傍観者でいたかった令嬢は悪役令息に溺愛される

深園 彩月

第0話

「お前との婚約は破棄させてもらいますわ!」


 王家主催の夜会にて繰り広げられる修羅場に、人々は然程動揺しなかった。


(あの鳥頭、とうとうやらかしたわね)


 修羅場の一角から距離を取り、窓際で1人黙々と食事を楽しんでいた私は、ヒステリックな声に水を差されて眉をしかめつつ人垣の合間から覗く当事者に視線を向けた。

 ふくよかな身体に纏う豪奢なドレスに高笑いが似合いそうな縦ロールと吊り目のその人は、この国の第一王女だ。嘆かわしいことに、見た目も頭の中身も残念なこのお方、王位継承権第一位の王女である。


(国王陛下もお可哀想に。大事な社交の場で娘に泥を塗られるなんて……)


 本日の夜会は陛下の生誕パーティーだ。そんな大事な日に、こんな大勢の前で、堂々と婚約破棄宣言。政治絡みの婚約を整えた張本人に、このパーティーの主役に、即ち陛下に大変失礼な行為だ。身内といえど許されない。


(まぁでも、お相手を考えたら婚約破棄したくなるのも無理ないわね)


 王女と王女に寄り添う見目のよい子爵令息を見上げているのは、たった今婚約破棄された公爵令息だ。王女の張り手で尻餅をついた状態。

 女性の張り手ごときで尻餅?と思うかもしれないが、あの棍棒の如き逞しい腕で引っ叩かれたら貧弱な令息なんてああなるのは必然でしょう。


「ざんね〜ん。もっと遊べると思ったのにぃ」


 さっと立ち上がり、左頬に残るくっきりとした赤い跡なんてまるで存在しないかのようにへらりと笑う公爵令息。

 彼は悪名高い公爵家の次男で、軽薄な見た目と口調の通り女好きで有名な人だ。

 なんでそんな男が王女の婚約者になったのか甚だ疑問だけど、政治絡みで私の知らない事情もあるんでしょう。


「や、やっぱり、ワタクシは弄ばれていたのね!?」


「弄ぶなんて人聞き悪いですねぇ。女の子は皆平等なんですよ〜殿下ぁ」


「ワタクシを他の女と同列にしないで!ワタクシは王女よ!いずれ女王になる女よ!」


「殿下、落ち着いて……僕が一生お側にいます。こんな男のことなど忘れましょう」


「ライリー……!」


「わ〜2人の世界。お幸せにぃ!結婚式には呼ばないで下さいねー口説くのに忙しいから〜!」


(口から生まれてきたような男ね。痛覚が死滅してるのかしら)


 有り得ない場所で有り得ない宣言をする王女も王女だし、脳みそすっからかんな王女を落として逆玉の輿を狙う子爵令息も子爵令息だし、王女以外の女性と関係を持った公爵令息も公爵令息だ。

 阿呆共の喜劇に紳士淑女の皆様も失笑中。

 この国の行く末がお先真っ暗になりそうな出来事であるのに大半の人が動揺していないのは、第一王女がアレでも、優秀な側室の子がいるから。

 今回の件で陛下も完全に第一王女を見限ったようだし、世継ぎ問題が解決するのは時間の問題だ。

 むしろ今はこのカオスな空気をどうにかしないといけない。

 どう収集つけるんだ?と皆が顔を見合わせる中、恋人との二人きりの世界から脱した愉快な脳みそをお持ちの王女サマは更なる爆弾を投下した。


「よくもワタクシをコケにしてくれたわね!罰として、南の辺境伯家令嬢との婚約を命じるわ!」


 危うく噴き出しそうになった。

 我が国の最南端、海に面している土地があり、港町として栄える一方で貿易にも力を入れている。漁業と貿易の要であり、我が国に欠かせない土地のひとつ。

 そこを統括する辺境伯家の令嬢。つまり私。


(巻き込まないでほしかった……)


 私は別に舞台に立ちたい訳じゃない。観客として堂々と見物したいとも思わない。傍観者として影からひっそり高みの見物を決め込みたいのに。

 止めて。舞台に引きずり込まないで。


「お前、前に言ってたわよねぇ?お喋りするしか脳がない田舎領地出身のくせに、あそこの令嬢は空気みたいでつまんないって。あっははは!つまんない女とつまんない人生を過ごすなんて、お前にお似合いじゃない!」


(お喋りするしか脳がない、ねぇ……)


 確かにうちは身内も領民も皆お喋り大好き民族だけど、そこまで扱き下ろさなくても。


 その後、頭の痛そうな顔で国王陛下が収拾をつけて下さり、改めて公爵令息とご対面。

 私と彼への婚約命令は王女の独断だからと陛下が撤回しようとしてくれたが、何故かこの男が拒否したのだ。


「南の辺境伯家が長女、ミリアです」


「俺はユーグ!よろしくね〜アリアちゃん」


(よろしくする気ゼロですね。その割には馴れ馴れしいけど)


 初っ端から名前を間違えているのはさておき、今のこの状況をさっさと切り抜けたい。

 別室に連行された王女と子爵令息を除き、渦中の人物と巻き込まれた私に集まる数多の紳士淑女の視線。夜会はまだ終わっていないのだ。


「それではそろそろお暇させて頂きます」


「え〜もう帰っちゃうのぉ?ちょっと俺と遊んでからでも遅くないよね?あ、もしかして具合悪い?送っていこうか?」


「いえ、そういう訳では。そちらも色々あってお疲れでしょう。私に構わずお帰り頂いて結構ですよ」


 つれないなぁとブスくれていつまで経っても解放してくれない公爵令息に、完璧な淑女の微笑みを披露した。


「とっととお帰り下さい。公爵令息様」


 そうしてやっと解放されたと思ったのに。



「なるほど〜いの一番に退出したのは領地に帰る準備のためかぁ。南の端っこだもんねぇ、早くしないと航海祭りにもスタンピードにも間に合わないよね〜」


 向かい側に座る薄っぺらい笑みを張り付けた男を無表情に見上げる。

 何故この男は領地へ帰る馬車に同行してるのだろう。


「……お帰り下さいと言ったはずですが?」


「うん、帰るよ?将来の俺達の領地に〜」


(曲解が過ぎる)


 いや、仮にも婚約者なのだし、婚約解消でもしない限りいずれは結婚する仲だけども。その場合は彼が婿入りするので将来の自分達の領地という言い方もあながち間違いでもないけども。

 小さく溜息をひとつ。

 成り行きとはいえ一応婚約者。しかも相手は格上の公爵家のご令息。それも曰く付きの。

 馬車に乗ってしまった以上引き返せない。叩き返してやりたい衝動をぐっと堪えた。


(この男、思ってたより賢いわ。うちの領地のことも調べ上げてるし)


 若い職人が一人前になった証として一から十まで全て手掛けた船を初航海させる航海祭りはうちの領地での伝統行事だから広く知られていても、定期的に海の魔物が押し寄せてくるスタンピードはほとんど知られていない。

 強力な個体が出現する山脈などとは違って弱い個体の群れだからそこまで脅威ではないのだ。

 といっても、しっかり準備を整えて迎え撃たねばそれなりに被害が出てしまうけど。


 南の端っこの領地は酷く遠く、馬車の旅は長い。

 暇だから話そうと言って構ってちゃんを発揮する公爵令息に「つまらない女と話すことなどないでしょう」と嫌味を返してもどこ吹く風で話題を引っ張り出す。


「あの噂ってホント?ほら、守護神がいるってやつ」


 “南の辺境伯領には守護神がいる”

 いつからか流れ始めた噂。悪意ある存在が人知れず排除され、領地の平和が保たれているという。


「いませんよ、そんな不確かなもの」


 馬車の窓から見える景色をぼんやり眺め、ぽつりと呟いた。



「ミリア様ー!お帰りなさーいっ!」


「「「お帰りなさーい!!」」」


 長い旅路を経てようやく故郷に帰って来た私を出迎えたのは、多くの領民だった。

 領地を出入りする際は毎回熱烈な歓迎を受けるのも慣れたものだ。

 領民全員がアットホームな領地もなかなか珍しい。しかしここではこれが普通。


「ただいま帰りました。息災でしたか?」


「そりゃあもう!皆元気すぎるくらい元気ですぜ!あ、前に仰ってたサリマの花、摘んでおきやした!」


「ありがとう。サリマの花は毒があるから、誤って誰かが触れる前に取り除いてくれて助かりました」


「ミリア様!ルチカーレの実が豊作でしたよ〜」


「まぁ、嬉しい。パイとタルトが沢山食べられるわね。楽しみだわ」


 代わる代わる声をかけてくれる領民に応えていると、誰かが目敏く同行者に気付いた。

 領民との距離の近さに目を白黒させている公爵令息を婚約者として紹介したら「ついにミリア様にも春が来たァ!」と公爵令息を胴上げした。

 そして屋敷についたらついたで今度は両親と使用人が公爵令息を胴上げした。


「なかなか楽しいとこだね〜。お父君はちょっと怖いけど、領民とは仲良くできそうだよ〜」


 胴上げという名の歓待から解放されて乱れた服装を調えながら公爵令息はそう言った。

 穏やかな笑顔で公爵令息をハグしていた父が怖い?何の冗談だろう。



 様々な理由で領地を離れられない父に代わり夜会へ出席してから早数ヶ月。つまり、いらないオマケつきで故郷に帰って来てから早数ヶ月。

 公爵令息がいる日常にも慣れた。

 私の家に滞在しているあの男は時折外出しては女の子に声をかけている。さすがは女好きと定評のある男だと妙に感心していたけど、しばらくして気付いた。あの男、ただの一度もお手付きしてない、と。

 てっきり夜の意味でも名を馳せてるものとばかり思っていたから意外だった。婚約者がいるから自重してるのかしら。


 意外といえば、航海祭りで処女航海した船を見て目をキラキラさせながら子供みたいにはしゃいでいたのもそうだ。そのときだけはいつもの胡散臭い笑顔は鳴りを潜めていて、まぁ、悪くない表情をしていた。

 スタンピードが起こったときも「タダ飯食らいは流石に気が引けるから〜」と真っ先に戦闘に加わり多くの魔物を薙ぎ倒す姿も圧巻だったわ。少し見直した。


(噂はアテにならないわね。脳内ハッピーな女好きの屑かと思いきや、頭の回転は早いし真の意味で女の敵でもなさそうだし武術にも精通しているし。あれだわ……少しチャラいだけのお兄さん的な)


 積極的に親しくするつもりはないけど、夫婦としてではなく隣人としてならそれなりの関係を築けるかもしれない。

 そうなると不思議なのが公爵家と彼自身の悪評だ。彼のひととなりを知るうちに「本当にこんな悪評の立つことをしたのかしら?」と疑問に思いこっそり調べてみたら、大半がガセであることが判明。王女との婚約破棄の件もそう。公爵家の方も個々の性格云々はさておき領地運営に不正も不備もなく地元の評判も上々。

 なら何故一族ぐるみであんな悪評が?と不思議で仕方ないけど、多分これ首突っ込んだら面倒になるやつだわと直感が囁き即座に手を引いたので分からず終い。

 悪評を鵜呑みにして公爵令息がトラブルを起こすかもと身構えていたのに良い意味で予想が外れ、穏やかな日々を過ごしている。


「探したよ〜ミリア。今日はここにいたんだ」


「何か御用ですか?ユーグ様」


 商業区の一角にあるお洒落なカフェの個室で紅茶の香りを堪能しつつルチカーレタルトを頬張っていたら公爵令息が顔を覗かせた。

 いつからかちゃんと名前を呼ぶようになったのでこちらも相応の呼び方をしている。


「用がなきゃ来るなって?酷いなぁ。せっかく愛しの婚約者殿に会いに来たのに〜」


 わざとらしく肩を竦め、さり気なく隣の席を陣取り店員を呼んで注文する公爵令息。

 程なくしてルチカーレパイとブラックコーヒーが運ばれてきた。


「ん〜、美味しい!ずっと食べていたいくらい美味しいよ」


「もう旬の季節が終わりましたから、食べ納めですわね」


「それは残念」


「ところで、何故私がここにいると?」


 甘みの強いルチカーレパイと苦いコーヒーのハーモニーを堪能する公爵令息に静かに問いかけると、彼は悪戯っぽく笑った。


「何ヶ月も一緒にいたんだ、君の散歩コースも大体分かるよ〜」


 決まり悪い顔でそっと視線を外す。

 私が彼を観察していたように、彼もまた私をしっかり見ていたのだ。

 毎日領内を散歩していることも、数日に一度はお気に入りの店に出入りしてることも。

 そう、視察ではなく散歩。仕事として領内を見て回るのではなく趣味の散歩。

 私にはない熱意を持ち、私にはできないことをやってのける人々の日常を一歩下がったところで観察するのが楽しくて仕方ないの。

 憧れたり羨んだりした時期もあったけど、自分の立場を理解して折り合いをつけてからこのような楽しみ方を見出したのだ。

 生き生きとした声、くるくる変わる表情、刻まれていく時間、紡がれる日常。台詞も表情も動作も作られた観劇よりずっと面白い。


 誤魔化すようにルチカーレタルトの残りを黙々と口に運ぶ。

 内緒にしている訳ではないけど、バレたらバレたで微妙に恥ずかしい。


「ふふ、恥ずかしがってる?可愛いね〜」


 残り僅かなルチカーレパイを平らげて私をからかった後、追加でルチカーレタルトを注文する。食べ納めと言ったからかしら。


「ねぇねぇそこの綺麗な髪の店員さ〜ん!ちょっと話し相手になってよ、退屈させないからさ〜」


 スンッと真顔になる。

 愛しの婚約者だの可愛いだの言ったその口で他の女を口説くとかどんな神経をしてるんだろう。

 というか、婚約者の前で他の女に声をかけるなんて非常識だ。


(別に、気にしないけど)


 彼が浮気しようがどうでもいい。むしろ観察対象が増えた。彼と相手の女性にどんな変化が表れるのか見ものだ。

 彼が甘い表情で私ではない女性に愛を囁く光景が頭に浮かんで……


「――――そろそろ失礼します」


 気が付けば席を立っていた。

 支払いを使用人に任せ、彼らを視界に入れることなくさっさと店を出る。

 ……どうしたのかしら。急に胸が締め付けられる感覚に襲われたわ。もしや病気?後でお医者様に診てもらわないと。

 自身の異変に内心首を傾げつつ通りを歩いていると路地裏に入っていく人影が視界に入り、思わず眉根を寄せる。


(やれやれ、最近は大分減ってきたと思ったのに……またお父様に報告しないと)


「ミリア様?どうしたんです、こんなとこで」


 往来で立ち止まった私を気に留めた領民が声を掛けてきたので口を開く。しかし言葉を紡ぐより先に背後から割り入った声が私達の鼓膜を揺さぶった。


「サリマの花が咲いてたんだよ〜。今回は緑だね。群生してないから安心して」


 路地裏を指し示しながら、まさに今私が言おうとしていた台詞をそっくりそのまま伝えたのは、先程店員をナンパしていた婚約者だった。

 驚愕で固まる私をよそに領民は「緑かぁ。神経毒が厄介だな。さっさと摘んでくるか」と方向転換する。しかし数歩歩き出したところでくるりと振り返り、サムズアップする。

 その顔はいかにも“いい旦那見つけやしたね、ミリア様”と物語っていた。


「――――サリマの原産は海を隔てた隣国。品種改良された無毒の花は広く知れ渡っているけど、元が毒花だと知る者は少数。けど貿易を通して様々な国と交流のあるこの地は別」


 誰にともなく言葉を紡ぎ、訳知り顔で口角を上げる。


「何かあるとは思ってたけど、まさか人知れずこの領地、ひいてはこの国を守ってたとはねぇ。しかも領民全員グルとか、予想外にも程があるって〜」


 南の辺境伯領は貿易の要。他国の文化が船で運ばれてくる土地。

 しかしながら、運ばれてくるのは良いものばかりではない。他国の間者が紛れていることも多々ある。

 我が国の内情を障りない範囲で探る程度ならば見逃してあげるが、そうでない者にはこの領地そのものが牙を剥く。

 先程のやりとりは隠語の一種だ。しかしそれはこの領地に住まう者にしか通用しない。

 長年、うちの領地は武力ではなく話術で他国と渡り合ってきた。海の向こうの国々に侵略されぬよう手を尽くしてきたのだ。


(調査したのね。私が彼の近辺を嗅ぎ回っていたように)


 驚愕から立ち直り冷静に分析する私を愉快げに目を細めて見下ろすユーグ様が、逃さないとばかりにやんわりと行く手を阻み、私の髪を一房持ち上げて唇を落とす。その何気ない動作にドキリとした。


「守護神は君だったんだね」


 ゆるりと首を横に振る。


「しいて言うなら、この地に根差す全ての命が、ですわね」


 守護神なんてそんな不確かなものは存在しない。自らの故郷を、自らの手で、皆で協力しながら守っているに過ぎないのだから。


「噂の真偽を確かめるために私を婚約者に据えたのですか?」


「ん〜、それはついでかな」


 髪を弄る手を止めて、私の後頭部に手を添える。そしてそのまま引き寄せられ……

 優しく口付けられた。


「本命は君だよ」


「〜〜っ!?」


 唇に触れた柔らかな感触に頬が薔薇色に染まる。

 待って。本命?最初私の名前を間違えてたのに?空気みたいな令嬢だとか陰口叩いてたのに?婚約だって王女の命令だったのに?


「いや〜大変だったよ。あの王女を誑し込むために色々仕込んだり、ミリアと婚約するために色々根回ししたりさぁ。最後の大仕事めちゃくちゃ頑張った〜」


 目を回して困惑する私の心情を察してさらっと説明してくれたけど、爆弾情報織り交ぜるの止めて下さらない!?

 子爵令息は彼が送り込んだ子飼いなのかとか、王女の前で私の悪口を言ったのは私との婚約に持っていくための布石だったのかとか、私の名前をわざと間違えたのも意味があったのかもとか、余計なことに気付いてしまった。無駄に頭の回転が早い自分を呪いたい。

 というか、もしかしなくても、彼の目的は王女の排斥?いくら問題のある王女でもそんなことしたらただでは済まないんじゃ……

 私の懸念を木っ端微塵にするように爆弾が連投された。


「我が公爵家は陛下公認の国の調整役だ。王女の排斥も陛下の了承を得ている」


(…………やられた!!)


 ここの通りを歩く人は疎らだがいない訳ではない。誰が聞いてるか分からないこんな場所で国の機密に関わりそうなことをぽろっと喋る理由はひとつ。


「ごめんね?これでも必死なんだ。君の大事な宝物には絶対手を出さないから、許して?」


 領民を人質に取られたのだ。彼は初めから私を逃がす気など更々なかった。

 頬の赤みが引かぬまま内心青褪めて狼狽える私を緩く抱きしめ、耳元で囁く。


「本当はミリアの気持ちが俺に傾くまで我慢しようと思ってたんだけど、全っ然靡かないから焦ったよ……さっきのあれ、少しは嫉妬してくれたのかなって期待しちゃってさ。つい強引な手段に出ちゃった」


 彼が店員に声をかけたときのことを指してるのだと理解してますます顔が赤くなる。

 別に嫉妬した訳では……と言いかけて、本当に?と疑問が浮かぶ。

 なら、あのときの不快な感情は、何?

 交わしたキスに込み上げた言い知れぬ感情は、何?


「3年前、辺境伯の代わりに社交場に出るようになった頃からずっと気になってたんだ。芯が通ってて自分を曲げない、不言実行な優しい君のことが」


 男らしい大きな手で私の頬を撫でる。獲物を捕らえて逃さない獣の目をしてるのに、その手付きはどこまでも優しくて。

 彼は笑う。艶やかに笑う。


「誠実とは言えない俺だけど、本気になったら一途だから。覚悟してね?」



 ああ。もう、傍観者ではいられない。




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