第九話 猫、飼い主と新年を迎える

 ――猫の朝は遅い。

 ふかふかのベッドから家主が起床する気配に身体を起こし、編集部屋か外での撮影の為にどこかへ出かける姿を見送った後に二度寝する。キチンと起きるのはいつも朝の7時頃になる。


 早朝の自宅警備の為に家中を歩き回り、満足すると用意された朝食を食べる。

 頑なに家政婦を家に入れようとしない為、主が出掛ける時は食事が多めに皿に置かれている。

 

『飯ウマ~』


 猫の舌に合わせた食事は意外と美味だ。

 給食のような、毎日食べていても飽きない味というべきか。


 朝は主が籠るか不在の為、昼頃まで一匹で過ごすことが多い。

 食事や寝床を用意して貰っている以上、不満はない。自分の中身は本能と人間の知識といったハイブリッドな構成をしている以上問題は無いが、普通の猫ならストレスを感じて鳴きそうだ。


『いや、自分はプライベートな時間って大事だと思うんですよ』


 繰り返すが、猫初心者の主に対して不満はない。

 少なくともカメラも、誰の目もない、自由な時間を大事に感じている。


 誰の目も気にする必要のない自由時間だ。

 この時間は体型維持の為に走るか、飼い主や画面の先にいる誰かが喜びそうな芸の練習を行う。主が外出中でカメラが設置されていない場合は家のテレビで情報収集を行う。


『今年も今日で終わりですね』


『この年になると1年というのは本当にあっという間なんですよ~』


『大晦日といったら何を視聴しますか?』


『――――! ……!』


 年が、自分と女が出会った年が終わりを迎えようとしていた。

 隔離され情報の流入が少ない以上、ここがどのような世界かは分からないが少なくとも季節が巡るという脳内の常識が変わらないことを確認出来た。

 窓に目を向けると積もる程ではないが、存在を主張するように雪が舞い降りる。


 猫はこたつで丸くなるという言葉がある。

 この家にはこたつという物はないが、優しく美しい家主がイエが凍えて死なないようにと暖房を効かせてくれた。

 家主である美女に感謝しながら情報取得を続けるも、特に面白みはなく電源を消す。


 ――――。

 ――。




「お、起きた~」


『……おはようございます、マスター』


 いつの間にか女が帰宅するまで眠っていたらしい。

 主が脱ぎ捨てていたシャツを寝床に丸まっていた自分をカメラに収める姿は正しく飼い主だった。その背後にいるのはストレスで白髪になったホンダという女スタッフ。

 

「イエさん、こんにちは」


『気安く呼ぶなよ』


「ぁ……! ぃぃ……」


 おずおずと差し出される掌に頭を押し付ける簡単なお仕事。

 それで笑みを浮かべる妙齢の女の姿を見送り、彼女たちの仕事を見守る。


「よくもまあ、ここまで汚く出来ますね。そこまでおじさんじゃなくても良いと思うのですが」


「今、おじさんを馬鹿にしたな? ところで自宅を掃除してみたって動画って需要ある?」


「ないです。それよりゴ……アレが出ると聞いたので会議は掃除しながらにしましょう」


「おっとー? おじさんの心にダメージが。謝れ! 500万人の視聴者を誇るおじさんに!」


「もうすぐ600万人到達に向けたブースト企画の為にも掃除しろって言ってんの!! 人来るんですよ! コラボに! 余所の動画配信者が! こんなおじさんの家が汚部屋なんて幻滅以外の何だというんですか! SNSに晒されますよ!」


「……は、はい」


 残念だが自分は猫だ。

 このクリームパンのような愛らしい手ではゴミ袋も掴めない。

 咥えることなら可能だろうが、わざわざ人間アピールをするつもりはない。


 どのみち賢さは露呈し始めているのだ。

 愛嬌とモフモフで誤魔化せる限度を超えつつある中で、人間ではないけれど凄く頭の良い優秀な猫というポジションを獲得する為にも猫らしく寝転がりながら掃除を見守るしかない。

 へそを天井に見せて寝転がり、耳だけで彼女たちを追う自分に、家主が一言呟く。


「生まれ変わったらおじさんも猫になりたい」


「……それよりもルンバ購入の動画、高評価でしたね」


 妄言を語る家主と黙々と自宅の掃除を手伝うスタッフ。

 以前、自分とおじさんが遭遇した黒い虫との戦い後、急遽ネットで頼んだ品物がルンバだった。

 ゴミを吸引し、床を拭き、段差を乗り越え、自動帰還するという最新技術がこれでもかと注ぎ込まれた自動掃除機器を女が購入し、レビューを行った。  


「まさか、イエさんがルンバに乗るなんて」


「――、イエは賢いからね~」


「あれから乗ったりはされたんですか?」


「いや、中々乗ろうとはしないね」


「また見たいですね」


『――――』


 自分の記憶の中で猫のイメージにルンバに乗った猫という物が該当したことがある。

 理由は不明だが、珍しさもあって思わず何度か見直す程度には人気があった。

 だから脳裏を過ぎったソレを模倣しただけに過ぎない。

 

 お手や後ろ足で立ち上がる訳ではない。

 ただルンバに乗るだけ、大した労力でもない行為で再生数は生まれるのだ。


 芸とは乞われてするものではない。

 主を飽きさせない為に、芸を披露する頻度は少なくしているのだが、


『……仕方ないな』


「おっ?」


 ちょうどルンバの起動時間だ。

 黒を基調とした丸い機械が部屋の隅で目を覚まし、静かに床掃除を始める。埃や髪の毛、猫の毛など黒い虫を呼ぶ要因を吸い取っていく。

 この機械を導入したことであの害虫と遭遇しなくなったのは喜ばしい。


「おおっ!」


 歓喜の声を上げる女たち。

 ルンバに乗り移動する様を見せると、スマホを取り出す姿にあざとく小首を傾げる。


『あれ? 自分、また何かしちゃいましたか?』


「かわいい~」


 こんなことで喜ぶのなら他の猫も行えば良いのに。

 そう思いながら、自分は彼女たちが部屋を綺麗にしていく様をルンバ上で見届けた。







「部屋ってこんなに綺麗になるんだ~」


 しみじみと飼い主が頷く部屋は空気すら美味しく思える。

 掃除を終えてトクガワちゃんねるの今後の企画などの会議を自分は聞いていた。チャンネル登録者数600万人に迫ろうとするおじさんに触発されて動画投稿市場は活性化しているらしい。

 登録者100万人を超える逸材も増え始め、コラボも考えているとのこと。


「まあ、正月用の動画も撮りましたから明日くらいは休んで下さい」


「そうですね。手伝ってくれてありがとうございました」


「スタッフですので」


「ではそんなスタッフにおじさん鍋を御馳走」


 自分の知識にある大晦日もこの世界には存在するらしい。

 白髪の女も黒髪の女も大晦日? 今日も仕事してきましたが、といった感じで鍋の準備をしていた。何を考えたのかテーブルに自分の食事用の皿を置く飼い主が片目を瞑る。


「今日は特別だぞ」


「イエさんは私よりも良い物食べてますね」


 食器にはカリカリだけではなくほたて貝柱やマグロ、ささみ肉、果物とふんだんに盛り付けされている。食事で主に対する忠誠度は買えるのだ。当然お手も笑顔で応える。

 お手をした筈の前脚を女に握られて握手することになっても気にせず食事を行う。


「凄いコリコリ言ってる……」


「イエは賢いから基本的に溢したり、床に置いて食べたりしないんですよ」


「猫ってこんなに賢い生き物なんですねぇ」


 テーブルに置かれた食器の為に、後ろ脚を立てて食べる。

 人間と同じ場所で食べて欲しいらしく、溢さないようにほたて貝柱を食べる自分を見る飼い主たちの目が優しい。


「――――!」


「――! ……!!」


 食事は日々の活力だ。

 楽しそうに食事をする美女たちの声音に耳を澄ましながらも、舌を肥えさせる。食べた分は出来るだけ運動するようにしているのだが、自分を太らせようという意思を感じなくもない。

 猫は太っているのが良いのか、スリムな方が喜ばしいのか。飼い主の意向次第でデブ猫への移行も検討せざるを得ないが彼女がそういった希望を口にしたことを見たことはない。


 黙々と味わって食べている自分に触発されたのか。

 彼女たちも仕事の話や雑談をそこそこに鍋の中身を胃袋に収めていく。


「鍋の締めはうどんですね~」


「ですね。……トクガワさん、もうすぐ日が変わりますよ?」


「マジ? 本当じゃん」


 暖房の効いた深夜のマンション最上階。

 邪魔する者は何もなく、カーテンの隙間から覗く白い雪が窓に張り付く。


「じゃあ、今年最後の撮影しよっか」


 ハーフアップの黒髪を揺らす女の一声で動画投稿の準備が始まる。

 自らを抱きかかえる女が撮影部屋の中心に立つ。白髪の女がカメラを手に取り無言で構える姿は経験豊富なのか様になっている。

 そして自分はぬいぐるみのように抱えられる、それだけの簡単な仕事だ。


「15秒だけ本気だす」


『お、おう』


 飼い主の言葉を合図に撮影が始まる。


「はい、どうも~おじさんです! 今ね、新年始まるまで15秒前です!」


「やっぱり新年を迎えるなら、大地とはおさらばするべきだと思います!」


 何がやっぱりなのか。

 15秒動画の撮影は自分の些細な疑問を吹き飛ばす。


「じゃあ、行きますよ! 3……2……1」


 ぐっと自分を抱える腕に力が籠る。

 内臓を圧迫しないように、ガラス細工に触れるように、猫を抱えた女が床を飛ぶ。

 ふわりと身体が浮くのを感じながら自分と彼女は年を越した。


「新年あけましておめでとうございます! チャンネル登録よろしく!」


「……はい、投稿しました。英訳付きです」


「ヨシ! 多分今年最速投稿! 解散! うどん!」


「伸びました」


「ヨシ!」


 麺が汁を吸った程度で食事を捨てる女はこの家にはいない。

 伸びたうどん鍋に卵や諸々を落とし、思い出したように餅の袋を取り出す飼い主。


「イエ! 餅! アハハ!」


『笑う要素ある?』


 圧倒的に金持ちの女にも関わらずスーパーの缶酒を好む女。

 仕事を忘れて楽しそうに料理を突く彼女たちの無防備な姿を見られるのは、世界中で今日の自分だけなのだと思うと感慨深さに頬を緩めた。

 気分も良いので暖を取るように女の膝元で丸くなると、そっと撫でられる。

 

「イエ」


『はい?』


「今年もよろしく」


『よろしくお願いします』


 ――猫の夜は、飼い主共々に遅い。



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