第6話

樹は窓辺に立って、月を眺めていた。冷え冷えとした月の光が、身体に溜まった熱をさましていくようだ。ハシムが二回もしてきたせいか、身体が熱って眠れない。あの性欲過剰王子め。そんなことを考えていたら、背後から抱き寄せられた。またかよ。今度こそ拒否してやろうと振り返ったら、アジールと目が合った。

「あ、アジール」

「ハシムだと思った?」

「い、いや。俺にこういうことしてくるの、あいつだけだし」

「双子だからかな。君のことが気になるのは」

アジールはそう言って微笑んだ。ハシムはああいう感じだからわかりやすい。だけど、アジールが何を考えているのかよくわからなかった。この二人は月の表と裏みたいだ。容姿は同じなのに、まるで中身が違う。アジールは壁にもたれて、腕組みをした。そうして、こちらに流し目を送ってくる。

「君は、ハシムからどこまで聞いているのかな。この国のこと」

「雨が降らなくて、いけにえで降らせようとしてる。周りにはいくつか危ない国がある、とかぐらい」

「神話については?」

 雨を降らす神様がいると聞いた。樹の言葉に、アジールは頷いた。

「そう。神の花嫁についてはまだみたいだね」

 アジールは歌うように、伝承の一節を口にした。異世界から、黒髪の花嫁がやってくる。そのものは緑の愛子で、この世界を救う巫女となる。樹にはぴんとこないが、有名な一節らしい。へえ、と相槌を打ったら、アジールがじっとこちらを見つめてきた。

「……君がその、花嫁かもね」

「は?」

「ハシムがあれだけ執着する時点で、普通じゃない」

「俺は男なんだけど」

「神話には男性同士で交わる話があるよ。あと、僕の夜伽をするのは男性が多いね。妊娠すると、王位継承者が生まれてしまうから」

 いきなり性的なことについて暴露され、樹は顔を赤くした。ハシムはともかく、アジールからはそういう卑猥な空気を全く感じない。まさに神のような高潔さ、と言うべきだろうか。でも、どんなに立派な人だろうがそういう欲はあるんだよな。そう、この人はどこか立派すぎる。話していても、どこか息苦しさを感じてしまう。二人きりでいるのが気まずくなってきて、アジールに話しかけた。

「俺、寝ようかな。アジールは?」

「僕はもうすこしここにいるよ」

 おやすみ、と言って歩き出そうとしたら、腕を引かれた。

「え、っ、あ」

 いきなり首筋に噛みつかれて、樹はびくりと震えた。えっ、噛まれた? なんで。戸惑う樹に、アジールはお休み、と笑って手を振った。


「おい、それどうした」

 翌朝、食堂に向かうと、廊下を歩いてきたハシムに捕まった。たくましい腕にぐいと引き寄せられて、侍女たちがチラチラと視線を送ってきた。人前なんだから節度を弁えてほしい。ただでさえ、お稚児さんだのなんだのと言われているのだ。樹はやめろ、と言って彼を押し除ける。

「で、どうしたって?」

「首、噛み跡があるぜ」

 樹はあ、と声を漏らした。昨日、アジールに噛み付かれたんだった。ハシムなら、双子の兄の行動が理解できるだろうか。首筋を撫でながら、ハシムに肩をすくめてみせる。

「アジールがいきなり噛んできたんだ」

「アジールが?」

 ハシムの顔が、にわかに険しくなった。なんなんだ、と思っていたら、ぐいぐいと引っ張って行かれる。おい、とか待て、とか言ったが聞いてくれなかった。もとより、力では彼に勝てない。ハシムはアジールの部屋のドアを押し開けた。アジールは、少年神官たちに囲まれて着替えている最中だった。開いた襟元からは、浅黒い肌が見えている。着替え中に部屋に入るなんて、礼儀に欠けるのではないか。樹は慌ててハシムにおい、と声をかけた。アジールは怒るでもなく、淡々とした口調で告げる。

「おはよう、ハシム。兄弟とはいえ、ノックぐらいはしてもらいたいね」

「こいつに手を出すな」

 その言葉に、樹はポカンとした。樹は手なんか出されていない。噛みつかれはしたが。少年神官たちは顔を見合わせて、そそくさと退室する。部屋には双子と、樹だけが残された。なんで俺は、朝から同じ顔に挟まれているのだろう。アジールはへえ、と声を漏らす。

「君がそんなことを言うなんて、明日は雨かな」

「真面目に話してる。おまえが手を出したらどうなるかわかるだろ」

アジールが樹に興味を持っているとは思えないけど……どうなるんだ?

「僕と交わった女性は、子供を孕んでいる可能性があるから後宮に入れられるんだ。でも樹は男だよ。君が一番よく知ってるんじゃないかな」

 その意味深な言葉に、顔がひどく熱くなる。樹は逃げ出したくなったが、ハシムに腕を掴まれているからかなわなかった。アジールがこんなことを言うなんて、らしく無い気がする。部屋を出たハシムは、腰に巻いていたストールを外して、樹の首にぐるぐると巻きつけた。樹は恨めし気な視線をハシムに向ける。

「暑いんだけど」

「アジールに近づくな。高潔そうな顔してるけど経験人数は俺と変わらないぞ」

 そりゃ王様になる人だからであって、ハシムみたいに性欲に突き動かされているわけじゃないと思うけど。それにアジールは忙しいので、俺に構っている暇はないだろう。ずきっ、と胸が痛んだので抑えると、ハシムが心配そうに顔を覗き込んできた。

「大丈夫か」

「平気だよ。おまえも訓練行けば」

 部屋まで送っていくだの医者を呼ぶだの、ハシムがあれこれうるさいので、早く行けと蹴りつけた。ハシムが去って行った後、ふらついて壁にもたれかかる。心臓がドクドクと鳴っていた。

最近、発作の間隔が短くなってきた。早く、不死の果実を見つけなきゃな。もしあるなら、だけど。樹は気付け薬をとりに、自分の部屋へと向かった。気付け薬を吸い込んだ後、図書室に行こうと部屋を出る。角を曲がったとたん、神官長のインシオの姿が見えた。樹は慌てて、両開きの大きな窓から外に出る。そっと覗くと、インシオは樹に気づく様子もなく歩いて行った。ホッとして部屋を出ようとしたら、かすかに声が聞こえてきた。──なんだ? 樹はあたりを見回した。声に従って歩いて行くと、小さな潜戸が見えてくる。樹はそれを潜って、さらに進む。蜘蛛の巣が髪にからみついてきて、鬱陶しさから手を振り回す。

 また戸があって、階段に行き当たった。階段はひどく暗くて、地下へと続いているらしかった。樹は恐る恐る足を踏み出す。階段の終わりは、突然やってきた。樹は暗闇に目を凝らし、ギョッとした。暗くてよく見えないが、女性が数人いる。しかも、鎖がつけられていた。樹は漂ってきた嫌な匂いに、口元を覆う。

 なんだ、ここ……。

「あ、あ……だれ? アジール様?」

「アジール様を呼んで」

「あのことは言わないから、ここから出してよぉ」

 ガシャガシャと鳴り響く音と悲痛な叫び声に、樹は後ずさった。急いで階段を駆け上がる樹の背中に、待って、置いて行かないで、という声が聞こえてくる。あのことって、なんだ……? 樹は身体を震わせて、追いかけてきた声を振り切るように外に出た。

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