第38話
そりゃ、千歳は確かに翠の事を好ましく思っている。最初こそ返品の恥を掻かされた事に憤ったし、酷い態度には腹も立ったが、しかし彼は山姫から救ってくれた。なんだかんだと優しいのだ。それに心が動かないはずがない。
それに自然と側に寄ってくる姿には、なんだか可愛気すら感じてしまった。軽口を叩き合うのは気が楽だし、体調を崩した翠に抱き締められるのも嫌ではなかった。翠と共にある事を拒む理由なんて、千歳にはなかったのだ。
と、まぁ他の神子達のような、氏神になるという道を手放すのも惜しくはあったが――……何しろもし自分が氏神となるならば、その時は平蔵の家へ帰り、彼とその家族を見守る事になっただろうから。平蔵には、結局何の恩も返せていない。ならばせめて、彼の家を守りたいという気持ちもあった。
しかし千歳は、翠と共に在る事を受け入れた。彼と共に過ごす日々が永劫続くならば悪くないと……いや、むしろ好ましいと、そう思ってしまったのだ。
――が。それはこれまでのような、側仕えとしてであって。
「まさか伴侶にされるだなんて……」
思わずそんな呻きが漏れる。千歳は未だ、この事実をどう受け止めたものかわからずにいるのだ。
いや、そうは言っても基本的に、これまでの暮らしと変わらない。伴侶だなんだと言いつつも、寝所は別だ。翠も夜這いに来たりはしないし──と、そんな事に考えが及ぶと、千歳は顔から火を吹きそうになった。それは、自らの酷い勘違いを思い出した為だ。
翠に言われて初めて知ったが、そも御供のお役目とは、龍神とまぐわう事なのだと。龍神はそれによって力を得るのだというじゃないか。
そんな事、誰も教えてはくれなかった。きっと暗黙の了解的に、千歳が理解しているものと皆は思っていたのだろうが……箱入りで育った千歳に察しろなんて無理がある。
故に千歳は「御供にしろ!」と翠に何度も迫っていた。今にして思えばなんと破廉恥な事だろう。そして翠が拒んでくれていて本当に良かったと思う。当然ながら千歳には、その覚悟なんてこれっぽっちもなかったのだから。
と、翠はそんな千歳の事情を思ってか、今も決して無理強いはしなかった。だが、ただ只管に、態度が甘い。高圧的な物言いがなくなったわけじゃないのだが、ふとした瞬間見詰める視線が、目が合うたびに「ん?」と優しく問う声が、何気なく髪を梳いてくる指が、とてつもなく甘いのだ。
色恋沙汰に縁の無かった千歳にとって、そんな翠の態度をどうしたものか、全く見当が付かなかった。そもそも翠は男神だし、自分だって男だし。となれば余計に混乱する。千歳の周りには男同士の夫婦というものがいなかったから、彼の想いをどういう風に受け止めたものか、手本が無い。どうしていいか全くもってわからない──が。
「でもやっぱり、いい奴ではあるんだよな……」
千歳はぽつりとそう呟く。
今、視線を山の麓へ移せば、小さく水守村が見える。其処彼処から煮炊きの煙がもくもくと上がり、皆が今日も豊かに暮らしているのがわかる。二股に別れた神威川も、数日前までの濁り具合は何処へやら、今はまた青く煌めき、穏やかな流れを取り戻している。
――処刑の日。目を覚ました千歳は、翠が村の男達を葬った事に気が付いた。そして、酷く悲しんだ。彼らから受けた仕打ちは本当に惨いものだったが、しかし彼らには彼らの事情があったとわかっている。村を、家族を守ろうと、誰もが必死だったのだと。それなのに殺されてしまったのでは、気の毒だと思ったのだ。
するとそんな千歳を見て、翠は呆れたように溜息を吐き。かと思ったら、なんと驚くべき事か、神の御技により彼らを残らず蘇らせた。食いちぎられていた村長の腕までも元通りに――これに千歳は息を呑んだ。今の翠には此処までの事ができるのかと。すると翠はむっすりとしながら。
「本来俺は、そこにどんな事情があれ、お前を傷付けた此奴らを許せはしない……が、お前を悲しませるというのも本意ではないからな。これくらいの慈悲は垂れてやる」
そう言って村の皆を許してくれた。更に彼は雨を止ませ、氾濫し掛けていた川も見事に治める。神格が上がった今となっては人々からの信仰も不要だという事だが──更には新しい御供すらも──しかし村が流されては千歳が悲しむだろうからと。千歳の為に、彼は力を尽くしてくれた。
その出来事を反芻すれば、千歳の中、翠への思い入れは強くなる。これまで以上に、彼の役に立ちたいだとか、恩返しがしたいだとか、そういう気持ちが大きくなる……が、それはそれ。
伴侶になれるかと言われれば、それはまだ──と、思っていると。
「千歳。其処に居たのか」
「っ!」
足元から声が掛かり、かと思うと千歳の身体は宙に浮いた。それからふわふわと地上へと下降して、収まったのは翠の腕の中である。少し胸元の乱れた着物を見ると、朝餉を終えた後、また眠っていたようだ。
「社から出る時は言え。心配する」
何処かむくれたように呟くと、翠は千歳のこめかみの辺りに自身のこめかみを擦り付けた。どうやら翠は、こうして甘えるのが好きらしい。一方の千歳はこれをされると、どうにも落ち着かない気持ちになった。嫌なわけではないのだが、こんなにも愛おし気にされるとどうして良いかわからない。故に慌ててその腕から抜け出すと。
「な、なぁお前さ、いくらなんでも変わりすぎだって……俺、その色ボケ具合に全然ついていけてねぇんだけど⁉」
そんな文句をぶつけてやる。こうして喧嘩を仕掛ければ、前のように気楽な言い合いになるだろうと。そうすれば自分もやりやすい。
と、この作戦がうまくいく時もあるのだが、今はそうはいかなかった。すっかり愛情表現について開き直ってしまった翠は、実にしれっと。
「なんだ、色ボケで何が悪い。こちらはお前を伴侶として扱うと言っただろう」
「~~っ、だからこっちも言ってんだろ⁉ 俺はそんなつもりじゃなくて、側仕えとして……って、なんだよ?」
千歳は反論を切り上げて怪訝に問う。それは翠が呆れたように、千歳をじっと見詰めるからだ。
「お前……いい加減自分で気付かないか?」
「は? なんだよ、何にだ?」
不審げに問い返すと、翠はこちらへ顎をしゃくって。
「俺が抱き竦める度、いつも真っ赤になっている。今だってそうだ。耳まで染まっているじゃないか。口では色々と言いつつも、悪い気はしていないんだろう?」
「は……はぁぁ⁉」
これに千歳は素っ頓狂な声を出した。が、否定の言葉が繋がらない。自分でも、翠に抱き締められる度、顔が沸騰するように熱くなるのに気付いていたのだ。
少し前、体調を崩した翠に抱かれた時とはまた違う。あの時よりずっと、ドキドキとして仕方がない。それは……それは翠が自分に対し、確かな好意を示し始めた為だろうか。それにより、自分も感化されているのか。それとも単に、自分もまた翠の事を……?
だがやはり、そんな己を認める事はまだできず。故に何も言えずにいると。
「千歳」
不意に優しく名を呼ばれた。ずっと千歳の名を呼ぶ事のなかった翠なのだが、あの処刑の日のどさくさ以降、こうして呼び掛けてくるようになった。用がなくとも、ただ愛おしさが溢れて呼びたくなるのだというように。
そしてその度、千歳はどうにも堪らない気持ちになった。
今ならば、名付けた途端に懐いてきた翠の気持ちがよくわかる。こうして優しく呼ばれると、この上なく心地が良いのだ。温かくて、満たされて──絆される。千歳が特別で大切なのだと、ありありと伝わるから。それは神子の資質の為ではない。きっと、千歳が千歳だから。
そんな理解が胸の奥まで染み渡ると、もしやこの龍神に
千歳はそんな考えを慌てて掻き消す。だって伴侶になったが最後、きっと翠は今以上に千歳の事を求めるだろう。触れ合いについてだって、きっと箍が外れるに違いない。それを受け止めるだけの覚悟は、まだ持てない。
だがきっといつか、自分は捕まってしまうのだろう。千歳はそんな予感を得た。
だって自分達はこの社で、永劫二人で暮らすのだから。
日々翠の甘い視線を注がれていればいつか──いや近い将来、自分は彼に頷いてしまうのだろうと、そう思った。
返品神子が龍の寵愛を受けるまで 平加多 璃 @hirakata_aki
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