笑顔のタクシー

増田朋美

笑顔のタクシー

その日もなんだか涼しいように見えて、実は暑いという気候が続いていた。なんだか変な日だなと思われる日々だった。風が吹けば涼しいなと思われるのであるが、そうでなければ、暑い日である。

杉ちゃんとジョチさんは、富士駅前のタクシー乗り場で、製鉄所へ帰ろうと、障碍者用のタクシーを探していたが、いわゆるワゴンタイプといわれる、タクシーはどこを探してもなかった。セダンタイプのタクシーに、杉ちゃんが乗ることができないのは、動かせない事実なので、

「仕方ありませんね。じゃあ、電話してみます。一寸お待ちください。」

と、ジョチさんはスマートフォンを出して、

「もしもし、あの、すみません。タクシーをUDタクシーで一台お願いします。UDタクシーの小型車のほうで、ええ、客は二人。一人は、車いすを利用しています。ああ、それはないです。ただ、乗り降りの介助だけお願いしてくだされば。はい、ええと、待ち合わせは、富士駅北口ロータリーでお願いします。はい、よろしくお願いします。」

といって電話を切った。

「来てくれるそうですよ。」

「どこの会社に頼んだ?」

杉ちゃんにそういわれて、ジョチさんは、

「はい、須津タクシーです。なかなかUDタクシーが空いている会社がなくて、こちらの会社にお願いしました。」

と、すぐに言った。

「そうなんだね。あんまり有名なタクシー会社ではないから、サービスがどうなるか心配だけど、とりあえず乗っていくか。」

二人は、15分ほど待った。しばらくして、須津タクシーと書かれた黒いジャパンタクシーが、二人の前にやってきた。

「こんにちは。今日はこれに乗せてもらうのかな?」

杉ちゃんはそうタクシーの運転手に言った。運転手の女性は、なんだかいやそうな顔で、

「はいそうですけど。」

と言った。

「何か、ぶすっとしているな。もう少し可愛い感じの子の方がいいな。」

確かに、タクシーの運転手の女性は、なんだかぶすっとした顔をしていて、あまり美人とは言い難かった。

「それでは、大渕の、富士山エコトピアの近く下ろしていただけますか?そこの近くに、仕事場がありますので。」

ジョチさんがそういうと、運転手の女性は、わかりましたと言って、杉ちゃんを車いすごと、後部座席に乗せた。最近のタクシーは、車いすごと客を乗せることが可能になっている。それはそれでいいのかもしれないが、運転手にとっては、不運というか、嫌な客なのだ。この女性運転手も、そんなことを示す顔をしている。ジョチさんは、助手席に乗った。

「どうもすみませんね。こんな人間を乗せていただきまして有難うございます。」

と、杉ちゃんに言われて、運転手は、はいといった。

「もうちょっと、可愛い顔して仕事しろや。確かに、タクシーの仕事はきついかもしれないけどさ。」

そういわれて、運転手は思わず、

「まあ女性にそんなこと言うなんて失礼です!」

というのであるが、

「だって事実なんだもん。もうちょっとさ、化粧化をつけて、可愛い顔をしろ。そうだな、笑顔ってのが、足りないんだよな。それは、ちゃんとやってくれよ。客商売なんだから。」

と、杉ちゃんはすんなりといった。

「そんなこと言っちゃだめですよ。女性の方は、結構気にしていらっしゃるかもしれませんよ。」

ジョチさんに言われて、

「まあ、事実そうだから、それを否定したり、ごまかしたりするのは僕は大嫌いなのでね。それは言わせてもらうぜ。」

と、杉ちゃんはそういうのであった。

「そんなぶすっとした顔しないでさ、もっと笑顔で仕事しろや。まあ確かに、世の中は、正直者はバカを見ることもあるし、かといって嘘も通らないけど、笑顔でにこやかにしていれば、幸せがやってくるものだからな。幸せってのはよ。意外に小さいものかもしれないよ。すごい大きな変化じゃなくて、ちょっとしたことでいいんだよ。そうすれば、どんな風が吹いても倒れるということがなくなるから。」

「そうなんですね。車いすのお客さんは、そういうことを平気で言うから、まったく困ったものだわ。」

運転手は、いやそうな顔で言った。

「それで、嫌な顔してるけど、失恋でもしたのかい?」

杉ちゃんが、でかい声で言った。

「いやあ、そういうことではありません。それにこの顔は生まれつきですから、心配しないでください。」

と女性運転手はそういうのであるが、

「支えてることはちゃんと吐き出してしまった方がいいぜ。」

と、杉ちゃんはからからと笑った。

「さあ、エコトピアにもう少しで到着いたします。」

運転手は、急いでそういうと、

「わかりました。じゃあ、富士山エコトピアのバス停近くで下ろしてください。」

ジョチさんは、すぐに言った。

「わかりました。」

と運転手は、富士山エコトピアと書かれた、バス停の前で、タクシーを停車させた。

「ありがとうございます。それでは、これをお納めください。」

ジョチさんは提示された金額を運転手に渡した。

「領収書をいただけないもんでしょうかね。僕たち、金の使い道は、はっきりしないと、困るもんでね。」

と杉ちゃんが言うと、運転手は、はいわかりましたと言って、領収書を渡した。そして、杉ちゃんの車いすに手をかけて、スロープを使って、急いでタクシーから下ろした。

「すみませんね。わざわざ、下ろしていただきまして。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「このジャパンタクシーも、降りるのは大変ですよね。だから、障害のあるお客は乗せたくないなと思ってしまう、あなたの気持ちもわからないわけでもないですよ。だから、杉ちゃんのいう通り、ぶすっとした顔になってしまうのも、確かに、わかります。」

ジョチさんがそういうことを言ったので、運転手は、はあという顔をした。なんだか客にそういわれてしまうのも、恥ずかしい気持ちになってしまうものだ。

「これからもこういうお客さんを乗せることがあると思うが、まあ、いろんな人がいるんだなくらいの気持ちで、気軽な気持ちで仕事をしてくださいね。考えすぎないことが、若い人が世の中をうまく渡り歩くコツだと思います。それでは、また機会がありましたら、乗せてくださいね。」

「今度の時は、もうちょっと笑顔のあふれる運転手になるんだぞ。」

杉ちゃんにもそんなことを言われて、運転手は、障碍者にそんなことを言われたくないとでも思ったのか、

「それでは、ありがとうございました!」

と二人に頭を下げた。二人は、じゃあまたなと言って、帰っていった。

それからしばらくして。製鉄所の利用者たちで、少し外出してみるという企画が持ち上がった。製鉄所と言っても、鉄をつくるところではない。居場所のない女性たちが、勉強や仕事をするための、部屋を貸しだしている、福祉施設である。ほとんどの利用者たちは、自宅から、製鉄所に決まった時間に通所する形で、利用しているが、中には水穂さんのように、間借りという形で、利用している人もたまにいる。つまるところ製鉄所というのは、ただの施設名であるだけであった。

基本的に利用者たちは、ただ勉強や仕事をする部屋を貸してもらうだけで満足するのだが、それだけではつまらないということで、時々、近隣の観光名所へ連れていくことがあった。そういう企画を、一年に一度や二度は用意してある。今回はちょうど秋ということで、紅葉を見たいという、利用者の要望を受けて、富士宮市の陣場の滝と白糸の滝をめぐるという企画が持ち上がった。

製鉄所の利用者は、今のところ3名だった。引率者として、製鉄所を管理しているジョチさんと杉ちゃんが一緒に行くことになった。しかしここで問題が発生する。富士宮駅まで身延線で行き、バスで陣場の滝まで行こうということになったのであるが、杉ちゃんは車いすであるため、バスの乗り降りが大変なのである。

「身延線には、駅員さんに、乗せてもらうように頼んでおきました。しかし、バスはどうしますかねえ。本数が少ないので、乗り降りが困りますから、ほかの観光客から苦情が出るかもしれませんね。」

とジョチさんは、考え込んだ。

「苦情が出たらそれでいいじゃないか。そんなこと、気にしてたら、どこの観光地にも行けないね。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「そうかもしれませんが、こっちへ後になって、観光の邪魔をされたとでも言われてしまったらこちらも困るんです。気にしないだけでは、済まない問題なんですよ。杉ちゃん。」

ジョチさんは、一般的なことを言った。確かに、気にしないだけでは済まされない。だって、ここは偏見の目で見られている事業所でもあるからだ。それが、ひどいものだったら、製鉄所の存続もかかわってくる。

「でも気にしないのが一番いいんじゃないの?」

杉ちゃんはそういったのであるが、

「じゃあ、そういうことなら、うーんどうしたらいいですかね。バス以外に、交通手段がないものか。」

「タクシーがあるじゃないか。」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。

「ああそうですね。確かにジャンボタクシーという手があったか。5人乗れるかどうか聞いてみましょうか。ジャンボタクシーは、需要がなさそうで、実は結構あると聞いています。なので、すぐに予約が取りにくいと聞きますけど。」

ジョチさんはそういって、タクシー会社へ電話をかけ始めた。確かにタクシー会社はいろいろある。大手のタクシー会社であれば、すぐジャンボタクシーを手配してくれるのであるが、どの会社に電話しても、秋の行楽シーズンで手配できなかった。最後に頼んだ須津タクシーという会社が、ジャンボタクシーを引き受けてくれた。大手のタクシー会社ではないけれど、そこで何とかしてくれるのだから、まあよかったと思うしかないだろう。

そして、当日。杉ちゃんとジョチさん、そして3人の利用者たちは、製鉄所の玄関先で、ジャンボタクシーが来てくれるのを待った。しばらく待っていると、大型のワゴン車である、ハイエースが、製鉄所の玄関先へやってきた。その運転手は、あの時のぶすっとした顔の女の子だった。

「ああ、またお会いしましたね。それでは今日は陣場の滝まで行ってください。そのあとで、白糸の滝にもよってくださいませ。」

とジョチさんが言うと、

「あの車いすの方も一緒に行くのですか?」

と女性運転手は言った。

「おう、そのつもりだ。だからよろしく頼むなあ。」

杉ちゃんが何の迷いもなく答える。

「それでは、乗ってください。皆さんは座席に座って、車いすの方は、後部座席へ。」

と運転手は、そういって、まず、3人の利用者に座席に乗るように促した。3人がそうすると、今度は杉ちゃんを、用意していたスロープを使って、車いすスペースに乗せた。ジョチさんは、自ら、助手席に乗った。

「それでは、出発いたします。行先は陣場の滝でよろしいですね。」

と、運転手は、運転席に乗り、ジャンボタクシーは走り始めた。途中高速道路を経て、山道を走って、陣場の滝へ向かった。こういう観光タクシーだと、子供が退屈しないように、映画を用意している観光会社もあるようであるが、彼女たちにそれは必要なかった。3人の利用者たちは、とても楽しそうにしゃべっていた。隣にいたジョチさんが、運転の妨げにならないようにと注意したくらいだ。

そうこうしているうちに、陣場の滝へ着いた。3人の利用者たちは、滝の写真を撮ったり、紅葉の景色の写真を撮ったりしている。それを見て、運転手は思わず、

「皆さん楽しそうですね。なんか、本当に楽しんでいらっしゃることがよくわかります。」

とつぶやいた。

「まあそうだね。みんなこういう経験をしたことがないから、楽しくやっているんじゃないの?」

と杉ちゃんに言われて運転手は意外な顔をする。

「まあねえ、お前さんは、そういう何にも困難のない人生が当たり前だったのかもしれないけど、そうじゃない人だっているんだよ。だからさ、こういう仕事ってのはさ、そういう奴らも笑顔にさせてやれることも覚えておいてくれや。それは、どんなにえらい奴でも、なかなかできることじゃない。」

「そうですよ。彼女たちは、現実世界では、差別されたり、いじめられたり、バカにされたりそういうことして生きてきた人たちなんですから。」

ジョチさんに言われて、運転手はなるほどなという顔をした。そうなんですねと言って、彼女は初めて、にこやかな笑顔になった。それは作り笑顔という感じの顔ではなかった。

「皆さん今日は、特別に弊社からサービスいたします。まだお時間もあるようですから、みんなで養鱒場に行きましょう。そうすればさらに楽しくなりますよ。」

にこやかな顔で、運転手はそう利用者たちに言った。彼女たちはとてもうれしそうに、タクシーに乗り込んだ。杉ちゃんたちを乗せて運転手は、

「じゃあ行きますよ!」

と言ってアクセルペダルを踏んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑顔のタクシー 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画