終章 神子、龍神の伴侶とされる
第37話
龍神の社よりも少しばかり山を登った一帯には、大きな楠が寄り集まって生えている。その中でも一際大きく枝振りのしっかりとした一本の枝に腰掛けて、千歳は空を眺めていた。
すっきりとした快晴。
先日まで永遠のように降り続いた雨が嘘のように、空は青く、気持ち良く晴れ渡っている。
──こうしていると、本当に何もかもが嘘みたいだ……
午前の爽やかな風に吹かれ、ぼんやりと考える。余りにものんびりとした、穏やかな午後。ほんの数日前まで長雨が降り続き、じわじわ村を追い詰めていたのが信じられない。
それに千歳は、まだあの処刑の日に起きた諸々も、まだ現実のものとしてうまく受け止め切れていなかった。何しろあの日は、本当に色々起きたのだ。
あの日、千歳は日が昇ると同時、村奥の広場へと引っ立てられた。其処には村中の男達が集まっている。千歳という大罪人を葬る事で龍神への忠誠を示そうと。
千歳は最後の望みをかけ、この処刑に意味はないと訴えた。自分は龍神を怒らせてはいないし、この雨も龍神の怒りによるものではない。だから自分を処刑するより、美鈴の正体を暴いて欲しいと。あの娘は怪しいのだと、声の限りに。
だが、正義に熱狂した人々が聞き入れるはずもなかった。千歳は容赦なく無数の礫を浴びせられ、何度も何度も棒で打たれた。それは想像を絶する痛みであった。運が良かったのは早々に意識を飛ばせた事だろうか。お陰で少し、苦しみに鈍くなれた。感覚の冴えたままに嵐のような暴力を受け続けるのは辛過ぎる。
と、朦朧とする中で、千歳は平蔵の声を聞いた。きっと彼は千歳の処刑を知らされていなかったのだろうが、しかしこの騒ぎが村外れのボロ小屋まで届いたのだろう、異変に気付いてやって来たのだ。
彼はすぐさま千歳を助けようとしてくれた。だが、村の皆に取り押さえられてしまい、その場から引き剥がされた。平蔵の咽び泣く声が遠ざかる……本当に彼には申し訳がなかった。こんな悲しみを味わわせる事になるなんて。
それにきっとこのままでは、川の氾濫は止められない。自分は彼を助ける事はできなかったのだ。それを思うと、悔しさに涙が滲んできた。
それからも暴力は続けられ、多くの血が流れると、ほとんど目が見えなくなった。倒れ伏した身体は動かず、意識も痛みも、すっかり遠い。
自分はこのまま死ぬものと理解し、千歳は何もかもを諦めた。憤るが、悔しいが、どうにもならない事もある。それに自分は役立たずの神子だった。ならばこの結末も、仕方がない事なのかも。そう納得するより、他にない。
そうして後はぼんやりと、最期の瞬間を待っていたが──そこに予想外の事が起きた。
翠が駆け付けて来たのである。
後から聞かされて驚いたが、あの美鈴という娘は神子ではなく、翠の命を狙う陰陽師であったらしい。まさか神殺しを企てる者が居るなんて、千歳は大いに驚愕したが――であれば当然、彼女を御供とし力を取り戻せるはずがなかった。翠は相変わらず弱りきったまま、持てる力の全てを使って美鈴を倒し、千歳の元までやって来たという事だった。
そして翠は、死にかけた千歳の魂を、彼の眷属とする事で繋ぎ止めた。お陰で千歳は、今もこうして存在している訳なのだが──……
この現状が、どうにもこうにも慣れなかった。
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