第三話 巡る生命の輪 (前編)
何年放置されているのかも分からない廃工場は、一対のカラスが縄張りにしていた。
錆びた金属屋根、割れた窓硝子、伸び放題の草木。
敷地内には野良犬や野良猫も入り込み、時折わけの分からない機器を持った人間もやって来たが、カラス達が鉄筋の梁の上に作った巣は、誰に邪魔をされることもなく平穏に卵を包んでいた。
カラスは
仲睦まじく二羽で縄張りを作り、そこで子育てをし、家族を大切にする情の深い鳥だ。
この二羽もまた、番になって初めての子育ての時期を迎えようとしていた。
巣で温められた四つの卵は、明日にも最初の雛が孵るはずだった。
しかし、その幸せな日は轟音と振動によって壊された。
早朝からヘルメットを被った人間達が押し寄せ、巨大な重機が次々と敷地内へ運び込まれた。
長いアームは廃工場の天井を落とし、古びた建物はあっさりと瓦礫の山と化した。
二羽のカラスは、人間達がその日の作業を終えていなくなってから、瓦礫の山を崩した始めた。
カラスの嘴で動かせる瓦礫など、拳程度の石くらいなものだ。
それでも彼等は、必死に瓦礫を動かし続けた。
その下に、大切な
なぜなら、“黒の小鬼”が周りで跳ねていたからだ。
生命を狩っていく、黒の小鬼。
綿埃のような、小さな小さな黒い靄の塊。
寄るな!
きっとまだ生きている!
まだ、きっと、助けを持っている!
払っても払っても近付く小鬼。
気が付けば無数の小鬼に囲まれていた二羽は、近付く小鬼を喰らった。
鳴き叫び、カラスは
疲れ果て、魂を失ったかのように寄り添って夜を明かした二羽は、日の出の光と共に、敷地内の隅に建っていた小さな倉庫跡から聞こえる鳴き声に我に返った。
工場と同じように瓦礫となったその倉庫は、別のカラスの
そこには、数羽の雛が埋もれて亡くなっていたが、奇跡的に一羽の雛が生き残っていた。
雛の親は、雛の生命が尽きたと思って去ったのか、日が昇っても戻って来なかった。
人間達が解体作業の続きをする為に集まって来るのを見て、二羽のカラスは雛を連れて去る。
ただひとつだけ残った
―――半年程前のことだ。
○ ○
人間の家の庭に落ち、失敗したなぁと
物心ついた時から、ずっと一緒にいてくれる二羽のカラス。
だから、
それならと、
だからイチは、
だが、その姉は、最近ずっと体調を崩している。
兄が言うには、姉はこんな時、果実しか口にしないらしい。
それでイチは、鳥避けネットの掛かっているイチヂクの木を見つけて、下からネットを
姉にイチヂクを持って帰りたかったのだ。
しかし、タイミングが悪かった。
ネットの掛かっていない木なら、当然飛んで逃げることが出来ただろうが、ネットがあっては逃げ場はない。
立ち向かうより方法はなく、ネットの中で大乱闘した一羽と一匹は、どちらも負傷してネットから飛び出した。
一度飛び上がったまでは良かったが、イチは翼に傷を負っていて、上手く飛べずに地面に降りた。
それが、この場所だった。
町外れとはいえ、人間の家の庭だ。
長居して良いことはない。
急いで退散しなければ。
しかし上手く飛ぶことが出来ず、その場で藻掻いていたイチは、羽音に気付いて庭に出てきたこの家の住人に見つかってしまったのだった。
カァーッ
雌のカラスは電柱に止まってイチを呼んだが、返事はない。
〔イチ、一体どこに行ったの……〕
『餌を探して来るね』と朝出ていってから、一向に戻らないイチを心配し、雄のカラスは探しに行った。
調子が悪い彼女はねぐらで待っているように言われたが、昼も過ぎれば大人しく待ってはいられなかった。
たった
何かあった?
ううん、何もないのに帰らない訳が無い。
少し離れたところで、
黒の小鬼がその辺りを動いていることなど、大して珍しいことではないのに、冷静ではいられなかったのだ。
どうしよう。
イチに何かあったら。
また、大切なものを奪われたら……。
カァーッ
再び大きく声を上げた時、微かに返す声を聞いた気がして、雌カラスは急いでその声が聞こえたと思う所へ飛び降りた。
〔イチ!〕
〔
イチがいたのは、郊外の一軒家の中だった。
掃き出し窓の硝子の向こう、人間の家の室内で、犬用のケージに入れられている。
〔人間に捕まったの!? 待って、今助けるから!〕
カラスは焦って窓ガラスを突付いたが、そんなことで硝子はびくともしない。
〔
明らかに普段の様子と違う雌カラスに、イチは驚いて声を掛けたが、雌カラスの耳には入っていなかった。
人間の手に囚われたイチを前にして、彼女はパニックになっていた。
人間の手に掛かれば、カラスなどあっという間に生命を落としてしまうのだから。
雌カラスは、鳥の姿では動かすことの出来ない窓の前で、堪らず人間の姿になった。
これは小鬼を喰ってから手に入れた異様な能力だ。
イタチの言う『ただのカラスじゃない』とは、これも含まれるのだろうが、今はそんなことはどうでもいい。
彼女は人の手で掃き出し窓を引いた。
鍵は掛かっておらず、人の力をもってすれば難なく開くことが出来た。
「イチ! イチ、大丈夫!?」
〔
室内に駆け込んでケージを開こうとした彼女の姿は、今まで見せていた人間の女の姿とは違っていた。
黒髪を垂らした、美しい女であることは変わらない。
しかし、白い肌には所々に黒灰のシミのようなものが浮いている。
「大丈夫、逃げよう……」
そう言ったものの、彼女は上手くケージを開くことが出来なかった。
それどころか、思うように動くことが出来ないまま、その場に崩れるようにしゃがみ込んだ。
視界が回り、吐き気がする。
〔
カァーッ!
イチが叫んだ時、居間であったその部屋の入り口が開いた。
「あ、あなた、誰……!?」
驚きに目を見張った老女が、片手を口元に当てて扉からこちらを見ていた。
しかし
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