第8話

 カイルが再び、ジェルのいる壁の上に戻った時、敵兵達は配置に着く寸前だった。

 すぐに攻めてくることはないはずだ。

 おそらく前口上などを述べたあと、鬨の声をあげてからが本番になる。

 そしてあっという間に終わる。

 普通はまず攻城櫓を壁につけられる前に、壁の上から矢を一斉に浴びせかける。ただ敵にあれだけの弓兵がいては、逆にこちらの被害のほうが大きいだろう。そうなると、当然櫓は簡単に壁に着く。一つ、二つならともかく、数十の櫓が同時に来たのでは、対処のしようがない。次に一気に兵士達が櫓から砦内に雪崩込んでくる。砦の中に一度入られたら、もうあとは逃げ惑うしかやれることはない。あの日の鶏達みたいに。

 

「ジェル。うちの騎士達の装備は、どんな感じだ?」

「鎖帷子と剣、あとは槍、手斧、棍棒を持ってる奴も少しだな。まあ、他も似たようなものだろ?」

「砦内の兵士達はこれで全員なのか?」


 カイルはざっと見回して、壁の上、下に待機している全員を合わせてもニ、三千しかいないような気がした。いくら砦内に女、子供、老人がいるといっても、もう少し戦える男はいたはずだ。


「最後の時間は家族と過ごしたいらしい。家に帰って、部屋の奥でお祈りしてるってさ」

「そうか」


 それを笑う気にはなれなかった。

 まあ、そういう生き方もありだろう。いや、死に方か。


「しかし、よく分かったな?」

「ああ。何せたった今、ルフェイ団長が来て、そう言って騎士の制服を脱いでいったからな」


 よく見ると、ジェルの足元には、脱がれた聖ジャッカス騎士団の制服、紺色に白の薔薇を縁取ったローブ付きのそれが捨て置かれていた。


「そうか」


 カイルは一瞬、自分も制服を脱ごうかと思った。

 丸々と太った蚊が不快な羽音で耳元を飛び始め、カイルはそれを手で払った。


「そこの婆さんは?」

「え? ああ」


 カイルはあの老婆の侍女が隣にいることに気づかなかった。どうやら宮殿を出た時から、後ろを歩いていたらしい。


「侍女だよ。例の」

「これが? そうか。こんな婆さんか。なあ、良かったじゃないか?」

「あ?」

「若い娘だったら、俺だって躊躇ったさ。でもこんな婆さんなら別にいいだろ?」


 ジェルの言葉は耳に入っていると思われたが、カイルの隣にいる老婆は少しも身じろぎしなかった。


「考えてもみろ? そもそもこの聖地にかつて王国を作った神に選ばれし国民も、ことあるごとに羊だの、山羊だのを殺して燃やしては、神に捧げてたっていうじゃないか。それとおんなじことだ」

「あれとは意味が違う。別に戦いのために士気をあげるためでも、異常なイカレ野郎の思いつきでもない。あの犠牲は神への感謝と敬意のあらわれだ。そもそも人間と山羊や羊を同列に扱うな」


 何に対する感謝と敬意か? と聞かれたら、カイルも答えに窮したところだったが、ジェルはそこまでは突っ込んでこなかった。

 もっとも、もっともっともらしいことを言ってきたので、カイルとしては少し喜べなかったが。


「いいか。ここで、まさにこの砦の城壁の上で、その老婆の首をはねれば、味方の気が引き締まるだけじゃないぞ。それを見ている敵兵達に混乱が生まれる」

「やめろ」

「あいつら、味方同士で殺しあってるぞ。どういうことだ? ってな。うまくやれば奴らを恐れと混乱におとし入れられる」

「もういい。やめろ」


 うるさい。

 カイルはまた、頭の周りを手で払った。

 もう蚊を払っているのか、別の何かを払っているのか分からなくなってきていた。


「カイル。目を覚ませ。これは現実の戦争なんだ。本国で語られる騎士物語みたいに、都合のいい展開にはならないんだよ」

 

 ジェルの言葉に老婆が一瞬何かを言おうとしたが、結局黙ってしまった。


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