第9話

 いったいどうしたら……

 カイルは汗が額を滴り落ちるのを感じた。それも数滴ではない。いつの間にか、カイルの額や頬を涙のように、汗がつたっていた。

 

「おい、カイル。もう時間がないぞ」


 ジェルの怒ったような声が響く。

 いつの間にか、周囲の騎士達もカイルに注目していた。

 ジェルが話しをしていたのか、彼らの視線はカイルの横の老婆に注がれている。何を言い争っている? さっさと首をはねて迎え撃とう。その目はそう言っているように、カイルには見えた。

 もう冷静な者は誰もいなかった。

 蚊がまるで楽しんでいるかのように、カイルの周りをくるくると周っていた。


「お祈りはしませんの?」


 突然の言葉に、それが老婆が発してものだと一瞬カイルは気づかなかった。


「お祈り?」

「はい。私の首をはねるにしても、敵を迎え撃つにしても、お祈りはするべきですわ。特にこの地では」

「この地では…… か。そうだな。ここほど祈りにふさわしい場所はない。だが何を祈る? 敵に勝つことか? それとも命乞いか? この状況で、いったい何を祈ればいい?」


 最後の言葉は老婆自身に向けたものだったが、身じろぎ一つしなかった。 いつの間にか、敵兵達は持ち場についていた。代表者が一人進み出て、口上を述べ始めた。「異教徒達」「神への冒涜」「聖地を汚す者達」どこかで聞いた言葉を、またここでも聞いている。ただし、カイルは今日まで自分に向けられて言われたことは一度もなかった。


「くっくっく……」

「カイル? どうした?」


 カイルの口から、抑えられない笑いが漏れ出した。

 訝しげにジェルが眉をひそめた。

 だが、カイルの笑いは止まらなかった。

 今や砦の中の全員が、カイルを見ていた。

 突然、カイルはピタリと笑いを止めた。


「神様なんて、いないんじゃないか?」


 何も考えずに出た言葉だった。

 だが、ジェルが意外な反応を見せた。


「おい。何を罰当たりなことを言ってやがる!? えぇ!? カイル。お前、本当に頭がおかしくなったんじゃないのか? ここがどこか分かってるのか? 聖地だぞ。」

「考えてもみろ。俺達は聖地から異教徒を追いだすと言って、はるばる海を渡ってきた。だが、現実はどうだ? こっちがその聖地とやらで異教徒に殲滅される寸前だ。この現実のどこに、神がいる!? それとも死んでから天国に行けさえすれば、それでいいのか? みじめに逃げ回って、異教徒どもに身体中八つ裂きにされて、それどころか最悪、奴隷として売られて、その先で野垂れ死んでもいいのか!?」


 カイルの気迫に押されたのか、ジェルが言葉に詰まった瞬間、老婆が口を開いた。

 張りのない声だったが、カイルの耳には奇妙なほど響いた。


「神様に見捨てられたのでは?」

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