第十話 猫、飼い主にのる

 年が明けたが、特に何かが変わった訳ではない。

 身体の毛量が僅かに増えた程度で、窓から覗く外は相変わらず雪景色が広がる。


 春の訪れは遠く、雪解けの気配すら見えない。

 曇天から降り注ぐ粉雪がときおり思い出したようにぺたりと窓に張り付く。


「さむ~」


 そびえ立つ摩天楼を見下ろす自分を腕の中に抱く女は相も変わらず忙しそうだ。

 だからと言ってぬいぐるみのように抱かれるのはと、腕の中から離れてソファに寝転ぶ。


「へそ天じゃ~ん」


『は?』


 いったい何を言っているのかと思ったが、数秒後に意味を理解する。

 自らの腹部を天井に向けて寝転がっている状態のことを指すのだと気づき、うつ伏せになろうかと考えたがここで体勢を変えるとまるで飼い主の言葉を理解していると思われかねない。

 自分は猫だ。誰がなんと言おうとも猫なのだ。


「むふふ……」


 思考に耽る自分を見下ろすのは、黒髪ハーフアップの美女だ。

 美少女にも美女にも見える容姿端麗な女は、病院に連れていきたくなるような笑みを浮かべる。

 

 いったい何をするつもりなのか。

 前脚と後ろ脚を広げて全てを見せつける自分にジリジリと彼女は迫りくる。

 膝をソファに沈ませ、続いてスタイルの良い身体も沈めて腹這いになると自分の腹付近に女の顔が近づき、その瞳と見つめ合う。

 これだけの至近距離で見つめられたらそれだけで堕ちる男もいるのではないのか。

 

「イエはふわふわだの~」


『マスターがしょっちゅう撫でるからですよ』


 鼻を指の腹が触れ、腹部の毛を指が梳く。

 ガラス細工を扱うような手つきと甘えた声音に身体が自然と弛緩し目を閉じる。

 このまま眠ることが出来たのならばどれだけ良いのかと――、


『お』


「……」


 ふと腹部に感じる違和感、肌を吸われているような感触に思わず目を向ける。

 純白の毛を覗かせる腹部に女が顔を埋めて深呼吸している姿に思わず暴れようとするが、


「すー……はー……」


 極上の枕にうつ伏せになり眠るように、彼女は顔面を自分の腹部に沈める。

 女の狙いに気付くも、暴れることを予感していたのだろう、女はその両手でぎゅっと自分の身体を押さえて呼吸を続ける。所詮は猫、人間に押さえられるとどうにもならない。

 

 猫吸い、そういう言葉があるらしいが意味が分からない。

 だが、どうしてそこまでして猫の身体に顔を埋めて呼吸をしたいのか。

 モフモフに触りたいということなら分かる。ただ顔を埋めて呼吸をするということに関して、どうしても病気にならないかと衛生面のことが頭を過ぎるのだ。


 彼女らとてそういったリスクを承知のうえなのかもしれない。

 ただ脳に渦巻く人間の知識を利用しても、猫飼いの考えを理解出来るとは思えない。


『病気になるから止めていただけますか?』


「あと5秒だけ……」


『うへぇ』


 天井の染みすらない、白い天井を見ながら女に告げる。

 無論、言語化されていない鳴き声になるのだが、爪をそっと頬に宛がうと彼女は理解したのか顔を上げ、同時にそっと自分の拘束を解いた。

 猫吸いをされ感じる違和感を取り除く為、本能が腹部のグルーミングを推奨し、従う。


「そんな顔して嫌がらなくても」


 ペロペロと飼い主の痕跡を身体から消す行為を悲しそうに見る女を自分は無視した。

 容姿端麗な美女であろうともされて嫌なことはある。これが自称ではないおじさんだったら噛みついていたかもしれない。

 よほど愉快な顔をしていたのだろうか、カメラを近づける彼女に顔を向ける。


「ヨシ、……猫チャージしたから、午後も頑張ろう」


 カメラに声が入らないように小さく笑う女はそのまま立ち上がる。

 明るめのニットセーターを着た美女はカメラを止めると鈴音のような笑い声を聞かせながら編集部屋に足を向けた。

 その後ろ姿を自分は無言のまま追いかける。


 自分という猫の賢さを知ったからか、彼女は部屋の制限を解除した。

 玄関部分には仕切りを立てたが撮影部屋と寝室以外の場所も自由に行動出来るようになった。自分が大人しく無意味に暴れたり無駄に鳴いたりしない姿を評価したのだろう。


「こんなに賢いなら、もっと早く猫を飼っておけば良かった」


 あるいは撮影中に猫が介入するというハプニングを演出したいのか。

 自分を見て呟く彼女の思惑はともかく、編集部屋も猫一匹分だけ入れるように扉が僅かに開かれたままだ。


「入ってきて良いからね~。――さて」


 喉の調子を確かめながら女は編集部屋にある複数のパソコンの一つを起動する。

 女の言葉に、しかし部屋に入るかどうか悩みながら頭を半分だけ覗かせて様子を見る。


「はい、こんにちは! 予告通り今日はおじさんワールドで配信するぜ!」


 おじさんを自称する女の動画配信はおおよそ現実での商品レビュー動画や、○○をしてみたといったものから、ゲームの実況動画などまで幅広く行っている。

 企業案件などもあるらしいが、どれも丁寧に対応を行い、高評価の物が多いらしい。


「作ってあそぼ~」


 どこかで聞いたことのあるようなフレーズを口ずさみ、雑談と共にパソコンゲームを行う女。

 猫になってからゲームをしたことはない。特にプレイしたいと思ったこともないが、楽しそうにゲームをしている彼女を見ている時間は意外と悪くはなかった。


「――、それで……」


 チラリと扉から顔だけ見せる自分に目を向けた女。

 その大きな瞳に過らせた感情を読み取る前に瞬きと共に消すと明るい口調でゲームを進める。


『……ねこが失礼します』


 自分がギリギリ通れるかどうかに開かれたドア。

 そこを通ると、高そうなパソコンのディスプレイに顔を向け、ゲームをする主に近づく。


「おっ、ナイス~。奴を狩ってくれたんですね! ありがとうございます!」

 

 作って遊ぼうというフレーズ通りのゲームを女は遊んでいた。

 剣と魔法、銃や魔獣を捕まえるといった、この世界で人気のゲームを楽しんできた彼女は、遂に世界を作る側に回ったのだろう、他のプレイヤーと共に町を作っているようだった。


『――――』


「これで城も完成ですね! やりましたねぇ!」


 床に伏せて画面を見上げる。

 動画配信の最中なのだろう、画面の端の方で女の顔やコメントが映っている。猫が訪れて背後にいることを指摘するコメントもあり、僅かに女の口端を上がるのを自分は見逃さなかった。

 

「あっ!」


 少し女の掌の上で踊っている感覚はともかく、それが飯のタネなのだからと理解して猫らしく床で丸まろうとすると女が声を上げた。

 顔を上げると、パソコンの画面では先ほどまでの平和そうな面影はなくなっていた。


「空襲だ!」


 世の中には成功者の脚を引っ張りたがる人間がいる。

 楽しそうにしている姿が気に入らなかったのか、あるいは愉快犯なのか、画面の中の街は爆発物や火事によってあっという間に壊滅的な被害を受けていた。


「俺の街が! え、炎上してるよぉ……!」


 作るのは難しく、壊すのは如何に容易いことなのか。

 それはきっと飼い主と愛玩動物の間にも言えるのだろう。作り上げた絆とて、何かしらの要因であっけなく崩れ去ってしまう。作り上げた町の滅びゆく姿を自分はそんな風に受け取った。


「ぅぅぅ……こんな、ことって」


 神回だとか、草だとか人の心を感じない鬼のようなコメント欄。

 自らの街があっという間に蹂躙される様を呆然と見届けるしかない女に歩み寄る。

 グッと脚に力を入れて、一息に女の肩へとジャンプする。


「ふわっ!? ……い、イエ?」


 女の肩に飛び乗り首の後ろに回り込むようにして座る。

 飼い主に乗った光景は絶景という程ではないが、人間の視点を味わえる。


「慰めてくれるのかい? というか、こんなの初めて……」


『……ほら、モフれよ』


「もふもふ~」


 パソコンの画面に映る煌びやかな町は既に廃墟だった。

 自分と女の関係がそんな風にならないように、こうして少しでも女の心の隙間に自分を捻じ込む。同情3割、残りは全て打算的な物だが、女は喜んで頬を自分の毛並に擦り付けた。

  

『いくらでもモフモフしていいから、自分のことは捨てないで下さいね、マスター』


「……ん。はい、じゃあ皆さん。今回はキリが良いということでチャンネル登録と高評価よろしく! ゲームの方はバックアップを取っているのでご心配なく! ではまた!」


『は?』


「いたっ!」



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TS動画配信者の飼い猫♂になった件 毒蛇@カクヨム @dokuhebi01

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