虚しい話の始まり

虚しい話の始まり

……———




「若くして俺を産んで一人で育ててくれた母親は、俺が10の時にジジイみたいな男と再婚した」


「……へぇ」



シトシトと鳴り続ける外を遮断したままの四角い世界に、裸の二人は毛布に包まったまま、話をしていた。


男の生い立ちを聞くのはこれが初めてだった。



「で、じじいにも連れ子がいたけど俺より一回り上で、もう働いてたから一緒に生活したことはない。……でも、たまに帰ってきて遊んでくれた。実家に親より俺よりも歳が近い継母がいて居心地悪かっただろうに……義姉は遊んでくれた」


「いい人だったんだね」


「……まぁ悪い人ではなかったんだろうけど、微妙に質の悪いベクトルだと思う」


「うん?」


「……俺は避難所として姉が暮らしているマンションによく一人で遊びに行くようになってから、なんとなく気付いたんだけど」



男は一人だけ毛布から抜け出した。



「その人、付き合う男、付き合う男は大体妻子持ちでさ」


「……あ、」



郁は『そういうことか』と続けようとした言葉は取りやめた。


あのうたは義姉の詩だったんだと。



扇は床に散らばる物をようやくまとめて整理し出した。


裸の背中を見て、寒くはないだろうかと郁は考えていた。



「自己犠牲の激しい……優しさを勘違いしたような女だったわけだよ」


「……それでもそのひとの家に行って……会いに行ってたんですか?不倫を止めさせようとして」


「……そんな面倒臭ぇことするかよ。不倫なんてする奴はするし、節度を持つ奴は持つ。第三者が外野から何を言ったところで何の効果もなければ何の意味もねぇ」


「扇さん」



郁は毛布から手を出し、寝転がったまま猫背で浮き上がっていた背骨を爪で軽く突いた。



「そのお姉さんと今も会ってるんですか?」


「……」



答えをもらわずとも、二人が未だに繋がっていると充分に察してしまった。


郁以外の女とセックスをしていないと言っていたが、こんなことなら体を重ねられた方がマシだとすら思ってしまった。


扇は立ち上がり、ペンや紙を机の上に戻して其処から窓を見た。



「……雨上がったぞ。雨宿りは充分したろ。お疲れさん」



下手な芝居に郁は伸ばしていた腕を床に落とした。



「扇さん、また来てもいいですか?」


「……来るな」



扇は振り返って微笑んだ。


寝転がって見上げている郁の額を撫で短い前髪を搔き上げ、透いた。



「良い若い女は楽しく華やかな青春でも送っておけ」



郁は毛布から抜け出し膝立ちのまま目の前の『少年』を抱きしめた。



「また来ます」



次に来た時も振り出しに戻って心を閉ざしていて、不毛な繰り返しを始めないといけないのかもしれないけど、脚の付根がまだ熱い内はこの男を抱きしめていたいと思った。



不倫よりも笑えない恋を始めた。

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