第12話

誰かに呼ばれた気がして、樹は顔を上げた。辺りを見回していたら、病院の受付で名前を呼ばれて、会計をしに向かう。不思議なことに、異世界で過ごしている間に、樹の病は改善していた。とはいえ、寿命がちょっと伸びたぐらいのものだけど。スマホもテレビも、何もない世界。雨が降らず、砂に侵食された不毛の地。髪の色以外は、瓜二つの双子。

あれは、夢だったのかもしれない。

サラマンダーに食われかけた樹は、眩い光に包まれた。目覚めたら、全裸で自室の床で横たわっていた。後輩の綿貫は、泣きながら樹に縋りついてきた。なんで裸なのかはつっこまれなかった。あいつが天然で良かった、と思う。

 不思議なことに、あれからたった3日しか経っていなかった。樹の病変に、医師も驚いていた。樹はしばらく入院し、自宅に戻れるまで回復していた。

樹は市役所に向かい、辞表を出した。樹木医の仕事は、そう空きがあるわけではない。見つかるまで、ホームセンターで働くことにした。接客はなかなか慣れなかったが、樹の樹木の知識は重宝された。ある日、仕事を終えて帰ろうとした樹は、足元に二輪の花が咲いているのに気がついた。風で種が飛んできたのだろうか。コンクリートの割れ目から咲く、美しいコスモス。

──ハシムとアジールみたいだな。

花弁に触れた瞬間、目の前が真っ白になった。

「──っ!」

 この感じ、似てる。異世界に、飛ばされた時と。

チカチカと、光が瞬いている。樹は恐る恐る瞳を開いた。樹は全裸で、大きな寝台の上に座り込んでいた。え? まさかここって……あたりを見回していたら、ガチャ、とドアが開いた。正装した部屋にハシムが入ってくる。その背後から現れたのは、アジールだった。

「だから、俺は結婚なんかしない」

「まだそんなこと言ってるのか、ハシム。いつまで樹のことを引きずってるんだ。もう2年だぞ」

「何年だろうが、俺は──」

 ハシムは、ベッドの上にいる樹を見て目を見開いた。樹は肩をすくめて、どうも、と呟く。アジールも驚いていたが、黙ってこちらにやってきた。上着を脱いで、樹の肩にかけてくる。ハシムはアジールを押し除けて、樹の肩を掴んだ。久しぶり、と言おうとしたら、いきなり叱責された。

「樹! どこに行ってたんだ!」

「どこって、日本に戻ってた」

「なに冷静に答えてるんだ。俺がどれだけ心配したと思ってる」

「知るかよ。俺だって、気づいたら帰ってたんだから!」

 かっとなって、思わず言い返した。会いたかった、とかいう言葉を期待した自分に、腹が立った。だって樹はずっと、ハシムのことを考えていたんだから。アジールは、問答を始めた樹とハシムを引き剥がした。

「落ち着きなよ、君たち。樹。今は賓客を招いて晩餐会中なんだ。あとでまた話そう」

 アジールは、ハシムを連れて部屋を出て行った。樹は、混乱しながら部屋を見回す。ハシムは、二年経った、と言っていた。樹の世界とこちらとでは、時間の進みが違うのだろうか。晩餐会か……ハシムは、お姫様と結婚するのかな。なら、俺はいない方がいい。早く帰ろう。でも、この格好じゃ外に出られないな。呼び鈴を鳴らしたら、ラビがやってきて、樹に服を着せてくれた。ラビは樹との再会を喜んでくれる。

「お久しぶりです、樹様」

「うん、久しぶり」

ラビは何か持って来ると言って去って行った。部屋を出た樹は、神殿に向かって歩き出す。多分、神殿に行けば神様に帰してもらえるんじゃないかと思った。ふと、植物を植えた庭の様子が気になって、そちらへ向かう。夜の庭は、常夜灯によって照らされている。植物たちは、樹の腰の高さあたりまで成長していた。

──オカエリ、イツキ。

──アイタカッタ。

「ただいま、でいいのかな」

 樹は照れ臭さを覚えつつ、ゆっくり庭を歩いた。かすかに身体から光が放たれ、黒い髪が風に揺れる。すごくいい夜だな。鼻歌を歌いながら進んで行くと、東屋の下に誰かが立っているのに気づいた。すらりとした、長身の青年。彼はこちらに視線を向けて、微笑んだ。白髪が月に照らされ、神秘的に輝いている。

「月が綺麗だね、樹」

「こんなとこにいていいのか? アジール」

「いいんだ。アレクシス国の姫君の目当ては、ハシムだからね」

アジールは手を伸ばして、樹の髪を撫でた。腕を掴んで、引き寄せられる。唇を奪われて、樹は息を詰めた。口付けが深くなって、だんだん、身体の力が抜けて行く。アジールは樹を抱き上げ、部屋に連れて行った。

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