十日目の裏側 お師匠様達の苦悩

「ダグマリア、根を詰めすぎだ」


薄暗い実験室の中で、寝食も忘れて作業に没頭しているダグマリアの話を噂で聞き、顔を出して正解だったと思う。


明らかにやつれ、何日も着替え洗っていないだろう服や髪はぼさぼさ、生気のない顔に、目だけがぎらついている異様な彼女を見つけてしまい、これはまずいと知り合いを呼び出して、魔法と薬でなんとか強制的に眠らせたのがついさっき。

思い切り抵抗されるかと思っていたが、そんな気力も体力も残っていなかったのだろう。思いの外あっけなく制圧され、ベッドの上で寝息を立てている。


ダグマリアの弟子である、「アルトリウス・マギス」が、交易船と共に消息を絶って早10日。

かの天才錬金術師「神眼のダグマリア」が初めて取った弟子という事もあって注目を浴びていた彼は、まさに天才だった。


錬金術を習った数時間で、ただの海水からの混合物を言い当てたのだ。

海水の主成分はほぼ水。96.6%と言われている。

次に多いのが塩分で3.5%ほど。塩化ナトリウム、塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カルシウム等に分けられる。


ここまで物質を細かく分かられる【錬金術師】はそうはいない。

元々錬金術師の適性のある者が少ないというのもあるのだが、俗に大錬金術師と呼ばれる我ら7賢人でも、その辺が限界だ。

天才の中の天才と言われるダグマリアさえ、10種も分けられたらすごいと自分で言っている。


しかし、彼は違った。

ナトリウムを構成するすべての物質、さらに海水に含まれるごく少量の金属や放射性物質まで正確に言い当てた。


鉄、銅、亜鉛等の金属が混じってると言い出し、金もあると言ったあたりで、周囲から失笑を買っていた。


しかし、それを聞いていた我々は笑わなかった。


いや、笑えなかった。


かつて大賢者と言われた賢人が残した古文書に、その事が記されているのも知っていたし、金属が海水にある事実は、上位錬金術なら誰でも知っている事実なのだから。


そして彼は、おかしな事を言い出した。


「ウランって何でしょう?」


その言葉に、俺のみならず、彼の話をボケっと聞いていたダグマリアさえ飛び跳ねた。

試しに見える物質を全て言って欲しいと言ったら、彼はとんでもない事を言い出したのだ。

ウラン、コバルト、バナジウム、モリブデン、マンガンなど、一部の者しか知らない物質の名前を口にした。


いや、その物質は俺だって知っている。

しかし、海水に放射性物質が含まれている事実は、この世界のほぼ全ての者は知らない。


そもそも放射性物質の存在は、強く禁じられているのだ。

ただの人なら、それを知る事も、気付く事もできない強固な縛り。

全てを収めた「セフィロトの樹」に触れた者にしか知りえない事実。

それをあの少年は【錬金術】の触りを理解しただけで言い当てた。

これをして、天才じゃないと誰が言えるだろうか。


何も知らない者にとっては戯言、しかし深淵に触れた者にとっては恐ろしい才能の持ち主。

結果、彼の取り合いが発生し、最終的にダグマリアが身元を引き受けた。

俺を含むほかの六人は、血相を変えて強硬に反対した。のだが……。

それならギルドを抜けるとか言い出して、結局黙らざるを得なかった。


「他人に全く興味のなかったお前が、ここまで必死になるなんてなぁ……」


ぼろ雑巾のように眠るダグマリアを見て、ため息が出る。


ダグマリアは、我ら7賢人の中でも飛び抜けた才能を持っていた。

それこそ、彼女がなにを言っているのか、理解できない者が殆どという程の化け物じみた独特な思考と知識を持っている。


彼女が「セフィロトの樹」に触れて、なにを授かったのかは誰も知らない。

錬金術の深淵まで到達した者は、この世界に7人しかいないから。


かくいう俺だって、正直あの樹の言う事は半分も理解できていなかったし、実践できた事象も数えるほどだった。

しかしそれでも、世界の在り方を変えた賢人として称えられている。

その中でも最高峰の天才ダグマリアの弟子。


彼が錬金術の初期を学ぶために、大陸の錬金術師ギルドに入る事になったと聞いて、周囲は驚いたものだ。


それを聞いて、ダグマリアは嫌そうに、本当に嫌そうに呟いた。


「……あの子は錬金術の知識より先に、一般常識を叩き込む必要があるんだよ。そしてそれは、あたしじゃ教える事ができない、癪な話だけどね」


それを聞いて、俺達は納得したものだ。

俺達の中で一番非常識なのも、彼女なのだから。


その日の彼女の荒れっぷりはすごかった。

そして今の彼女は、その時以上に荒んでいる。


彼女が今作っている装置は、特定の人物が持つ、固有波動を感知する装置。らしい。

正直どういう構造なのか、彼女の頭の中にしかない機械だ。

手伝ってやりたいと思っても、何もできないのがもどかしい。


それでも気回避に不当な品々を集めつくらいは手伝えると、仲間の数人がSランクの魔物の狩猟に赴いている。

希少な素材に希少な魔石をもって完成するらしいのだが……。

複雑怪奇な構造に、これでもかというほど詰め込まれた細かな魔法陣……。

俺程度では読み解けるほどもない、とんでもない道具を、彼女はほぼ一人で積み上げているのだ。

それもたった一人の弟子の為に。

これだけ聞けば美談とも取れるのだけど……それだけじゃないのを知っている身としては、とても複雑な気分になってしまうのは仕方がないだろう。


「……何時間寝てた?」


散らかる部屋を片付けつつ、その機会を調べていた俺に、ぼぉっと目を開けたダグマリアが声をかけてきた。


「2時間も経ってない」

「そうか……」


それだけいって立ち上がろうとするけど、上手く身体が動かないようだ。

もぞもぞ身体を動かし、やがて諦めて力を抜いた。


「無理はするなとは言わないが……無茶をしたら彼に叱られるぞ?」

「…………」

はまだ切れていないのだろう?」

「…………」

「それなら生きているという事だ。焦る気持ちは分かるが、10日も経っていて生きているのなら、今すぐ命に係わる場所にいはいない。違うか?」

「…………」

「それと風呂に入れ。【生活魔法】に頼り切りすぎるだろう。女の格好じゃないぞ?」

「…………」

「彼に嫌われても知らんぞ?」

「……入ってくる」

「そうしろ、ったく。美人が台無しだぞ?」


本当にゆっくりとベッドから立ち上がり、タオルをひっつかんで、足取り重く、ダグマリアが風呂場に向かう。


と。足を止めて、天井を見て呟くように独白し始めた。


「あたしはアイツに何もしてやれていない」

「だから無理をするのか?」

「あたしにできる事はこのくらいだ」


そしてゆっくりと振り向き、俺をじっと見る。

目にクマを讃えたやつれた顔で、俺を見た。


「…………眠ると夢に出るんだ。アルトの奴が楽しそうに笑う姿が。あたしの生活能力のなさにあきれながら、【生活魔法】をかけてくれる姿が。焦げのないまともな食事を作ってくれる後姿が……尊い、あの可愛らしい姿が!」


わなわな震えながら、こぶしを握り締めて激昂するダグマリア。


「あの愛くるしい笑顔が、苦痛に歪んでいるのが耐えられないんだ! 今すぐにでも助け出してペロペロしたい!」

「おい、こらダグマリア?」


あ、これは駄目なダグマリアだ。


「アルトの童貞はあたしが貰うって決めていたのに、あれだけ半裸で迫ってもなんも反応しないとは! あたしはそんなに魅力がないのか!?」

「お前、そんな事としてたのかよ!?」

「脱ぎ捨ててワザと下着を置いていても、苦笑しながら普通に洗濯しちまうし! 風呂に乱入しようにも妙にガード堅いし!」

「すんなよ、弟子にそんな事!」


このダグマリアの最大の汚点というか、しょうもない性癖というか。

それは若い男の子に興奮するヘンタイ性癖なんだよな……。

だからあの子を弟子にすると言い出した時、他の7賢人が強硬に反対したのもこの性癖を知っていたから。

学園時代、何度後輩を部屋に連れ込んで問題になった事やら……。


「はぁ、どっちにしろSランクの魔石が無いと完成しないのだろ? ジュン達もまだ当分かかる。今急いでも意味がないぞ、少し落ち着け」

「し、しかし、今この瞬間にでも、あの可愛らしいアルトがどこの馬の骨ともわからん女に言い寄られているかもしれないんだ! そんなの耐えられん! アルトきゅんの可愛いアルトきゅんはあたしのだ!」

「ヘンタイ性癖を堂々と叫ぶな!」

「頭の中ではあんなことやこんな事までシミュレートしてたのに、アルトキュンが可愛すぎて、顔を見るとまともに話せなくなるんだよ……」

「ああ、うん。お前は人見知りすごいからな……」

「あるときゅんのぴーをあたしが優しくぴーして、ぴーにぴーーーしてから思いっきりぴーーー」

「ぴーぴーうっさいよ! いいから落ち着け!」

「いいや、無理!」

「はぁ、ったく……」


ダグマリアが興奮しすぎて、貧血気味にふらつくのを支えながら、そのまま風呂場に放り込む。


「いいから綺麗にしろ。獣臭がひどいぞ? あと湯船で寝るなよ? 死ぬぞ?」

『……別に死んでもいい』

「アルト君が悲しむぞ?」

『……生きて風呂から帰還する』

「ああ、そうしてくれ、ったく……」


むちゃくちゃに散らかった部屋を片付けながら、ため息をつく。


このむちゃくちゃに散らかった部屋を毎日掃除し、あの生活力皆無の馬鹿の世話をしつつ、錬金術の勉強に明け暮れていた青年を思い出し、少しだけ哀れに思う。


師弟の証を結んだ者同士は、絆というもので魂が繋がれる。

この絆は、どちらかが死ぬと、とんでもない喪失感で知らせてくれるモノでもある。

ダグマリアは未だ、絆が繋がっていると言っていた。

つまりそれは、彼がまだ死んでいないという証に他ならない。

しかしそれでも、彼がどこにいるか、どの状態かなどは全く分からない。


だからこそ、ダグマリアは絆を辿れる機械を構築しようと奮闘しているのだが……完成にはまだしばらくかかる。

そもそも必要な素材が足りないからね。


「アルト君、君は今、どこにいるんだい?」


残念ながら、俺のこの問いに答える者はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名も知らぬ遠き島に流れ着いたら椰子の木一本だった クワ道 @kuwamiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ