二十三 陰陽双修の法

「わたしに、何をしたんですか」


 令雅の熱を身のうちでたっぷりと受けとめた後である。寝台にふたり横になった体勢で、詩鸞は軽く令雅を睨んだ。


 が、残念ながら、その眼差しはあまり強いものにはならない。


 気をやったあとのしばらく、詩鸞は初めて味わう、細く長く引くような快感を引きずって、ぼう、と、していた。息が整って、やや思考もはっきりはしてきたが、それでもまだ身体の中には令雅がいるみたいな感覚が続いている。


「なにか、したでしょ?」


 それが単なる甘い交歓の余韻だとばかりも思えなくて、詩鸞は眉根を寄せた。


 身体を離したあとも、令雅は詩藍を腕に抱いている。長い指でそっとこちらの髪をいては、時折、労わるように額や頬、目許などにそっと口づけを落としたりしていたが、詩鸞がまなじりを吊り上げると、ちら、と、苦笑した。


「まぐわいは、陰陽いんよう和合わごうの極み。閨房術……陰陽双修は、互いに神気をやりとりしたり、それを高めたりする方策としても使われる」


「……それが?」


「うん。あんたの中に、練り上げた俺の神気を流し込んでみた」


「なっ……!」


 絶頂の際、肚の奥が熱くなったあの感覚はそれか、と、詩鸞は目を瞠る。次いで、勝手に何をするんだ、と、口を曲げた。


 つまり令雅は、たとえば乗騎の天翔に練った神気をやって操るときと似たようなことを、交合を通して、詩鸞に行ったということらしい。


「あなたね……わたしは天翔かって言うんですよ」


「ん? 天翔にするようには、俺にはあんたを乗りこなせる自信はないが」


「の、乗りこなすって……言い方っ!」


 すこし前まで令雅に上に乗られて、甘くゆさぶられていた詩鸞は、真っ赤になって抗議する。令雅は口許を笑ませて、くすん、と、肩をすくめた。詩鸞は、もう、と、口を尖らせた。


「でも……なんでまた、そんなことを?」


 詩鸞が問うと、令雅はわずかに不機嫌をにじませるこちらの額に、宥めるように接吻をしながら答えた。


「あんたは、俺のために神気を失った。俺の気をやることで、多少でも元に戻らないものかと思って」


 それで試してみたということらしい。


「それで、どうだ? 多少、神気は戻ったか?」


「っ、注がれ過ぎて苦しいくらいですよ! まったく……勝手なことを」


 詩鸞は、つん、と、そっぽを向いた。


 そのまま身体ごと反転して、令雅に背を向けてしまう。令雅はちらりと苦笑したようだが、しばらく何も言わず、背後うしろから腕をまわして、詩鸞を抱き締めていた。


「明日……監察使試験の、実技の日だろう? 神気があれば、受けにいける。――行ってきてほしいんだ」


 やがて、ぽつ、と、言われて、詩鸞ははっと息を呑んだ。


「……その、ために?」


 なんだか複雑な気分だった。否、これは、悲しさとか寂しさとかだろうか。詩鸞は、きゅ、と、眉根を寄せる。


「……わたし、は……純粋に、あなたと想いを交わし合ったものとおもったのに」


 それなのに、令雅にとってこの交合は、神気を受け渡すための手段だったのだろうか。先に詩鸞が令雅の呪詛を解くために身を重ねたときと同じようなものだったのだろうか。


 黙り込む。


 令雅は何も答えなかった。


 何か言え、と、そう思って、ちらりと後ろをふりむくと、相手はすこしばかり驚いたように金茶の目を瞠っていた。


「なんです?」


「いや……なんとなく、うれしくなって」


 そう言って口許を覆ってしまうけれども、どうやら令雅は笑っているらしかった。


「はあ? どういうことです」


「いや……あんたが俺と、純粋に抱き合いたいと思ってくれていたんだって」


「なっ、そ、そういうことじゃ……!」


「ちがうのか?」


「……ちがわ、ない、ですけど……」


 ついに詩鸞は、ぼそぼそ、と、小声でつぶやいた。


「惜しいな。明日が試験日だから自重するしかないが、ほんとうなら、朝まで何度でもあんたを抱きたいところだ……もちろん、神気の受け渡しなど関係なく」


「ふん、どうだか」


「信じてくれ。あんたに全部捧げたいんだ。あんたは、俺の呪詛を解くために、その身を捧げてくれた。そのぶん、俺のぜんぶはあんたのものだ……一生」


 後ろからきゅうと抱き締められ、耳許に熱っぽく囁かれて、詩鸞は言葉を失い口をぱくぱくさせた。


「……お、もい、です」


 結局、出てきたのはそんな言葉だ。


「ああ、わるい」


 令雅が慌てて詩鸞から身体を離そうとした。そういうことじゃなくて、と、詩鸞は身体を返すと、令雅をひと睨みした。


 溜め息をつきつつ、自ら相手の身体に身を添わせる。


「一生とか、重いって言ってるんです! でも、まあ……あなたらしいといえば、そうなのかも」


 それに、願い続けた監察使の資格を諦めることになったとしても令雅の呪詛を解く選択をしてしまったあの時の自分だって、重いといえば、十分に重かったのかもしれない。詩鸞は、はあ、と、溜め息をついた。


「一生、か……さっきも言いましたけど、それがこれからの数年なんていう短い一生だっていうなら、そんなものは願い下げですからね。何十年っていう一生を、わたしに捧げてくれるのでなければ……いい?」


 身を呈して戦う令雅は気高く、誇り高く凛々しく、とても恰好良いとは思う。けれども、あたらいのちを捨ててほしくはなかった。あの日、冷たくなった令雅の身体を抱き締めていたときのような想いは、もう、二度と御免だ。


「ねえ、令雅。わたしは、あなたが大事。幼くして故郷を失って以来はじめて、せっかく見つけた、手が届く大事なものなんです。だから……今度こそ、めいっぱい、ちゃんとだいじにしたい。簡単に、なくしたくないんです。――わかりますか?」


 無茶しないで、と、もう一度念を押すように言うと、相手はゆっくりと瞬いた。


 それから目を細めると、詩鸞を抱き締め、誓いでもするようにしずかに口づける。


「肝に、銘じる」


「わかればよろしい」


 ふ、と、詩鸞は笑った。


「明日の試験、がんばってきてくれ」


「ええ。最善を尽くします」


「帰ってきたら、また抱いていいか? 今日は我慢するが、今度こそ、遠慮はしない。朝まで放さずにいてもいいだろう? ――そうしたら、俺があんたとこうするのは、神気がどうのじゃないって、あんたもその身で理解してくれるはずだ」


 令雅はそんなとんでもない発言をしつつ、じっと詩鸞の眸を見る。


 どうやら本気のようだ。詩鸞は、何かを言いかけては口をつぐみ、また言葉を発しようとして言いあぐねて、結局、うつむいて黙り込んだ。


「…………手加減、して」


 しばらく後に、ぽそ、と、口にする。


「ん?」


 聞こえなかったのか、令雅はかすかに首を傾げた。詩鸞はそんな相手を、き、と、眉を吊り上げて睨んだ。


「だから、手加減! 武人のあなたとちがって、わたしはそんなに体力ないんだから!」


 頬を染めて言い棄てると、目をぱちくりさせた令雅が、くつ、と、喉を鳴らした。


「善処する。が……できるかな」


 冗談なのか本気なのかはかりかねる言葉を聞いて、詩鸞は腹立ちまぎれに、ぽかり、と、相手の逞しい胸を叩いてやった。

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