第2話

 女が行ってしまい、ジェルが食事に集中し始めると、カイルは静けさを感じるようになった。

 もちろん酒場のなかは客でごった返していたが、カイルの意識は静寂の中にあった。

 ここに来てから一週間だが、すでに多くのものを見聞きした。初めて見たもの、聞いたものもたくさんあった。

 これまでは本国とその周辺、そしてそこに住む自分達と同じ人種こそが世界の中心だと思っていた。

 だがこの砦に来て、初めて褐色の肌の人間を見たし、話にしか聞いたことのない東方の人々の作った食べ物も今見た。(ジェルに言わせれば味わっただが、カイルはそこまでする気はなかった)

 自分は今まで、なんて狭い世界にいたんだろう。

 その事実に気づいた時、カイルは一抹の寂しさを覚えた。だが、それはすぐに消え去った。


「まあ、ここで見聞を広めるのもいいかもな」

「だろ? ついでに味の方もな」

「異教徒の王国はけっこう繁栄しているって聞いたが、これだけ商人達が集まっていたら通行料だってそれなりのものだろ。俺達が聖地を奪還したら、ついでに珍しいお宝も手にいれることにできそうだ。いや、もしかしたらそれが目当ての奴らも、ここに来てるのかもしれん」

「おやおや。やってることは山賊と一緒だな」


 ジェルがニヤリと笑い、カイルはふんと鼻を鳴らした。


「もっとも肝心の戦いがないんだから、宝物の話なんか意味がないな」


 その時、カイルの耳元に、プーンという耳障りな羽音がした。

 カイルが咄嗟に手を伸ばしたが、蚊はするりと逃げていった。

 やけに太った蚊だった。

 これが、カイルがこの砦で驚かされたもう一つの存在だった。


「丸々と血を吸ったっていう感じだな」


 ジェルがそう言ってから、ひょうきんな顔になった。


「俺みたいに」

「ああ、そうだな」


 カイルはこの蚊が気に入らなかった。

 本国にも蚊はいたが、ここまでは太っていなかった。

 大きく、強く、まるで人々の欲望を吸って肥えたような印象を受けたのである。

 しばらく蚊は二人の近くを飛んでいたが、やがて羽音は聞こえなくなった。




 

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