滅びの炎と喪失の嘆き
イシュタルが村を追い出されてから数日が経っていた。森の外れで彼女は孤独に身を沈め、怒りと絶望に押し潰されそうになっていた。追放された彼女には戻る場所がなく、孤独の中で過ごす日々が続いていたが、心のどこかでレイが戻ってきて、彼女を迎えに来てくれるのではないかという淡い期待を抱いていた。
しかし、レイは戻ってこなかった。
時が経つにつれて、その不安が彼女の胸を次第に蝕んでいった。「なぜ、まだ戻ってこないのだろう?」という疑問が頭をよぎる。レイは森を守るために戦うと言った。そして、資源がないことを伝えに町へ戻ると約束した。だが、その後、彼の姿を見ることはなかった。
次の夜も、また次の夜も――。彼が現れない度に、イシュタルの心は冷たい不安と怒りで満たされていった。
「まさか…」
ふと、彼女の中に湧き上がる疑念が形を持ち始めた。レイが戻らない理由はただの遅れではないのかもしれない。彼が本当に森を守るために動いているのなら、既に何か行動を起こしていても良いはずだ。彼が現れない理由。それは、もしかして彼が…
「裏切ったのか?」
その考えが彼女の心に一度入り込むと、もうそれを止めることはできなかった。イシュタルは静かに立ち上がり、険しい目つきで森の彼方を見つめた。彼女の胸の中で、怒りが静かに煮えたぎり始めた。
「レイも、結局は人間だったということか…」彼女は低く呟いた。
彼が裏切り、人間たちと手を組んでエルフの村に侵攻を始めたのではないか――その考えが彼女の心をかき乱し、彼への信頼が次第に崩れ去っていく。彼が人間である以上、最終的には自分たちを裏切る運命にあるのではないかという、かつての冷たい思いが蘇ってきた。
「やはり、人間は信用できない…!」
怒りに満ちた彼女の心は、レイとの思い出さえも冷たい憎しみへと変わりつつあった。彼女がかつて愛した男が、森を侵略する手先となっているのだとしたら――それこそ許せないことだった。
その時、遠くから轟音が聞こえてきた。森の奥から金属がぶつかり合う音と、戦の叫び声が風に乗って響いてきた。人間たちがついに森に侵攻し始めたのだ。
イシュタルはその音を聞いた瞬間、胸の中で燻っていた疑念が一気に炎となって燃え上がった。
「やはり…レイが裏切ったのだ…!」
彼女はその場で拳を握り締め、怒りに震えながら森の中へと駆け出した。もしレイが人間たちの侵攻に加担しているのなら、彼を見つけ出し、自分の手で裁く――そう決意しながら。
イシュタルの心は、燃えるような怒りで満たされていた。彼女が信じた唯一の人間、レイ。彼が裏切り、自分を欺いて人間たちと共に侵攻を仕掛けているのだと、彼女は確信していた。森の中で響く金属音と叫び声が、彼女の復讐心に火をつける。
「許さない…」
彼女は低く呟きながら、剣を握り締めた。その目には、かつて愛した者への深い失望と怒りが宿っていた。彼を見つけ出し、その裏切りを裁くまで、イシュタルの怒りは止まらない。彼女は足早に進軍している人間たちの集団へと向かい、その鋭い視線で敵を捉えた。
まず、一人の兵士が彼女の存在に気づく。しかし、それは既に遅すぎた。イシュタルの剣は素早く、無慈悲にその喉元に突き刺さった。兵士は息を詰まらせ、地面に崩れ落ちる。その様子を見た他の兵士たちが慌てて武器を構えるが、イシュタルはまるで一陣の風のように彼らの中を駆け抜けていった。
「次々と…」
彼女の剣は、人間たちの鎧を容易く切り裂き、次々と敵を倒していく。まるで森そのものが彼女の怒りに呼応するかのように、木々の間を駆け抜けるイシュタルは誰にも止められなかった。彼女の剣が振り下ろされるたびに、兵士たちは悲鳴を上げ、地面に倒れていった。
「どこだ…レイ。お前を見つけ出して、必ず…!」
イシュタルの胸の中で、レイへの疑念がますます大きくなっていく。彼は人間たちに加担し、彼女の愛を裏切ったのだ。彼がこの侵攻の一端を担っているならば、彼女自身がその命を奪い、裏切りの代償を支払わせる――その強い思いが彼女を突き動かしていた。
前方に見えるのは、炎に包まれた森と、人間たちの集団。彼女の心臓は激しく鼓動し、剣を握る手には怒りがみなぎっていた。遠くから聞こえる兵士たちの掛け声、森を焼き尽くす炎の音が、彼女の怒りをさらに掻き立てる。
「レイ!どこにいる!」
イシュタルは叫びながら、次々と人間たちに斬りかかっていく。彼女の怒りに触れた者は一瞬で命を奪われ、無惨に地に倒れる。彼女の剣はまるで生き物のように、正確に敵を捉えては斬り裂いていく。彼女の中にあるのは、ただひとつ――裏切り者を見つけ出し、その命を断つことだ。
「お前が私を裏切ったのなら、許さない…絶対に!」
イシュタルの声が、森の中に響き渡る。その叫びに恐れをなした人間たちは逃げ惑い、次々と彼女の前に倒れていった。兵士たちは彼女の速さに追いつくこともできず、恐怖に怯えるばかりだった。
剣を振り下ろし、血に染まる彼女の目には、かつての優しさは微塵も残っていなかった。ただ冷たい怒りが彼女を支配していた。彼女の剣は、もう一度空を裂き、目の前の敵を切り裂く。
「レイ、姿を見せろ…!」
しかし、レイの姿は見えなかった。彼女は戦場を駆け抜け、人間たちを容赦なく斬り伏せていったが、彼の姿を見つけることはできなかった。彼がどこにいるのか、なぜ姿を見せないのか――その疑念はさらに彼女の心を掻き乱した。
「お前はどこにいる…!このまま逃げられると思うな!」
イシュタルの叫び声と共に、彼女の剣がまた一人の兵士の命を奪った。血に染まった大地の上で、彼女は荒い息をつきながら、次の標的を探していた。彼女は絶対にレイを見つけ出し、この手で裁きを下す決意を固めていた。
進軍している人間たちの軍勢の中、イシュタルは必死にレイを探していた。次々と人間を斬り伏せていったが、彼の姿はどこにもなかった。彼女は焦りと怒りを抱えながら、次々と敵を倒して進んでいく。その心の中には一つの確信があった――レイが自分を裏切り、森に侵攻する人間たちに加担しているのだ、と。
「…裏切り者…お前を見つけ出して裁く…!」
イシュタルは呟きながら、兵士たちの群れを蹴散らした。だが、彼女の目に飛び込んできたのは、進軍する人間たちの集団の中でロープに縛られ、無理やり引きずられている一人の男だった。彼の姿は血まみれで、呼吸も荒く、命が消えかけているように見えた。
「レイ…!」
イシュタルはその場で立ち止まり、心臓が激しく鼓動を打った。ボロボロになった彼の姿が彼女の目に焼き付き、怒りと悲しみが同時に押し寄せた。彼女の中でずっと渦巻いていた「裏切り者」という思いが一瞬で崩れ落ち、真実が彼女に突き刺さった。
「…裏切ってない…」
その瞬間、イシュタルは理解した。レイは裏切ってなどいなかった。彼は人間たちに囚われ、弄ばれ、ここに引きずられてきたのだ。彼女は裏切り者と決めつけ、彼を憎んでいた自分自身を激しく責めた。そして、その怒りの矛先は、レイをこんな無惨な姿にした人間たちへと向けられた。
「お前たちが…!」
怒りに燃えるイシュタルは、再び剣を握り締めた。レイを傷つけた人間たちを決して許さない。彼女の目は冷たい憎しみで燃え上がり、怒りを剣に乗せて敵に斬りかかっていった。
次々と兵士たちを斬り倒し、彼女は猛然と進んでいった。敵の数が多くても、彼女の怒りを止めることはできなかった。イシュタルの剣はまるで生き物のように、彼女の前に立ちはだかる者を切り裂き続けた。
「レイを解放しろ…!」
彼女の叫び声が戦場に響く。だが、その時、彼女の前に立ちはだかった兵士の一人が、膝をつき今にも倒れそうなレイの首にナイフを突きつけた。
「動けばこいつを殺す!」
その兵士の言葉に、イシュタルは動きを止めた。剣を握る手が震える。彼女はその瞬間、戦う力を失ったかのように、武器をゆっくりと地面に落とした。
「どうして…どうしてこんなことに…」
その呟きが、無力感と共に彼女の口から漏れた。だが、彼女が抵抗をやめた瞬間、人間たちは無慈悲に彼女を取り囲み、殴り、蹴りつけ始めた。
「これで終わりだ!」
棍棒が彼女の体に何度も打ち付けられ、彼女は地面に倒れ込んだ。血が彼女の口元からこぼれ、身体中に痛みが広がる。何度も何度も、無慈悲な暴力が彼女に降り注いだ。彼女の目の前には、ぼんやりとしたレイの姿が映っていた。彼女は弱々しく彼の名を呼んだが、その声はかすかで、届くことはなかった。
それでも、イシュタルは耐えた。レイを守るため、彼女は決して心を折ることなく暴力に耐え続けた。だが、ついに彼女の意識が薄れていく中
「イシュタル…」
そのかすかな声に、イシュタルの意識が引き戻された。レイは弱々しく立ち上がり、彼女を守るために、自分を捕らえている兵士を最後の力で吹き飛ばした。そして、彼女の元へと駆け寄り、彼女に覆い被さって守ろうとした。
「僕は…君を守りたいんだ…」
しかし、その瞬間、彼らは再び人間たちに取り囲まれた。レイは必死にイシュタルを守ろうとしたが、暴力は止まらず、今度は彼に降り注いだ。彼は彼女を庇いながら、無数の殴打や蹴りを受け続けた。彼の体は限界を超え、力尽きかけていた。
そして、最後の瞬間が訪れた。一人の兵士が、巨大な斧を手に取り、ためらうことなく振り下ろした。レイはイシュタルを守るように体を差し出し、斧が彼の背に深く食い込んだ。
「レイ…!」
イシュタルの悲痛な叫びが響く。レイの体はそのまま崩れ落ち、彼の命が彼女の腕の中で消えかけていた。彼は虫の息の中で、彼女を見つめながら最後の言葉を紡いだ。
「ごめんね…もっと…君と一緒にいたかった…幸せに…できなくて…ごめん…」
レイの体は、イシュタルの腕の中で冷たくなっていった。彼女はその冷たさに耐えきれず、彼を強く抱きしめた。涙が止めどなく流れ、彼の頬にこぼれ落ちた。イシュタルは初めて、自分の心がこんなにも痛むのだということを感じた。
「お願いだから…いかないで…」
彼女は泣きじゃくりながら、彼の体を何度も抱きしめ直した。かつて冷酷で孤独を愛していた彼女が、今や愛する者を失うことに耐えきれず、無力感に打ちのめされていた。
「レイ…お願いだから、目を開けて…」
彼女は彼の顔に触れ、冷たくなった頬を撫でながら、彼の命がもう戻らないことを悟っていた。それでも、彼を失いたくないという思いが、彼女を必死に叫ばせ、涙を流させた。
「一人にしないで…レイ…お願い…」
その言葉は、誰にも届くことなく、ただ虚しく森に響いた。イシュタルの叫びは、風に乗って消えていき、彼女の抱える絶望と悲しみだけが、静かにその場に残された。
その瞬間、イシュタルの中で積もり積もった感情が、ついに決壊した。レイの無念、エルフたちの裏切り、そして人間たちの愚行――すべてが彼女の胸に怒りと悲しみの炎を灯し、その炎が凄まじい魔力となって彼女の全身を包み込んだ。
「お前たちが奪ったすべてを…今度は私が奪う!」
イシュタルの瞳は燃えるように紅蓮に染まり、その力が空間そのものをねじ曲げた。森全体が彼女の怒りに呼応するかのように揺れ、空気が震え、周囲の兵士たちは凍りついた。何かが、ただならぬことが起きようとしていると察したが、その時にはもう遅かった。
彼女の指先から放たれた黒い炎が、周囲の木々を焼き尽くし、人間たちの体を包み込む。凄まじい熱と闇の力が入り混じり、ただの火ではない、イシュタルの怒りそのものが形を取って、彼らを燃やし尽くしていった。人間たちの苦しむ声が森全体にこだまし、彼らはまるで地獄に落ちたかのように悶え、叫び声を上げた。
「死ね…お前たち全員、この森の地獄で焼かれろ!」
彼女の叫びは凄まじい憤怒の力をさらに引き出し、彼女は剣を手にして次々と兵士たちに斬りかかった。彼女の剣が振るわれるたびに、肉体が裂け、鎧が砕け散り、兵士たちは血まみれになって倒れていった。彼らの断末魔の声はどんどん小さくなり、その数は減っていくが、イシュタルの怒りはとどまるところを知らなかった。
ある兵士は、涙を流しながら許しを請うた。ある者は命乞いをし、ある者は無意味な抵抗を試みたが、彼ら全員が同じ運命を辿った。イシュタルの瞳には慈悲も躊躇もなく、彼らの命は彼女の前であまりに脆く散っていく。
「私が…失ったものを思い知れ!今こそ、お前たちが絶望を味わう番だ!」
彼女は怒りの頂点に達し、その魔力は周囲を破壊するほどに強大なものとなっていた。彼女はその場に膝をつき、両手を大地に叩きつけると、そこからさらに凄まじい力が地下深くまで広がっていった。イシュタルはこの地の秘密を知っていた。地下に眠るレアメタル――それは、燃え始めれば永遠に火を灯し続ける恐ろしい力を秘めた資源だった。
「お前たちが欲しがっていたものだ!さあ、最後の報いを受けろ!」
地面が大きく揺れ、裂け目から巨大な火柱が噴き出した。燃えさかる炎は森全体を覆い、あらゆる生命を飲み込んでいった。人間たちも、エルフたちも、その場にいるすべての者が、イシュタルの放った怒りの炎の中で燃え尽きていく。
その光景は地獄そのものだった。炎の中で、人々は絶望に染まり、恐怖に震え、何の抵抗もできないまま焼き尽くされた。彼らの苦しむ声が大地にこだまし、誰一人として逃れることはできなかった。森のすべてが、炎に包まれ、焼け落ちていく。
そして、全てが灰となった後――
その焼け焦げた大地の上に、ただ一人、イシュタルだけが立っていた。彼女の瞳には、すでに何も映っていなかった。彼女が見つめていたのは、ただ崩壊し、燃え尽きた世界だけだった。
「…レイ…」
イシュタルの声は、虚ろで、もう何の感情も残っていないかのようだった。彼女が守ろうとしたもの、愛した者、そして憎んだ者――すべてがこの炎の中で消え去った。
Red Forest Ziem @Ziem
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