遥か砂漠の砦で騎士は何を思いしか

白兎追

第1話

「首はね役?」


 初めて聞く言葉にカイル・フローレンスは顔をしかめた。

 聖ジャッカス騎士団の騎士になって、すでに十年が立つ。それなりに教養は身につけてきたつもりだった。文学、歴史、科学、武術、馬術、政治…… 一流の騎士として学ぶべきことには限りがない。さらには各騎士団特有の心得にもそれなりに成通してきたつもりだった。

 だが、【首はね役】という言葉は初耳だった。


「なんだ、それは?」


 不快な羽音で耳元を飛ぶ蚊を追い払いながら、カイルが聞いた。

 カイルの言葉に、騎士団の同僚、ジェル・パーソンは顔をしかめた。


「お前、知らないのか?」


 それからぐっと声を落とした。


「この砦の慣わしだ。戦の前に戦意高揚のため、首はねをする。その首をはねる役目のことだ」


 今度はカイルが顔をしかめる番だった。




 カイルとジェルは共に十五歳の時に騎士になった。見習いとして奉公した先の騎士が一緒だったため、それ以来たびだび一緒になることがあった。長身で、時に目に三日月を宿すといわれるほどの鋭さと才気をまとうカイルとは違い、全体的に太り気味であまり目端が利くわけでもないジェルには共通点もほとんどなかったが、それでも異国の地では見知った存在はお互いにありがたかった。

 二人が本国を離れて、すでに一年が経つ。聖ジャッカス騎士団の一員として、聖地を異教徒から取り返すという名目のもと、この砂漠の地にまでやってきた。

 はるばる海を渡り、この砂漠のど真ん中に建てられたフォーリン砦に、二人は他の多くの騎士達と共にたどり着いた。騎士団は聖ジャッカス騎士団を入れて全部で十二団あり、騎士達は全員で千人はいた。

 フォーリン砦は砂漠の真ん中にある、真上から見ると五角形の、小さな街のような大きさだった。大小いくつも建物、住居、鍛冶場、倉庫、厩が砦の中にあった。井戸がいくつも掘られているので水には困らなかったし、野菜やその他の食料も豊富にあった。砦はすべて高い壁で囲まれており、自由な出入りは禁じられていたが、許可を受けた商人達がしょっちゅうやってきていた。実際、騎士達よりもそれ以外の人間のほうが、十倍はフォーリン砦の中で常時暮らしていた。

 このフォーリン砦を支配していたのは、バーリン卿という人物だった。本国ではただの貧乏貴族だったそうだが、二十年前にこの地に来ていらい、砦の建設、異教徒達との戦いにおいて、いくつも手柄を挙げたことにより実質的な砦の支配者となっていた。

 カイルがこの砦に来て驚いたことの一つは風紀の乱れだった。

 仮にもここには、聖地奪還という目的があって、皆つどっていたはず。

 聖ジャッカス騎士団も、その名の由来をかつての聖人の一人にもっているほどだ。

 しかし、実際には砦の中では売春婦が普通に客を誘い、商人達が絨毯や貴金属、時計や珍しい動物、果ては奴隷を売りさばき、あろうことか砦内で一番の博打の胴元は司祭の一人だった。


「聖地奪還だと!? これが?」


 砦に来て一週間後、カイルは酒場でエールを飲みながら、ジェルを相手にくだを巻いた。


「聞いた話じゃ、異教徒達のほうがよっぽどまともな暮らしをしてる有り様だぞ」


 異教徒達は砦の周りにいくつもの集落をもっており、その王国の本拠地は砦から歩いてひと月もかかる距離にあった。そのため、カイルはまだほとんど実際の異教徒達を見たことはなかったが、その生活ぶりは商人達から聞いていた。


「そう、怒るなって」


 ジェルはクックッと、声を押し殺して笑った。笑うたびに、その太った身体が揺れ、黒髪がふわふわとうごめくので、なんとも滑稽な姿であった。


「俺は案外気に入ってるぜ。本国みたいに堅苦しいことを言うやつはここにいない。やれ毎週末礼拝には行ったのか、寄付はちゃんとしてるか、道で淑女にあったらちゃんと挨拶しろ……  

 いい加減うるさくてしょうがなかったんだ」

「俺だって、別に礼拝をサボったことくらいはある」


 カイルは髪をかきあげた。こげ茶色の、肩まで伸ばした髪が流れ落ちる様が美しいと、前に舞踏会でとある貴婦人に言われたのが遠い昔のことのような気がしていた。

 もっとも実際に、ここまで到着するのに本国から船で二ヶ月かかる遠さだったが。

 カイルは少し身を乗り出した。

 ジェルがその迫力に少し身体を縮こませる。


「だがな、ここは仮にも戦場だろ。こんなんで勝てるのか? ただでさえ相手のほうが地の利はあるんだ」


 ジェルは口元にたっぷりエールの泡をつけたまま、答えた。


「聞いた話じゃ、この二年、戦争はもとより、小競り合いもなかったらしいじゃないか。バーリン卿も、戦争より今は交易を優先しているらしいし」


 砦内で商売をしている人間には、異教徒出身の者もいる。それでも、許可証さえあれば咎められることはない。


「それにここは天然の要塞だ。周りは砂漠に囲まれているから、攻めてくる側は水の補給に苦労する。馬も砂に足元を取られるから、長時間走り続けるのは無理だしな。一方砦は高い城壁に囲まれている上、中には井戸がいくつもあるし、水脈を利用した畑や牧場もあるんだぞ。よほどのバカじゃない限り、ここには攻めてこないさ」


 異教徒達を今率いているのは、ポリオネス・カルッサという男だったが、ちょうど一年半前に王国を治めはじめて以来、騎士団達の前に姿を見せたことはなかった。

 そのためフォーリン砦では、臆病者をポリオネスと呼ぶことさえあった。


「ポリオネス本人にその気はなくても、部下の中には先走る奴がいるかもしれないぞ」

「ふん」


 ジェルは鼻で笑った。


「お前の言葉を借りるわけじゃないがな、カイル。奴らのほうがよっぽど統率は取れてる。そんな勝手なことをする部下はいないさ」


 お手上げだった。


「皮肉だな」


 カイルは漆喰で固められた天井を見上げた。よほど儲かっているのか、よく手入れされている。


「敵の方が統率が取れていて、味方の大将は金しか頭にないから戦争にならないっていうのは」

「いいじゃないか。おい、何だよ、これ」


 突然、ジェルが声を張り上げた。

 ジェルは普段、めったに声を荒げない。唯一声を荒げるのは食事が関係した時だけだった。今もそうだ。

 ジェルの目の前には、木製の小皿が置かれている。

 運んできた、やけに胸元の開いた服を着た、化粧の派手な女が慣れた口調で言った。


「知らないのかい? 海で取れた魚の内臓を塩漬けにして発酵させたものだよ」

「魚の内臓を発酵だと? つまり腐らせたっていうことか!?」


 口調とは裏腹にジェルの目は好奇心でいっぱいだった。

 昔、騎士見習いだった頃、ニシンを塩漬けにして発酵させた食品に遭遇した。凄まじい匂いにカイルはとても食べる気にならなかったが、ジェルは「これはこれで旨い」と言いながら、食べていたのを思い出す。


「海で取れたと言ったな」


 カイルは女の方を見ながら聞いた。


「この近くの海か?」


 砦を西に真っ直ぐ行けば、港がある。カイルはそこを連想したが、女の答えは違った。


「これは東から来た貿易商達が持ってきたものよ。塩漬けなんで腐らないのね。いや、もう腐ってたわね」


 女はケラケラと笑うと、カイルに流し目をよこした。


「騎士さん、今夜他に欲しいものはないかい?」


 その言葉の意味は分かったが、カイルは断った。色気より食い気なジェルも相手にしなかった。

 

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