第4話

腰が痛い。樹はズキズキと痛む腰を撫でながら、背後の男を伺った。ハシムは何事もなかったような顔で、街で買った果物を齧っている。二人は同じ馬に乗って、王都に向かっていた。周囲では、兵士たちが油断なくあたりを見回している。一方、能天気な顔をしているハシムが、果物を差し出してきた。

「マルナっていう果物だ。水分が多くて身体が癒される」

「いらない。あんま、食欲ないから」

「食べなきゃ痩せたままだぞ」

 抱き心地がいいほうがいいな。腰を撫でながらそう囁かれて、イツキは顔を赤くした。馬から蹴り落としたいが、後ろから抱き抱えられているからそうはできない。オアシスであったことを兵士たちに知られるのは嫌だった。イツキは、オアシスから持ってきた種を見下ろす。これが王宮で、芽吹けばいいんだけど。そっと種を抱きしめるイツキを見て、ハシムがふ、と笑った。


 馬でしばらく走って行くと、砂漠の中に立つ真っ白な王宮が見えてきた。ハシムに気づいた門番が、合図を送ると門が開く。ハシムたち一向は、王都へと入って行った。王宮にたどり着くと、待ち侘びていたようにアジールが出迎える。

「遅かったね」

「賊に襲われたんだよ」

ハシムはそう言って、肩をすくめた。アジールは眉をひそめた後、イツキに声をかけてくる。

「イツキ、疲れたろう? 案内させるから、部屋で休んで」

「あ、はい」

「あとで一緒に食事しようね」

 アジールはイツキに微笑みかけて、ハシムの背中を押して歩いていく。ああやってると同じ人が二人いるみたいだよな。性格は違うみたいだけど。そんなことを考えていたら、神官服を身につけた少年がやってきた。彼はイツキににこりと笑いかけてくる。

「初めまして。神官見習いのラビです」

「イツキです」

 イツキは少年について歩きながら考える。神官って、儀式をぶち壊しにしたイツキに悪い感情があるんじゃないのか? この子は随分愛想がいいけど。少年が案内してくれた部屋は、綺麗に整えられていた。王都までの旅程で疲れていたから、すぐベッドに倒れ込みたくなる。

「イツキさま、お風呂に入られますか?」

「え? 風呂ってあるの?」

 水が貴重な資源なのに、と樹は驚く。なんでも温泉から引いているらしい。温泉か。地下熱で植物を育てられるかも……イツキは少年の案内で、浴場へと向かった。風呂から出て歩いて行くと、アジールとハシムが一緒にいるのが見えた。アジールは手を伸ばして、ハシムの頰に触れる。

「襲われたって、だれに?」

「キャラバンだよ。俺がバカ王子でムカついたらしい」

「そんなことで王子を殺そうとするかな。捕まったら死罪だよ」

「あんまり気にするなよ。悪い癖だぞ」

 アジールは自分の髪に触れた後、ごめん、と相槌を打つ。それから、「ニホンって国を調べたけど、わからなかった」と言った。ハシムは眉を寄せ、どういうことかと尋ねる。

「地図に載ってないんだ。少なくとも、この世界の地図には」

「この世界の、って?」

「神話に出てくるだろう? この世には二つ世界があって、そこを行き来できる選ばれた存在がいるんだって」

「イツキがそれだっていうのか」

「そう。神はその者を花嫁とし、世界を救う」

 ハシムははっ、と顔を上げたあと、まさか、と笑った。

「あいつはちょっと変わってるけど、そんな大層な存在じゃないだろ」

「そうだったら困るんだろう? ハシム」

 アジールの言葉に、ハシムはふ、と無表情になる。

「どういう意味だ?」

「さあ? どういう意味かな」

 アジールはそう言って、歩いて行った。樹は慌ててアジールを追いかける。彼の姿が見失ってしまい、あたりを見回していたら、中庭にいるアジールを見つけた。同じ大きさの、2本の木を眺めている。その横顔は、どこか寂しげだ。樹はアジールに近づいていき、声をかけた。

「アジール」

 振り向いたアジールは、笑みを浮かべた。

「やあ、樹。お風呂に入ったの?」

「あ、うん。さっきたまたま聞いたんだけどさ……世界が違う、とか」

「そう。君は異世界から来たみたいだ」

 信じられないけどね、とアジールが言った。異世界に飛ばされるって、よくネットの広告で見たりするけど。なんで樹が? 死にかけの人間なんて、どうしようもない。アジールはこちらにやってきて、樹の濡れ髪に触れた。ハシムとよく似た面立ちに見つめられ、目を泳がせる。

「な、に」

「ハシムは昔から、どんなに綺麗な人に迫られても本気にならないんだ」

「あ、あっそう。綺麗な女の子は、好きみたいだけど」

「でも追いかけては行かない。気にかけたり、助けたりもしない。僕たちは国益のために結婚すべきだってわかっているからね」

 つまりハシムは、政略結婚をする気なんだろうか。美しい人と並んで結婚式を迎えるハシムを想像したら、胸のあたりがギュッとなった。樹が心臓のあたりを抑えると、アジールが素早く支えてきた。大丈夫? と囁かれて、樹は頷く。アジールは、樹の背中を優しく撫でた。

「気の毒に。こんな世界に来て、病が悪化したのかもしれないね」

「……帰る方法って、ないのか」

「それは神官長に聞いてみないとね」

 あの人とまた顔を合わせるのかと思うと、気が滅入った。アジールは樹を部屋まで送って行って、しばらく休むようにと言った。樹はしばらくうとうとした後、眠りに落ちて行く。目が覚めたころには、あたりは真っ暗になっていた。手探りで明かりをつけて、部屋から出ようとノブに手をかける。

「──え?」

 ドアが開かない。立て付けが悪いのだろうか。ドアノブを掴んでガタガタと音を立てていたら、いきなりドアが開いた。つんのめった勢いで、その人物の方に倒れ込んでしまう。樹は鼻先を撫でて、痛みにうめいた。

「いった……」

「なにしてんだ、おまえ」

 こちらを見下ろしているのは、ハシムだった。結婚の話を思い出し、樹は慌ててハシムから離れる。ハシムは怪訝な顔をして、樹の顔を覗き込んできた。

「顔色が悪い。大丈夫か」

「ちょっと心臓が痛かっただけだ。寝たから治った」

「一度医官に見せた方がいいな」

 樹は彼に連れられて、医務室へと向かった。医官は髭を生やした気怠そうな老人で、ヨシュアと名乗った。樹を上から下まで眺めて鼻を鳴らした。

「なんですか、このモヤシみたいなのは。殿下も趣味がお悪い」

「モヤシは身体にいいけど」

 ボソボソと言い返したら、ヨシュアがまた鼻を鳴らした。シャツをめくれ、と言われてそうしようとしたら、ハシムに腕を掴まれる。顔を上げたら、彼は憮然とした表情を浮かべていた。

「他の男におまえの肌を見せるのは嫌だ」

「医官に見せろって言ったのおまえだろ」

ヨシュアは、ハシムと樹のやり取りを呆れた顔で見ている。

「診察するんですか、しないんですか」

 ハシムはしぶしぶ診察を許可する。診察を終えると、ヨシュアがふむ、とつぶやいた。

「余命一カ月ですな」

「日本聞いた時より縮んでる……」

「なんとかならないのか?」

 ハシムに問われたヨシュアは、「ならないこともない」と答えた。樹はその返事に首を捻った。どっちなんだ、一体。ハシムは早く教えろと、答えを急かす。医官は全くのマイペースで、こう告げた。

「不死の実を見つけるんですな」

「不死の、実?」

「雨の庭に生えた実です。食べたら立ち所に病が治る」

「あのな、それは神話の話だろ。俺は現実の話をしてるんだ」

 ハシムは医官の襟首を掴んで揺さぶった。樹は慌ててハシムを止める。おまえもミズハって神がどうとか持ち出してきたじゃないか。しかも樹が突っ込んだ言葉まんまだ。そのとき、アジールの声が聞こえてきた。

「──僕も探すのを手伝うよ」

 アジールはこちらにやってきて、樹の髪に触れた。ハシムがその手を掴む。樹を挟んで、双子がしばし睨み合った。樹は彼らの様子には気づかず思い悩んでいた。不死の実なんて……あるのか、本当に。

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