第30話 燃え残り

「こんな……こんなはずじゃ……」


 エセルの呻きは嗚咽へと変わる。

 普段は冷めた様子で他者に強さを見せていた彼女が今はただ壊れた子供のように揺れていた。その時だった。


 「お疲れ様でした。任務、完了ですね」


 灰の中から現れたのは、見覚えのある制帽の男だった。シミュラクラ本社の高位職員。灰色の制服、白手袋、冷ややかな目元。彼の背後には、報告端末を持った部下達が控えていた。


 「記録は封鎖されました。召喚装置に関する全データは凍結。貴女達の報告義務はありません」

「そんな……」


 ヨウが口を開くも、それより先に別の足音が響く。

 無骨な装甲に身を包んだフェノム・システムズの戦闘職員たちが、黙々と焼け跡の中に入り込んできた。


 「願望反応、残留。回収を行います」


 識別タグのついた隊員が、地面に立方体の箱を置いた。黒く光る面から柔らかな波動が広がり、空中を漂っていたわずかな残滓――召喚装置の“願望”が箱の中へと吸い込まれていく。ヨウはその様子を、ただ見つめていた。

 ――願望。それは変異体が死の瞬間に遺す感情の残響。

 この場所には確かにナギの記憶があった。誰かに助けられることを望んで、誰かに声が届くことを願って、ただ祈るように存在し続けていた。

 けれどもうそれは回収されていた。彼の「燃え残り」すら、誰かの手に預けられてしまったのだ。


「ユイのことは……報告できないんですか……?」


 エセルの声が震えていた。職員の男は静かに首を横に振る。


「彼女は部外者でした。すべての責任は召喚装置に帰属します。以上です」


 あまりにも無機質な回答だった。


「それで、これからどうなるんですか……?」


 ヨウが問う。


「いずれ次の任務が下るでしょう。貴女達は代行チーム。変異体の願望を回収する。それが仕事でしょう」


 淡々と答えると、男は背を向けた。フェノムの部隊もまた箱をエセルに手渡し、退去の準備に入っていた。まるで何事もなかったかのように。

 その時――コンクリートの壁の奥、ひび割れたドアが静かに開いた。

 風が流れ込む。次元のゆらぎのような感覚。ヨウはその空間に既視感を覚えた。


「……環さん?」


 ヨウはそれを見て、立ち上がる。

 エセルも同様だった。ふらつきながら、壁伝いに歩いてドアへと近づく。

 そのドアは開いていた――ヨウがドアノブへと手を伸ばすと中にはあの部屋があった。見えないはずの彼の空間が、確かにそこに開いている。

 空間結合。環が拠点としている領域へと繋がっているのだ。

 壁一面にスクリーン、新品のテーブル、人数分のパイプ椅子。

 環の空間結合による、代行チームの活動拠点。


「……帰ってきたみたいね」


 エセルがぽつりと呟く。

 ドアの向こうに踏み込むと、焼けた空気から切り離されるように温度が変わり、静かな人工照明の世界に戻ってきた。ドアのすぐ脇に環がいた。

 彼はじっと二人の姿を見ていた。表情に変化はない。しかし、その手にはマグカップがあった。中の液体はまだ湯気を立てている。


「遅かったな。蘇生プロセスが2分以内で済んだのは僥倖だったな」

「……あの現場、全部吹き飛びましたよ。ユイさんも死にました」

「そうか」


 環は短く答えた。

 それ以上の慰めも言葉もなかった。しかし彼なりに黙祷を捧げるようにマグをテーブルに置くと静かにタブレットを操作し始めた。


「記録はもう回収された。フェノムの連中が全部やった。……次の俺達の仕事がもう来ている」


 そうしてスクリーンに表示されたのは第5セクター「レイゼ」の座標と最新の変異体目撃記録。環は重ねるように言った。


「次の現場はレイゼ。無重力の都市だ。見た目は平和そのものだが、中身は例によって地獄だな。そこで何かが変異を始めてる。詳細は……今、お前達が休息を終えてから話そう」


 ヨウは頷いた。エセルも深く息を吐いた。

 戦いは終わっていない。仕事が終われば、また次の仕事へ向かうだけだ。

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聖女召喚、まずは皆殺しから始めます Theo @Theo_0

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