を過ごしているから、時間の経過が早く感じられるのだろうか。わからないけれど、なんでもいい。好きなひとと毎日一緒に過ごせるのなら、ぼくはそれ以上望むこともない。

今日は一周年の日だ。仕事大好き店長大好きな望夢くんは、いつだって自分の個人的な行事を優先せずに、バーの予定を優先してしまう。今日だってぼくたちが一周年記念日だというのに、シフト表には元気に「ミヤ」と書かれている。たまにはそういう日に休みを取ろうとしてくれても罰は当たらないと思っているんだけど、彼本人はどうもそうじゃないらしい。仕事が楽しいから仕事をしているのだと言われてしまえば、こちらとしては引き下がるしかなくなってしまう。マンションのフロアでラインの文面のかわいさにきゅんとしながら、なんと返事をするか決めあぐねている。このままでは遅刻してしまうから、なんとか文章を捻り出さないとならない。さあて、どんな言葉を贈ってやろうか。


「そうじゃん、今日シフトってことは、今日店に行けば会えるんじゃん」


我ながら名案だなと思って、声に出してしまう。ミヤちゃんと呼ばないといけない決まりこそあるけれど(ミヤという源氏名を呼んでやればいいので、ミヤだけで呼んだって問題はない)、それでも一緒の時間を過ごせるように配慮してくれるだろう。望夢くんはうれしいことは全部話すので、常連さんはぼくが望夢くんの彼氏であり、恋人であり、パートナーであり、戸籍上の兄であるということまで知っている。だから、まあ、仕事帰りに寄ってしまえばこちらのものなのだ。かわいくて一生懸命仕事をするミヤ、もとい望夢くんは、あのバーの看板息子と言われている。多少バイトが飛んだって、急病人が出てしまってシフトに穴が開きそうになったって、ミヤはいつでも助けに入ってくれる、と言っていたのは店長だ。プライベートを潰させて申し訳ない、と店長は謝ってくれるしそれで許してしまおうといつも思っているのだけれど、今日だけは記念日なのでなんとかしてもらいたい。先に店長に根回しをしておこうか。ぼくだってあの店にはかなりお金を落としているはずだし……なにもめちゃくちゃな無理難題を押しつけようとしているわけでも、なんでもないはずだから。


「……これでよし、行ってきます」


ラインの送信ボタンをタップしてからすぐにマンションのロビーからでて、会社を目指して歩き始めた。ブーブーブー、と通話の着信を知らせるバイブ音が鳴っているけれど、今はひとまず出社しないといけないので、後でかけ直すことにして。今はまっすぐに会社を目指して歩かなきゃならない。二人で住むにあたって、ぼくの会社と望夢くんのバーがそれぞれ同じくらいの距離になるようなマンションを、ふたりでお金を出し合って買ったのがここである。ブルブルと震え続けるスマホにちょっと一人で笑ってしまって、怪しい目で見られてしまうのが恥ずかしい。ちょっとぼくも直球で送りすぎたかもしれない。真っ赤になって文面を読んでいる望夢くんを見られないのは残念だけれど、これならこれでまた今夜会う楽しみがひとつ増えたと思おう。ちょっとキザすぎたかなあ。


「ぼくのくちびるときみのくちびる、どちらも愛を告げるでしょう」

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