第13話
風紋が刻まれた砂漠が、朝の光に照らされている。樹は庇の向こうに見える絶景に、ため息を漏らした。
「……キレーだな」
「おまえの方が綺麗だよ」
見惚れていたら、後ろからハシムに抱き寄せられた。毛布にくるまれた樹の身体には、双子につけられた噛み跡やらキスマークが大量についていた。アジールはまだベッドですやすや眠っている。こいつら、めちゃくちゃしやがって。久しぶりに再会したら普通、話し合うとかもっとやることがあるのでは? いきなり押し倒すとか、野蛮にもほどがある。
軽く睨んだら、ハシムがふ、と笑った。彼はギュッと樹を抱きしめる。
「おまえのこと、ずっと探してた。昼も夜も、夢の中も」
「……なんで」
「わかってるだろ?」
ハシムは優しい眼差しでこちらを見つめている。どうして自分なのかわからなかった。ハシムなら、いくらだって女性を侍らして、綺麗なお姫様を選べるのに。でも、自分を選んで欲しいという気持ちもあった。綺麗じゃなくても、男でも、異世界人でも、俺を一番好きだと言ってほしい。それは、生まれて初めて他人に抱く、強い感情だった。素直になりなよ、というアジールの言葉が胸を打つ。樹は声を震わせて、俺は、とつぶやいた。
「素直じゃないし、可愛げもないし、いろんなことがうまくできない」
「うん」
「それでもいいなら、そばにいる」
ハシムは一瞬目を見張った後、かすかに瞳を揺らし、熱っぽい声を漏らした。
「好きだ、樹」
「それはもう、わかったよ」
樹がいくら言葉を重ねても、ストレートに放られる言葉には敵わない。気恥ずかしくて目を逸らしたら、ハシムが顎を掴んできた。近づいてきた唇を、違う手が止める。アジールは樹を引き寄せて、その頰に口付けた。
「おはよう、樹」
「おはよう。なんか腹減ったな……」
「それってもっとしたいってことか?」
ふざけたことを言うハシムを無視して、バスルームに向かった。
戻ってきた樹に対し、議会は紛糾した。今更戻ってきてどういうつもりか。今すぐ雨乞いをしろ。できなければ処刑だ。特に神官長のインシオは、激しく樹をののしった。樹はうんざりした気分で、彼らの主張を聞いていた。この世界って、これが嫌なんだよな。その時、ハシムがテーブルを叩いた。途端に、その場がしん、とする。ハシムは会議室を見渡して、冷たく声で告げた。
「樹は伝説の巫女だ。おまえらが偉そうな口を聞ける相手じゃないぞ」
「しかし、殿下!」
「陛下、だろ? ハシムと僕は王座を分け合った」
アジールはそう言って、樹の頰を撫でた。王座というものが、神と呼ばれることへの重圧が、どれほどのものか樹にはわからない。悪魔に憑かれるほど病んでしまうのなら、二人で担えばいいとアジールは考えたのだろう。
「母の遺言通り、僕らは全てを分け合う。王の座も、運命の花嫁も」
「そんなこと、うまく行くはずがない」
「うまく行くよ。樹はとても優秀な巫女だ。乾いた大地にあまねく雨が降るように、ハシムと僕を公平に癒やしてくれる」
意味深な言葉に、会議室が騒然となる。樹は赤くなって、アジールを睨んだ。アジールは微笑んで、樹の手を取り口付けた。ハシムが反対の手を取る。二人の王に傅かれて、樹は途方に暮れた。俺はそんなこと、いいって言っていないんだけど。だが、彼らの手を振り払うことはできなかった。樹は昨日、二人に愛されることを受け入れてしまったのだから。
樹は、再建設された神殿の前で佇んでいた。周囲には、神官たちがいる。ラビは心配そうな顔で、神官長は蔑んだ眼差しでこちらを見ていた。上段からは、ハシムとアジールがこちらを見下ろしている。樹は乾いた空気を吸い込んで、歌い始める。大地を潤す、雨の歌を。
あめあめふれふれかあさんがじゃのめでお迎えうれしいな。
歌とともに、懐かしい記憶がフラッシュバックする。塾の帰り、わざと傘を忘れた。すると、赤い傘を手にした母が迎えにきてくれて、本当に嬉しかった。だからいつも、雨が触ればいいのにと、願っていた……。父も母も、多分樹を愛していた。だけど、優秀でないと認めてもらえなかった。二人は、ありのままの樹を受け入れてはくれなかった。誰かにずっと、好きだと言って欲しかったんだ。
ここは、樹が生まれた世界ではない。だけど、生きる意味を見つけたんだ。
輝き出した樹を見て、神官たちがざわめき出す。神官長は、唖然とした表情でこちらを見ていた。樹は、両手を広げて天を仰いだ。──ああ、雨が降る。次の瞬間、スコールのような雨が降り注いだ。神官たちが、おおっ、とどよめく。神殿の周囲を取り巻く植物たちが、歓喜の声を上げる。
──キモチイイ。
──アリガトウ。
──アリガトウ。カミサマ。
ありがとう、神様。俺を生かしてくれて、ありがとう。雨は一日中降り注ぎ、神殿のそばに湖を作った。
「今までの数々の非礼お許しください、巫女様」
インシオたちが、樹にひれ伏していた。庭の東屋で本を読んでいた樹は顔を引き攣らせ、いや別に、とつぶやく。一緒にいた双子に助けを求めたが、アジールは肩をすくめ、ハシムはニヤニヤ笑っている。おまえら、なんで傍観してるんだ。俺を花嫁とか言うなら助けろよ。不満に思っていたら、ハシムが肩に手を置いて引き寄せてきた。
「樹は優しいから、おまえらを許してくれるさ。ああ、でもアジールはどうかな」
「──そうだね。樹に妙な真似をした人間は、日中太陽に晒して炙り焼きかな」
にこやかに言ったアジールに、神官たちが恐れ慄いた。本当にやりそうだよな、こいつ。腹黒は、悪魔じゃなく元々の性格……? 神官たちはますます低頭し、神官長は樹の像を作るなどと言い出した。そんなもの作られるなんて、まっぴらだ。樹はアジールを睨みつける。
「おいっ、いい加減にしろよ。おまえだって俺に無体しただろ!」
「でも気持ちよさそうだったよ?」
ハシムがピクッと肩を揺らし、真剣な顔で樹の腕を掴んだ。やけに焦った口調で尋ねてくる。
「俺の方が好きなんだろ? 初めては俺だったし」
「エッチは僕との方が好きかも。ハシムは乱暴だからね」
「強くされるのが好きなんだよ。いっつも可愛い声で鳴いてるし。なあ?」
勝手に性行為の内容を吐露されて、頭の中がかーっと熱くなる。
「〜〜バカ! もういいっ。俺は用事があるから」
樹が歩き出すと、神官たちがわらわらとついてきた。なんなんだ、うっとおしい。前までゴミみたいな目で見てきたくせに。なんとか彼らを撒いて、門へと走った。樹は馬を走らせて、神殿へと向かう。湖のほとりに、手にした花をそっと添える。手を合わせて、心の中でつぶやいた。ごめんな、助けられなくて。
ふわり、と柔らかいものが触れた。顔を上げたら、光るものがあった。
──アリガトウ。
それはふわふわと浮遊して、空へと浮かんでいく。樹は微笑んで、手を振る。オアシスから出たら、馬が二頭こちらにやってきた。そっくりな男たちが、何かを言い合っている。仲がいいんだか悪いんだか、わかんないやつら。樹に気づくと、同時に手を挙げた。
乾いた大地に、雨が降る。砂漠にはオアシスができ、種は芽吹き、木になる。やがてこの地は緑に覆われる。この先にはそんな未来が、待っている。
樹は手綱を握って、二人に向かって駆け出した。
おわり
引用: あめふり/北原白秋
死にかけの花嫁は、緑の愛子 deruta6 @satosan
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