六 接吻
「んっ、ぅ」
身体はしっかと抱きすくめられ、大きく節ばった手指で後頭部を押さえるようにされている。もうすこし遠慮できないのか、と、思わないでもなかったが、どうやら令雅は無意識のようだ。
これは治療、これは治療、と、詩鸞は己に言い聞かせる。どこか必死に詩鸞に口づけてくる相手を受け入れるように、おずおずと、薄くくちびるを開いてやった。すると、待ち侘びてでもいたかのように、すぐさま相手の舌が歯列を割って忍び込んでくる。
ちぅ、ちゅく、と、湿った音が身体を通して響いてきた。口の中を、令雅の舌先が撫で回している。頬の内側をくすぐられ、上顎を舐められ、ぞくぞく、と、深くにも背筋に甘い
「こ、んな……愛撫、みたいなの……っ」
本当に治療の範疇なのか、と、詩鸞の言葉は、そこまでは声にはならなかった。また令雅が詩鸞に深く口づけたからだった。
熱い接吻に、身体の奥に熱がともってしまう。舌を絡め取られて、じゅぅう、と、音を立てて吸われると、頭の奥が、ぼう、と、かすんだ。
「ん、んぅ……っ、ん……ぁ」
鼻にかかった、とろけた声が漏れてしまう。潤んで涙が滲みかけた目を、詩鸞は、ぎゅう、と、
「あ……あ……も、うっ」
気が遠くなりかけて、もう勘弁してくれ、と、詩鸞は令雅の逞しい肩を軽く押した。
詩鸞の身体からは例によって
くちびるを離して、ほう、と、息をつく。
詩鸞はそんな相手を、き、と、ひと睨みした。
「たしかに、接吻での治療は、するって言いましたけど……」
協力を申し出たのは自分だ。だが、だからといって、長椅子に半ば身を横たえるようにされ、圧し掛かられるような体勢で抱きすくめられながら、ねっとりと口中をまさぐられても良いと思っていたわけではない。性感を掻き立てるようなこんなやり方まで許可した覚えはないのだが、と、詩鸞は口を極めて文句を言った。
しかし、どうやら令雅にはやはり、そんな求め方をしていた自覚は皆目なかったらしい。頬を染めた詩鸞に抗議されてはじめて気がついたというように、眉根を下げて、
「すまない……あんたと口づけすると楽になるものだから、つい」
「ついって、あなたね」
ついで、まかり間違えば間違いをおかしそうなやり方をされたのでは、たまらない。詩鸞はむっとくちびるを尖らせた。
「だいたい、なんでこんな、長椅子に押し倒されるみたいになってるんですか」
「ああ、それは、あんたまた気を失うかと思って」
令雅が言うのは、初めて顔を合わせたときに加えて、昨日の令雅の出撃のあとの口づけでも、詩鸞が気絶した事実である。今度もまた気を失って倒れるようなことがあって大丈夫なように、と、わざわざ長椅子に横たえての厚意は、彼なりの配慮のつもりであったらしかった。
蜚牛討伐から、数日が経っている。その間、妖魔が出たという報があっては、令雅は度々、京城衛を率いて出撃していた。
今日もまた、ほんの先程まで、郭壁の外へ妖魔を倒しに出ていたのだ。
蜚牛を倒した後その場に倒れ込んでしまった令雅に、詩鸞はなぜか衝動的に接吻をしていた。交合して呪詛を解くことには
あの日は、それからたっぷり――たぶん線香がゆうに一本は燃え尽きるくらいの時間だ――令雅に口づけられ続けていただろうか。自分の肌の一部が、
そのとき傍についていてくれた蓉香からは、詩鸞が目覚めるやいなや、礼を言われた。
「旦那さまはご無事です。ありがとうございます、詩鸞さま」
感極まった様子で手を握られ、詩鸞はかえって居た堪れないような気分だった。
それからは、気後れするくらい豪勢な食事をご馳走になり、用意された上等の生地の寝間着に着替えて、床に就いた。
そして、それから三日ほど。
妖魔の報告は頻繁だったが、どうやら蜚牛ほどの大物は、あれ以降、姿を見せていないようだ。令雅は日々出撃を繰り返してはいたし、戻ると痣はひどくなってはいたが、蜚牛との戦いの後ほどではなかった。
令雅が戻るたびに詩鸞が治療として令雅に接吻をしてやる。それで痣は薄らぎ、呪詛はおさまる。それをもう、幾度も繰り返していた。
そして、令雅の治療をしてやる以外の時間は、詩鸞は、勉学に励ませてもらっていた。
蜚牛討伐の次の朝のことである。詩鸞がちょうど蓉香が運んできてくれた朝食を食べていたとき、令雅が顔を出した。そのときの令雅は、頬や額の痣は戦闘直後に比べればずいぶんと薄くなっており、身体の調子も悪くはないようだった。
内心、ほ、と、息をついて相手の姿を眺めやった詩鸞に、相手は、屋敷の中では遠慮なく過ごしてくれ、と、そう言った。書卓が用意され、紙や墨が用意され、ついでに書庫にも自由に出入りしてかまわないらしい。そんな令雅の厚意にあまえて、詩鸞は試験に向けた準備にも余念がなかった。
何しろ監察使の試験は、もう、明後日である。
今日も詩鸞は朝早くから書卓に向かい、自分の荷物の中から取り出した書き付けの帳面の見直しをしていた。確認したいことがあって書庫から書を借り出しに行こうと部屋を出たのが、昼前である。
そのとき、にわかに屋敷内がざわめいたかと思うと、令雅はまた隼を駆って出て行ってしまった。妖魔の出現は本当に頻繁なようだ。結局、令雅はそれから一刻ほどで戻ったが、帰宅したときにはやはり、その身の痣は再び色を増していた。
「これくらいなら、まだ平気だ」
「そう言って、また倒れたらどうするんですか」
平気だからと言い張る相手に目を怒らせて治療を申し出たのは、詩鸞のほうだ。滞在させてもらうことになった部屋に令雅を引っ張り込んで、自分のほうから、口づけをした――……治療なのだ。一回やったら、もう、二回も三回も四回も五回も同じである。
自棄気味の気分で相手の
「鳥を生むとあんたも消耗するようだし、横になっていたほうが楽かと思ったんだが」
詩鸞を長椅子に寝かせ、折り重なるような体勢で口づけた理由を、令雅はそんなふうに説明した。
「ちょ、生むって……言い方っ!」
やっていることがことなだけに、なんとなく生々しい響きに聞こえてしまって、詩鸞はますます赤くなって声を荒らげた。が、令雅はきょとんとするだけで、詩鸞が何に腹を立てているのか、まるでわかっていないらしい。
「とりあえず、助かった。だいぶ楽になった」
そのまま立ち上がると、ふ、と、わずかに口許をゆるめさえする。
「…………それは……よかったです」
何の
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